『廃棄物の山、新人の戦い』
案内された場所は、産業廃棄物を積んでつくられた、山の傾斜の途中にあった。
「ほら、ここがおたくの持ち場だから」
私を案内してきたチーフは、投げやりに手を振った。
適当にその辺りに居場所を見つけろ、ということらしい。
チーフは私と同年輩のようだ。
「ええ」
とうなずきながらも、私は当惑を隠せなかった。
私は、足元を見回している。
プレス機で潰して固めた産業廃棄物が、足場になっている。
その上に生ゴミ、新聞紙などの資源ゴミが散乱している。
それらの中に足を埋めると、傾斜の角度はきつく、立っているのもやっとだ。
こんなところに一日中いるのか、と思うと気分が重くなる。
「じゃあ、適当にがんばってくれ」
チーフはまた投げやりに手を振って、帰っていこうとする。
私は彼に追いすがった。
「あの、私は何をすればいいんでしょう」
まだ担当業務について何も聞いていない。
何も知らされず、この場所に案内されただけだ。
背中を見せていたチーフは、こちらを振り返った。
「あの、まだ何をするか聞いていなくて」
「…うるせえな」
どすの効いた、低い声。
私の背筋は強張った。
「す、すみません」
「振る仕事ができたらな、こっちから声かけるんだよ」
「はい、すみません」
「こっちが物言う前にごちゃごちゃ言うんじゃねえ。ここで黙って待ってろ」
首だけでこちらを見ながら、一瞥。
すくみあがっている私を置いて、チーフは廃棄物の山を降りていった。
それにしても、「適当にがんばる」とは、何をどうがんばればいいのだろう。
その日、終業時間になってもチーフは戻ってこなかった。
一日の間、廃棄物のあふれる斜面で、私は重力に逆らって立っていただけだった。
厳しい環境の中で、何もすることがないのも、つらい。
退社して帰宅する。
疲れていてすぐにでも床に着きたかったが、廃棄物の中に一日いたのだ。
浴室で、入念に体を洗う。
不覚にも、浴槽のお湯に浸かっている間に居眠りをし、溺れかけた。
翌日出社するなり、事務所でチーフの姿を探した。
いない。
事務員に尋ねるも、チーフの所在はわからない。
私は昨日と同じく、廃棄物の山に向かう。
斜面に立つ。
一日、劣悪な環境で、斜面と戦う。
することがないのはつらい。
そのあたりに散らばる各種のゴミを、道具がないなりに素手で集めて掃除する。
周辺のゴミを一箇所に集め終わり、いい気になっていたら、突風が吹いて吹き散らかされてしまった。
初めからやり直しだ。
それでも、ゴミ集めを自分に課していたせいか、心身の疲れは前日よりも軽い。
三日目、やはり事務所にチーフはいない。
事務員に尋ねると、チーフは出張中だと言う。
昨日の時点では、報告が来ていなくて、わからなかったのだそうだ。
あのチーフも案外ずぼらなんだな、と私は鼻で笑う。
廃棄物の山に向かう。
今日も斜面でゴミ集めをする。
事務所で掃除道具を借りようと思ったが、その手の道具は用意していないという。
かゆいところに手の届かない会社だ。
明日からは掃除道具を持参しようと思う。
一ヶ月経った。
出社すると事務所にチーフがいる。
なんだか懐かしい。
私が入ってきたとき、彼は事務員と何か口論していたようだった。
遠慮がちに挨拶する私に返事もせず、チーフはこちらをにらみつけている。
「おたく、馬鹿か?」
いきなりだった。
「何がです?」
私は驚いて相手を見返した。
何のことだかわからない。
事務員の座る机の横に立っていたチーフは、ずかずかと私のところまで歩いてきた。
すぐ目前に、威圧するように立った。
「一ヶ月もの間、何をやっていたんだよ」
「えっ?」
私はのけぞった。
私は一ヶ月、廃棄物の山の斜面に立って、自分なりに掃除をし続けてきた。
今や、廃棄物の山はそれなりに清潔な場所になっている。
「掃除をしておりました」
「おたく、馬鹿か?」
チーフは繰り返した。
わけがわからない。
「馬鹿ってどうしてですか?」
「一ヶ月も持ち場でおたくは、何をやってたんだよ」
「ですから、掃除を…」
「それはてめえの仕事じゃねえだろ」
恫喝を受けた。
あまりの勢いに、私は思わず顔を腕でかばった。
殴られそうな気配だった。
「てめえは何のために雇われたと思ってるんだ」
「え、でも」
初日、業務内容を尋ねた私に対し、何の説明もしなかったのはこのチーフだ。
それどころか、尋ねた私を威圧してすらいた。
「やらせる仕事はいくらでもあるんだからよ。こっちに聞きもしないで、勝手なことで時間潰してんじゃねえよ」
「はあ?」
依然として威圧的な視線をぶつけてくるチーフだが、私は黙って聞いていられなかった。
「業務内容については、初日にお聞きしたんですが。でも仕事ができたらそちらから声をかける、と」
「…何をゴミみたいな言い訳してんだ?」
チーフの眉間に、何重もの皺が寄る。
「そんな言葉を間に受けて、てめえは一ヶ月もの間のらくらしてたのか」
「のらくらと言われましても」
私は反抗的な気分になり始めている。
「チーフにお話を聞こうとは思いましたが、一ヶ月間、出張中でいらしたので」
「なんで出張先に電話のひとつもよこさない」
目の前の相手は、目を細め、低い声を狭い事務所内に響かせる。
私は、言葉に詰まった。
そう言われると、こちらの落ち度のような気もする。
だが、と思う。
初日に「ここで黙って待ってろ」とだけ言われ、置き去りにされて一ヶ月。
何の知らせもなく、右も左もわからないなりに、私は廃棄物の山の斜面と戦ってきたのだ。
その私の一ヶ月を無にする、目の前の男の言い草。
こんな人間にひるんでいてはいけない。
「そちらから電話をよこすのが筋でしょう」
私は相手の目を見据えて、冷たい声で言った。
「何だと…?」
チーフの顔色が、さらに険しくなる。
だが私は相手にしなかった。
「そちらから知らせると最初に言ったのはあなただ。こっちは言われた通りにしている」
「てめえ、そんな言い分が通るとでも思ってるのか」
「通るも何も、おかしいのはあなたですよ」
自分の行いが本当に正しかったのかどうか、不安なところはある。
だが私は、自分を信じた。
何より目の前のチーフが不誠実な人間なのは、明らかなのだ。
チーフはにらみつけている。
「てめえ、社会人失格だな」
彼なりの論理で物を言っているらしい。
だが、私には全く意味不明だ。
「おっしゃる意味がわかりません」
「そうやって手前勝手な理屈をこねて、周囲に迷惑をかけるから社会人失格だと言うんだ」
なるほど、と私は思った。
「新人に何の連絡もなしに長期出張して、後で責任をその新人に押しつける。そういうのは社会人合格なんですね」
長い言葉が、口先からすらすらと出た。
チーフが、鼻から息を吐き出す音が聞こえる。
一瞬だった。
目の前にごつごつした拳が飛んできて、私の眉間を打ち抜いていた。
私は床の上に伸びて気を失った。
チーフが解雇された後、現場の業務を把握している人間は他に誰もいない。
私の方は会社の上層部に慰留され、引き続き勤務している。
不衛生な廃棄物の山が、広大な敷地内に無数にあるのだ。
私はそれらをひとつずつ、掃除してまわっている。