言い訳の東京旅行二日目(1)。三田警察署の先は行き止まり。田町から泉岳寺まで、高輪ゲートウェイ

東京旅の二日目、港区芝は田町駅界隈で朝を迎えております。

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この界隈から歩いて、南の泉岳寺まで行きたいんですね。

ただその前に、田町駅の近くにあるという「水野監物邸跡」が見たかったのです。

「大監物」の官位を授かっていた大名で幕府の老中、水野忠之(みずのただゆき)の屋敷があった場所ですね。

吉良上野介邸への討ち入り後、赤穂浪士たちはいくつかの大名屋敷に分割して預けられましたが、水野監物の屋敷もそのひとつでした。

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昨晩の夜にも来たのですが、学生よりもむしろサラリーマンたちで大変賑わっていた慶應仲通り商店街でした。

朝は昨夜の喧騒を忘れて静かです。

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商店街入口から突き当たりまで歩きます。

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突き当たりの右手を見ると、奥に日本家屋の居酒屋さんがありますね。

この手前右手のヤツデの木に隠れるようにして、水野監物邸跡の案内板があるのです。

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この辺り一帯が、三河岡崎藩主水野家の江戸屋敷だったのですね。

水野家は天保の改革を主導した水野忠邦(みずのただくに)も輩出しています。

赤穂浪士は他に伊予松山藩松平家熊本藩細川家、長府藩毛利家の屋敷に預けられました。

水野家と細川家では浪士たちの扱いが親切だったのに対し、松平家と毛利家では冷淡であったということです。

たまたま分けられた先で待遇に大きな差ができるなんて、理不尽な話ではあります。

ただどちらにしろ、全ての赤穂浪士たちを待ち受けるのは新たな仕官の道どころか、切腹の沙汰であったわけですが。

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近くには大きな公共施設もあります。

港区立三田図書館と郷土資料館が併設されているのですね。

立派な建物で、中に入ればいろいろ楽しめそうではあるのですが、今回は先を急ぐ身です。

それにまだ開館時間前でした。

余談ですが、この施設の裏手の通り沿いに、あのカルロス・ゴーン容疑者御用達ということで噂の某焼き鳥店があります。

私、旅から帰った後でそんなお店が近くにあったことを知りました。

また機会があれば、ゴーン容疑者に思いを馳せつつ焼き鳥で一杯。

そんな田町での一晩を過ごしたいものです。

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港区立郷土資料館から北の「三田二丁目」交差点近くには、麻布ラーメンの店舗がありました。

開店前でしたけれどね。

麻布発祥のラーメンですかね、気になりますね。

いつか麻布に行ったらそこで食べてみましょう。

田町駅近くに戻ります。

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田町駅界隈から第一京浜道路を南に行けば、泉岳寺に着くのですよ。

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「株式会社バンダイナムコエンターテイメント」の本社にあたる、バンダイナムコ未来研究所が道路沿いにありました。

こんなところに本社があったのですね。

バンダイにもナムコにも玩具、テレビゲーム等を通してお馴染みです。

それはいいのですが、バンダイナムコ未来研究所の前で曲がった私は第一京浜から逸れて、脇道に入ってしまっています。

海沿いの道を行けないか、と思ったのでした。

第一京浜沿いに行けば確実に目的地まで行けたのですが。

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「札の辻橋」の上から、山手線、東海道新幹線等いくつもの路線の列車の走行を眺められます。

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えらい数の線路ですな。

そして田町駅と品川駅の間も結構距離があって、今度「高輪ゲートウェイ」駅ができるんですよね。

せっかく近くに来ているのに、私はその新駅のことを忘れていて、建設中の駅舎を確認することもしませんでした。

うかつでありました。

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札の辻橋を渡り、その先の「三田警察署前」交差点を右手に曲がり、三田警察署の前を通る道に入りました。

この通り沿い、交通量も少なく静かな街並みなんですね。

しかしそれもそのはず、この先は行き止まりになっていて、車両も歩行者も通り抜けができないんです。

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突き当たり、こうなってます。

目の前の階段は左に立つ集合住宅の入居者のためのもので、向こう側に行けるものではないのです。

知らずに階段を上って住宅前の通路を進んで見ましたが、最後には線路に阻まれ、向こう側に行く通り道もありませんでした。

もしかしたら住宅の敷地内を通って泉岳寺側に抜ける通路等があったのかもしれませんが、例えあったとしても部外者が使っていいものではありません。

袋小路ですね。

えらく歩いてきたのに、とんだ無駄足でした。

だいたいこの袋小路まで歩くのと同じくらいの距離を第一京浜で歩いていたら、泉岳寺まで着いていたはずなのです。

バンダイナムコ未来研究所のあるところまで行って、第一京浜に戻らないといけません。

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再び、札の辻橋です。

バンダイナムコ未来研究所、でかい建物ですねえ。

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札の辻橋から傾斜を下りながら、この東京タワーの立つ風景を見られて、少し気分が晴れました。

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第一京浜

その地下には都営浅草線が通っています。

田町駅にすぐ隣接して三田駅があるので、地下鉄に乗るなら三田駅から泉岳寺駅までひと駅です。

私のように散策するのでもなければ、地下鉄に乗ってしまうのが手っ取り早いです。

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御田八幡神社が向こうにあるそうです。

あのビルも神社の持ち物なんでしょうかね。

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道沿いにこんな像が。

老老介護」なんて言葉がありますが…年輩の男性が老母を背負う涙ぐましい姿でした。

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老母を背負ったり、世界一家人類兄弟だったり…。

ぶっとんだ世界観ですね。

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笹川記念会館…。

これは、笹川良一大先生の関連施設でしたか。

私なんぞが世界観云々を口にして、大変失礼いたしました。

警備員の人に捕まらないうちに足早に退散します。

(先の老母を背負った「孝子の像」は金比羅参りで金比羅さんの長い階段を上った折の姿だということです。笹川良一は複雑な経歴と多彩な顔とを持ち、一筋縄ではいかない人物です。そういうわけでここでは詳細な解説を省かせていただきます)。

老母を背負って金比羅参りするぐらいなら、薪を背負って歩きながら本を読む方がまだ真似できるかな、というのが私の率直な気持ちです。

これでも金比羅系を名乗っています。

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「財界二世学院」というと、財界の二世しか入学できないんでしょう。

私は今生では財界一世にもならずに終わりそうです。

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泉岳寺も近づいた頃、歩道の最中に「高輪大木戸跡」が突如現れました。

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大木戸はもはや無いものの、石垣の一部が残っています。

品川の宿場の北方で、東海道から江戸に入る人の出入りをここにあった高輪大木戸で制限していたのですね。

まさに高輪ゲートウェイ

駅名の由来でありましょう。

昔は大木戸であったり関所であったり、街中に旅の自由を制限する施設も多くて、不自由だったことでしょう。

公共の道で大阪でも東京でもどこでも行ける現在からは、往時の旅人の感覚というのは想像しかねるところがあります。

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言い訳の東京旅行一日目(10)。早稲田大学。光の帯。お気に入り、焼麺劔(つるぎ)の焼麺

