手を合わせる。つわものの名残りと港町。神戸市の旅(2)

史跡にあふれた兵庫の街。

新川運河の水門を脇目に通り過ぎ、さらに歩きます。

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先の水門の近くに、こんな界隈があってですね…。

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清盛塚というそうです。

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大きな十三重の仏塔があるのです。

こちらを圧倒する迫力がありますね。

従来、この塔は清盛塚と呼ばれ、平清盛公の墓所だと考えられてきました。

大正時代、道路拡張のためにこの仏塔も十数メートル離れた位置から現在の位置に移転されたのです。

その際の調査で、この仏塔は実は墓所ではなく供養塔であるということがわかったのだそうです。

つまり、清盛公の遺骨は出てこなかったのですね。

先にお参りした能福寺の平相國廟もそうですが、平清盛公の墓所と伝わる場所は兵庫を含め各地にあって、どこに清盛公が眠っているのかは諸説あるんですね。

偉大な人物の墓所が特定できないのは残念なようでもあるし、また妄想する余地があって楽しみでもあるところです。

仏塔に手を合わせました。

 

また清盛塚のすぐ近くに、真光寺という時宗のお寺もありまして。

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時宗の開祖、一遍上人が眠られている廟所が境内にあるのです。

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鎌倉時代伊予国の豪族河野氏に生まれ、出家して諸国を巡りながら踊り念仏を広められた一遍上人

その教えは当時の武家、庶民を問わず、多くの人々の間に根ざしました。

上人はその教えに賛同する人々、主には庶民を引き連れて、日本各地を遊行したのです。

その遊行の最中、上人はこの兵庫の地で入寂されたということです。

この兵庫の地に眠られていたとは、一遍上人に関心のあった私も、知りませんでした。

これも出会いです。

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廟所にお参りして、手を合わせてきました。

お盆ということもあってか、真光寺境内にはお参りの方が多く来られていました。

 

今度は海沿いの土地を経由して、東に向かって行こうと思います。

当初の目的地であった湊川神社まで、歩いて行くわけなんです。

長い歩き旅になりそうです。

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清盛塚の向こうにある大和田橋を渡り、中之島に上陸します。

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太平洋戦争時、空襲の最中に水を求めてこの橋の下に逃げ込んだ人たちが、火に巻かれて大勢犠牲になりました。

橋脚の一部に、今でも戦火の跡が残っているそうです。

橋の向こう、中之島側の川べりに、犠牲者の慰霊碑もありました。

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橋の上から見える、大和田水門に描かれたキャラクタ「ハットン」の姿を見て、少し心を落ち着かせました。 

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また、橋の上には1995年の阪神大震災で崩れ落ちた橋脚の一部が展示されています。

渡っていて、厳粛な気持ちになる大和田橋です。

慰霊碑に向かい、遠くから手を合わせました。

気持ちが沈んできました。

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兵庫は、三宮と須磨のだいたい中ほどにある土地なのですね。

今日はいい天気です。

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道沿いにあった浄土宗のお寺、阿彌陀寺にもお参り。

境内の池の中に、平清盛公が魚の供養をするために建てた「魚の御堂」の礎石と伝わる巨石が配置されています。

この巨石、南北朝時代足利尊氏(あしかがたかうじ)がその魚の御堂で楠正成の首を改めた所以で「楠公供養石」とも伝わっているそうです。

安土桃山時代、大名の黒田長政(くろだながまさ)から兵庫の商人鷹見氏の手を経て阿彌陀寺に寄進されたということです。

…と、現地の案内板に書かれていました。

このお寺に件の石がある経緯が複雑で、こうやって自分で内容を記していても意味がわかりづらいですが、ともかくも敬愛する楠公さんの最期に関わる史跡だということでお参りしてきたのです。

巨石に手を合わせました。

 

阿彌陀寺から歩いてすぐの場所に、神戸市卸売中央市場があります。

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東京の築地市場のような場所なんですね。

ただこちらは、関係者以外場内立ち入り禁止ということで、見学はかないませんでした。

小売もしていないそうで、一般客は買い物もできないんですね。

併設の専門店街と飲食店街は一般客の利用もできるみたいです。

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ただお盆期間のせいか、その食品店街専門店街のお店も軒並み閉まってました。

そろそろお昼時が近づいてきたので、出来たらここでご飯を食べてもよかったのですが…。

まあ、神戸市内にはご飯を食べられる場所が多そうなので、焦ることもないのです。

今は空腹を押して歩いて参ります。

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中央市場のすぐ横には、海!

