『手間のかかる長旅(107) 暗い本堂。座り込むアリス』
靴を脱いで、暗い本堂に足を踏み入れた。
「あれっ」
中の風景に目が慣れてきた。
「アリス…?」
時子(ときこ)は恐る恐る声を上げた。
すぐ手前に、正面の御本尊に向かって、アリスが座り込んでいる。
その横に美々子(みみこ)が立っていた。
御本尊に向かう祭壇の手前には、誰も座っていない座布団と木魚がある。
「あれ、これ」
時子は気付いた。
誰もいないのに、勤行の経を読む声と、木魚の声。
本堂内部に鳴り続けている。
「スピーカーで鳴らしてたんだ」
美々子が時子の方を振り返って言った。
「なんでこんな…」
座り込んだアリスが、こちらに背を向けたまま、くぐもった声で言った。
時子はいたたまれない気持ちになった。
「にぎやかしかな」
美々子は首をひねる。
時子の後ろから、町子(まちこ)とヨンミ、東優児(ひがしゆうじ)が本堂に入ってきた。
「いご、ちんっちゃちょあよ。ぽくぽくぽく…」
「ヨンミちゃん、これ録音されたお経と木魚だよ」
「お、ちょんまりえよ?」
「本当に。誰もいない」
「くれ…しんぎはねよ。ぽくぽく…」
ヨンミも腕組みして口ずさみながら、胡散臭そうに天井あたりに視線をやった。
スピーカーの場所を探しているらしい。
しかし物陰にあるらしく、暗い本堂の中では容易に見つからない。
「無人でお経なんて…」
「防犯対策かしらね」
町子も美々子のそれよりも世知辛い見解を示した。
時子にはわからない。
先日の夕暮れ時に時子が来たときには、こんな自動のお経も木魚も再生されてはいなかった。
週末だけの試みなのだろうか。
「くろんで、ありすおんに。けんちゃなよ?」
ヨンミがアリスを気遣い、静かに声をかける。
アリスの背中は小さかった。
沈黙している。
「おんに?」
「…あんまり大丈夫じゃない」
ややあって、気落ちした小さな声が返ってくる。
アリスの隣に立つ美々子が、アリスの肩を軽く叩いた。
アリスの左右に美々子とヨンミ。
アリスの後ろに時子、その左右に町子と優児。
皆がアリスと同じく御本尊の方を向いて彼女を囲み、正座している。
すっかり意気消沈したアリスを放っておけず、集まった。
そのまま、思い思いに祈っている。
アリスは膝の上に両手をついて、前屈みになっている。
誰も声をかけない。
美々子もヨンミも、アリスの顔を覗き込むことを遠慮して、前方の如意輪観音像を眺めている。
町子はその場の雰囲気に合わせながら、どこを見るでもなく顔を上げてぼんやりと過ごしていた。
優児はアリスに同調したのか、しんみりしてうつむき加減でいる。
時子は前に座るアリスの背中を撫でて慰めたい衝動に駆られながら、遠慮してそれをしないでいる。
録音のお経と木魚でアリスに期待させたお坊さんは罪な人だ、と思うのだった。
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