せっかく早稲田大学の近くに来たので、ちょっとだけキャンパスを拝んでいきたいと思います。

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予備校が多いからなのか?早稲田の学生さんだけでなく、高校生の姿もよく見かける早稲田通り沿いですね。

ところで夜の写真を撮っていて、光源を撮ると必ず上の写真のように光の帯が後を引いて写ってしまうので、難儀しました。

後で調べたところによると、カメラのレンズに微細な汚れ等があると起こる現象なのですって。

レンズ表面を布等で丁寧に拭えば解消するということです。

ただ私はその原因がわからなかったので、この旅の間中、夜には光の帯だらけの写真ばかり撮っていました。

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早稲田通りから早稲田大学キャンパスへ向かう道沿いも光のデコレーションがされています。

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光るワセダベア。

ワセダベアってたぶん早稲田大学のマスコットなのでしょう。

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早稲田大学の大隈記念講堂です。

光の帯を写すまい、と努めた結果の暗い写真です。

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写真って難しいですね。

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早稲田大学も見たので、これからまた早稲田通り沿いに歩いて高田馬場駅方面まで戻ります。

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上海で入り損ねた中華料理チェーン、「沙県小吃」の高田馬場店がありました。

高田馬場には日本語学校が多くて中国系の留学生も多いそうなので、沙県小吃があると慣れた味に喜ぶ人も多いでしょう。

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夜の神田川沿いです。

「焼麺劔」の店舗近くまで戻ってきました。

でもまだおなかの中に重い感じが残っているので、もうしばらく歩きます。

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神高橋の上から、神田川の上を通る西武新宿線の高架下を見ています。

暗い水の流れです。

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BIGBOXの中に入ってウィンドウショッピングしたり、そのビルの周囲をまわって裏側を確かめたり。

箱の中身とか裏側とか気になりますよね。

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腹ごなしもいい加減にしよう、と踏ん切りをつけてお店に向かいます。

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お店は開いていました。

「焼麺劔(つるぎ)」。

高田馬場本店ですね。

このお店に入るのを楽しみにして高田馬場に来ています。

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焼麺とは、いったいどんなラーメンなのでしょう?

入店すると自販機で食券を買い、段差を上がった上のカウンター席に座ります。

店内はすでに他のお客でいっぱいでした。

食券を店員さんに渡しましょう。

私は基本の「焼麺」を頼みました。

780円でした。

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まず鰹節の入ったすり鉢が出されます。

これはスープの「味変」用なのですね。

焼麺が来るのを待つ間に、すりこぎで鰹節をすって細かくしておきましょう。

この準備作業がなかなか楽しいです。

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来ましたね…。

待望の焼麺です。

ベジポタスープといって、豚骨と各種野菜を合わせた濃厚でコクのある、かつ舌触りのなめらかなスープです。

そして噂の麺が、素晴らしい食感なのでした。

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茹でた麺を鉄板の上でしっかり焼いてからスープに入れてあるのです。

焼き目のついた表面のさくさく固い食感と、内側に残る柔らかさが合わさって、絶妙です。

スープに浸すことで、この麺の食感も自分で柔らかく調整することができます。

期待したとおりの食感とお味でした。

とろとろの大きなチャーシューと、たっぷり刻みネギのトッピングも私好みです。

先に細かくした鰹節で、ベジポタスープを味変してさらに楽しめました。

焼麺、本当に私の好みで…。

幸せでした。

お店の定番は目玉焼き入りの焼麺だそうで、腹具合がいまいちだったので今回は控えめにと思い焼麺にしたのですが、ちょっと後悔しました。

目玉焼き入りにすればよかったですね、何の支障もなくたいらげることができたはずです。

もし通える場所にあったとしたら、間違いなく週一で通うであろうお店ですね。

この焼麺を食べるために、高田馬場近辺に住みたいと思いました。

東京ではテレビ番組で紹介されたりで、ラーメン好きには有名なお店だという焼麺劔。

いずれ、私の住む大阪でも知られるようになると思います。

独特食感で美味しい焼麺を、食いだおれの大阪人が放ってはおきません。 

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ともあれ、焼麺をいただいてしまったので。

さようなら高田馬場

BIGBOXともお別れです。

写真ブレブレです。

ゲーセンミカド、神田川、早稲田燈幻郷を拝みに。

焼麺を食べに。

また来たいです。

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名残り惜しくて、山の手線の駅ホームからまだ写真を撮っています。

発着メロディはやはり「鉄腕アトム」でした。

名曲です。

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言い訳の東京旅行一日目(9)。水稲荷神社から穴八幡宮へ。堀部安兵衛のお酒を買う

早稲田燈幻郷が素晴らしかった甘泉園公園。

でもいつまでもいられないので出ましょう。

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甘泉園公園と早稲田大学キャンパスとの間を通る道に出られます。

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甘泉園公園の南側に隣接する水稲荷神社にもお参りしていこうと思ったのです。

その神社の参道入口には、忠臣蔵の人気浪士、堀部武庸(ほりべたけつね)こと安兵衛にまつわる史跡があるのですね。

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堀部武庸加功績跡碑」です。

この近くで繰り広げられた「高田馬場の決闘」、そこでの堀部安兵衛の活躍を顕彰する意図で、明治時代に建てられたものだそうです。

(元は別の場所に建てられたものが、昭和に入ってからこの場所に移築されています)。 

 

堀部安兵衛越後国新発田藩の出身です。

もとは中山安兵衛と名乗り、江戸で剣術道場に入門して剣の腕を磨きました。

ほどなく道場の指南役を任されて現在の新宿区内の土地に一戸建ての住居を構えるに至ったそうで、剣の才能があったのですね。

後に安兵衛は友人が行う果し合いに助太刀を申し出て、この高田馬場の付近で実際に敵方の三人を斬りました。

これが有名な「高田馬場の決闘」なんですね。

この決闘で有名になった安兵衛の腕前が、赤穂藩浅野家家臣の堀部金丸(ほりべかねまる)の目に留まります。

堀部金丸は嫡男を失っており、跡継ぎに困っている状況でした。

浅野家家臣堀部家の跡継ぎとして、安兵衛に白羽の矢が立ったわけです。

金丸の娘と縁組し、安兵衛は堀部家の婿養子になり、同時に浅野家に仕えることになりました。

高田馬場の決闘が、安兵衛がやがて「赤穂浪士」の一員となるきっかけだったのです。

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水稲荷神社参道の木も照明で装飾されてありました。

ここも早稲田燈幻郷の一部なのでしょう。

夢見心地が続きます。

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水稲荷神社にもお参りしてきました。

この神社はもともとは現在の早稲田大学キャンパス内の場所にあったそうです。

平安時代藤原秀郷(ふじわらひでさと)によって富塚古墳の丘の上に建立され、当初は「富塚稲荷」でした。

江戸時代になって境内から聖水が涌いたということで、水稲荷神社に改名したんだそうです。

昭和に入り、早稲田大学と敷地を交換する形で、甘泉園に隣接する現在地に移転しました。

先に見た堀部安兵衛の顕彰碑と合わせて、もとは別の場所にあったものを移築したのですね。

 

