『手間のかかる長旅(077) アリスの怒りを知った時子』
いつまで経っても、書くべきことが出てこない。
時子(ときこ)は机の上にノートパソコンを開いたまま、その手前に突っ伏している。
一日記事10本更新どころか、1本も書けなかった。
机の表面に頬を押し付けながら、ぼんやりしている。
何もかも面倒になったからこのまま寝てしまおう、と思った。
同じ姿勢でいれば、眠りに入れる気持ちがする。
時子は、うとうとした。
携帯電話の短い着信音が鳴った。
メールが来たらしい。
時子に連絡をよこすのは、町子(まちこ)ぐらいのものだ。
夜更けに何の用だろう、と時子は腹立たしく思う。
部屋の隅のコンセントに、携帯の充電器のアダプターを挿してある。
床に直に置いたその充電器に、携帯電話をセットしてあるのだ。
突っ伏した机から、椅子を立って取りにいかないといけない。
机に頼って眠るつもりになっていたのに、面倒だった。
いつもなら町子から来たメールには、快く応じる時子なのだ。
今夜は、そうでもなかった。
ブログ記事が書けないことで、町子に敗北したような気がしている。
そっとしておいて欲しい気持ちなのだ。
そんな夜にメールを送りつけてくる当の町子。
何の嫌がらせなのだ、と時子は思った。
だるそうに歩いて携帯電話を取りに行く。
しゃがんで携帯電話を手に取った。
画面を確認する。
やはり町子だ。
件名は「アリスが怒っている」とあった。
意味がわからない。
アリスは、時子たちの友人の一人だ。
昨日、昼どきにあったばかりである。
時子は、メールの文面を確認した。
長いメールだ。
読み終えて、時子はため息をついていた。
自分が悪い。
アリスが、怒っているのだ。
こういうわけだった。
火曜日、時子の提案で、金曜日に行きつけの喫茶店に集まる旨を仲間たち全員に通知した。
時子の携帯電話ではFINEも他のSNSサービスも使えないので、その手のことは町子に任せてある。
町子は予定についてのおおまかな通知を送ったのだが、詳細については詰めていなかった。
その後ヨンミに関わる諸々で今日の昼に、なし崩し的に皆が集まった。
ヨンミの身柄に関わっていない、アリスをのぞいては。
ヨンミが家に転がり込んできた前日に時子は、町子と美々子(みみこ)だけに事態を知らせるメールを送った。
その結果なのだ。
集まった皆が、ヨンミのことで頭がいっぱいだったのだろう。
アリスがその場にいなくても、疑問が湧かなかった。
昨日の昼にアリスと会った際、翌日の予定を相談しなかったことも、アリスを招き忘れた一因である。
町子は、夜になってアリスから今日の集まりは流れたのかとFINEで質問されたらしい。
そこで彼女は、昼にアリスをのぞく皆で例の喫茶店に集まったことを、正直に伝えたのだ。
のけものにされたアリスが、それで怒った。
どうしよう、と時子は思った。
胸の動悸が早くなる。
先ほどまで、ブログの更新ができないことで、投げやりな気持ちになっていた。
もう、それどころではない。
仲間のうち一人だけを、はからずも、のけものにした。
その仲間が怒った。
そして、その原因の一因は、自分にある。
時子は、頬を両手で覆った。
アリスに謝らなければ。
いや、その前に対処について、町子に相談しなければ。
もはや時子の脳裏から、ブログの更新ができない苦しみは、消え去っていた。
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