『脈絡を断ってうろうろする日』
脈絡は無いがうろうろしよう、と今日子(きょうこ)は思った。
今までうろうろするのに脈絡を求めすぎた。
そうやって何かにすがるような気持ちでうろうろするから、うろうろの生の味がわからなくなるのだ。
そう思って土曜日の朝。
あまり使ったことのないトレーニングウェアをクローゼットから出してきて、着込んだのである。
腰のポケットに小銭入れだけを持った状態で家を出て、近所をうろうろした。
見慣れた場所で、変わったこともない。
ただ近所には、これから行楽に出かけようと自家用車に荷物を積む楽しげな家族連れの姿もある。
さして親しくもないが顔見知りのそんな人たちに出くわして、挨拶をしながらうろつくのも今日子には堪える。
そうそうに近所を出ようとうろつきながらも外部への脱出路を取った。
大きな道に出た。
歩調を早めにして歩く。
街の中心部を通り過ぎる。
道を南下すると、海に出た。
海岸に沿って西から東に走る国道に合流したのだ。
週末の朝だが、大型の運送トラックがひっきりなしに行き来している。
今日子は歩道橋を伝って海側の歩道にまわった。
脈絡なくであれ、海を間近に見ながらうろつきたい。
フェンスの向こうは崖の下で、そこに広がる砂浜が見えている。
砂浜の向こうは穏やかな海だった。
その風景を眺めながらうろうろするのは、悪くない気分なのだ。
ただ、大型車の通行量が多いので、排気ガスがつらかった。
今日子は車が巻き上げる埃と排気ガスとを防ぐように、目を細めながら歩いている。
1時間は歩き続けている。
もう、休みたかった。
脈絡もなくうろうろしているので、向かうべき目的地もない。
目的地もなく、歩くこと自体に理由もなく、うろつくのはつらいことだと今日子は実感し始めている。
しかし、目的地を設けずうろつくことで見えてくる境地もあるはずなのだ。
今日子はくじけなかった。
まだお昼前である。
どこかでお昼を食べて帰ろう。
しかし、と今日子は思う。
インド料理を食べよう、などと一瞬でも思って店を探してしまえば、今回の件がインド料理店を求めてのうろうろだったことになってしまう。
駄目なのだ。
今日子は立ち止まった。
美味しいものを食べる、なんて欲望も駄目だ。
また逆に美味しくないものを食べる、という作為も認められない。
うろうろの最終目的になりうるような食事は駄目だ。
今日子は頭を抱えた。
つまるところ、うろうろしてたら道の脇に何の変哲もないパン屋さんがあったので、何の興味もないけど食事して帰る。
それぐらい無関心を徹底しないといけないのだ。
そこまで考えてから、今日子はようやく安心してうろうろを再開した。
歩道の向こうにあったフェンスが途切れた。
海岸が遠くなり、歩道の向こう側に駐車場が出てきたのである。
その駐車場の歩道に近いスペースに、クレープの移動販売車が停まっている。
今日子は気をとられた。
ピンク色をした大型の車体で、側面の販売カウンターをこちらに向けている。
カウンターの前に、若い女性客たちが何人か列をつくって並んでいる。
クレープか、と今日子は思った。
お昼には少し物足りない。
しかし、今日子はクレープに目がないのだ。
悩んだ。
ここには偶然来たわけだし、本当はクレープなんかどうでもいい、今までだって義理で食べてきただけだ。
今回も別にどっちでもいいけど。
そこにお店があるなら、興味はないけど食べてみようかしら。
そう自分に言い聞かせながら、列の後ろに並んだ。
今日子の番が来た。
「いらっしゃい」
車の中から男性従業員がカウンター越しに今日子に笑いかける。
今日子はあえて一番食べたいものでなく、無難そうな味のクレープを注文して代金を払った。
「お姉さん、ジョギング中ですか?」
注文を受けながら、従業員は今日子の服装を見て、話しかけた。
気さくな雰囲気の人だ。
「このあたり景色いいから、ジョギング向きでいいですよね」
「ジョギングというほどのことはないです、これ歩きやすいから着ているだけ」
気恥ずかしさからごまかそうとして、くどい説明をしてしまう。
妙なことを尋ねなくていいのに、と相手を恨めしく思った。
どうでもいいクレープをさっさと出せ。
「わざわざうちに歩いてきてくれたんですか?ありがとうございます。うち、テレビにもよく取材されるんですよ」
従業員はクレープをつくりながら、嬉しそうに話している。
クレープの価値が高まってしまう。
「この前は旅番組で宣伝していただいたんですけどね、その時出演されたタレントさんが、後でプライベートでわざわざ来られて」
今日子は焦った。
「そのときにですね、その方が召し上がったのが、ちょうど今お客さんがご注文の…」
「詳細な情報を私に吹き込まないでください」
叫び声をあげていた。
「あっ、すみません。余計なお喋りしちゃって…」
従業員は驚いて、目を丸くして謝った。
列の後ろに並んでいる他の客たちも驚いて今日子を見ている。
恥ずかしくなって、出来上がったクレープを受け取るなり、今日子は車から離れて松並木の下に走った。
この松並木の防風林に、人の姿はない。
観光客は、林の向こうの砂浜にいる。
海は穏やかである。
波は浜辺に寄せては返し、寄せては返してしぶきをあげる。
冬の海で泳げず、やって来た人たちは砂浜にたたずんで、思い思いに海を見ている。
今日子は松の木の木陰に立って、それを眺めている。
いい風景だなあ、と思いながらクレープに口をつけた。
いちごと生クリームがたっぷり入っている。
おいしい。
今日子はしみじみと味わった。
粒が大きくて甘いいちご。
生クリームも、牛乳の甘い香りを濃厚に伝えてくる。
どうでもいいクレープではなかった。
目の前の冬の海も、どうでもよくはない。
海から潮風が吹いて、今日子の目に涙がにじむ。
脈絡なくうろうろしたかったのに、どうしてこんな目に遭うのだろう、と思った。
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