水稲荷神社の境内には「太田道灌駒繋ぎの松」という木もあります。

江戸城を築城したことで有名な室町時代の名匠、太田道灌(おおたどうかん)がこの近くに来て、今の水稲荷神社のある場所に馬を繋いでいたんですね。

暗くて見つけることができませんでした。

あと近くにある太田道灌関連の史跡として、今回は訪ね損ねたのですが、先に見た面影橋停留所から神田川に掛かる面影橋を渡った北側に「山吹の里の碑」というものも立っています。

太田道灌江戸城郊外の里を通りかかり、雨が降っていたので現地の農家の娘に蓑を所望したといいます。

娘は「七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞ悲しき」という和歌を詠むと共に、山吹の枝を差し出しました。

その意はつまり、貧しくて人に貸す蓑も無い。

「蓑」と「実の」で、蓑が無いことと実らない山吹とを掛けているんですね。

和歌の素養の無かった道灌は奥ゆかしく貧窮を表現した娘の意図を察することができず、蓑を貸さない相手に怒ってその場を去ります。

ところが後に娘の意図に気付いて己の無学を恥じ、文化人と目されるほどに和歌の研鑽を積むようになった、という逸話なんですね。

実際はこの太田道灌の山吹の里として比定される場所は東京周辺の各地に候補があって、議論があるそうです。

ただ山吹の里の碑があったり駒繋ぎの松があったり、この高田馬場の土地の人々の間には当地が山吹の里であるという伝承が根付いていたのだと思います。

高田馬場に山吹の里があり太田道灌が来た、というのも土地の記憶としては確かなことなのですね。

旅人として、私もその土地の記憶に寄り添いたい思いです。

 

もう午後5時近くなって暗くなってきましたけれど、まだ高田馬場周辺を散策したいですね。

堀部安兵衛が大暴れした高田馬場

馬場というのは馬を飼うところで、この辺りで旗本が馬術の訓練をしたり、時に流鏑馬の催しを行っていたということです。

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西早稲田」の交差点に面した鳥料理店の壁に、この界隈がかつての高田馬場だったことを示す案内板と展示棚が設けてあります。

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今となっては学生さんが行きかう学生街のにぎわいです。

ここから早稲田通り沿いに南へ。

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馬場下町」の交差点に面して、穴八幡宮が鎮座します。

徳川8代将軍徳川吉宗(とくがわよしむね)が世継の疱瘡治癒祈願として穴八幡宮に奉納する流鏑馬を催したことを起源として、高田馬場流鏑馬を行うことが恒例となったそうです。

現在もすぐ近くにある都立戸山公園の敷地を使って、小笠原流による流鏑馬の奉納が行われているのですって。

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流鏑馬の像ですな。

この像とは関係ないと思いますが、徳川吉宗公と言えば時代劇の『暴れん坊将軍』の主人公でもあります。

松平健演じる暴れん坊将軍が馬を駆って矢を射るところを私は連想しました。

脳裏にはテーマ曲が流れています。

八幡宮には大きな朱塗りの門もあります。

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お参りして、例のごとく武運長久を祈って来ました。

さらに南に歩きます。

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「地下鉄早稲田駅前」交差点です。

向こうに「リカーショップ小倉屋」があります。

この小倉屋、江戸時代から続く老舗の酒店なのです。

そして、高田馬場の決闘に臨む前に、酒好きの堀部安兵衛がお酒をあおって景気をつけた場所でもあるんですね。

そんな由緒あるお店が今でも営業しているのです。

となれば、私のすることは決まっています。

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中に入ってお酒を買って参りました。

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堀部安兵衛を記念したお酒がちゃんとあるんですね。

吟醸酒堀部安兵衛

300ミリリットル、440円です。

醸造元は都内東村山市の酒造会社でした。

後でいただきます。

楽しみですね。

(後で宿に持ち帰って飲んでみたら、甘みがあって美味しく、飲みやすいお酒でした。ほろ酔い気分になれました)。

小倉屋では、非公開ではありますが堀部安兵衛が酒を飲むときに使った酒桝を現在でも保存しているそうです。

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ちなみに小倉屋の隣には、「夏目漱石誕生の地」を示す石碑と案内板があります。

漱石先生、ここで生まれていたんですね。

浅野内匠頭の屋敷跡に生まれた芥川龍之介といい、東京の文豪たちと赤穂浪士って何か因縁があるのか?という疑念が湧きます。

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漱石先生生誕の地は現在、飲食店の「やよい軒」の店舗になっています。

ここで漱石先生に思いを馳せながらのごはんもいいな、とは思ったのですが、後に「焼麺劔」が控えているので我慢しました。

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言い訳の東京旅行一日目(8)。焼麺劔を偵察。神田川、都電荒川線、甘泉園公園。素敵な早稲田燈幻郷

早稲田通りから再びR.O.STARの裏口横の路地に入ります。

コーヒーとチーズケーキをいただいたばかりなんですけれど、実はR.O.STARから近場にもうひとつ、目当ての飲食店がありました。

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道沿いに日本語学校があり、アパートも多い界隈です。

高田馬場二郵便局」を越えて、ファミリーマートのある角までまっすぐ北に進みます。

その角で右手、東に曲がるんですね。

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すぐ北側を神田川が流れている、住宅街の路地です。

学生さんらしい、若い人たちの往来が多いです。

いい感じの界隈だな、と思いました。

早稲田大学の近場。

大きな材木店の前をさらに進んで。

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ありました。

まだ開店前でしたけれど。

ラーメン店、「焼麺劔(つるぎ)」高田馬場本店です。

高田馬場には堀部安兵衛(ほりべやすべえ)関連の史跡を見に来たのですが、実は焼麺劔の存在も、東京旅行の折の高田馬場散策を決めた動機のひとつでした。

ここは焼麺劔という店名通り、「焼麺」なる名物メニューを提供する人気店なのです。

お昼の営業は11時から15時まで。

夜の営業時間は18時からということで、開店までまだ数時間の間があります。

その間に高田馬場を散策してきましょうか。

実は朝食べたラーメン二郎がいまだにおなかに重く効いていまして、ちょっとラーメン一杯食べるのも覚束ないのでした。

さっき食べたチーズケーキはかろうじて別腹に入ったのです。

あと数時間歩けば本腹も少しは空くだろう、とは思うのですが…。

焼麺劔には後で戻ってきます。 

 

この際、近くにあるのだから、神田川を拝んでおきましょう。

歌のタイトルにもなったくらいで有名な川ですけれど、私はまだ見たことがないのです。

焼麺劔の近くから細い路地を北に抜けて、神田川の川沿いの通路に出ました。

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夕暮れの神田川ですな。

鴨が泳いでますな。

赤い手拭いマフラーにしたり。

横丁の風呂屋で待ったり、待たせたり。

今でも若い二人の日常があったりなかったりしそうな。

下宿っぽいアパートが、界隈に多いです。

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ただ柵が高く、神田川を見下ろすのもひと苦労です。

また焼麺劔前の路地に戻りました。

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焼麺劔から少し東に歩いたところにあるこの小さな「まつ川公園」は、何かのアニメ作品だったか漫画作品だったかのロケ地になったと。

