言い訳の東京旅行二日目(5)。堀部安兵衛の道場跡も公園に。隅田区の各種の橋。錦糸町へ

両国公園の南を「馬車通り」なる通りが通っています。

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この馬車通りを東に少し歩くと、すぐ南北に走る国道463号線にぶつかります。

この463号線の向こう側は、「墨田区緑」になっています。

463号線を境にして両国の町と緑の町とが分かれているのですね。

私はこの463号線を一度南下して、南の立川経由で錦糸町方面に向かいます。

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小松川を渡る橋が両国・緑と立川とを繋いでおります。

橋と交差するように頭上に首都高速7号小松川線の高架が走ります。

小松川線ってぴったり小松川の上に沿うように通っているんですね。

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ところで、かつて小松川にかかっていた「二之橋」のたもとのこの場所に、俳人小林一茶(こばやしいっさ)が一時期住んでいたそうです。

そこは借家だったのですが、あるとき旅に出た後、戻ってきたらその借家が他の人に貸し出されてしまっていて路頭に迷ったそうです。

ポール・オースターの短編にそんな話がありましたな。

非常につらい状況ですね。

一茶は弟子と後援者の家を転々とした後に、故郷の信濃国(現在の長野県)に帰って晩年を迎えました。

私は小学生のときに、その長野県の小林一茶の旧宅に家族旅行で行ったことがあります。

土壁の住居の内部は昼でも真っ暗で、子供心に「昔の生活は明かりが少なかったんだな」と実感したのでした。

 

立川側に参りましょう。

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橋の上から小松川線を見上げます。

前に日本橋に行ったときにもこういう場所がありましたね。

首都高の高架はよく川の上を通っていることがあるんですね。

私、こういう風景、とても好きです。

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橋を渡って立川の街に来ました。

さようなら、両国。

日差しが強いです。

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橋を渡ってすぐのこの通りを、これから東にずっと進みます。

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町内掲示板に「第1回錦糸町ラーメンスタンプラリー」のポスターが貼ってあります。

まだ両国に近い立川ですが、すでに東の錦糸町の影響力が及んでおります。

「太陽のトマト麺」って錦糸町に本店があったのですね。

「中華そばムタヒロ」は大阪の堺東駅前のお店で食事したことがあります。

錦糸町は実はラーメン激戦区?なんですかね。

ただ今日のお昼は錦糸町でとる予定ではあるのですが、今回はラーメン以外のお店を予定しているのです。

錦糸町のラーメンはまた今度ですね。

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わりと歩いたところで、そろそろ中継の目的地が見えてきました。

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旗が裏返っちゃってますが、墨田区立立川第二児童遊園、別名「安兵衛公園」です。 

かつて赤穂浪士の一人で剣豪、堀部安兵衛武庸(ほりべやすべえたけつね)が道場を経営していた場所です。

道場跡ですね。

堀部安兵衛は両国の吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしなか)邸から近いこの場所に道場を開いて、討ち入りの機会を計っていたのです。

吉良邸討ち入りが決行された際には、堀部道場は浪士たちの出撃拠点のひとつになりました。

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今は史跡としての案内版はありますが、それ以外は児童向け遊具とベンチとトイレがあるだけの、普通の小さな公園です。

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地元の子供たちが遊んでいる、平和な風景です。

かつてはここで堀部安兵衛が敵討ちの動機を胸に弟子に剣術を教えていたのだと思うと、感慨深いものがあります。

遊んでいる地元の子供たちにも、そうした史実は伝わっていくのでしょうか。

 

安兵衛公園でひと息ついた後、今度は錦糸町方面へ。

歩きましょう。

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と思ったら、立川から東の江東橋、毛利方面に渡る南辻橋が封鎖されていました。

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封鎖というか、橋そのものが無くなっていました。

迂回路があって「架替整備のため南辻橋撤去」する旨の案内版がありました。

歩行者と自動車が通りやすい橋にするために新しく架け替えるんだそうです。

私は仮設迂回路を行きましょう。

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大横川の上の迂回路を渡りながら、首都高7号線の錦糸町料金所を見ています。

左手にふいに東京スカイツリーの先がのぞいて、私は興奮しました。

東京スカイツリーは、錦糸町を経由した後に向かう本日の目的地になっております。

威容は後でゆっくり堪能するつもりです。

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立川から大横川を渡って江東橋5丁目を通過し、毛利1丁目交差点に来ました。

この先、毛利2丁目の交差点で北に曲がれば錦糸町に行けるはずです。

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牡丹橋通りを北に行きます。

牡丹橋って雅な名前ですね。

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川は埋め立てられて、かつての橋の名だけが残っています。

もともと明治時代に橋の南側にあった観光名所の牡丹園が、牡丹橋の名の由来だということです。

その牡丹園も関東大震災で焼失して、再興されることはなかったんですって。

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首都高速7号の高架下は川が埋め立てられた跡地で運動場になっていて、広々としています。

本格的に人が住んでいる生活の形跡もありました。

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牡丹橋を抜けて江東橋公園東まで来ると、「夜の街に昼間に来た」感のする街並です。

錦糸町界隈に着いたようですね。

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『手間のかかる長旅(105) 山門を目指す、時子と町子とアリス』

