『手間のかかる長旅(052) 恐山は日本の聖地』
時子(ときこ)も町子(まちこ)も、戸惑ってアリスを見た。
「恐山って。あの石を積んだ河原があって、霧に包まれてて、イタコさんがいるところでしょ」
「まったくその通りだにゃ」
アリスはくぐもった声で返事しながら見返している。
バターライスをスプーンで皿からすくっては頬張っているのだ。
「そんなところに行きたくないよ…」
町子の声は暗かった。
同意を求めるように時子に目をやる。
時子にしても、恐山という場所については町子と同程度の認識しかもっていなかった。
幼子の魂が集まる、賽の河原の荒涼とした風景。
河原で風を受けて回る、たくさんのかざぐるま。
道沿いに座りこんで霊魂の言葉を口寄せする巫女、イタコたち。
そしてそのイタコにすがり、この世を離れた親しい人の言葉を求めようとする、人々の切実な行列。
そんな恐山のイメージが頭に浮かぶ。
それらの場所で、いったいどうすれば楽しい旅ができるのだろう。
「私も恐山はちょっと…」
時子は控えめに、町子に同調した。
アリスは失望を隠さない。
「町子はともかく、時子にまで反対されるとは思わなかったにゃ」
不満そうな声をあげた。
「そんな、どうして?」
「お前はなんとなく、恐山好きそう」
時子は苦笑した。
恐山は別に好きではない。
行ってみたいと思ったこともない。
それにだいたい、先日も河原で気味の悪い目に遭ったせいで、霊的な存在の匂いのする場所は怖いのだ。
「別に好きじゃないです」
おずおずと言った。
だが、アリスは容赦しない。
「不思議なことを。行ったこともないくせに、お前たちは好きだの嫌いだの、簡単に言いすぎ」
「でも、私が恐山が好きそうだって先にあなたが」
「行ったこともないのに判断しちゃ駄目」
時子の控えめな抗議をさえぎって、断言するのだ。
「でもね、アリス。私たちは日本人だから、行ったことがなくても何となくイメージでわかるのよ。テレビとかで見てるし」
見かねた町子が横から口を挟んだ。
その顔を、アリスは眉をひそめて見る。
「恐山は日本の聖地だよ?」
「聖地か何か知らないけどさ。何もわざわざ皆を連れて行くことはないんじゃない?社会見学じゃあるまいし」
そう投げやりに答える町子、言外に「そんな場所にはアリス一人で行ったら?」という意味合いを匂わせている。
その含意にアリスが気付いて気分を悪くはしないかと思うと、時子は心配になった。
「お前たちは、自国の聖地に巡礼しないで、よくそうやって日本人ぶっていられるね」
気分を害したのかどうか、アリスは二人の顔に冷たい視線を向けて言う。
「ちょっと待ってよ、なんで恐山とかで、日本人かどうかふるいにかけられないといけないのよ」
町子は声を荒げた。
「でも、日本の聖地だよ?」
「それはあなたの勝手な基準でしょ」
「そんなこと言わないで、みんなで恐山に行こうよ。温泉もあるよ」
町子の反応を見て、言い過ぎたと思ったのか、アリスは下手に出た。
温泉と聞いて町子はわずかに顔色を変えている。
目の前の二人のやりとりを眺めながら、時子の内心に湧き上がってくる感情があった。
美々子(みみこ)は台湾を希望して譲らない。
同じく、アリスは恐山を希望する。
二人には似たところがある。
美々子の陰には、東優児(ひがしゆうじ)というパートナーの存在があった。
アリスの場合にも、誰か彼女に「恐山は日本の聖地だ」とでも吹き込んだ、大事な人がいるのかもしれない。
自分も心から行ってみたい場所を見つけるために、誰かの影響を受けてみようか、と時子は思った。
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