2019年春韓国大邱旅行三日目(1)。伽耶山海印寺に参拝。八萬大蔵経の版木
韓国旅行三日目の朝。
早朝に起きて、宿を出ました。
全州の高速バスターミナルからバスに乗り、大邱に戻ります。
数時間のバス移動を経て、東大邱駅に戻りました。
本日は大邱近郊にある古刹、海印寺(ヘインサ)に参拝するつもりです。
海印寺行きの高速バスが出ている西部バスターミナルまで地下鉄に乗って来ました。
서부정류장(西部停留所)とビルに書いてありますな。
西部停留所に「ACC MALL」なる商業施設が隣接しています。
8100ウォン(約810円)の乗車券を買って、海印寺行きのバスに乗りました。
高層集合住宅は眼福です。
田畑の多い地域の風景は、日本のそれとよく似ていますね。
心が和みます。
山と山の頂の間隔が短くて、変わっていますね。
海印寺の入口は料金所になっています。
ここでバスがいったんとまって、お寺の関係者の方がバス内に入山料を徴収にきます。
バスが山の中ほどまで行くので、この料金所でバス内の参拝する乗客一人一人のもとを廻って徴収する、という仕組みなんですね。
入山料を3000ウォン(約300円)納めました。
バスから降りて、海印寺の参道に入ります。
宝物館ですな。
参拝客の数は、そこそこですね。
テラス席のあるカフェですね。
暑いので、ひとやすみしたくなりますね。
伽耶山海印山と扁額のある山門が見えて参りました。
伽耶というと、古代に日本と関係のあった朝鮮半島南部の小国家群の総称ですね。
中でも金官伽耶もしくは任那と呼ばれる国が代表的ですが、伽耶と総称される小国家群が朝鮮半島南部にあり、それらは大和朝廷に鉄を輸出する、重要な同盟者でした。
伽耶と言うのはおそらく広範囲の地域名なのでしょう。
大邱近郊のこの辺りまで古代にはその伽耶の範疇だったのかもしれません。
三国時代でお馴染みの高句麗、百済、新羅とは別に、伽耶の国家群は古代日本と利害を共にする存在であったようで、私も最近興味を持ち始めたところです。
何か人が多くなって来ました。
家族連れが目立ちます。
わりと階段を小刻みに上ります。
文化財の石塔が、五色のぼんぼりに囲まれてあります。
圧巻であります。
このぼんぼりの五色は日本の仏教寺院だと仏旗で使われていますね。
仏陀の精神と肉体を構成する各要素を象徴するものだそうです。
この石塔は創建当時からあるそうです。
海印寺の創建は西暦802年ということなので、古いものですね。
高いところから見ると、なかなかよい眺めです。
で、私が何が目的で海印寺に来たかというと、ここなんですね。
後ろの建物、仏教の経典である「高麗版八萬大蔵経」の版木の収蔵庫です。
海印寺はこのお経の版木を持っていることで有名なんですね。
日本でいう室町時代、周防国(現在の山口県南部)の戦国大名、大内氏が朝鮮に対し八萬大蔵経を求めたという逸話があります。
大内氏はその祖先を奈良時代に日本に渡来した百済の王子「琳聖太子(りんしょうたいし)」であると自称していて、朝鮮との貿易に積極的でした。
大内氏好きの私は、その八萬大蔵経の現物が眠る場所を見てみたかったわけです。
格子越しに、大蔵経の版木が遠目に見えます。
図書館の所蔵資料のように、分類番号を書いたシールが貼り付けてあります。
朝鮮側では、この版木から紙に印字したお経を、交渉の条件次第で相手に譲渡するという外交を行っていたわけです。
八萬大蔵経が、外交上の重要な資産だったわけですね。
収蔵庫の外からはよく見えず、その現実感がいまいちピンときませんでしたが。
日本国内で覇を争う戦国大名にとって、朝鮮由来のお経を所持していることがどれだけの箔付けに成り得たのか。
その重みがわかれば「大蔵経の本物、すげー!」と感動できるのでしょう。
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