時子(ときこ)たちと同じバスから降りた年輩の女性たちが、ぽつぽつと間隔を置いて如意輪寺があると思しき方へ車道の勾配を登っていく。

六人はその後に続いた。

「何これ、結構歩く流れじゃないだろうね」

歩きながら、美々子(みみこ)は小さな声で懸念を表した。

「じっきに着くにゃ」

後ろからアリスが補足する。

時子は一人でうなずいていた。

「そうかい」

美々子は東優児(ひがしゆうじ)とヨンミを抱えるようにして、三人並んで先へと進む。

じっきに着く、と言われて先の見通しが楽になったせいか。

歩調が早い。

歩みの遅いアリスと時子、町子(まちこ)と間隔が空いた。

「美々ちゃん、ゆっくり歩いてよ」

「お寺、早く見たいだろ」

町子に答える声が弾んでいる。

優児とヨンミも振り返って笑っている。

次第に後ろの三人を取り残して、美々子たち先の三人は曲がりくねった道の先に消えた。

「あんなに急ぐことないのにね」

町子は半ば揶揄するように言った。

「あいつらは子供にゃ」

アリスも言葉のうえで同意した。

時子は黙っている。

実はアリスはやせ我慢しているだけで、お寺に早く行きたいのではないか、と思ったのだ。

先日二人で過ごした時間の記憶が新しい。

それを口にするのは、町子の前ではためらわれた。

 

三人はゆっくり歩いて坂道を進んだ。

晩秋の朝の山には、冷たい空気が溜まっている。

厚手の上着を着込んできて、ちょうどよい気候だった。

「歩いて体あったまるとちょうどいいぐらいね。あんまり山道を長く歩くのはやだけど」

町子は言った。

「じっきに着くにゃ」

アリスが言葉少なめに補足する。

時子もうなずいた。

10分も歩けば如意輪寺の山門が見えるはずだ。

「それでさ、お寺で何するの」

町子は二人に問うた。

「お参りしてから、お昼を食べるの」

時子は率先して答えた。

さすがに町子相手には遠慮はしなくて済む。

「お参りなんて何年ぶりかな」

「町子お前、お寺に行かない趣味か」

アリスが驚いた様子で尋ねた。

「ま、まあね」

町子は少し言いよどんだ。

何年もお寺にお参りする機会が無かったというのは、極端な気がする。

時子も意外な気持ちで町子を見た。

一般に日本人は信仰心の希薄な人が多いというけれど。

自分だってそうだけれど、それだけにかえって気楽にお寺参りをしている気がする。

「お寺とかお墓とか、苦手なのよ」

少し強い口調で、町子は言った。

時子は思い出している。

先日、町子とヨンミと三人で、時子の自宅近くにある鉢形山古墳を見に行った。

そのときにも、町子は「お墓は好きじゃない」と言った。

時子はようやく気付いた。

もしかしたら、町子は、大切な誰かを亡くしているのかもしれない。

思い至らなかった自分がうかつだった。

「一方の私は、凄く好きだにゃ。お寺も、お墓も」

恐山に行きたいアリスが、町子を見て力強く返した。

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『瞬殺猿姫(49) 止める猿姫。三郎は佐脇を問い詰める』

