『見も知らない人たちの罪』
見も知らない人から責められている。
「あなたのせいですよ」
切羽詰った調子である。
「全部あなたのせいですからね」
誰なのだろう。
私が何かしたのだろうか。
その人は玄関先に立って、真っ白ないでたちである。
見覚えがないのだ。
「あの、お名前は…」
相手の機嫌を損ねたくないので、私は穏やかな声を出すに努めた。
事情を詳しく聞いたうえで本当に私のせいだったら、相手に余計な弱みを握られるのはまずい。
こちらに非があってもなくても、穏便に済ませるのが一番だ。
私の穏やかな問いに、相手は目の色を変えた。
「覚えてないんですか。私の名前、忘れたんですか」
しまった。
相手は目の色を変えたうえ、両肩をいからせている。
火に油を注いでしまった。
「ミモタですよミモタ。まさか忘れるなんて」
語気荒く、吐き捨てるように言われた。
怖い。
忘れるどころか、そんな名前は今までの人生で一度も聞いたことがない。
この人は私とは無関係な人だ。
それなのに、夜中に人の家の玄関先に押しかけて、人をなじっているのだ。
だが、もしかしたら、という気もする。
私は特別物忘れのひどいたちではないが、以前仕事で短期間関わったある人の名前を忘れていて、その人に再会したときに焦った経験がある。
もしこの人もそういうケースだったとしたら、まずい。
「いえ、ミモタさんは存じ上げているんですが、下のお名前を失念しまして…」
昔、田中角栄が人の名前を忘れたときに使ったとかで有名な手だ。
いやいや、忘れたのは下の名前だけで、もちろん君の姓はよく覚えとるよ。
というわけだ。
私だって取り繕わなければならない。
相手は目を細めた。
「ミモタ・マルヤです」
初めて聞く名前である。
本当に私はこの人と会ったことがあるのだろうか?
だが何かしら反応はしなければ。
「あ、そうでしたね。ミモタ・マルヤさん。そうでした、失礼しました、お久しぶりです」
口がなめらかに動いた。
相手の表情がわずかに緩む。
誰かは思い出せないが、うまくいった。
私がどういう粗相をしたのか、聞きだすためには相手を落ち着かせなくては。
「ご無沙汰しておりました。最近はいかがですか?」
気軽な調子で私は聞いた。
うかつだった。
相手は再び目の色を変えた。
「もう破滅ですよ。あなたのせいですからね」
調子外れの、それだけに相手の追い詰められた状況を示すような、叫び声である。
怖い。
そのうえ、このように騒がれてはご近所の手前まずい。
「まま、どうぞ落ち着いて。そこにおかけください、今お茶を入れます」
私は玄関内の、上り框を示した。
相手を落ち着かせたいが、こんなわけのわからない人を家にあげたくはない。
「座りません。お茶なんか飲んでる暇はないんです、私には」
自分に言い聞かせるように、その人は言った。
帰ってくれるのだろうか。
「あなたのせいで、私は破滅です」
しかし帰る素振りは見せなかった。
それでいて詳しい説明もせず、仁王立ちのままこちらをにらみつけて罵るばかりなのだ。
堂々巡りである。
もううんざりだ。
私は、拳を握りしめた。
「失礼ですが、私に思い当たることはありません」
「はっ?」
私の断固とした調子に、相手は一瞬、虚をつかれたようだった。
「先ほどから私のせいとおっしゃいますが、私に何も思い当たることはありません」
「えっ、今さら何を言うのです」
その人の顔に、わずかな狼狽が浮かんだのを私は見逃さなかった。
「本当に私のせいなのですか?人違いでは?」
「えっ。いや、でも」
相手の口があやふやに動いた。
目が泳いでいた。
「人違いってあなた…だってあなた、クロモタ・ノノスクさん…ですよね?」
それは私の名前ではない。
「吉岡ですよ。私は」
「えっ」
相手の顔から血の気が引いた。
「そんな、クロモタさんだとばっかり…」
「失礼ですが、あなたの人違いだと思いますよ」
私は冷たく言い放った。
ようやく思い知らせることができたようだ。
相手は事実を知り、今や急速に萎縮し始めていた。
「すみません」
「いやいや」
「お尻に火のついた自分のことでいっぱいいっぱいで、そそっかしい真似を…」
「まあ、誰にでもそういうことはありますよ」
「本当に、ごめんなさいね」
その人は素直に頭を下げ、こちらに背を向けて外へ向かう。
「でもおかしいな、クロモタさんと同じ顔と姿かたち、住所も同じなのに…」
家の外で何か不服そうにつぶやいている。
後ろ手に玄関の戸を閉めようとする。
だが、その人は急に動きを止め、凄い勢いでこちらに振り返った。
「待ってください」
「まだ何か」
相手は大きく目を見開いている。
「あなたさっき、私の名前を知ってるって言ったじゃないですか」
勢い込んで言った。
しまった、と思ったが遅かった。
「やっぱりクロモタさんでしょ。この嘘つき。あなたのせいで…」
玄関の中に乗り込んできた。
また私のことを責め始める。
私のことをクロモタだと確信した今、先にもましてその追求は苛烈を極めた。
私は、目の前が真っ暗になった。
見も知らないクロモタなどという人物の罪をかぶって、私は一晩中玄関で責められ続けた。
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