言い訳の東京旅行三日目(11)。三軒茶屋から下北沢まで。茶沢通り縦断
前年にも来た三軒茶屋駅界隈です。
三軒茶屋交差点のこの風景をまた見ることができて、感無量です。
一年に一度はここに来たいものです。
渋谷と違って、なかなか三軒茶屋に立ち寄る用事も少ないのですけれど。
三軒茶屋駅近辺の散策はそこそこに、早速、茶沢通りを北に向かって参ります。
今回は、三軒茶屋から茶沢通りを下北沢まで、ひたすら北進することが目的です。
下北沢に特に用事があるわけではなく、茶沢通りとその沿道の街を散策するのが楽しみです。
何かあったのか?というぐらい人通りが多いです。
これが三軒茶屋の日常なんですね。
まだちゃんと営業してました。
中に入ったことはまだありません。
前年に北海道関連の催しが開かれていた「三軒茶屋ふれあい広場」はがら空き状態でした。
出店か何か出ていればいいのですが、そうでないと見通しが良すぎて落ち着かない感じです。
前年に昼食を食べた広場向かいの日高屋の前も通り過ぎて、北へ。
この辺りの交差点でちょっと右折します。
茶沢通りと交差する太子堂中央街の路地ですね。
いったん茶沢通りから離れますが、ここをずっと東に行って寄り道したい場所があるのです。
こういう路地沿いに雰囲気のいい個人商店も多く並んでいて、たまらないですね。
この十字路をもう少し先に進んで…。
この坂道の上に登ります。
この界隈、名前に「三軒茶屋」と付くアパートと「太子堂」と付くアパートとが混在しています。
猫がいます。
高台の上の住宅地、町名は「三宿」になるそうです。
三宿の読み方は「みしゅく」ですが、私はずっと「さんじゅく」だと思い込んでいました。
三軒茶屋の「さんちゃ」と併せて語呂がいいな、などと思っていたのですがね。
みしゅくはみしゅくでいいですね。
普通の住宅地をうろうろするのも何なのですが、以前にネット上の地図で見て気になっていた場所があるので。
住宅地のさなかに公園スペースが時々あります。
目を引くモニュメントです。
ドット絵のようなタイルで狸と狐の休戦協定締結が描かれています。
この井戸の遊具、世田谷城址公園にもありましたね。
世田谷区内に普及する公園遊具のようですな。
大人が上腕三頭筋を鍛えるトレーニング器具として使っても罰は当たらないでしょう。
この公園に来たかったのです。
「三宿たぬきのポンポ公園」なのでした。
ポンポ公園って響きが素晴らしいと思いまして。
狸はいませんが猫の姿はちらほら。
「たぬきの動かぬ城」です。
某ジブリ映画をもじっているんですね。
「動かぬ」の表現に意思の力を感じます。
この城はてこでも動かぬでしょう。
茶沢通りに復帰しましょう。
鳥山川緑道です。
茶沢通りの途中には鳥山川緑道と北沢川緑道という二つの素敵な緑道が横切るので、寄り道したくなってしまいますね。
三軒茶屋を舞台にしたテレビドラマ『すいか』で、この緑道の場面があったような気がするのです。
思い違いで、鳥山川緑道ではなくて北の北沢川緑道の方だったかもしれません。
茶沢通りに復帰しました。
巨大なゴリラが乗ったビルですね。
ゴリラビルですね。
このビルの二階は三軒茶屋シルバーウルフジムです。
格闘技イベントK-1の往年の名選手、魔裟斗選手が現役時代に所属していたジムですね。
茶沢通りの沿道にあることはかねてより知っていて、「茶沢通り縦断時に写真を撮ってやろう」と思っていたのです。
撮れました。
巨大ゴリラの手の上にランドセルを背負った女の子が座っていたんですね。
なんだか楽しそうな表情ですね。
茶沢通りをしばらく北に歩いて、東の脇道に入ります。
また寄り道です。
住宅の間の路地をしばらく東へ。
東京ワンタン本舗の本社前にお寺があります。
実はこのお寺界隈、作家の林芙美子が住んでいた場所なんです。