では行って参る、と二人は茶店から出て行こうとする。

「三郎殿、どこへ?」

猿姫(さるひめ)は慌てて縁台から立ち上がりかけて、背中の痛みに耐えかねて再び後ろに尻餅をついた。

蜂須賀阿波守(はちすかあわのかみ)が駆け寄って彼女の肩を押さえる。

「じっとしておれ」

「しかし三郎殿が」

「猿姫殿、拙者のことはご心配いりませぬ」

苦しげに見る猿姫に笑顔を返して、織田三郎信長(おださぶろうのぶなが)は屋外へ去った。

後から佐脇与五郎(さわきよごろう)も猿姫たちに会釈ひとつ残し、三郎を追う。

「髭、お前」

猿姫は背中をかばいながら暴れようとする。

「動くなと言うのに」

「三郎殿が行ってしまったじゃないか」

髭面を見上げて訴えた。

「お前が行かせたのか」

「ああ、そうだ」

「もし彼に何かあったら、貴様どうしてくれる」

深手を負い、弱々しい声にも怒気がにじんでいる。

立ったままの阿波守は平然と彼女を見返した。

「佐脇与五郎がついている」

「しかしあの佐脇殿は」

まだ信用できない、と言いかけて猿姫は口をつぐんだ。

その信用できない男を三郎たちに引き合わせたのは自分だ。

以前、神戸下総守利盛(かんべしもうさのかみとしもり)に会ったときに、彼から佐脇は信頼できる家臣だと紹介されている。

神戸下総守の言を真に受けて、佐脇のことを受け入れてしまっていた。

茶店での待ち合わせが刺客に漏れていたことを考えると、神戸下総守の家臣であっても信頼に足るかどうか。

改めて吟味する必要があった。

その吟味の前に佐脇と三郎を二人きりにするのは危うい。

だがそれを、猿姫は佐脇を連れてきた手前、阿波守に対して言い出しにくいのだった。

「何というか…」

「お主の言いたいことはわかる」

と、阿波守は物分りよく応じた。

気安く、猿姫のすぐ隣に腰掛けた。

「佐脇の去就に万が一のことがあっては、と言うのだろう」

「そうだ」

「例え佐脇が翻意を示してもだ。織田の倅もここ半年で随分鍛えられた」

猿姫は阿波守の横顔を見た。

「いつまでもお主に守られているばかりの軟弱な貴人ではないぞ」

「そうか」

自信を持って言う阿波守に、猿姫は口をつぐんだ。

大人の阿波守が認めるほど、三郎は頼もしい男になったのか。

確かに、以前よりも男ぶりが上がっている。

それは猿姫も認めるところであった。

「だいたい、ここで懸想した女のために助けのひとつ得られない男なら、お主が守る価値も無いとは思わんか?」

この阿波守にしたところで今まで口にしたことのない、あけすけな言い方だった。

猿姫は息を飲んだ。

「この懸想した女というのが、お主のことだ」

「わざわざ言わなくていい」

言い返しながら、猿姫の頬に血が昇った。

 

共に足早に歩きながら、三郎は佐脇から意識を逸らさないようにしている。

「この辺りは神戸家与力の稲生殿の所領です」

佐脇は歩きながら説明した。

「その稲生殿というのは信頼できるお方でござるか」

「まず去就に疑いありません」

その稲生という武家の所領でなら、後腐れなく農家からの協力が得られると佐脇は言う。

茶店の先の分かれ道から伊勢街道の脇道に入り、しばらく進んだ先にある農家で、二人は荷車を借りた。

交渉にあたった佐脇と農家のやり取りを、三郎は油断なく見ている。

不審な点は無かった。

空の荷車を押していく佐脇を、後ろから監視しながら三郎が続く。

細く引き締まった体躯の佐脇は、闊達な歩調で荷車を押して進んで行く。

その背中を見ながら、三郎は歩いた。

「後ろを歩いて失礼」

後ろから声をかけて断った。

断ったが、荷車の車輪が砂利道を行く音で、前を歩く佐脇には聞こえなかったかもしれない。

「その方がお互い無事でしょう」

前から佐脇のよく通る声。

三郎の声は届いていた。

それにしても前と後ろで歩いていて、話がしにくい。

茶店に戻って、その後はどうします」

三郎は話題を変えた。

「猿姫殿を荷車に乗せて、急ぎ海へ出ましょう。そこで船を借ります」

「船を貸す漁師の当ては」

「先ほど申した通り、ここいらは神戸家与力の稲生氏の所領です。心配には及びません」

「安心しました。ただ少々物事がうまく運びすぎるようでもありますが」

前を行く佐脇は返答しなかった。

「…佐脇殿?」

「失敬、道が悪いので車を押すにも神経を使いますもので」

「これは」

しかし砂利道とは言え、さほど荒れた路面でもない。

 

茶店の近くまで戻ってきた。

「佐脇殿」

「は」

佐脇は背中を見せて、歩きながら声を返す。

「止まってくだされ」

「どうかなさいましたか」

佐脇は立ち止まり、体ごと振り返った。

編み笠の下の顔は、すがすがしい。

額にわずかに汗していた。

茶店に戻る前に、ひとつ確かめておきたいことがござる」

「何です」

「刺客のことについて、佐脇殿のお考えを伺いたい」

「刺客の吟味は私がいたしましたが、あやつらは何一つ漏らしません。先にも申しましたが、おそらくは織田殿のお国許の尾張か、もしくは近江の六角家の差し金で…」

「送り手のことは今はようござる」

「と仰いますと」

佐脇は無表情で見返している。

「どこから漏れたのでしょうな」

三郎は、努めて冷静に問いかけた。

「それは・・・」

「我らがあの茶店で落ち合うことを、です。拙者と猿姫殿は、神戸家に繋がる人づてを通して文のやり取りをしておりました」

「そうですな」

「であれば、どこから刺客の送り手に茶店でのことが漏れたのか。それを拙者は気にしてござる」

佐脇の双眸を覗き込みながら、三郎はゆっくりと言った。

佐脇は見返している。

揺るがないその双眸に、三郎は飲み込まれる思いがした。

「それは、今はわかりかねます。誠に申し訳なく思いますが」

佐脇は言った。

「誠でありますか」

「私をお疑いなのは承知しております」

「失礼ながら。まだ貴殿のこともよく存じ上げないので」

率直に答えながら、それでも少しずつ自分にも処世がわかってきている、と三郎は自覚していた。

「率直ですね。しかし先に申した通り我が主、神戸下総守も私も、こたびの刺客に関与してはおりません。事前にことが漏れた失態を詫びるばかりです」

そう言って、荷車を脇に、佐脇は腰を折って頭を下げた。

三郎は、用心深く見守った。

佐脇は再び直立する。

「いずれまた機会を設けて詫びさせていただきます」

「いや、これよりのお詫びは不要でござる。貴殿のお気持ちはわかり申した。ただ…」

佐脇は怪訝そうに眉を寄せた。

三郎が、右手を前に突き出して、佐脇の方に進み出たのだ。

「握手いたしましょう」

「握手…」

「南蛮由来の、親愛を深める作法でござる」

「それはまた…」

相手の虚を突かれた様子に嘘はない。

「佐脇殿も右手をお出しくだされ」

言われるままに佐脇が出した右手を、三郎は握った。

荷車を押していた佐脇の手の平が、湿り気なく滑らかだった。

三郎は何とはなしに相手に好感を持った。

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言い訳の東京旅行二日目(4)。本所松坂町公園、両国公園。史跡の多い両国を、駆け足通過