ネット情報を得ています。

作品名は失念しました。

読者の皆様の御検索にお任せします。

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すぐ横に階段があるんですね。

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階段上に公園のもみじからの落ち葉が多いですが、まだ緑です。

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階段を登り切るとふくろうのモニュメントが立っているのでした。

ふくろうが見ている先の高台の上も、細い路地と集合住宅が立ち並びます。

この辺り、高田馬場駅からも至近でなおかつ静か、なかなか住みやすそうです。

 

まつ川公園の脇までまた階段を降りて、そのまま東に路地を進んで行きます。

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明治通りに出ました。

この南の「馬場口」という交差点で早稲田通りと明治通りが交差しています。

私は北の交差点へ。

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北の交差点「高戸橋」で、都電荒川線の車両を見ました。

南北の明治通りと東西の新目白通りが交差しています。

北の雑司が谷学習院下の停留所を通って来た荒川線車両が、この高戸橋でカーブして新目白通りに入ります。

神田川沿いの新目白通りをこの先の面影橋、そして終点の早稲田の停留所まで走るのです。

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これは早稲田駅停留所から来た車両ですね。

雑司が谷、大塚、飛鳥山王子駅前等の停留所を経由して、遙か東の終点、三ノ輪橋停留所まで向かいます。

きっと長い旅になるのでしょう。

私は十年近く前の東京旅行で池袋に行った際に、雑司が谷停留所から早稲田停留所まで乗ったことがあります。

そのときに今歩いている界隈も車窓から見たはずなんですが、あんまり覚えていませんでした。

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面影橋停留所です。

なんだかこの停留所界隈、香港旅行で乗った新界地区を走るライトレール(軽鉄)の、元朗の街の駅まわりを思い出させる風景です。

香港の元朗の人にこの面影橋停留所界隈を見せたら、たぶん納得してくれるんじゃないかと思います。

 

面影橋停留所の先で、南側の路地に入りました。

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面影橋停留所の傍らに、甘泉園公園があるんです。

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元々は尾張徳川家の土地で、その後には御三卿清水徳川家の江戸下屋敷

明治時代には子爵相馬家の庭園となり、昭和に入ると隣接する早稲田大学の管理化に置かれます。

その後、昭和44年に新宿区が買収し、区立公園として開かれました。

中は回遊式の日本庭園になっています。

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公園の前に同じ型の自転車がむやみに停めてあります。

上海でよく見たレンタル自転車ですな。

都内散策で観光客が気軽に使えるのなら、かなり便利だと思います。

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「早稲田燈幻郷」という試みが成されている模様。

何か園内をライトアップしているようなのですね。

冬場の開園時間は、午前7時から午後5時まで。

もう午後4時半をまわっているので、もうすぐ閉まってしまいます。

急ぎ足で門をくぐりました。

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早稲田燈幻郷。

素晴らしいものでした。

私のこの写真で魅力が伝わるかどうか、心もとないです。

黄昏時のうす暗闇の中、照明が水面を照らし、淡い光を反射しているのでした。

お茶にして美味しい、甘い水が泉から湧く。

そんな由来を持つ甘泉園です。

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池の周囲ではちょうど子供たちが鬼ごっこに講じていて、私は何か幻を見るような思いでした。

真冬になると樹木に掛けられたあの三角の「雪吊り」の上から雪が積もって、また美しい風景が見られるそうです。

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蛍の光を思わせるような、優しげな明かりを水面に眺めて、思わず嘆息してしまいます。

素敵です。

甘泉園公園に、高田馬場に来てよかった。

そう思いました。

暗くなってからこんな美しい風景が見られるのに、午後5時に閉園してしまうのは、少し惜しいような…。

しかしおそらく午後5時前の黄昏時が、美しさのピークになるのでしょう。

絶妙な時間に入園できたのは、幸運でした。

 

※追記

後で調べたところ、早稲田燈幻郷の開催期間は11月17日から12月9日までの開催で、12月27日現在は終了しています。

また早稲田燈幻郷の開催期間中は、甘泉園庭園公園の閉園時間は午後8時まで延びるということでした。

夜の庭園の風情も楽しめたのですね。

来年の開催にも期待しましょう。

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『瞬殺猿姫(47) 出立の日。猿姫と三郎、感傷的な邂逅。抱擁。暴力』

出立の朝が来た。

「お世話になり申した」

織田三郎信長(おださぶろうのぶなが)は、宿舎の小屋の中に集まって見送る仲間に頭を下げた。

立ち並ぶ男たちの中に、親方もいる。

当初は手厳しい対応を受けたが、三郎が仕事に慣れてからはうまくやってきた。

気心が知れれば、面倒見のいい親方だ。

「のたれ死ぬぐらいなら、いつでも戻って来い。人手はいつでも足りんのじゃ」

「かたじけのうござる」

「髭、お主もぬかるな」

「は」

髭と呼ばれた蜂須賀阿波守(はちすかあわのかみ)も、名残惜しそうに親方と仲間たちを見ている。

「昨日言ったように、下総守様には話をしてある。待ち合わせの場所に使者もいるはずだ」

親方の言葉を受けて、三郎と阿波守はうなずいた。

居城の神戸城を攻め落とされた後、城主の神戸下総守利盛(かんべしもうさのかみとりもり)は居場所を転々として、捕まらない。

彼と連絡のある親方に、話をしてくれるよう三郎は頼んでいたのだ。

 

親方と仲間たちへの挨拶の後、二人で辞去した。

白子港を抜け、伊勢街道に出る。

事前に仲間の猿姫(さるひめ)の元に、文を託した飛脚を送っている。

その猿姫から、返書も受けとった。

南伊勢に向かう途中の、街道沿いの茶店で集まる約束になった。

街道を歩いていく三郎の足取りは軽い。

新調した旅装束をまとい、編み笠を被り、大小二本の刀を腰の帯に挿して。

背中には手荷物の袋と、南蛮の鉄砲とをこれも袋に隠して背負っている。

袴の脚先は脚絆と草履で固めて、力強く進んでいる。

以前の三郎は、下品な絵柄の羽織に荒縄で数多くの瓢箪と刀とをだらしなく結わえ付けて、脚を露わに道を歩いていた。

今の姿はその頃からは見違えている。

斜め後ろから付いていきながら、これも旅装束に編み笠を被った阿波守が、三郎の姿を見ている。

「悪くない侍ぶりだ」

「で、ありますか」

「見違えた今のお主を見れば、もうあの猿姫もうつけなどとは思うまい」

阿波守なりの褒め言葉に、三郎は控えめな笑みを浮かべた。

頬が薄赤く染まっている。

「だが、あまり急くなよ。まだ先の見通しがつかんのだ、周りを見ながら慎重に行け」

「しかし猿姫殿と行き違いにでもなったらと思うと」

足を止めずに軽く振り返って、三郎は答えた。

「まずは彼女と会わないことには気持ちが落ち着きませぬ」

 

