『手間のかかる長旅(096) 境内で、寂しさの募る二人』
面接を終えた後の、リクルートスーツ姿のまま。
時子(ときこ)とアリスの二人は、その寺の山門の前に立った。
森の中の広い敷地を、土塀が囲んでいる。
その土塀の最中に、古くて大きな山門があった。
年季が入った木造の建築である。
その山門には「如意輪寺」と書かれた表札が掛けられている。
如意輪寺というのが、お寺の名前のようだ。
「ここ、如意輪寺って言うの?」
「そう、にょいりんじ」
言葉のやり取りを交わしながら、二人は山門を抜けて境内へ。
境内は広い。
深い森の広がりを背景にして、いくつもの寺の建物が立っている。
そして今二人がいる山門の正面奥に、どうやら本堂らしい、ひときわ大きな建物があった。
建物から建物の間には、石畳の通路が通じている。
境内のところどころには、各種の植木が囲いに覆われて育っている。
桜に梅、紅葉など、それぞれの盛りの時期ごとに参拝客の目を楽しませるのだろう。
しかし、今は寒い季節である。
どの木も寒々とした空気の中で目に見える果実もなく、かろうじて細々とした枝を伸ばしているばかりだ。
見た目に痛々しい。
夕暮れ時の境内は、見るべきものもなく、物寂しい空気に包まれていた。
アリスと並んで立って、時子は心細くなっている。
お寺の雰囲気自体は、悪くない。
自分たちが生きる日常とは違う、日本の古い時代から続く空気がそこに感じられる。
だが。
どうにも、寂しい。
境内にいる人間は、時子とアリスの二人だけなのだ。
静かである。
近辺の森の中から、複数の鳥が羽ばたくささやかな音すら聞き取れるほどだ。
二人は、黙って立った。
お寺の境内に、立っている。
お寺の周囲を囲む木々の合間をぬって、冷たい風が二人のもとに吹き込んでくる。
時子とアリスは、同時に身をすくめた。
「寒いにゃ」
アリスは、声を震わせた。
外国の、温暖な地域で生まれ育ったアリスだ。
日本の冬の気候は、彼女の身には堪えるはずである。
「お寺の境内に吹く風は寒いにゃ」
「ほんとね」
時子も相槌を打った。
風を遮るもののない境内。
この境内に立っていると、身に染みる寒さに見舞われるのだ。
アリスは手先を伸ばして、時子の手を握った。
時子には、そんなアリスの細長い指先が、やはり冷たく感じられた。
「ね、時子、坊さんに軒先を借りようか」
時子の手を握りながら、妙なアクセントで、アリスは「軒先」を発音する。
「坊さん?」
時子はアリスの顔を見返した。
「うん」
「軒先?」
「うん。坊さんに、お寺の軒先を借りよう?」
雨宿りをするような口ぶりだ。
時子はしばらく考えた。
坊さんに軒先を借りる。
察するに、寒いからお寺の建物の中に入ろう、ぐらいの意味なのかもしれない。
「お寺の中に入れてもらうの?」
「そうそう」
アリスはうなずいた。
「本堂にな、お互いに勝手を知った坊さんがいるんだ」
何気ない口調で、アリスは続けた。
お互いに勝手を知った坊さん。
アリスの口から出た言葉、時子はその意味を、深読みしてしまいそうになる。
「アリス、それ、どういうこと…?」
時子の表情を見て、アリスは首をかしげた。
「どうって、どうということはないよ?お互い腹の内のわかった坊さんが中にいるのよ」
平然と言葉を返してくる。
彼女の言葉通りに受け取っていいものか、時子は迷う。
以前に、話は聞いている。
アリスがテレビ番組の仕事で、この寺でロケを行った経緯は時子も知っていた。
この寺の僧侶から精進料理とたくあん漬けを振舞われことも。
その後に「宗論」を仕掛けたことも。
しかしそれらの話が、アリス言うところの「お互い腹の内がわかった」関係に繋がるとは、時子には予想外だった。
「この寺のお坊さんと、仲いいのね?」
意外に思い、アリスに聞いた。
「仲はそんなによくないけどね、人間性の善悪は知れてるよ」
アリスは答えた。
アリスは要所要所で難しい言い回しを使うので、彼女への対応に時子は時々、戸惑うことがある。
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