港の風情を味わいました。

兵庫津の跡地だけでなく、現在の兵庫港の姿も見ておきたいものです。

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脇道に入り、海側の道に向かいます。

鍛冶屋町という地名なんですね。

かつてこの周辺に鍛冶屋さんがいたことを想像させますね。

倉庫の多い界隈で、傍にはコーヒー豆業者の倉庫があって、コーヒーの素晴らしい香りが周辺に漂っています。

コーヒーが飲みたくなってしまいました。

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海側に来ました。

港と言いますか、造船所のドックが海側に設けられています。 

明治時代の神戸港開港以前からあった兵庫港神戸港の一部となり、造船業神戸港の発展を支えてきたのですね。

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造船所界隈から、海を見ることができました。

対岸の中央市場側に停泊している船を見て、ようやく港らしさを感じました。

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港湾部近く、住宅街の道沿いに、石碑が見えます。

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高田屋嘉兵衛 本店の地」だそうです。

蝦夷地(現在の北海道)での貿易と漁場の開発等で財を成した廻船業者、高田屋嘉兵衛(たかだやかへえ)はかつて、この兵庫津界隈を本拠地にしていたのですね。

淡路島出身の嘉兵衛は、若い頃に兵庫津に来て船頭となり、資金を貯めて「辰悦丸」という大型船を買い入れました。

この辰悦丸を使って兵庫津、東北、蝦夷地を結ぶ廻船業を始め、莫大な富を築いたのです。

嘉兵衛は国後島沖を航行中にロシア船に拿捕された後、ロシアへの連行と抑留の憂き目に遭い、その間に「ゴローニン事件」の解決にも一役買っています。

私も嘉兵衛のことはよく知らなくて、この記事を書くために調べてみたのですけれど、面白い人物ですね。

北海道の函館港の発展にも嘉兵衛の功績が大きかったんだったそうです。

また作家の司馬遼太郎が、嘉兵衛を主人公に『菜の花の沖』という長編小説を書いているそうで。

私も一度読んでみたくなりました。

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高田屋嘉兵衛の本店跡から、いよいよ湊川神社に近づいていきます。

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手を合わせる。つわものの名残りと港町。神戸市の旅(1)

湊川神社にお参りしたい、と常々思っていたわけなのです。

湊川神社兵庫県神戸市にあります、楠正成(くすのきまさしげ)公をお祀りした神社でありまして。

楠正成公は、南北朝時代に活躍した武将であります。

私は正成公が地盤とした大阪府南部の出身で、郷土が生んだ偉人として正成公に親近感を持っているのですね。

楠正成公、所縁のある土地土地では親しみを込めて「楠公さん」などと呼ばれもします。

楠公さんを祀る湊川神社に今までお参りしたことがなくて、何か歯がゆい気持ちがありました。

このお盆の時期に好機を見て、神戸市に出かけることにしたのです。

大阪市内からJRの列車に乗り、東海道本線を通って参ります。

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JR兵庫駅で降りて来ました。

この駅周辺の土地は神戸市兵庫区にあたるようです。

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駅前は広々。

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周辺の観光案内地図を見つけて駆け寄ります。

見ると、「兵庫大仏」とか「清盛塚」とか、気になる史跡が豊富!

ただ、今回の目標の湊川神社の所在は、どこにも書いてないんですね。

確か、湊川神社の最寄りは兵庫駅だと思ったのですが…。

兵庫駅構内に戻って、駅員の方に尋ねることにしました。

尋ねてみたところ、湊川神社の最寄り駅はJR兵庫駅ではなくひとつ手前のJR神戸駅だと言うことでした。

私の勘違いだったんですね。

ひと駅余計に乗ってしまいました。

仕方が無いので神戸駅まで行こうかな、と思うのですが。

兵庫駅まで列車に乗って来たせいで、運賃を余計に払っているんですね。

すぐまた電車で神戸駅まで行くのはもったいない、と思い直しまして。

まずは兵庫駅界隈の観光をすることにしました。

先ほど見た観光案内地図上の史跡群が、気になり始めていたのです。

私のよく知らない、兵庫の街。

歩けば発見もありそうです。

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阪神高速の高架沿いに歩いたり。

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時宗のお寺、満福寺と柳原天神社が隣り合わせています。

時宗のお寺って今まであまり見たことがなかったので、珍しく思いました。

踊り念仏の祖、一遍上人ゆかりのお寺なんですって。

境内に特に由来の解説などは無かったので、詳細はわかりません。

隣の柳原天神社の方は、かつて菅原道真(すがわらみちざね)公が太宰府に赴く途上この兵庫の港に立ち寄り、当地の梅花を見て歌を読んだことが勧請の由来のようです。

一遍上人菅原道真公、一度にいろいろ考えてしまい立ちくらみしそうになりました。

とりあえず道を進みましょう。

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神戸市内、道々にこうした観光案内地図が設けてくれてあって、嬉しいです。