街道沿いに町屋の建物が続いている。

木戸を抜け、白子の宿場町を出ると、街道の両岸は野原になる。

二人は足早に進んだ。

左手遠方に伊勢の海を見ながら、途中川にかかる橋をいくつか越えて、南へと行く。

伊勢街道と内陸からの道とが繋がる、三叉路があった。

その三叉路の角に、町屋が一軒建っている。

「あれでござるな」

三郎の言葉に阿波守はうなずいた。

町屋に近づいた。

建物の街道側に縁台が設けてある。

目的の茶店なのだった。

「表の床机には誰も座っておらん」

阿波守に言われ、三郎は口をつぐむ。

その表情に、失望の色が浮かんだ。

「猿姫殿、まだ来ておられぬか」

「もう茶店の中にいるのかもしれんぞ」

二人して、茶店に近づいていく。

縁台の脇を通り、建物の引き戸に三郎は手をかけた。

阿波守は、油断なく周囲を見回している。

「御免」

中をのぞく。

店舗の内側の広い土間に、数人掛けの大きな床机が同じ並びにして二列、横に三つずつ並べてある。

先客が四人いた。

それぞれ床机に腰掛けている。

旅装束の武士が一人、左手手前の床机に。

他には、旅装に頭巾をかぶった僧侶が右手奥に。

傍らに錫杖を横たえている。

そして、手前中央の床机に相席しているのは武士と小柄な女の二人連れ。

この武士と女は同じ床机に座り、武士は入口側に腰掛けてこちらを見ている。

女の方は向こう側から座り背中を見せていたが、振り返って入口の三郎たちを振り返っている。

三郎は、息を飲んだ。

彼女だった。

三郎が半年余りの間、身を焦がして会いたがっていた相手。

猿姫その人である。

猿姫も目を大きくして、とっさに立ち上がった。

彼女が床机に立て掛けていた棒が、足元の土間に転がって軽やかな音をたてる。

棒はそのままに猿姫は床机の横に出てきた。

三郎の方を向いた。

「猿姫殿」

三郎はかすれた声で言う。

「三郎殿」

猿姫が応じた。

三郎は、彼女の前に歩み寄っていく。

猿姫と向かい合って立った。

最後に別れてから、半年以上経っている。

彼女は、三郎の脳裏に刻まれた姿から、寸分も変わっていなかった。

同じ瞳、同じ目鼻立ち。

小さく細身の、それでいて強靭な体。

しかし実際のところ猿姫は、農作業とどじょう取りの生業に励み、質素ながらきちんと食事を摂って屋根の下で眠る生活を続けている。

顔は日焼けして浅黒くなり、髪も以前より長く伸びている。

栄養が行き届いて、三郎といた頃よりはその体つきも、少なからず柔らかな丸みを帯びていた。

ただ三郎には、そうした猿姫の見た目の変化に気付く落ち着きは無い。

両腕を伸ばして、目の前の猿姫の体を抱き寄せた。

「わ」

猿姫が小さな短い声をあげた。

三郎の胸板に、彼女は吸い寄せられた。

三郎は彼女の頭を片腕で抱え込む。

「三郎殿…」

衝動的な三郎の行為に、猿姫はとっさに拒むこともできず、困惑しながら体を任せていた。

三郎の背後から、阿波守がにやにやしながら見守っている。

店内の他の三人の客も、奥から顔をのぞかせた店の者も、感傷的な邂逅の現場に居合わせて、呆気に取られている。

ただ見守っている。

猿姫をしか感じていない三郎は、その周囲からの視線に気付かない。

「このときを、待ち焦がれておりました」

一心に猿姫を抱き締めながら、涙声混じりで彼女の頭にささやきかける。

周囲の視線を感じている様子の猿姫はそれでも開き直ったらしく、上気した顔を三郎の胸に埋めた。

無言のまま、両腕を彼の腰に回して応じた。

 

「お騒がせいたしました」

冷静さを取り戻した三郎は、先客と店の者に謝っている。

彼らの生暖かい反応を受けながら、彼は床机に腰を下ろした。

三郎と阿波守が、猿姫と彼女の連れの武士と四人並んで腰掛ける。

阿波守は店の入口側に座り、後の三人は三郎、猿姫、武士、という順で店側を向いて座った。

猿姫は愛用の棒の一方を土間の上に着けて、床机と自分の首筋にたてかけている。

改めて、三郎は猿姫を見ている。

猿姫も以前と装いを変え、女物の着物を来て足先は脚絆と白足袋に草鞋、という一般の旅人の姿になっている。

髪は以前より伸びていた。

前髪は分けて顔の両側に垂らし、後ろ髪は束ねて頭の後ろで結っている。

編み笠は、床机の上に置いてあった。

愛用の棒にしたところで、いたって普通の女性の旅人も同じようなものを携える。

猿姫のそれはいささか長くて肉厚だが、さほど違和感も無い。

まっとうな女性姿の彼女も好きだ、と三郎は思って見つめている。

「こちらは、佐脇与五郎(さわきよごろう)殿だ」

抱擁の余韻なのか、三郎に見つめられているからなのか。

いまだ顔を赤く染めながら、猿姫は連れの武士を三郎に紹介した。

武士は、壮年の、静かなたたずまいの男性である。

佐脇家は神戸家に仕える武家だと佐脇与五郎は語った。

「皆様と同行いたす」

小声で言う。

彼も旅装なのである。

「主の下総守から委細聞いております。南伊勢までの旅の費用のことも、贅沢はさせられませぬがお世話いたしましょう」

やはり小声で言った。

「ご助力くださるということですか」

「左様です」

「有り難く存じます」

三郎は頭を下げた。

この半年余りもの間、苦労して路銀を溜めてきた。

その路銀、使わずに済むならそれに越したことはない。

南伊勢が旅の終わりではない。

三郎たちはその先、和泉国の堺まで行くつもりなのだ。

 

空になった湯飲み茶碗のふちを口先に当てて弄んでいた阿波守が、ふと動きを止めた。

「おい、そろそろ行こうか」

出し抜けに言う。

三郎たち三人は阿波守の方を振り返った。

阿波守の声に、空々しい響きがあった。

「阿波守殿。何か…」

問い質す三郎の声も待たず、阿波守は立ち上がった。

「佐脇殿。ここは茶代を払っておいてくださるか」

背後の与五郎に、急かすように言う。

「は…」

与五郎はうなずきつつ、腑に落ちない様子。

が、その顔つきが変わった。

「織田殿。猿姫殿。出ましょう」

床机の上から自分の大小の刀をそれぞれ両手で取り上げながら彼も慌てて立ち上がり、三郎と猿姫をうながす。

三郎はようやく気付いた。

「待ちなされ」

野太い声を浴びた。

いつの間にか、与五郎の向こうの床机に座っていた僧侶が、立ち上がっているのだ。

平常の目つきではない。

彼は両手に長い錫杖を持っている。

その錫杖の頭部を手近な与五郎の顔に向けた。

与五郎は即座に対応できない。

だが猿姫の動きは速かった。

床机から飛び上がり、片手を伸ばして与五郎の襟首を横からつかむ。

そのまま身を沈めた。

「ぐっ」

引き込まれて、与五郎の体は猿姫の足元へ。

その彼の頭上を、僧侶が突き出した錫杖の先がかすめた。

猿姫は与五郎が土間に体を打つ寸前で腕を引き、そのまま静かに接地させる。

床机に立て掛けてあった愛用の棒が、衝撃で倒れようとしている。

その棒を手先ですくい上げながら、土間の上に横たえた与五郎の体の上を飛び越え、猿姫は空中で棒を引き絞る。

僧侶が続けて繰り出した錫杖の突きを、棒の先で小刻みに弾いて反らせた。

 