引き続き、忠臣蔵テーマの旅に戻ります。

JR品川駅から電車に乗って、両国駅まで。

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以前にも一度、両国観光には来たことがあるんです。

もう十年近く前ですがね。

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駅構内からもう相撲推しで掛かって来てるんですね。

圧力があります。

観光客も多いです。

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駅の近く、国技館通り沿いの「ちゃんこ霧島」ビルです。

以前の両国観光の折にここの上階でひとり、ちゃんこ鍋の昼食を食べた記憶があります。

野菜少なめで肉と魚介類が中心でした。

美味しかったです。

3000円ぐらいだったと思います。

今は朝食を食べたばかりなので素通りします。

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鼠小僧次郎吉(ねずみこぞうじろきち)の墓があることで有名な回向院です。

団体さんが門前で解説を聞いています。

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本所松坂町公園が吉良邸跡なんですね。

赤穂浪士が討ち入った吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしなか)の屋敷跡です。

以前にも立ち寄っているので、再訪ということです。

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ちゃんこ料理店と相撲部屋が多い街なんですね。

もともと回向院で行われた「勧進相撲」が、この土地に相撲が根付いた起源だそうです。

お寺に寄進するという名目で相撲の見物料を取ったということでしょう。

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時節には吉良邸跡で催し物も行われます。

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街角に目印が多いので目的地まで迷うこともありません。

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雰囲気がありますね。

今は吉良邸跡として小さな区画が保存されているだけですが、もともとの屋敷地はもっとずっと広かったそうです。

「2550坪(約8400平方メートル)」の敷地があったんですって。

広大ですね。

酒飲みの堀部安兵衛もこの界隈で暴れたんですね。

死闘を繰り広げたと言うべきですか。

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保存された敷地の一角に古い石碑があります。

この吉良邸跡、昭和9年に地元の有志がもとの屋敷跡の一部を購入して、当時の東京市に史跡公園として寄付したのだそうです。

界隈は住宅地になっていますが、おかげでこの一角だけはいつまでも史跡として開発を免れたのですね。

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「みしるし洗いの井戸」とあります。

もともと吉良邸にあった井戸で、赤穂浪士が上野介の首を洗ったのでしょう。

「みしるし」は「御首」ということで、尊称ですね。

貴人の首を洗った井戸ということです。

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吉良上野介の座像も安置されています。

愛知県西尾市吉良町に残る上野介の木造座像をもとにつくられたものということです。

吉良上野介義央公」と銘が打ってあって、上野介が必ずしも「敵役」という扱いになっていません。

むしろ郷土の偉人ぐらいの扱いですか。

確かに、三河の所領では名君の聞こえが高かったということでありますし…。

浅野内匠頭とのいざこざ、赤穂浪士の討ち入りは不幸な巡り合わせの末だったのかもしれませんね。

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こうして犠牲になった人の遺跡を整えて残してあるのは、観光客向けの計らいということだけではなく、供養でもあるのですね。

 

吉良邸から東に数十メートル行った先に両国公園もあります。

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ここは幕末の偉人、勝海舟(かつかいしゅう)の生誕地跡なのです。

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勝海舟について解説するパネル展示があります。

以前来たときには石碑だけで、こんな設備まではありませんでした。

整えられましたね。

ここにはかつて勝海舟の実父・小吉の実家、男谷家の男谷精一郎信友(おたにせいいちろうのぶとも)の屋敷があって、勝はその屋敷で生まれています。

ちなみに男谷精一郎は剣術の直心影流の達人で「剣聖」と言われた人物です。

勝海舟にとって血縁上の又従兄弟、系図上は従兄弟にあたります。

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刀が備えられた西洋椅子ですが…勝海舟が本当にこういう椅子に座っていたのか?

その辺がはっきりしませんでした。

いつ襲いかかられてもいいように…という用心深さを表わしたものでしょう。

勝も男谷精一郎と同じ直心影流の免許皆伝を得ていたそうです。

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両国公園から、錦糸町方面に向かって歩いていきます。

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言い訳の東京旅行二日目(3)。品川に健在、Anna Miller's(アンナミラーズ)。悩ましい朝食の時間

東禅寺からしばらく歩いて、品川駅前です。

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品川駅前ってこんな感じなんですね。

今まで東京には何度となく来ているのですが、いつも東京駅ばかりを旅の基点にしていて。

品川駅前に来たのはこれが初めてです。

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品川駅の西側、高輪口です。

人通りは多いのですけれど、高層ビルの数はそこそこで、大都会って感じではありませんでした。

往年の宿場町、品川宿の最寄り駅って感じの発展具合ですね。

ところで私は品川駅西側に朝食を食べに来たんですね。

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高輪口に面した場所にある商業施設ウィング高輪の二階にあります、このお店。

