韓国順天の旅(3)!
皆様こんにちは。
金比羅系です。
韓国は順天市、今日も旅していきますよ~。
前回は「楽安邑城民俗(ナガンウプソンミンソン)マウル」を見学しました。
今回は同じく順天市内にあります、「順天倭城(スンチョンウェソン)」を訪ねます。
中世、全国統一を成し遂げた日本の支配者豊臣秀吉は、明への侵攻の過程で朝鮮半島に攻め入りました。
この際の二次に渡る朝鮮半島での戦乱を日本では「文禄・慶長の役」、朝鮮側では「壬辰倭乱(イムジンウェラン)」と呼びます。
そして順天倭城は、1597年の慶長の役の際に、小西行長が築いた日本式の城です。
市内中心部から、市内バスに乗って参りますよ。
着きましたぞ。
城跡の遠景です。
日本の画家の描いた「順天倭城の戦い」の絵図をプリントした石碑があります。
順天倭城は海にせり出した城だったんですね。
順天倭城の戦いでは、明と朝鮮の連合軍がこの城を取り囲んで攻めました。
激戦でありましたが、豊臣方の大名、小西行長は城を守り抜きます。
その後、小西行長が城から日本に向けて撤退する際、海を閉鎖して阻もうとした明・朝鮮連合軍との間で海戦が起こりました。
薩摩の猛将、島津義弘の救援を受け、小西行長は何とか撤退することができました。
この海戦で朝鮮の英雄、李舜臣将軍が奮戦の末、壮絶な戦死を遂げています。
つまり、順天倭城とその周辺の海は、歴史的な激戦の舞台なんですね。
池がありますぞ。
海が近いこともあってか、湿地になっている場所もありました。
石垣が残っています。
これらは、日本の研究者からの協力も得て復元したものなのだそうです。
周辺はのどかなところです。
畑、農園が目立ちますね。
城跡に貝殻が落ちています…。
松ぼっくりも落ちています。
天守台です。 では、登ってみましょう。
眼下は埋め立てられて工場地帯になりつつありますね…。
もともとは城ぎりぎりまで海だったのだと思います。
今日もいい天気ですね~。
天守台の上から本丸広場を振り返ると、こんな感じでした。
わりと広いね。
倭城を堪能しましたので、すぐ近くにある忠武祠(チュンムサ)にお参りしてから帰りますよ。
忠武祠です。
慶長の役から百年後、この順天倭城近辺の地域に人々が移住してきました。
ところが付近には、いまだに日本兵の亡霊が出没するという噂があったのだそうです。
そこで住民たちは忠武祠をつくり、忠武公(李舜臣将軍の異名)の肖像画と位牌を祀りました。
それにより、住民たちは安心して暮らせるようになったということです。
…と、そういう話を聞くと、その日本兵の末裔としてはなんとも言えない気持ちですが。
建立にそういう経緯があったんですね。
ともかくも、李舜臣将軍、日朝の戦死者の冥福を祈ってお参りしました。
しんみりした最後になっちゃいましたが、順天市内観光、これにて終了!
お付き合いくださり、ありがとうございました。
もともとは、順天湾の自然公園と宝城(ポソン)の茶畑が目当てで順天に来たのですが…。
楽安邑城民俗マウルと順天倭城の見学で日程を使っちゃいました。
これもある種のポカですかね。
まあ私自身は、旅の予定は現地で変わってこそ楽しい、という気持ちもあったりで。
順天湾と茶畑は、次に韓国南部に行く機会があれば見に行きたいな、と思っています。
近いうちに行けたらいいのですが。
おまけ画像です。
これ、順天のスーパーで買って、倭城を散策しながら食べてたお菓子。
호박(ホバク、かぼちゃ)とか고구마(コグマ、さつまいも)とか書いてますね。
そういう味ってことですね。
かたくてなかなか噛み切れない、ハードな食感のお菓子でした。
子供に食べさせて噛む力を鍛えるためのものなのかも、と思います。
韓国ご旅行の際はどうぞお試しください、歯に気をつけて。
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