今回、自分で地図等用意せずに来たので助かります。

この辺り、「兵庫津」に向かう街道の跡みたいですね。

兵庫の街は昔、兵庫津という港で栄えた土地柄のようで。

これから、港町の風情ある界隈が見られるのか?と期待してしまいます。

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少し歩くと、「兵庫大仏」が拝めるそうです。

行ってみましょう。

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大通りから横道に入り込んで、いきなり大仏様の後ろに来てしまいました。

正面にまわりましょう。

大仏様のいるお寺の正面にまわってみると。

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こんな案内が出ていました。

福原京史跡、平相國廟。

このお寺の中に、平清盛(たいらのきよもり)公の墓所があるんだそうです。

平相國というのは、清盛公の別名ですね。

平安時代末期の権力者、清盛公が遷都を強行して出来た都、福原京

兵庫の街を含む、神戸市内の一帯がその福原京の跡地だったのですね。

そう思い当たって、少し興奮してきました。

これは大仏様への参拝と共に、清盛公の墓所にもお参りしたいところです。

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天台宗の寺院である能福寺

正面から拝む、大仏様のお姿です。

手を合わせました。

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伝統日本三大仏、兵庫大佛。

案内板の説明によると、当寺の大仏は同じく大仏を保有する奈良の東大寺と鎌倉の高徳院からの公認を受けている…のだそうです。

なるほどー。

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そして、平相國廟。

平清盛公の墓所ですな。

十三重の仏塔が建っています。

手を合わせました。

 

能福寺から出てきました。

兵庫は福原京の跡地、ということを知らずにやってきましたが、こうなると色々関連の史跡を見たい気持ちです。

散策を続けます。

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能福寺から程近い新川沿いに建つ、イオンモール

どうもあのイオンモール辺りが、かつての兵庫津の跡地らしいです。

兵庫津は平清盛公の時代には、大和田泊(おおわだのとまり)と呼ばれていたようですな。

もともと奈良時代行基(ぎょうき)によって開かれた大和田泊に、清盛公が経ヶ島という人工島を造成するなど、大規模な修築を行って発展させたのですね。

この大和田泊が、清盛公による日宋貿易の基盤になったわけです。

清盛公の一門が源平合戦で滅んだ後も、兵庫津として鎌倉、室町、江戸時代を通して栄えた港だったのですね。

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イオンモールと新川を背に鎮座する清盛くんです。

何百年の長きに渡って栄えた国際貿易港の跡地に、外国文化の影響を受けた大きな商業施設が出来ているのは、自然な流れと言いますか。

今も昔も変わらぬ人々の旺盛な消費欲求を裏付けるようで。

大和田泊、兵庫津健在!の思いを確かにしました。

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もともと瀬戸内海の西側から兵庫津に寄港するには、兵庫津の西南に伸びる和田岬の沿岸を航行する必要があったそうなのですね。

ところが和田岬沿岸は波風がつよく危険な場所だったそうです。

明治時代に入り、まず和田岬の北方に船の迂回、避難のために新川運河が開削されました。

その後、兵庫運河、藻刈島運河、新湊川運河が開削され、和田岬の付け根部分を横切る形で四つの運河から成る総称「兵庫運河」が開通したのですね。

これにより船は海が荒れている際には和田岬沿岸を通ることなく、この兵庫運河を通り兵庫津を経由して瀬戸内海を行き来できるようになりました。

今、私の目の前に流れている新川運河は、兵庫運河の北側の部分に当たります。

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新川運河沿いにこんな史跡もあります。

兵庫城跡ですな。

戦国時代、摂津国(現在の大阪府北西部から兵庫県南東部にかけて存在した国)の土豪織田信長の配下だった荒木村重(あらきむらしげ)が、信長に反旗を翻しました。

この村重の反乱鎮圧に功のあった武将、池田恒興(いけだつねおき)は兵庫の地を与えられ、ここに兵庫城を築いたのですね。

恒興は、荒木村重の城で同じく現在の神戸市内にあった花隈城を解体して、兵庫城の建築に使用したんだそうです。

明治時代に入る直前、この城跡に新政府によって最初の兵庫県庁が建てられました。

この最初の兵庫県庁の移転後、新川の開削など諸々のことで周囲の地形も変わり、兵庫城の名残りは今や全く見られません。

兵庫城があった時代にはまだ新川運河は無かったわけですが、それでもすぐ北を山陽道が通り、兵庫津も至近距離にありました。

物流の拠点に位置する城だったのでしょうね。

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今でも周囲にイオンモール、各種倉庫等が見られます。

もしかしたら、中世から現代に至るまで、こうした風景はそれほど変わっていないのかもしれません。

武士の時代にも、倉庫などが兵庫津の周囲に立ち並んでいたのかも。

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新川運河の南北には、それぞれ水門が設けられています。

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台湾旅行二日目(7)。紅毛城と八里の遠望。夕食は淡水名物

