言い訳の東京旅行二日目(4)。本所松坂町公園、両国公園。史跡の多い両国を、駆け足通過
引き続き、忠臣蔵テーマの旅に戻ります。
JR品川駅から電車に乗って、両国駅まで。
以前にも一度、両国観光には来たことがあるんです。
もう十年近く前ですがね。
駅構内からもう相撲推しで掛かって来てるんですね。
圧力があります。
観光客も多いです。
駅の近く、国技館通り沿いの「ちゃんこ霧島」ビルです。
以前の両国観光の折にここの上階でひとり、ちゃんこ鍋の昼食を食べた記憶があります。
野菜少なめで肉と魚介類が中心でした。
美味しかったです。
3000円ぐらいだったと思います。
今は朝食を食べたばかりなので素通りします。
鼠小僧次郎吉(ねずみこぞうじろきち)の墓があることで有名な回向院です。
団体さんが門前で解説を聞いています。
本所松坂町公園が吉良邸跡なんですね。
赤穂浪士が討ち入った吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしなか)の屋敷跡です。
以前にも立ち寄っているので、再訪ということです。
ちゃんこ料理店と相撲部屋が多い街なんですね。
もともと回向院で行われた「勧進相撲」が、この土地に相撲が根付いた起源だそうです。
お寺に寄進するという名目で相撲の見物料を取ったということでしょう。
時節には吉良邸跡で催し物も行われます。
街角に目印が多いので目的地まで迷うこともありません。
雰囲気がありますね。
今は吉良邸跡として小さな区画が保存されているだけですが、もともとの屋敷地はもっとずっと広かったそうです。
「2550坪(約8400平方メートル)」の敷地があったんですって。
広大ですね。
酒飲みの堀部安兵衛もこの界隈で暴れたんですね。
死闘を繰り広げたと言うべきですか。
保存された敷地の一角に古い石碑があります。
この吉良邸跡、昭和9年に地元の有志がもとの屋敷跡の一部を購入して、当時の東京市に史跡公園として寄付したのだそうです。
界隈は住宅地になっていますが、おかげでこの一角だけはいつまでも史跡として開発を免れたのですね。
「みしるし洗いの井戸」とあります。
もともと吉良邸にあった井戸で、赤穂浪士が上野介の首を洗ったのでしょう。
「みしるし」は「御首」ということで、尊称ですね。
貴人の首を洗った井戸ということです。
吉良上野介の座像も安置されています。
愛知県西尾市吉良町に残る上野介の木造座像をもとにつくられたものということです。
「吉良上野介義央公」と銘が打ってあって、上野介が必ずしも「敵役」という扱いになっていません。
むしろ郷土の偉人ぐらいの扱いですか。
確かに、三河の所領では名君の聞こえが高かったということでありますし…。
浅野内匠頭とのいざこざ、赤穂浪士の討ち入りは不幸な巡り合わせの末だったのかもしれませんね。
こうして犠牲になった人の遺跡を整えて残してあるのは、観光客向けの計らいということだけではなく、供養でもあるのですね。
吉良邸から東に数十メートル行った先に両国公園もあります。
ここは幕末の偉人、勝海舟(かつかいしゅう)の生誕地跡なのです。
勝海舟について解説するパネル展示があります。
以前来たときには石碑だけで、こんな設備まではありませんでした。
整えられましたね。
ここにはかつて勝海舟の実父・小吉の実家、男谷家の男谷精一郎信友(おたにせいいちろうのぶとも)の屋敷があって、勝はその屋敷で生まれています。
ちなみに男谷精一郎は剣術の直心影流の達人で「剣聖」と言われた人物です。
勝海舟にとって血縁上の又従兄弟、系図上は従兄弟にあたります。
刀が備えられた西洋椅子ですが…勝海舟が本当にこういう椅子に座っていたのか?
その辺がはっきりしませんでした。
いつ襲いかかられてもいいように…という用心深さを表わしたものでしょう。
勝も男谷精一郎と同じ直心影流の免許皆伝を得ていたそうです。
両国公園から、錦糸町方面に向かって歩いていきます。
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