『手間のかかる長旅(070) 次の仕事を探しているヨンミ』
つらいのはヨンミなのだ。
下手な同情は無責任だ。
時子(ときこ)は慌てて、くしゃみをするふりをして、流れそうになった涙をごまかした。
「だからさあ、店も辞めたいし、しばらく休むってそいつに連絡したのよ。ヨンミは」
なにげなく時子から視線を外し、美々子(みみこ)は町子(まちこ)の方を向いて言った。
「ああ、そういう状況、きついよね」
町子は美々子とヨンミを見て、あいづちを打っている。
適度に同情の姿勢を見せて、そつのない態度だ。
町子ぐらいの精神力が欲しい、と彼女を横目に見ながら時子は涙をぬぐった。
「そうだろ?ぐちゃぐちゃになってる相手と同じ職場に二人きり。それは無理があるでしょ」
「え、ヨンミちゃんのお店、二人だけでやってたっけ」
「そうだよ。従業員がヨンミで、その男が店長なのよ」
「まあ」
町子は口元を押さえている。
「だから今頃ヨンミがいなくて、一人でいっぱいいっぱいなんじゃない?あの野郎も。いい気味だけどな」
美々子は吐き捨てるように言った。
時子は美々子を好ましい目で見た。
時子から見て、彼女は完全にヨンミの肩を持っているように見える。
彼女の身柄を預かると言ったことも含め、美々子はヨンミを守ろうとしているようだ。
美々子のような人がそばにいてくれればヨンミも頼りがいがあるだろう、と時子は思う。
少し、寂しく思った。
一晩泊めたぐらいでは、自分では美々子以上にヨンミと仲良くなることは難しい、と思ったのだ。
ヨンミも、美々子の隣に座るその距離が近い。
時子は、わずかな嫉妬を覚えた。
美々子は、それとなくそんな時子の方を見て、彼女の顔色をうかがっているようだ。
「そういう諸々で、ヨンミに新しい仕事場がみつかればいいな、と思ってるわけ」
町子と時子を交互に見ながら、美々子は言った。
「ね、とぬるぽろやでぇよ」
ヨンミも何か早口に言って、うなずいた。
「そうだよ、なんとかして金稼がないとな。不自由するばっかだからな」
美々子はヨンミの言葉にうなずいた。
町子もつられてうなずいている。
「そうよね。ヨンミちゃんが落ち着くまでは、私たちの旅行もできないもんね」
町子はうなずきながら口にした。
「つまりそういうことなんだよ。経済的にもそうだし、こいつの気分的にも、半端だと旅行なんか楽しめないでしょ」
美々子が町子に同意する。
「そうよね」
彼女たちは自然に話しているのだが、聞いている時子はショックを受けた。
今までヨンミの状況を心配はしても、自分たちの旅行計画が脅かされることまでは想像していなかったのだ。
しかし美々子と町子は正しい。
仲間の一人でも不安定な状況に置かれれば、旅行計画は頓挫する。
美々子は白い顔の眉間にわずかな皺を寄せて、カウンターの方に視線をやった。
「だけど、ヨンミさあ。ここお客も少ないし、雇ってもらえるかどうかわからないよ」
「ね…あらよ」
気落ちした顔で、ヨンミはうなずいている。
「それにさ、日本語話せなくても働ける場所の方が、気ぃ遣わずに済むからいいんじゃね?」
そう言って美々子はヨンミをなぐさめた。
時子も、美々子に同意したかった。
ただ、日本語が話せなくても働ける場所というのは、具体的にはどこなのだろう。
在宅の仕事しか経験のない時子には、想像がつかない。
ヨンミが置かれている状況は、時子が思っていたよりも厳しいのかもしれない。
なんだか、日本語ができるのに働いていない自分の身が、時子にはうしろめたく思えてきた。
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