御堂筋から堺筋。道修町と会津屋へ。大阪市の旅
お天気はよくなかったのですけれど、出かけたかったので出かけたのです。
どこへ行くというあてもないのですが。
何となく、都会を歩きたかったのですね。
御堂筋沿いにしばらく北へ歩いてみようと思います。
いつの間にか、歩道の中に段差を設けた自転車専用道がつくられていました。
御堂筋を歩いていると、歩行者すれすれで自転車を走らせる人が結構いますからね。
怖い思いをさせられることもあります。
こういう自転車専用道は、あった方がいいんでしょうね。
頭上に龍がうずまく、金龍ラーメン。
私、金龍ラーメン好物です。
この御堂筋沿いのお店は立ち食い形式で、ご飯とキムチ類のサービスがないので、私は食事したことがありません。
ただとても便利のいい立地だと思います。
しゅっと食べてしゅっと去る、立ち食いそば的な利用ができるのですね。
曇り空の下の道頓堀川であります。
御堂筋沿いに、お寺さんがあるのです。
真言宗御室派の三津寺でした。
御室派は京都の仁和寺が総本山だそうで。
私、仁和寺行ったことないんですよね。
本堂の前におびんずるさんがいたので、方々撫でておきました。
この三津寺、もとは応神天皇の墓所があった場所に、聖武天皇の命で行基が建立したのだそうです。
大阪に住んでいると、方々で行基の事跡を目にします。
都会にあって、歴史ある古刹なんですな。
ご本尊は秘仏で、拝めませんが、そのご本尊を模した石仏が境内に立っています。
参拝の後、三津寺の立派な外塀沿いに、また御堂筋を歩きます。
アップルストアのある御堂筋周防町の交差点を、右に曲がりますよ。
東へ東へ。
気になる韓国系のお店がありましたぞ。
プデチゲもあるんだそうです。
サムギョプサルの食べ放題が2500円ですと。
サムギョプサルいいですなあ。
しかしそこまでの予算がないので、いいですなあ、と思いながらも素通りしました。
このすぐ北に、私がよく買い物する「韓国業務用スーパーひろば」があります。
このスーパーひろばには帰り際に寄ることにして、今はもう少し北まで歩いてみたいと思います。
長堀橋に至りまして。
さらに船場中央まで。
船場センタービルが見えています。
中はこんな感じでした。
東西に通る阪神高速の高架下につくられたビルで、横に長いんです。
中にいろんなお店がありました。
約800店のテナント。
繊維、ファッション関係のお店が多いですが、各種雑貨店に飲食店もあります。
ビルの外に、私好みの幻想的な通路がありました。
しかし狭くて、ここで人とすれ違うのは難しいですな。
平野町辺りに来ると、東の方角にゲーム会社のカプコン本社社屋が見えます。
私はストⅡを始め、何かとお世話になっています。
最近、バイオハザードの新作が出たらしいですぞ。
薬の街、道修町の界隈を通ります。
道修町には、薬店がいっぱいです。
武田薬品、田辺製薬、塩野義製薬など、この道修町発祥の大手製薬会社も多いのですよ。
中国伝来強精薬!
この漢方薬局、ショーウィンドウ内に動物の角など見た目の激しい各種の生薬を展示していて、面白いです。
煎じて飲めば、さぞや精がつくんでしょうねえ。
この伝統的な建物は、小西家住宅です。
木工ボンドの販売で有名なコニシ株式会社の前身、小西屋の社屋として、明治時代に建てられたものだそうです。
…ところで。
安土桃山時代、堺出身のキリシタン大名、小西行長(こにしゆきなが)は薬種商の家に生まれました。
またこの道修町の薬の街としての発展はもともと、江戸時代初期に堺出身の小西姓の薬種商が、界隈に店舗を構えたことに始まるそうです。
もしかしたら、この道修町の小西姓の薬種商と小西行長とは、何か繋がりがあったのかもしれません。
そういう風に、日本史妄想好きの私は妄想してしまいます。
現在もこの国の医療を支える各製薬会社の、発展の基盤を支えた道修町。
薬の街の名は伊達じゃないな、と実感しました。
道修町を散策したいのですが、お腹が減ってきたので先に飲食店を探したいと思います。
道修町から北浜にかけての界隈はビジネスの街と言いますか。
飲食店は数は少ないんですけれど、それなりにあるんですね。
鰻店などの昔ながらのお店と、ビジネスマン向けのリーズナブルなお店とが混在しています。
予算は無いのですけれど、私もそれなりにブログのネタになりそうなお店で食事したいと思ったわけであります。
川沿いに来ました。
こちら側と中之島側とに挟まれて、水上バスも行き来する川です。
川の流れを見ていると、気持ちがなごみますな。
東京駅の駅舎を手がけたことでも著名な辰野金吾の建築、中之島の中央公会堂ですね。
大阪出身の作家、万城目学氏もエッセイ等で触れていますが、大阪府内には辰野金吾の手による建築が結構多いのですよ。
日生淀屋橋ビル。
私はここにたどり着きました。
北浜と中之島界隈の低予算観光においては、重要なお食事拠点です。
というのも、サンドイッチのSUBWAYとマクドナルドを始め、テナントにお手頃飲食店が集まっているビルなのですよ。
いろいろなお店がありますが、中には大阪のたこ焼きの原点である「会津屋」の支店も入っているのです。
私、今まで会津屋のたこ焼きを食べたことがなかったんですね。
この機会にいただいてみよう、と思いました。
カウンター席のみの、会津屋の席に座ってしまいます。
これにしました、三種盛りの12個入り、550円。
たこ焼き、ラヂオ焼き、ネギ焼き、と会津屋を代表する三種類全ての味が楽しめるのです。
三種盛り550円とキリン淡麗(生)250円、閉めて800円。
もはや、天国であります…!