ご存知の方はご存知でしょう。

「Anna Miller's(アンナミラーズ)高輪店」です。

Anna Miller'sってもともとはアメリカ発祥のチェーン店で、アメリカの伝統料理を提供するお店なんですね。

ところで、ある界隈で有名なのはその伝統料理が食べられることよりも「ウェイトレスさんたちの着ている制服が可愛い」ということなのでした。

具体的な描写は私は不得手なのですが、「胸部が強調された、丈の短いスカート」の制服なのだそうです。

…こうやって書くのも恥を忍んでやっています。

もちろんおかしなお店では決してないのですけれど、もともとアメリカ現地の店舗でも着用されていた制服をデザインそのまま、日本では寸法をタイトに仕立てたことでそういう趣味性の際立った制服になってしまったみたいなんですね。

Anna Miller'sは以前は東京都内にはいくつも店舗があったそうなのですけど、現在はこの高輪店一店舗のみが残って営業を続けています。

私に限ってはウェイトレスさんの制服目当てで来店したということでは決してないのですが、「東京都内に唯一残ったアメリカ伝統料理のチェーン店が品川にある」ということで、こういう珍しいお店は近くに行ったら是非寄らなくてはと、思っていたのです。

アメリカ伝統料理、アメリカ伝統料理。

私は色気より食い気です。

これは嘘ではありません。

どんな制服なんですかね。

 

店内に入り席に案内されたのですが、ホール担当に男性従業員が数名、女性従業員も数名。

この女性従業員のうち一人だけが件の制服を着用したウェイトレスさんでした。

その他の方たちはデザインが近いけれども普通のシャツと、下はズボンという制服です。

「例の制服の女性たちばかりが立ち働いている」という店内風景を期待、もとい予想していたので、肩透かしを喰らいました。

おそらく、「その制服を着てもいい」というウェイトレス志願の求職者を確保できなくなっているのかな、と思います。

別に店側が可愛い制服の従業員たちの常駐を全面的に宣伝しているわけではない以上、勝手に釣られて来た男性客が失望しようがしまいが、それは客の都合です。

私は無表情を装って、普通の制服の女性従業員に料理を注文しました。

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朝食メニューの「エッグベネディクト」はコーヒーが付いて980円でした。

エッグベネディクトって一度食べてみたかったのですが、こういう料理なんですね。

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ハムエッグの上にこってりした濃い味のクリームソースがかけてあるのでした。

悪くない味ですが、朝食にしては若干胃に重いです。

良く言えば食べ応えがあります。

伝統料理の味を舌に刻みました。

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窓際の席なら、下の通りと道路向かいの品川駅高輪口の人の流れを眺めることができます。

件の制服のウェイトレスさんの服装を人知れず確認しようと思ったのに、その格好の女性が一人だけとあっては、店内を忙しく行き来するその姿を目で追うことがためらわれます。

事前には、何をしていても視界にウェイトレスさんの可愛い制服が入ってくる、ぐらいの状況を想定していたのです。

計算が外れた私は、そ知らぬ顔をしてコーヒーを飲みながら外ばかり眺めていました。

そんな折、近くに座っている男性客同士の雑談から「…目当てで来ると馬鹿を見る」という言葉が聞こえて。

内心うろたえました。

嫌がらせか?と。

自意識過剰だったのでしょう。

その男性客たちが制服目当てだったのかも。

しかし私はうろたえて、自分は豪勢な朝食を取ったついでにコーヒーを飲みながら品川駅前の風景を楽しんでいるだけ、と自分に言い聞かせました。

一方で、他の客からも従業員たちからも「制服目当てで来た客」だと思われているんだろうな、などと邪推もしながら。

それで肝心の制服のウェイトレスさんを直視することはできず、もう何しに来たのか自分でもわかりません。

当初は本心からアメリカ伝統料理8割、可愛い制服2割ぐらいの関心を持って来たつもりだったのですが、もう弁明しても誰も信じてはくれないでしょう。

 