「えいっ」

前足を踏み込みながら、肩で支えた棒の後方部分をてこの原理で跳ね上げ反転させて、上から僧侶に叩きつける。

僧侶は錫杖を両手で横に構え、頭上に抱え上げた。

猿姫の一撃を、錫杖の柄で受け止めた。

だが、衝撃に腕の力が耐え切れない。

押し負けた両腕と錫杖は下に落ち、棒の腹が頭巾をかぶった頭部にめり込む。

そのまま、猿姫は全身を沈める勢いで押し切った。

頭上から押し込まれ、僧侶は膝を付く。

手に持った錫杖ごと、上体が叩き付けられる。

うつ伏せになった。

猿姫は棒を引き戻す。

「ぐあああっ」

猿姫が身を引いた瞬間、僧侶は両腕を土間に突いて上体を起こした。

雄たけびをあげる。

肩膝をついて、起き上がろうとする。

猿姫は踏み込んで相手の背中に伸ばした棒先を鋭くあてがう。

「ぐっ…」

「動くなっ。動くと背中が裂けるぞ」

怒鳴りつけておいて、三郎の方を振り返る。

その顔色が変わった。

「阿波守」

猿姫は叫んだ。

店内の反対側、三郎に近い側の床机にいた先客の武士。

その武士と、阿波守とが組み合っている。

刀を抜いて右手に持った武士の腕を阿波守が両腕でつかんで押し留めている。

彼らの後ろで、三郎が体勢を崩して土間に座り込んでいる。

三郎を襲わせまいと、阿波守がかばったのだ。

しかし武士は組み付かれて顔を歪ませながら、空いた左手で自分の懐を探っている。

猿姫は息を飲んだ。

武士は、隠し武器を使おうとしている。

阿波守は相手の動きを止めるのに手一杯だ。

「阿波守っ、相手を放して退けっ」

出来る限りの大声をぶつけた。

びくり、と阿波守の背中が震える。

次いで阿波守は組んだ相手の右手と首筋とを、押すようにして自分は後方に倒れこんだ。

土間に背中を打ち付ける。

自由になった武士は、左手を懐から抜き出した。

ごく刃の短い、小柄が指先に握られている。

左手の小柄と右手の刀を、仰向けの阿波守にそれぞれ上から叩きつけようとする気配を見せた。

猿姫の棒の間合いから遠い。

猿姫は、体の成すままに任せた。

抑えていた僧侶を捨て置く。

棒先を引き戻し、その勢いで振り向きざまに棒を武士めがけて投げつけた。

猿姫の手を離れた棒が、倒れている与五郎と三郎と阿波守の頭上を越えて、轟音を響かせながら武士の胴体めがけて一直線に飛ぶ。

阿波守に刀と小刀が打ち込まれるよりも、棒先が武士の胸の合間を撃つ方が速かった。

衝撃で武士の体が激しく揺れ、後ろに振れた。

一瞬遅れて、武士の喉から、ぐっと声が漏れる。

武器を携えた両腕を振り上げたまま、動きが止まった。

棒は武士の足元に転がる。

「うおおお」

阿波守が声をあげた。

仰向けの状態から身を転じ、土間の上を這って、脚絆を穿いた武士の脚に組み付いた。

全力で相手の揚げ足を取る。

武士は振りかぶった刀ごと背後に倒れた。

やった、と思った瞬間、猿姫は背中に激痛を感じた。

彼女が棒を投げてからここまで、わずか一秒ほど。

振り向いた。

僧侶が彼女のすぐ真後ろに立ち上がっていた。

小柄を握った右手を掲げている。

その小柄の刃先が赤く濡れて、鮮血が滴っている。

猿姫の背中を突き刺したのだった。

頭巾が滑り落ちていて、反りあげた頭頂部を晒している。

至近距離で、僧侶と猿姫の視線が絡み合った。

猿姫は、痛みで気が遠くなる。

「往生なされよ」

僧侶が唱えるように言った。

小柄な猿姫に抱きつくように全身で覆いかぶさりながら、小柄の切っ先を猿姫の首筋へ。

「んっ」

思考が覚束なくなっている。

再び体の成すままに任せた。

屈み込み、相手の胸部と腹部の合間辺りに自分の額を打ち付ける。

相手の懐に取り込まれ、とっさに取れる行動だった。

僧侶の衣服で擦れて、額は痛む。

小柄の切っ先が、猿姫の頬の上を滑って傷つけていく。

痛い。

捨て身の頭突きを受けて、僧侶はよろめいた。

動かなければ。

猿姫は、力を振り絞った。

よろめいた相手のその眉間を、素手で殴りつける。

曲げた人差し指と中指の第二関節を、相手の急所に打ち入れている。

僧侶の顔立ちが醜く歪んだ。

続けて、小柄を持った相手の右手首に手刀を打ち込む。

相手は小柄を取り落とした。

背中が痛む。

濡れている。

尾張で織田弾正忠信勝(おだだんじょうのじょうのぶかつ)の配下に斬られた古傷を刺され、えぐられたようだった。 

相手を黙らせなければ。

でなければ、三郎が襲われる。

痛みにさいなまれながら、猿姫は夢中で相手を打擲した。

 

得物を持たない手負いの猿姫が、体の動くままに僧侶に蹴りを入れ、肘鉄を食らわせ、相手を沈黙させた。

彼女の背後では、阿波守が武士の男に馬乗りになって、上から殴りつけている。

三郎は仰向けの与五郎を助け起こしながら、猿姫の後姿に見入っている。

打ち負かした僧侶を立って見下ろしている猿姫の背中は、傷を負ってなお真っ直ぐに伸びていた。

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言い訳の東京旅行一日目(7)。高田馬場駅前は誘惑が多い。ゲーセンミカド、R.O.STAR入店

