『ラーメン店で雇用をつくる』
毅(たけし)は、小さなラーメン店を経営している。
最近、営業時間外に彼の店の軒先で夜を過ごす、ホームレスの男性の存在を知った。
店舗の近隣に住む常連客から知らされた。
夜間、毅の店の軒下に、ホームレス男性が陣取って寝ているらしい。
そのときは、ひとまず後回しだ、と毅は判断した。
自分の店の軒先で断りもなく寝泊りしている人間がいる。
それは、気分がよくない。
けれども、今は店の切り盛りで手一杯だ。
毅は人を雇わず、自分一人で店をやっている。
営業時間の後、片付けが終われば、自宅に帰ってすぐに眠る。
朝早く店に来て、ラーメンの仕込みに入る。
その間は短い食事時間をのぞけば、ほぼ休みなしに働いている。
夜間に店舗にまで行ってホームレス男性を追い払うだけの、体力の余裕はなかった。
トラブルを起こされでもしない限り、当分放っておこう、と毅は思ったのだ。
見通しが甘かった。
ある朝。
シャッターの下りた店舗前で、男性が仰向けに寝そべっている。
ダンボールを体の下に敷いて、体の上にはよれよれのジャンパーをかけて掛け布団代わりにしている。
頭の下に、膨れたリュックサックを置いて、枕にしている。
出勤してきた毅は、男性を見るなり、裏切られたような気持ちがした。
「おいおっさん、もう俺が店の準備する時間や」
寝そべって目を閉じている男性を見下ろして、毅は怒鳴りつけた。
「はよ起きんかいな」
おっさんは、喉でうめき声をあげる。
もぞもぞと体を動かせた。
起きない。
毅は眉間に皺を寄せる。
「こっちゃ忙しいんじゃ、はよ起きて場所空けろ」
毅の声に反応しておっさんはうめく、体をうごめかせる。
依然、起きる様子はない。
毅は腹が立ってきた。
おっさんをそのままにして、店に入ることはできない。
入店できなければ、仕込みができない。
仕込みができなければ、店を開けられない。
だいたい、店の前にこのおっさんがいれば、客が寄り付かないだろう。
「おい、ふざけんなや」
毅は焦り始めた。
何とかしなければいけない。
どうしよう、と毅は思った。
時間は押している。
開店時間に間に合わなくなる。
頭が真っ白になって、何もまともに考えられない。
「おっさん、何で起きてこんのや」
おっさんを怒鳴りつけた。
おっさんは、薄目を開けて毅の顔を見上げる。
「…腹減って動けんのや」
「知らんがな」
毅は呆れた。
「食べ物でも何でも、どっか探しに行けや」
「探しに行く気力も出んぐらい、腹が減ってるのや」
おっさんは、力のない声で言う。
そんなことは俺の知ったことではない、と毅は思う。
「お前がどかんかったら、俺が仕事始められんやろが」
やぶれかぶれで怒鳴った。
おっさんは、見返している。
「兄ちゃん」
「はあ?」
「そない言うんやったら、わしにまかないか何か食わせてくれや」
「ふざけんな」
「そしたらすぐ、どこにでも失せるがな」
おっさんは毅を見つめて言った。
毅は、言葉に詰まる。
狡猾なおっさんだ。
初めから、そういうつもりで寝ていたのかもしれない。
そんな脅しに屈してたまるか、と毅は思った。
「絶対食わさん」
「そない言わんと」
「ふざけんな」
おっさんは片手をダンボールの上につき、のろのろと上半身を起こした。
「そこまで言うんなら、わしを雇ってくれや」
切実な声だ。
毅は腕組みをして、相手を見下ろした。
まかないを食わせろ、でなければ雇え、と。
どこまでも交渉上手なおっさんだ。
タダ飯を食わせるぐらいなら、何かさせてみようか、と毅は一瞬迷った。
しかし、駄目だ。
「あほ。お前みたいな小汚いおっさん、うちの店の中には置けんわ」
おっさんは、くたびれた外見をしている。
そしてたぶん、風呂にも長らく入っていない。
不衛生だ。
こんなおっさんが店内をうろうろしていては、客が食欲をなくす。
「そやかて別に店の中やなくても、何か出来る仕事はあるやろ」
「ない」
「いや、あるやろ」
「ない」
言下に答えながらも、毅は念のため、考えを巡らせる。
出前の配達…は駄目だ。
このおっさんに、まともな接客は出来ないだろう。
もし出来たとしても、店には配達用の車もバイクもない。
店の宣伝のチラシ配り…はさせられるかもしれない。
だが、毅はチラシなど用意していなかった。
店内の仕事なら、いくらでもあるのだ。
掃除、仕込みの手伝い。
開店の準備。
客が来れば、席への案内、料理運び、勘定の精算、後片付けなど。
無数の仕事がある。
ただそれは目の前の、素性の知れないおっさんに任せることはできない。
雇用のミスマッチだ、と毅は思った。
おっさんに出来そうな仕事を考える苦労は、並大抵ではない。
これだったら、まかないを食べさせて追い払った方が、よほど楽だ。
しかしそれは、毅のプロとしての矜持が許さなかった。
このおっさんにできる仕事を何とか考えなければ…。
「市議会議員選挙では、二村、二村。二村にご投票ください。ありがとうございます」
朝っぱらから、うるさい。
店の前で押し問答している毅とおっさんの背後を、市議会議員選挙の街宣車が通り過ぎていく。
毅は振り返って、車内でこちらに手を振っているウグイス嬢をにらみつけた。
ウグイス嬢は、怯えた様子で目を逸らせた。
街宣車は拡声器での呼びかけを続けながら、街の彼方に去った。
「やかましかったのう」
と、長らく投票に行っていなさそうなおっさんが、ぼやいている。
「あんなんではどんな議員やらさっぱりわからん」
毅は腕組みをしながら考えた。
「おい、おっさん。お前に仕事してもらうわ」
「え?」
「これからまかない食わすから、その後で外回りの仕事頼む」
「外回りの仕事?そんなんあったんか」
「おお。歩合制や、客が増えたら日給も増やしたるわ」
その日以降。
毅の店の名前と日替わりメニューとを、節をつけた調子で唱えながら、歩き回る。
そんなおっさんの姿が、街のいたるところで目撃されるようになった。
店の売上は、わずかに増えた。
ルポ 雇用なしで生きる――スペイン発「もうひとつの生き方」への挑戦 新品価格 |