朝食をたいらげるまでに苦悩がありました。

ところでこの店舗、店内での無許可の撮影は禁止ということです(今回はお店の方に確認したところ料理は撮っていいということだったので、撮らせていただきました)。

おそらくは過去にウェイトレスの姿を無断で撮影しようとする客が多かったのでしょう。

そのぐらいの開き直りが私にもあれば。

いや、無断撮影は駄目なのですが。

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食後に横断歩道を渡って品川駅側からです。

画像中央のウィング高輪ビルの吹き抜け部分の天井にくっついている小さなのがAnna Miller'sです。

品川駅の至近でまったりできるいい立地で、制服目当てではない?らしい普通のお客さんも多くて混んでいました。

この高輪店だけでも、長く続いて欲しいと思います。 

またアメリカ伝統料理を食べに来たいです。

可愛い制服も素敵ですね。

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『瞬殺猿姫(48) 猿姫の痛手。三郎たちの算段』

茶店の奥から、彼女が漏らすうめき声がわずかに聞こえた。

織田三郎信長(おださぶろうのぶなが)は、思わず唇を噛む。

床机に腰掛けて、苦々しい顔でいるのだった。

背中を刺されて負傷した猿姫(さるひめ)。

彼女を、三郎は仲間の蜂須賀阿波守(はちすかあわのかみ)の手に任せた。

もう一人の連れ、佐脇与五郎(さわきよごろう)は倒した二人の刺客を痛めつけて吟味するのに忙しい。

佐脇は医術の心得があるとして猿姫の治療を申し出たのだが、阿波守が断った。

彼が三郎に耳打ちしたところでは、まだ猿姫を委ねるほど佐脇を信頼していない、という。

三郎もそれには内心で同意した。

佐脇は神戸家の家臣であると猿姫から紹介されたが、いまだ得体の知れない相手だ。

まだ気心の知れた阿波守に猿姫を任せる方がいい。

そうして、店の奥で阿波守が腕を振るっている。

猿姫の押し殺したうめき声がまた聞こえた。

三郎は息を飲む。

猿姫が手当てのためとは言え阿波守に裸の背中を晒して苦しんでいる姿を思うと、三郎は嫌な胸のうずきを覚えた。

「持ち物を探りましたが、こやつら二人とも身元を明かすようなものは持っておりません」

佐脇与五郎が辛抱強い声で三郎に言った。

床机のひとつに僧体の刺客をうつ伏せに寝かせて縄で床机にくくりつけている。

もう一人の武家姿の刺客も、別の床机に同じようにくくりつけてあった。

彼らを、佐脇は代わる代わる問い詰めてはわき腹を小突く、顔を平手で打つなどの暴行を加えている。

刺客の二人は口を割らなかった。

「で、ござるか」

いまだ脳裏に、茶店の奥でうつ伏せに寝て背中の傷を晒す猿姫と、彼女の上に屈みこむ阿波守の姿が残っている。

そんな幻想を振り払い、三郎は早口に相槌を打った。

「では仕方ありますまい。ご店主」

傍らに立って呆然と事の成り行きを見守っていた茶店の店主を、三郎は見やった。

「この二人はここに置いて参ります故、後の始末はお任せいたす」

「えっ、そんな」

店主は困惑をあらわにした。

「後の始末と言われましても」

「連れていくわけにも参りませぬので」

三郎は淡々と答えた。

佐脇も神妙にうなずいている。

「店主。私がこやつら二人を今ここで始末しても構わぬが、それでは困るだろう?」

これ見よがしに腰の刀の柄を指先で弄びながら、佐脇は店主に言った。

店主は唾を飲み込む。

「それはそうでございます。今日だって、まだこれから商いもあるのですよ」

「商魂たくましいことで結構」

「しかし私一人しかおりませぬのに、こんな人たちを置いていかれてどうしたら…」

店主は弱音を吐いた。

なるほど、と三郎は思った。

こんな得体の知れない連中を店に置いたまま外へ行くこともできない。

人を呼ぶこともできず、店主は身動きが取れなくなるだろう。

「それは困りましたな」

つい同情してしまう。

「ですから、あなた方が何とか二人とも連れて行ってくださいませ」

そう訴えられると三郎は困るのだった。

「佐脇殿、どうします」

「どうします、ではないでしょう。そんな余裕はありません」

「ご店主が困っておられます」

「織田殿。我らは他人の心配していられる立場でないのが、おわかりになりませんか」

佐脇は驚き呆れた顔で三郎を見返した。

「されど」

「猿姫殿の傷も心配です。そしてこのような刺客の連中がどこに潜んでいるのかもわからぬうえは、ここでいつまでも足止めを食っていては」

「ええ」

「第二第三の刺客が殺到せんとも限りません。私と貴殿と蜂須賀殿の三人だけで、そんな連中を裁けますか?」

じわじわと三郎にも状況が飲み込めてきた。

「では、急いでこの場を離れなければ」

「そういうことです」

佐脇は、床机に縛り付けた刺客二人に背を向けた。

「こやつらの親玉が誰かは推量するほかありません。尾張織田家か、近江の六角家か。それともどこか他の大名の手先なのか」

「ええ」

「我が主、神戸下総守は、誓って関与していません」

「それは疑ってもおりませぬ」

三郎は内心はともかく、相手の手前、うなずいてみせた。

「ありがとう存じます。では猿姫殿の傷の手当が済み次第、ここを出ましょう」

「やむを得ませんな」

面倒を押し付けられた形になって、店主は絶句している。

そんな相手を見て、三郎には気の毒そうな表情をつくることしかできない。

 

店の奥から猿姫が、阿波守に肩を借りながら出てきた。

思わず三郎は床机から立ち上がった。

猿姫は力なくうつむいている。

その彼女の顔は酷く血色が悪かった。

着物の下に包帯を巻いたらしく、腰の辺りがわずかにふくれている。

「深手だ。血を止めて、持ち合わせた薬を塗って傷口も縫ったが、間に合わせだな。臓腑に刃が届いていなかったのがせめてもの救いだ。しかし傷は深い」

先ほどの猿姫の苦しげなうめき声は、傷口を針で縫われる際のものだったらしい。

今もうつむいて痛みをこらえている猿姫の顔を、三郎は直視することができなかった。

「刺された後に、調子に乗って暴れたのも、よくなかったみたいだ」

猿姫はうつむいたまま、小刻みな息を吐きながら自嘲的に言った。

三郎は彼女に何と言葉を返していいのかわからない。

彼女が暴れて刺客の僧侶を倒していなければ、三郎の命が危なかったかもしれないのだ。

「歩けるのですか」

我ながらなんとうつけた問いだろうか、と直後に気付いた。

猿姫は視線を上げて三郎の顔を見たが、表情が揺らいでいる。

言葉に詰まっている。

「歩くしかないのだ」

猿姫に肩を貸している阿波守が、毅然とした言葉をその場に吐いた。

三郎、猿姫、佐脇与五郎、誰もが暗黙のうちに阿波守の言葉を認めていた。

もはや刺客の男たちを置いていく、置いていかないの心配をしている余裕すら無い。

 