まだ東京旅行初日の午後二時半です。

東京タワー、増上寺、竹芝ふ頭公園、浜離宮庭園築地場外市場築地本願寺と来て浅野内匠頭屋敷跡まで見てきました。

芝から築地にかけて、もうすっかり満喫しています。

そろそろ電車に乗って土地を変える頃合です。

当初の予定通り、新宿区は高田馬場に向かって参りましょう。

なんで高田馬場かって言うと、高田馬場忠臣蔵に出てくる赤穂浪士の中でも特に人気のある堀部武庸(ほりべたけつね)、通称堀部安兵衛ゆかりの土地なのです。

他にも、高田馬場には私が気になっている場所が飲食店等いろいろあります。

これまでにまだ行ったことのない、高田馬場の街。

楽しみですねえ。

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高田馬場駅前に着いたら三時半をまわっていました。

東京メトロ日比谷線築地駅からJR山手線に乗り継いで、ここまで来たのです。

順調に行けば築地から高田馬場まで一時間もかかるのはおかしい・・・と思うのですが、私は途中の駅構内で迷ったり電車を乗り間違えたり、満員電車にたじろいで途中下車したりしたのでした。

もう日暮れの気配です。

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BIGBOXという商業施設ビルが各線高田馬場駅の最寄りランドマークです。

デカいタワーパソコンの本体かサーバー類の機器を連想しました。

その実は衣料品店、居酒屋、ゲームセンター、カラオケ店等のテナントが入っています。

高田馬場には早稲田大学があり、また他にも大学、各種専門学校等が多くて学生の街なんですね。

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西武新宿線高架下の壁面には漫画家、手塚治虫のキャラクタたちが描かれていました。

と言うのも、もともと手塚治虫の運営する虫プロダクション高田馬場にあったことにちなんでいるんですね。

現在でも虫プロダクションの後継会社にあたる手塚プロダクションの社屋が高田馬場にあるらしいです。

ちなみに手塚キャラで言うと私は「どろろ」が好きです。

可愛いし、魅力あるキャラクタですよね。

 

山手線高田馬場駅の高架沿いに、南に少し歩いてみましょう。

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この先にちょっとした目的地があります。

わりと楽しみにしてきました。

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遠景には、去年も見た東京モード学園の高層ビルがうっすらと見えます。

今回は少し歩くだけですが、この高架沿いにずっと南下して行けば、新大久保駅を経由して新宿駅に行けます。

歩いていると、頭上のJR高田馬場駅ホームからアニメ版『鉄腕アトム』のテーマ曲が流れてきました。

鉄腕アトム』発祥の土地なので、電車の発着メロディもアトムに合わせているんですね。 

心憎い演出ですね。

ありし日の手塚先生もJR高田馬場駅で電車を乗り降りされていたかもしれませんね。 

楽しい気分で、歩きます。

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ここに来たかったんですね。

高田馬場ゲーセンミカドINオアシスプラザ」。

ゲームセンターなのですね。

対戦ゲームの猛者が集まることと、懐かしいレトロゲームを揃えていることで、ゲーセンミカドは全国的にも有名なお店なんです。

店舗一階には新旧の大型筐体が所狭しと設置されてあります。

中二階と二階には懐かしい格闘ゲーム等が揃っていました。

私は一階で、小学生の頃に遊んだことのあるゲームを見つけて、せっかくなので遊んでみることにしました。

ナムコ(現:バンダイナムコ)が1988年に発売した、『メタルホーク』というシューティングゲームなんですね。

ヘリコプターの操縦席を模した大型筐体のゲーム機です。

座席に座って操縦桿を操ると、操作に合わせて座席が大きく前後左右に揺れるんですね。

久しぶりに遊んでみると、揺れに揺れて、まだ満腹状態の私は少し具合が悪くなってきました。

そして動き回る艦船を自機から爆撃したり敵のヘリと撃ち合ったり、結構難しいんですね。

二番目のステージで敵の対空砲に連続で撃ち落されて、ゲーム終了してしまいました。

一瞬で100円を失いました。

ただゲームセンターでアーケードゲームを遊ぶこと自体が久しぶりで、懐かしい気持ちにはなれました。

店内の若干薄暗い昔ながらの「ゲーセン」の雰囲気にも好感が持てます。

メタルホーク以外にも、現在では貴重になった懐かしい大型筐体ゲーム機が多数揃っていて、感動しました。

メンテナンスにも手間がかかっているはずです。

ゲーセンミカド、アーケードゲーム機に興味がある方は高田馬場に来られたらぜひ立ち寄られてみるといいと思います。

 

ごくたまにはゲームセンターのニコチン混じりの空気を吸いに来るのも刺激があっていいな、などと無責任なことを考えながらミカドから出てきました。

これから高田馬場の史跡を巡って散策しにかかります。

ただ高田馬場駅の駅前周辺は若者の街という雰囲気で、あまり史跡がありそうな風には見えないですね。

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駅横に立つ雑居ビルです。

掲示されている広告とテナントが何というか、私のような田舎者の目には刺激的ですね。

留学生向け就職斡旋サービス。

女性向け高収入?求人斡旋サービス。

学生ローン。

農業関連の某社会活動団体の案内所。

各種クラブ。

どれも学生さんを狙った事業者だな、と私は思いました。

学生さんも成人すれば何をしようと原則自己責任とは言え、駅前にこんなに誘惑が多いとは。

高田馬場はそれなりに緊張感を含む街のようです。

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学生ローン専門店の店舗ビルが、もはやランドマークのようになっています。

「Since1977」、もう街の風景として馴染んでいますね。

上手に使えば学生生活の味方?なんでしょうか。

金利がよほど低ければいいのですがね。

しかしそんな甘い話は世の中にはそうそう無いのです。

 

高田馬場の学生さんたち、誘惑には気をつけて!

そう祈りながら私は歩いています。

自分も何かとお金ばかり使っていて、他人様のことを言えた義理ではありませんが。

高田馬場駅前から早稲田通りに沿ってしばらく行きます。

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早稲田通りから、北の神田川方向に向かう路地です。

ちょっとした坂になっていて、いい感じですね。

この坂沿いに、事前に調べて気になっていたお店がありましてね。

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TSUTAYAがあるビルのテナントでした。

「R.O.STAR高田馬場店」です。

サンドイッチとコーヒーをメインにしたカフェなんですね。

ただのカフェではなくて、低コストをコンセプトにしたお店なんですね。

入口から階段を降りた、地下階にお店があります。

カウンタで店員さんに注文をして会計、その場で待って商品を受け取ります。

セルフサービスです。

砂糖、シロップ、ミルクは有料です。

それぞれ数十円の料金ですけれどね。

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私はホットコーヒーのラージサイズとチーズケーキを注文しました。

コーヒーラージサイズで160円、チーズケーキは150円です。

外税込みで、総計335円になりました。

コーヒーもチーズケーキも美味しくいただきました。

お手頃価格でお茶が出来て、いいですね。

店内の内装と調度品はシンプルだけれど洗練されたセンスを感じます。

早稲田大学中心に学生さんでにぎわう店だという前評判で、実際来てみると店内はビジネスマンと学生さんらしい若者たちでいっぱいでした。

私が心配するまでもなく、高田馬場の学生さんたちはやりくりの範囲で楽しんでいるのですね、たぶん。

あとこのお店の面白いのは、店内でWifiが使えるのですが、IDとパスワードが商品購入時に渡されるレシートに印字されているのです。

これは便利だ、と思いました。

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入ってきたのとは別の出口から階段を上ってくると、早稲田通りに出ました。

