『運悪く、虎』
市場で買ったリンゴをかじりながら、歩道を歩いている。
突然、急なことが起こった。
右足に、激痛。
私は路上に転んだ。
「いててて…」
激痛は、収まらない。
数分間、私は路上にうつ伏せになったまま、もがき続けた。
痛みが治まったので、立ち上がった。
痛んでいた箇所を見た。
ジーンズが破れ、露出した肌の一部が開いて出血している。
痛いはずだ。
しかし、どうして急にこんなことになったのだろうか。
私は周囲に目をやった。
最初はわからなかった。
が、何度も確認して気付いた。
そこは、車どおりの多い道の、歩道である。
歩道と車道の間には街路樹と生け垣とが延々と植えられている。
その生け垣の中から、おかしなものが顔をのぞかせていた。
虎だ。
それも、猫のように小型の虎である。
そんな相手が、生け垣の中から頭だけ出して、光る目でこちらを見ている。
そいつの口の端には、私のジーンズの切れ端らしいものが張り付いている。
こいつだ。
こいつがやったのだ。
私の足に噛み付いたのだ。
この野郎、と私は思った。
「この野郎」
痛い思いをさせられたので、怒鳴り声に力が入る。
怒鳴ってから、私は相手の顔色をうかがった。
虎は私に怒鳴られてもどこ吹く風、である。
口を開けたまま、はふはふと音をたてて息をしている。
人を人とも思わぬ風情。
その態度が、気に食わない。
人を怪我させておいて、何がはふはふ、だ。
「この野郎」
さっきまで歩きながら食べていたリンゴの芯を、虎の顔に投げつけた。
平気な面をしていた虎の目元に、芯がめり込む。
「むおっ」
虎は声にならない声をあげた。
ぽとり、とリンゴの芯は地面に落ちる。
虎の右目のすぐ下に青痣ができて、奴は痛そうに顔の片側を歪めている。
「馬鹿め、人を痛い目に遭わせるからそういう目に遭うのだ」
私はいい気分で、そんなせりふを相手に放った。
リンゴの芯を拾い上げ、手先で弄びながらその場を後にする。
植え込みの中から頭だけ出してこちらを凝視しながら、虎が無念そうにしているのを背中に感じる。
月日が流れた。
私は自宅の居間で、テレビのニュース番組を見ている。
日本の街中で相次いで、新種の虎が発見されているという報道である。
虎かあ、と私は思った。
虎と言えば、しばらく前、私は近所の車道沿いの植え込みに頭だけのものを見ている。
懐かしい気持ちで、私はテレビの液晶画面に食い入った。
画面の中に、異様な光景があった。
現場は、繁華街の路上だ。
番組所属の女性レポーターが、新種の虎を自らの膝の上に乗せているのだ。
地べたに三角座りしたレポーターの膝の上。
その小柄な虎はおとなしく収まって、女性の胸に抱かれている。
報道番組の一幕としては、異例の展開だ。
「むふふ」
嬌声をあげて、女性は腕の中にいる虎の脇腹に、鼻先を埋める。
それに答えて甘えた声を漏らす虎。
しなやかに身をくねらせる。
そんな虎を可愛がりながら、それでもレポーターとして、職業意識を捨て去ることは難しいらしい。
女性は片手に持ったマイクを口元に運び、かろうじてカメラ目線をつくった。
「ご覧の通り、人懐っこい虎さんなんですね。でも皆様は、街中で出くわした際には充分お気をつけください。皆様の人柄によっては、噛まれるかもしれません」
レポーターが話す間にも、小型の虎は彼女にじゃれついて離さない。
ぺろぺろと人の横顔を舐める。
延々と戯れるレポーターと虎の姿を映しながら、画面はスタジオに戻った。
テレビの電源を消して、私は考え込んだ。
報道番組で取り上げられた、小型の虎。
あれは、以前私を襲ったのと同種のものだ。
さきほどのレポーターは虎を可愛がっていたが、虎は虎である。
私が負傷させられたように、連中はいつこちらに暴力を振るってくるかわからないのだ。
ああやって、いつまで飼い慣らしておけるのだろう。
私は件のレポーター、また虎を人類の友人のように考えている人々全般について、心配に思う。
猫と虎とは、かなり違う。
虎を猫のように扱っていたら、痛い目に遭わされるかもしれない。
以前の私のように。
だが、である。
そうは言っても双方の存在感の有り様は、根底で通じている。
猫の中にも、虎のような気質を備えた固体はいる。
逆も然りである。
先ほどレポーターが戯れていた虎は、虎の中でも特に、猫のような気質を備えた固体に違いない。
そうであることを、私は祈った。
私自身も、次の機会があるなら猫の気質を持った虎に出会いたいのだ。
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