甘辛く味付けされたすじ肉入りのラヂオ焼きと、生地にだしの味がしっかりついたねぎ焼きにたこ焼き。
いずれも、これ以上ソースなど必要としないぐらい、豊かな味わいです。
しみじみ、美味しかったですねえ。
特にたこ焼きの元祖、ラヂオ焼きの味わいが素晴らしかったです。
これはたこ焼きの前身なのですが、そのままで今でも通用するポテンシャルを秘めています。
ラヂオ焼き万歳。
とてもおいしゅうございました。
北浜の会津屋で、三種盛りを肴に昼から飲む一杯!
…もう、クセになりそうです。
会津屋は、会津(現在の福島県)出身の創業者が、現在コリアンタウンとして知られる今里で創業したのが全ての始まり。
当初は、牛のすじ肉を使ったラヂオ焼きだけを提供していました。
それが兵庫県のご当地グルメである明石焼きに着想を得て、たこを入れるようになったのが、大阪のたこ焼きの始まりなのですね。
いがかでしょう。
今や大阪名物として知られるたこ焼きも、発祥をたどれば、その契機は福島県出身者のアイデアによって兵庫県の明石焼きが改良されたもの。
また大阪が誇るカップヌードルの発売元、日清食品の創業者である安藤百福は台湾出身。
美味しい大阪名物、551の豚まんも台湾出身の創業者の手によるもの。
大阪のご当地グルメというのは、他府県の人々、また他民族の人々の手に支えられているのだと日々痛感しています。
ほろ酔い気分で、引き続き歩いて参ります。
日生淀屋橋ビルの近くにある、この自販機。
飲料一本が100円で、ついでに駄菓子の「うまい棒」が一本無料でついてくるのです。
コスパ高い!
でも今はうまい棒もジュースもいらないので、私は素通りです。
界隈にこんな場所がありました。
俵物、と言いましてね。
主に中国で好まれた日本産のふかひれ、干しなまこ、干しあわび等をそう呼んだのだそうです。
江戸時代、貴重な外貨獲得の手段として、この北浜の地にそれらの産物が集められて。
それから主に中国大陸に向けて輸出されたのですね。
会所というのは、許可制の市場のことのようです。
大阪証券取引所の巨大な建物であります。
目の前に立つのは、五代友厚(ごだいともあつ)公の銅像ですね。
彼は薩摩藩士として鹿児島に生まれ、薩英戦争でいったんはイギリスの捕虜となりました。
しかしそれ以後イギリスから近代国家について学び、大阪の発展に諸々の貢献をされた方です。
大阪府内だと、別に堺市の港湾部にも同じく薩摩藩士だった大久保利通(おおくぼとしみち)公の石碑などがあって。
大阪の発展に貢献した鹿児島人の功績を折々に感じます。
いろいろ見たので、道修町に戻りたいと思います。
道修町の薬種業者の崇敬を集めた、少彦名神社にやって来ました。
「神農さん」の通称でもお馴染みです。
もとは古代中国の薬の神、神農皇帝を祀った神社だったのですね。
それが後に日本固有の神である少彦名命が合祀され、現在の形となりました。
いずれも、薬の品質を守る神様に相違ありません。
お参りの後、お社に併設の「くすりの道修町資料館」も見学してみます。
入場無料であります。
道修町の形成に関わる、生の史料を見学することができました。
日曜日と祝日は閉館なので、これから来館される皆様はお気をつけください。
北浜に道修町の散策、満足いたしました。
道修町から堺筋を南下して、「ひろば」で韓国の即席麺を買い物して帰ります。
最近韓国では「プデチゲラーメン」が流行していると聞きました。
そのプデチゲラーメンを買いたかったのです。
ちゃんとそういう品が売られていましたよ。
今後またレビュー記事をご覧に入れる予定です。
帰りの駅のホームで、ひろばで買った韓国産発泡酒を飲んで帰ります。
ジンロ製。
安かったですが、まあこれといった特徴はない、普通の発泡酒ですね。
しかし美味しくいただきました。
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