短編小説

『自室の中でも顔、顔、顔』

部屋に一人でいるのに、ごそごそ音がする。 気持ちが悪い。 何かというとごそごそ、ごそごそ…。 この部屋は前からそうだ、と今日子(きょうこ)は思った。 自分しかいないはずなのに、どこかでごそごそ音がする。 そして、わりと大きな気配を感じるのだ。 部…

『正体不明のチラシ束』

義雄(よしお)はむかむかしている。 アパートの自室で朝起きて、郵便受けに新聞を取りに行くと、中にいっぱいものが詰まっている。 大量の古い広告チラシである。 どれも裏地が白く、その裏側に太字のマジックペンで手書きの文章が書きなぐられている。 そ…

『相まみえる熊殺しと柔の強者』

心労からか、彼女の顔はげっそりと痩せていた。 「お願いします」 膝に両手をついて腰を曲げ、彼女は何度もこちらに頭を下げる。 いたましい、と彼は思った。 彼、餅田万寿夫(もちだますお)は、しばらく前から「熊殺しの男」と呼ばれている。 彼が通う私立…

『お白湯で妄想する寒い夜』

熱いお白湯をふうふう吹いて飲みながら、私は考えている。 たまには美味しい玉露のお茶を淹れて、舌の上をころころ転がしてから飲みたいな、などと。 しかしだ。 今は最低お白湯は飲むことができるのだから、まだいい。 しかしそれがかなわなくなったらどう…

『戦乱の世、長芋を脅し取る』

米びつには米一粒すらない。 「もう食べるものがないよ」 米びつの中をのぞきながら、おっかさんがそうおっしゃる。 長引く戦乱で、稲の手入れに人手は割けず、かろうじて実った稲穂には火がつけられた。 でもこうして家が残り、母子で無事生きていられるだ…

『鳩の受難』

ぽりぽりぽりぽり、食べこぼしを散らしながらスナック菓子を食べている。 私のことではない。 小さな子供がバス停のベンチに座って、お菓子を食べている。 散った食べこぼしはその子供の足元に落ちている。 小さいので、地面につかない短い両足を、その子は…

『小さなことで腹を立てる奴』

真理(まり)はファーストフード店のテーブル席に、一人でいる。 テーブル上に教科書とノートを広げ、自習している。 試験期間中なのである。 午前中に今日の試験を終え、来店して食事した。 それから今まで真理はねばっている。 明日も試験があるのにも関わ…

『鰹節の味のするソーセージ』

鰹節の味がするソーセージを食べている。 初めて食べる銘柄だ。 ふいにソーセージが食べたくなって、近所のスーパーで手近にあった商品をつかんだら、その商品だったのだ。 かじると、豚肉の味とは別に、鰹節の味と香りが口の中に渦巻く。 うまかった。 私は…

『道の端で泣き声をあげる人』

泣いている人を見て放っておいたら、後日の寝覚めが悪い。 「えほえほえほ」 そんな声をおおっぴらにあげて、人通りのない路地裏の隅に立ったまま、泣いている人がいるのだ。 両手で顔を覆っているが、女性であるらしい。 長い黒髪が、グレーのコートを着た…

"A fight over the young madam"

'I can't believe you are in such a sort of job.' She whispered to my ear. She was standing so close to me even I could smell her scent. I just smiled and kept silence. 'Tell me, why are you?' She whispered again. She had been put her arms …

『箱を押し付けてくる男性』

無防備な自分にも原因はある。 「おい、ちょっと。おい、ちょっと」 義雄(よしお)がコンビニの窓ガラスの前で、立ったままおにぎりを食べていると、声をかけてきた者がある。 小柄な高齢の男性であった。 血色の良い、にこやかな丸顔である。 落ち着いた色…

『行列で聞くラーメンの歌』

「ラーメンラーメン」 目の前に並んでいる中年男性が歌を歌っている。 人気ラーメン店に入るため、行列に並んでいる義雄(よしお)は、その中年男性の歌に耳を傾けた。 行列は長い。 50メートルの長きにわたって続いている。 「長い細麺つるつるつる~」 大…

『熊殺しはコンビニに向かう』

「熊殺しの男」の異名を持つ餅田万寿夫(もちだますお)は、自身のその異名が広まることに怯えていた。 「熊」というのは、彼が通う私立高校の体育教師で生徒指導官、田中金治(たなかきんじ)を指す。 田中金治はヒグマを上回る体格と凶暴性とを兼ね備えた…

『食券を買わずに男は店内で暴れる』

「牛肉だ、牛肉をよこせ」 大きな肉切り包丁を持った男が、牛丼店の店内に乱入した。 カウンター席で丼を口に寄せてご飯をかきこんでいた義雄(よしお)は、横目で男を盗み見た。 自動ドアの手前にたち、両手で握った包丁を腰だめにかまえたその男は、冷静さ…

『延々とついてくる奇妙な男』

夜間の帰路である。 数メートルの間隔を置いてついてくる気配が自分の背後にある。 菊江(きくえ)は後ろを振り返った。 「貴殿に興味はござらぬ」 相手の姿が目に入るか入らないかの瞬間に大きな罵声を浴びた。 慌てて前に向き直った。 相手の姿は確認でき…

『のどぐろを依頼された若者』

「おはん、のどぐろ買ってきてんか」 こちらを見もしないで依頼してくる。 なんと横着なのだろう。 人のことをおはん呼ばわりするのも気に食わない。 だいたいが、赤の他人なのだ。 今はたまたま同じ部屋への潜伏を余儀なくされているだけで。 「のどぐろっ…

『見も知らない人たちの罪』

見も知らない人から責められている。 「あなたのせいですよ」 切羽詰った調子である。 「全部あなたのせいですからね」 誰なのだろう。 私が何かしたのだろうか。 その人は玄関先に立って、真っ白ないでたちである。 見覚えがないのだ。 「あの、お名前は…」…

『夜半の通路とカップ麺』

小腹が空いたからカップ麺の自販機でも冷やかしに行こう。 深夜二時頃、そう思って席を立ち、自室から通路に出たまではよかった。 幅が狭く、ランプ明かりに照らされた薄暗い通路だ。 長々と続いている。 その通路の両側には、私の自室のものと同じような扉…