この路地の奥にある二軒長屋に一時期、林芙美子が住んでいたそうです。
壺井繁治、栄夫婦も同じ長屋に住んでいたのですと。
林芙美子の代表作『放浪記』にもこの円泉寺横の長屋での生活が書かれている箇所があるそうです。
以前に読んだことがあるのですが、内容は忘れました。
ずっと以前に旅した小倉、下関、尾道で林芙美子の記念碑を見ていて。
今回久しぶりに所縁の土地を訪れ、何か長い時間をかけて彼女の足跡をたどる旅を再開したような。
そんな気分になりました。
新宿には林芙美子記念館があるそうなので、また今度、新宿を訪れた際に立ち寄りたいです。
お寺の方も重要です、実は。
前年に三軒茶屋に来たとき、地名の「太子堂」のもとになっている太子堂にお参りしたかったのですが、その所在地がわからず果たせなかったんですね。
その後、このお寺、円泉寺にその太子堂があることを突き止めたのです。
今回お参りする予定なのでした。
一階建てのコンクリート造りの建物の屋根上にそのお堂がありました。
聖徳太子を祀ったお寺です。
私は聖徳太子の活動地と墓所が身近な南大阪の出身なので、彼のことは近所の人だと勝手に認定しています。
憧れの世田谷の地にも聖徳太子の信仰が根付いていることが嬉しいです。
和を以って貴しとなす。
この動乱の時代、心に染み入る教えです。
私も教えに与ろうと思います。
拝みます。
茶沢通りに戻り、ひとしきり北への道のり。
「代沢十字路」の交差点です。
このあたりは商店も少なめです。
「代沢」の交差点です。
代沢と代沢十字路の間が三軒茶屋駅と下北沢駅のだいたい中間地点…にあたるので、この辺りに住んだら三軒茶屋にも下北沢にも徒歩で行けて便利かな…などと思ったり。
どちらへ行くにも約1キロ、10分程歩きます。
適度な距離で素晴らしいですね。
界隈の賃貸家賃相場もかなりの高さです。
「森願寺西」の交差点です。
この交差点から東の路地に入るとすぐ、お寺の森願寺です。
森厳寺です。
お参りしてきました。
徳川家康の次子で、一度豊臣秀吉の養子に入った後に下総結城家の養子に入った結城秀康(ゆうきひでやす)公の位牌を祀るお寺だそうです。
境内に淡島堂というお堂があって。
この近隣から渋谷まで続く淡島通りの名前の由来は、ここの淡島堂が由来なんですって。
和歌山県の、大阪府との県境に近い加太にある淡嶋神社から勧請したお堂なんですね。
この加太の淡嶋神社も私は何度か参詣して馴染みがあるので、太子堂と同じく「地元の信仰が世田谷に根付いた」スポットとしてお参りしておきたいところでした。
私の「地元」認定の範囲はときによって広範に伸び縮みします。
本堂と太子堂にお参りしてきました。
また森厳寺お隣の北澤八幡宮の境内からは富士山が拝めるということでしたのでこちらにも参拝しましたが、富士山は天候の関係かちょっと見えませんでした。
さらに茶沢通りを進みます。
街がまた都会の商業地の雰囲気に近づいてきました。
代沢三差路の交差点です。
もう下北沢の界隈…ですね。
下北沢駅入口の交差点です。
たどり着きましたね…。
下北沢南口商店街の入口です。
茶沢通りは本当はもう少し北まで続くのですが、ひとまずここでもって私の茶沢通り縦断は完遂したと言わせていただきましょう。
前年に来たときは朝早くてお店も開いておらず、人も少なかったのですけれど、お昼下がりは人で賑わっていますね。
特に下北沢ですることもないので、自然と足は駅に向かいます。
前年に同じ場所に来たときも大規模な宅地造成中でした。
かなり進展したように見えます。
下北沢駅のまん前の住宅に住める人って、どんな人たちなのでしょう。
この界隈の地価を考えると…。
詮索は無粋とわかっていますが、羨望の気持ちが拭えません。
新品価格 |