店の縁台にいったん猿姫を座らせ、阿波守は自分は土間に立った。

草履をはいて、三郎のところに近づいてくる。

「うつけ」

「何です」

「耳を」

「は」

身構えた三郎の耳元に髭面を寄せる。

耳にごわごわした髭が当たり、三郎は身を震わせた。

頓着せず、阿波守は彼の耳元にささやいた。

「いいか。これからしばらく、猿姫を徒歩で行かせるのは無理だ。傷が開いてしまう」

三郎の背中を冷たいものが走った。

「で、ござるか」

内心の動揺を、隠そうと努めた。

小声で返す。

「それでだ。考えた」

「ええ」

「近隣の農家で荷車を借りる。そして猿姫を乗せて海辺まで出て、そこでは漁師に船を借りる。海路で南伊勢まで行く」

「なるほど」

三郎はわずかに安堵した。

進み方は何かとあるものだ。

「俺が猿姫とここに残って刺客二人と店主を見張る。お主は佐脇与五郎と二人でそれら乗り物の算段をつけて来い」

「わかり申した」

そこで阿波守は声の調子を変えた。

「だがいいか、三郎。決して佐脇から離れるな。奴の素性もまだ明確でない。不審な動きをさせぬよう、見張るのだぞ」

「は」

「そして、忘れるな。お主らが急いで帰らぬと、猿姫の命も俺の命も危ない」

「は」

緊張感を持って、三郎はうなずいた。

何気なく猿姫の方をうかがった。

店の縁台に力なく腰を落として、猿姫は心細い顔で三郎を見返している。

三郎は、心臓をつかまれた気持ちになった。

離れたところから、佐脇も内緒話する三郎と阿波守のことをそれとなく見ている。

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言い訳の東京旅行二日目(2)。泉岳寺お参り。白金台。周辺に不思議な坂が多い

高輪大木戸跡近くの、泉岳寺の交差点まで来ました。

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この交差点から緩い勾配を登っていきます。

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門前まで来ました。

曹洞宗の寺院、萬松山泉岳寺

朝の7時からもう開門しているということです。

慶長17年(1612年)に徳川家康によって、かつての主であった今川義元(いまがわよしもと)の菩提を弔うために創建されたということです。

もとは江戸城の近くに建てられていたのですが、創建から三十年後に火事で焼失したために現在地に移転再建されたのですね。

後に赤穂藩主浅野家の菩提寺にもなり、現在は「赤穂四十七義士」が祀られていることで著名です。

 

境内で浅野内匠頭長矩とその奥方の墓所、そして赤穂四十七義士の墓所にお参りしてきました。

義士の墓所にはそれぞれ欠かさず仏花が供えられているのですが、大石内蔵助良雄、堀部安兵衛武庸ら著名な義士の墓前には特に参拝者からのお供え物が多かったです。

酒好きの堀部安兵衛にはお酒が何本も供されていました。

今なお四十七義士が多くの日本人から愛されていることを目の当たりにしました。

私は何も備えずに空手で拝んできました。

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泉岳寺には今回の旅の締めくくりとして最終日にお参りするつもりだったのですが、日程の関係で早くも二日目にしてお参りを済ませることになりました。

泉岳寺にはかなり以前から一度お参りしたいと思っていたので、成就できてどこか気持ちが晴れたようです。

山の手を歩いて品川駅方面まで足を伸ばします。 

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伊皿子坂」だそうです。

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「いさらこざか 明国人伊皿子(いんべいす)が住んでいたと伝えるが、ほかに大仏(おさらぎ)のなまりともいいさらふ(意味不明)の変化ともいう」。

「いいさらふ(意味不明)の変化ともいう」って。

怖くないですか?

昔の人がこの坂を歩いていたら誰かに何かを言われたんでしょうか。

あまり深入りせず、明国人が住んでいた説を採った方が無難でありましょう。

東京の坂は由来不明のものも含めいろいろ伝承と考察があって面白いんですよね。

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伊皿子坂を上った先に高輪皇族邸(旧高松宮邸)があります。

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高台から今度は坂を下ります。

天神坂です。

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「てんじんざか むかし坂の南側に菅原道真の祠(ほこら)があったためにいう。葭原が見えるので葭見(よしみ)坂・吉見坂といったという説もある。」。

こちらは何か昔の情景を想像させて、素敵ですね。

では葭原のあった場所?に下りましょう。

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桜田通りに出ました。

ってことはここをずっと北に行けば皇居の桜田門に出るんですね。

この界隈は町名が「白金台」になってまして、田舎者の私は「ここがシロガネーゼの住んでるところかい」と興奮しました。

この白金台とお隣の白金とで、合わせて高級住宅地として有名らしいですね。

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白金台を散策したいですね。

何か金運のおこぼれがいただけるかもしれません。

ワンちゃんを散歩させているカジュアルな装いの女性とすれ違って、「この人も何気ない様子だけどシロガネーゼか」と内心興奮しました。

通報されないようにこちらも何気ない様子を装います。

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白金台一丁目の一番地。

御利益ありそうですね。

プラチナ製品に恵まれる人生を目指します。

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また坂。

しかもなんか渋い坂名。

近江国日吉大社が由来でしょうか?

