韓国旅行一日目(2)。江南区、待ち時間で三陵公園へ。朝鮮王朝の王陵と世宗大王の階段
高速バスターミナルのチケット売り場を探して右往左往しています。
人の往来の激しいホールに出てきましたが、どちらに行けばいいかわかりません。
ようやくこの先に高速バスのチケット売り場があったので行き先を伝えたら、窓口の女性は「ナガソ」と言って別の方向を指差すのでした。
どうもバスの向かう方面によってチケット売り場が違う模様。
この目の前の巨大な建物が、私が乗るべきバスが出るバスターミナルビルのようです。
この一階でチケット売り場を見つけて目的の、忠清南道の公州に向かうチケットを購入しました。
8000ウォン(約800円)でした。
それはいいのですが、なんとバスの出発時間はまだ2時間以上先の16時35分とのこと。
すぐにでも出発するものと思っていたのに、公州行きの高速バスは本数が少なかったようです。
手持ちのガイドブックには30分から45分間隔で運行と書いていたのですが…。
目的地までの所要時間が1時間30分ということで、公州に到着する頃には夜6時にはなります。
初日から公州に行って観光を満喫するつもりだったのですが、いよいよ雲行きが怪しくなってきました。
2時間も狭い待合室でじっとしていられませんので、私は動きます。
バスの乗り場を確認しておきましょう。
2時間後、ここからバスが出るわけです。
2時間も待ち時間があるなら、その間に近隣の街歩きぐらいできるな…とこのとき思ったのでした。
ガイドブックを見ると、この高速バスターミナルのある江南地区には、朝鮮王朝時代の王陵を保存した「三陵公園」があるとのこと。
古墳好きの私の血が騒ぎました。
空き時間で、観光してしまいましょう。
再びこの地下の高速バスターミナル駅から、電車に乗ります。
4駅ほど行けば目的地。
宣靖陵駅で降りました。
駅の階段を登って出口から出ると、緩い坂道の途中です。
坂のある都会の街、好きです。
これも江南区の街並なわけですけれど、何年か前に流行した「江南スタイル」って歌、このあたりのスタイルを言ってたんですかね。
江南区に詳しくないのでよくわかりませんが。
坂道を降りていくと、三陵公園の塀に行き当たりました。
塀に沿って坂を降り、入口を目指します。
入口は遠く、随分と歩いています。
歩道上に踏んだら危なそうな金網がかぶせてあります。
スマホ操作しながら歩いていたら踏んでしまう罠ですね。
ちなみに帰り道でうっかり踏んでしまいましたが、踏み抜くこともなく大丈夫でした。
丈夫な金網でした。
ただ何があるか分からないので、あんまり踏まない方がいいと思います。
「月曜日は休陵日」ですって。
陵が休むみたいで、面白い言い方ですね。
今日は運よく土曜日なので、陵は起きているはずです。
ところで私は次の給料日が待ち遠しいです。
ようやく着きました。
入場料1000ウォン(約100円)支払って入場します。
敷地に入るとそこにあったのは、立派な建物。
壁に掛かった液晶ディスプレイで、王陵の解説映像がナレーション音声付きで放映されています。
しかし博物館ではなく、お手洗いなのでした。
せっかくなので用を足しました。
海外旅行では綺麗なお手洗いの確保も大事です。
このお手洗いの建物は新しく、内部の掃除も行き届いていて、とても綺麗、清潔でした。
建物の外に、おそらく清掃用の設備だと思うのですけれど。
"Air-Duster"とわざわざ書いてくれてあるので、見学客にもアピールしているのかと思い、私はエアダスターを手に取って自分に向けて使ってみました。
結構な勢いで風圧が来ました。
服についた土埃なんかは一網打尽です。
関係者に見つかって怒られないうちにエアダスターは元の場所に戻しました。
いろいろさっぱりしたので、王陵の見学に向かいます。