ちょっとおとなしめでわかりにくいですが、たぶんこっちの方が正面入口なんでしょうね。

サンドイッチ、ソフトクリーム類も気になります。

R.O.STAR、気に入りました。

暖かいコーヒーとチーズケーキで元気になって、午後の高田馬場散策を続けて参ります。

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言い訳の東京旅行一日目(6)。中央卸売市場移転後の築地。築地本願寺、浅野内匠頭邸跡もあります

大手門から築地まですぐです。

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朝日新聞社の社屋が右の方に見えました。

築地市場の門前に朝日新聞社があるんですよね。

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450メートルはすぐと言っていいでしょう。

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「食のまち『築地』へはこの地図で。築地場外市場」。

築地にあった「中央卸売市場」は豊洲に移転しましたが、築地場外市場は残っています。

外市場が築地を守る!という意気込みを感じます。

実際の状況はこれから見に行きます。

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営業を停止した中央卸売市場築地市場の建物は現在解体作業中でした。

何年も前に来ましたが、周囲の風景がなんとなく変わっているような気がします。

前は築地市場の周りにもう少しビルが多かったような…。

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築地市場の建物を見るのもこれで最後なんですね。

名残惜しいですね。

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建物の周囲はフェンスに囲まれてあります。

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中央卸売市場は施設の老朽化で豊洲に移転したってことなんですね。

すでにその豊洲市場が営業を開始して、観光客の来場も多いと聞きます。

今後、築地市場の無くなった築地の街はどうなっていくのでしょうか。

観光地としての築地の今後については、築地場外市場の動向が鍵となっていくのだろうと思います。

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「もんぜき通り」で商店が軒を並べていますね。

もんぜきと言うのはおそらくは仏教用語の「門跡」で、ネットでちょっと調べてみても意味がいろいろあって解釈が難しいんですね。

ただざっくり言うと、皇族が代々住職を務める寺格の高い寺院のこと、もしくはそうした寺院の住職のことを門跡と称するんですね。

もんぜき通りの近所には築地本願寺本願寺築地別院)があって、本願寺も歴史的な経緯からこの門跡に連なるそうで。

それなのでもんぜき通りも、おそらく本願寺由来の通りの名称ではないかと思います。

築地市場から、もんぜき通りを進めば築地本願寺に行けるんですね。

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築地市場の裏手に向かう通りに、築地場外市場のお店が並んでいます。

わりとにぎわっていますね。

築地の今後を心配したのに、杞憂だったようです。

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もんぜき通り沿いのこの並びに、ラーメンとかお蕎麦とか、立ち食いできる人気の飲食店もあるんですよね。

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大通りから細い路地に入ると、飲食店に海産物等の卸売店がひしめいていて、小売をやっているお店も多いんですね。

中央市場が移転しても、観光客は結構多くて、活気がありました。

築地場外市場築地場外市場で、人気の観光地としてずっと続いて欲しいと思います。

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などと言いつつ、私は特に買い物もせずに築地場外市場エリアを通り抜けてきました。

いまだラーメン二郎が尾を引いて食欲が満たされているので、飲食関係は素通りです。

近所の築地本願寺にお参りしていきます。

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築地に来たらお参りしないともったいない、というもったいない根性です。

本願寺築地別院、通称、築地本願寺

素晴らしい建築なんですね。

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築地本願寺の本堂は重要文化財だということです。

昭和九年、西本願寺浄土真宗本願寺派)二十二世法主大谷光瑞(おおたにこうずい)からの依頼で、建築家の伊藤忠太(いとうちゅうた)によって設計されました。

インドの建築様式を取り入れた寺院建築です。

大谷光瑞という人物自身がインドに渡って仏教遺跡の調査をしたり、後にはインドに「大谷探検隊」を送ったりと、インドに傾倒した冒険家的な面白い側面を持っていたのです。

昔読んだ伝奇小説の『帝都物語』では、大谷光瑞は妖しい魅力を持った豪傑として描かれていました。

私は『帝都物語』で大谷光瑞築地本願寺を知り関心を持って、以来築地に観光に来た折には築地本願寺にお参りしています。

東京の近代の名残りを残す素晴らしい場所ですね。

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本堂に登る石段の両脇には聖獣が控えています。

狛犬のご先祖を見るような気持ちです。

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ステンドグラスですね。

内装外装の意匠も素晴らしいです。

本堂内部には仏教寺院には珍しい大きなパイプオルガンの設備があります。

本堂は公開されていて信徒でなくてもお参りできますし、別棟に、カフェと書店を併設したインフォメーションセンターという施設もあります。

あくまで信仰の場であって観光名所と言うと語弊が出ますが、東京散策の途中に立ち寄れば色々とインスピレーションが得られるかもしれません。

 

本願寺にお参りして出てきました。

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ところで、先にも書いたように「忠臣蔵の舞台を巡る」が今回の東京旅に課したテーマのひとつなんですね。

忠臣蔵と言うと、仇討ちの発端になった赤穂藩主、浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)の屋敷跡が築地にあるんです。

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この築地川公園の暁橋付近が目印です。

東側の道路向かいを見てください。

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築地川公園の道路向かいにある、聖路加国際大学の建物の壁際に「浅野内匠頭邸跡」の石碑が立っています。

この辺りから聖路加病院の敷地を含んで隅田川の川岸にかけて、もともとは赤穂藩主浅野家江戸屋敷の敷地だったそうです。

問題の人物、浅野内匠頭長矩もここで生まれました。

内匠頭は、朝廷から江戸に下向してくる使者をもてなす饗応役に任じられます。

この饗応役としての先輩で、儀礼の指南役であったのが吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしなか)でした。

内匠頭は上野介に何らかの理由で遺恨を持ち、饗応の期間の最中に、江戸城本丸の「松の廊下」にて上野介相手の刃傷沙汰に及びます。

その辺りの経緯、凶行の動機については今も謎が多いのです。

結果として赤穂藩主浅野家は改易処分を受けました。

築地にあった浅野家の江戸屋敷は領地と共に没収されてしまいます。

その後は「忠臣蔵」の物語として知られる一連の事件に繋がっていくわけですね。 

 

時が下って文明開化、明治時代になると、浅野家の屋敷があった一帯はなんと牧場になっていたそうです。

この場所でその牧場の経営者の子として、後の小説家、芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)が生まれています。

浅野内匠頭芥川龍之介が同じ界隈で生まれていたんですね。

もっと言えば、界隈の聖路加病院にも助産院がありますから、浅野内匠頭芥川龍之介と同じ場所で生まれた子供たちが大勢いるということですね。

自分の生まれた病院の先輩にどんな有名人がいるのか?なんてあんまり意識しないし知りたくても知りようもないことがほとんどですけれど、聖路加病院で生まれた人の場合は少なくとも二人は明白なんですよね。

それが嬉しいかどうかは、その人の感性によるかと思いますが。

私だったら、ちょっと嬉しいかもしれません。

ちょっとだけです。

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