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「ひよしざか 能役者日吉喜兵衛が付近に住んだためと伝える。ほかにひよせ・ひとせ・ひとみなどと書く説もある。」。

能役者の名前ですかあ。

日吉喜兵衛もシロガネーゼですな。

この界隈の坂の名前に別名が多くてはっきりしないのはなんなんですかね。

地元住民でも人によって呼称が違ったのか?

ミステリが残るからこそ魅力的ではあります。

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日吉坂を上らず、Uターン。

気になる場所を通り過ぎてしまってまして。

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清正公前」交差点に面した場所にある寺院、覚林寺です。

清正公って豊臣家の名将、あの加藤清正(かとうきよまさ)のことでは?と思ったんですね。

お参りしてきました。

御本尊とは別に「清正公」を祀っているお寺なんですね。

でもその清正公様が加藤清正なのかどうか、境内の案内版を読んでも書いてなかったのですね。

ただお寺の縁起として、江戸時代に「可観院日延上人(韓国の王族)」によって開かれたという説明がありました。

韓国(当時韓国は無いので、朝鮮王朝のことでしょう)の王族がどういう経緯で白金の地にお寺を開いたのか、物凄く気になりますが、その辺りの説明もありません。

港区の観光ウェブサイト等見ると、やはり清正公は加藤清正のことらしいです。

江戸時代、加藤清正が病を打ち負かす「清正公」として庶民に信仰されていたんですって。

またウィキペディアには日延上人が、加藤清正が慶長文禄の役で捕虜にした朝鮮の王子、臨海君の子だとしてありますが…これはどうなのでしょうね。

日延上人という人物に対して興味が湧いてきます。

彼もシロガネーゼであります。

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清正公前から桜田通り沿いに南へ行きます。

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道沿いの明治学院大学のキャンパス内にヴォーリズ設計の礼拝堂が現存しています。

石垣の上にあってよく見えません。

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坂の上の高台にあって、今と違って周辺に高層ビルが無い時代は眺望がよかったでしょうね。

窓から品川の海も見えたんじゃないでしょうか。

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明治学院大学の学生さんは毎日どういう気持ちでこの歴史的なチャペルを見ているのか?

気になりました。

見慣れてくるとなんとも思わないかもですね。

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明治学院前」交差点から東の方を見ると、面白い建物がありました。

ちょうど東の品川駅方面に向かうところです。

この先に進みます。

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警視庁高輪警察署だそうです。

レトロ建築というか、灯台ですね。

海からよく見える場所です。

灯台を改装した警察署ですか…港区は趣味がいい土地柄です。

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高輪警察署の先には高野山東京別院がありました。

こんなところにあったんですね。

高野山は近場で何度かお参りに行っているので、縁を感じます。

せっかくなので東京別院にもお参りしました。

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なんだかこの界隈は情報量が多いというか、少し歩けばこちらのセンサーを刺激する場所に出くわすんですね。

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住宅と住宅の隙間の路地が、曲がりくねった坂道になっていまして。

洞坂です。

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「ほらざか 法螺坂・鯔坂とも書く。このへんの字(あざ)を洞村(ほらむら)と言った。洞村とは、昔ほら貝が出たとも、またくぼ地だから洞という等様々な説がある。」。

洞村って何かいいですね。

洞穴の中に村があるみたいで。

ちなみに韓国では日本の「町」にあたる行政区画を「洞」で表わすんですね。

由来は知りませんが、洞穴の中に町があるみたいでいいですよね。

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普通のお宅のさなかをぐねる洞坂。

日陰になっていて洞感出てますね。

この先が目的地なんです。

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東禅寺というお寺でした。

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「最初のイギリス公使宿館跡」なんですね。

江戸時代初期、日向国(現在の宮崎県)は飫肥藩主の伊東祐慶(いとうすけのり)が開基となり、まず江戸城桜田門外に建てられました。

それから30年近く経った後に、現在地に移転しています。

江戸時代通して、伊東家以外にも数多くの大名家の菩提寺となっています。

ところが幕末になってイギリス公使の宿所として指定されました。

公使を狙う尊皇攘夷派の武士から二度に渡り襲撃を受け、寺院は損傷します。

さらに「穢れた」異人を寺に入れたということで、全ての檀家に見限られてしまいました。

外国人を「穢れ」とする感覚は現代から見れば不穏当に思えますが、当時はイギリスが政治的に日本を圧迫して不平等条約を結ばせた頃ですから、公使が恨まれても無理は無いのですよね。

こういう経緯で、いっときは寺も荒廃してしまっていたそうです。

寺を公使の宿所に指定したのは幕府なので、お寺にしてみれば酷いとばっちり以外の何物でもないのですが。

「歴史に翻弄される」という言葉を連想しました。

現在は境内に三重塔もあって、格式ある建築の本堂を備えたお寺でした。

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