緑豊かな、雰囲気のいい公園ですね。
朝鮮王朝11代王、中宗が眠る靖陵です。
中宗は西暦1506年から1544年にかけて朝鮮王朝の王位についていた人物です。
先王で異母兄にあたる10代王、燕山君がクーデターで廃された後、晋城大君(即位して中宗)が擁立されました。
暴君であった燕山君の治世から近臣たちの心は離れ、固辞しようとする晋城大君に頼み込んで次代の王位に就かせた経緯があります。
韓国に来る飛行機の中でちょうど朝鮮王朝の歴代王について書かれた本を読んでいたので、各王のエピソードがまだ記憶に新しいです。
本で読んだ王が実際に目の前に眠っているかと思うと、静かな興奮を覚えました。
王陵までの参道には左右の道で段差が設けられております。
左が香路、右が御路。
右を通れ、と注意書きがありました。
左の香路は神様かえらい人が通る通路のようです。
将来的には私も左の道を行きたいものですな。
便宜的に、今は右の道を通ってお参りします。
円墳には近づけないように柵で囲ってあります。
離れたところから中宗の霊に手を合わせました。
円墳の頭頂部には、複数の馬型の石像と御者の石像があるそうです。
日本の古墳でいう埴輪のようなものでしょう。
ここからかろうじて見えるのは御者の石像の頭部分だけですね。
靖陵の正面に立ち並ぶ江南のビル群でした。
公園内には斎室と言う施設がありました。
王陵で祭祀が行われる前に、祭祀の主宰者が数日に渡って籠もり身を清める場所なのだそうです。
松林の向こうに、別の王陵があります。
9代王、成宗の墓所、宣陵です。
成宗の在位期間は西暦1469年から1494年まで。
朝鮮王朝の基本法典となる「経国大典」を完成させ、政治基盤を固めた名君でありました。
10代王燕山君と11代王中宗の父にあたります。
拝殿の向こう正面ではなく左手に宣陵があるのです。
実はこの拝殿、宣陵と、この右手奥の丘の上にある貞顕王后の陵と共通なのですね。
成宗が燕山君の母にあたる先の王妃を廃妃にした後、正室に迎えたのが貞顕王后です。
中宗の母でした。
拝殿に上がるにも左の神階と右の御階とがあり、左は使ってはいけないとのことでした。
涙を飲んで御階を上ります。
円墳の上にもうひとつ小さな円墳が乗っかった形状のようですね。
石像も見えます。
近寄れないだけに、何か神秘的です。
拝殿から貞顕王后陵への道は、神路であり、私のような者が通ることはできません。
かなりの迂回をして参拝はできるようです。
ところでこのときに気付いたのですけれど、もう15時も半ばを回っていたのですね。
公州へ向かう高速バスの発車時間が16時35分。
移動時間を考えると、そろそろ高速バスターミナルに戻らないとまずい頃合なのでした。
貞顕王后陵には遠くから手を合わせるに留めました。
急いで戻ります。
三陵公園の敷地内を走り、敷地外に出てからも坂道を走って上り、宣靖陵駅に向かっています。
途中で思い違いをしていて、高速バスは16時20分に出るものと思っていたのでした。
宣靖陵駅から電車に乗り込んだところでまだ時間の余裕があることに気付き、安堵の息をつきました。
走り過ぎて汗だくです。
10分ほどの余裕を残して戻ってきた高速バスターミナル駅の出口。
階段が、踏むと音の鳴るものでした。
一歩ずつ登っていくと一連の音楽が奏でられるようにできています。
この方はおそらく、ハングル文字を発明したといわれる世宗大王でしょう。
朝鮮王朝4代王です。
在位期間は1418年から1450年。
9代王成宗の祖父にあたります。
非常な読書家であり、研究者気質の王様でした。
自分が読書に励むだけでなく、庶民のために学びやすく合理的なハングル文字を発明した、偉大な人物であります。
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