素敵な淡水の街。

これから高台にある紅毛城(Hóng máo chéng)を見学して参ります。

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最初にスペインによってサン・ドミンゴ要塞として建造された、紅毛城。

紅々しい外壁が綺麗なお城でした。

スペインからオランダ、明、清、イギリス、と時代によってその所有国はめまぐるしく代わってきています。

領事館として使用していたイギリスから台湾政府に返還されたのはごく最近、1980年のことだそうです。

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あの紅々した綺麗な外壁も、2メートル近い厚さがあるそうで。

海側から砲撃を受けることを想定して補強されているんですね。

 

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敷地内にはイギリス式庭園と、イギリス領事館の建物が残っていて素敵です。

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領事館の中を窓からこっそりのぞいたりといったこともできます。

前に神戸の異人館でも同じことをやった記憶が…。

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この砲台群は、イギリス領事館時代のコレクションらしいです。

どういう意図で集められたのかはわかりませんが、要塞の雰囲気は出ていますね。

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何気ない領事館のたたずまいですけれど、各国が取り合ってきた防衛の要を抑えているです。

ここで業務にあたる領事さんの誇りも高かったでしょう。

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敷地から淡水河向こうの観音山が拝めます。

あちら側に行きたいな、と私は思いました。

紅毛城の敷地から坂道を降り、河沿いの環河道路に向かいます。

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淡水海關碼頭(Dàn shuǐ hǎi guān mǎ tóu)です。

観光地化された埠頭なんですね。

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以前に北九州の小倉でこんな風景を見たような。

ぼんやりと思い出しました。

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埠頭から、観音山とその山麓の八里(Bā lǐ)の街がよく見えます。

近年旅した鹿児島の、桜島の威容を思い出しました。

日本の旅を思い出してばかりです。

しかし観音山の立地は桜島を彷彿させますね、本当に。

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散策路沿いに、雰囲気のいいカフェなどもいくつか。

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八里行きの渡し場が見えてきました。

日本の東海道には「七里の渡し」って名所がありますが、こちらは「八里の渡し」ですな。

距離の単位としての一里は約4キロで、七里の渡しは約28キロを移動するもの。

八里は32キロ…。

淡水河の幅が32キロあるはずもないので、「八里までの渡し」と言った方が正確ですな。 

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渡し舟のフェリー来てますね。

私も乗ってやろう、と思うのですね。

八里に渡りたくて。

しかしチケット売り場に近づいたら、そこに立っていたおじさんたちに止められました。

どうも、「次の便で八里に渡ったら、帰りの便が無い」ということみたいです。

八里には夜市があるので、遅くまで往復の便があるのかと思っていたのですが。

最終便は夕方なんですね。

八里側に泊まる予定ではないので、残念ですが渡し舟に乗るわけにはいきません。

がっかりしました。

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未練がましく、まだ八里側の観音山を眺めています。

それにしても、本当に桜島

しばらく見ていたい、素晴らしい眺望です。

 

名残惜しいので、淡水老街をしばらく散策して夕食を食べてから帰りたいと思います。

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お土産にこれを買いました。

淡水の名物、鐵蛋(Tiě dàn)です。

鐵蛋って「鉄の卵」って意味ですね。

淡水は鉄道の街だから汽車の中で食べる卵ってことなのかな?と私は思ったんですね。

でもこの鐵蛋、持って帰って帰国後に食べたんですけれど、そうしたら「鉄」の意味がわかりました。

表面が、とても固いんです。

醤油と香辛料等でしっかり味付けした、煮卵なんですね。

表面はとても固くて弾力もあり、歯応えしっかり。

中の黄身部分は柔らかくなっています。

美味しくいただけました。

お酒の肴にもぴったりの一品であります。

ウズラの卵でつくった小サイズの鐵蛋、また各サイズの唐辛子味鐵蛋もありまして、いずれも美味でした。

 

ところで淡水の名物というと、もう一品あるんですね。

老街の中の飲食店街に、その名物を出すお店を見つけました。

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楊鱻魚丸湯阿給店、長い店名ですね。

ところで「鱻」って見慣れない漢字、日本の音読みでセン、中国語ではXiānって発音になるらしいです。

それはともかく、上記の店名にある「阿給(Ā gěi)」っていうのが淡水の名物なんですね。

このお店でご飯にしましょう。

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阿給が40元(約160円)、淡水魚丸湯(Dàn shuǐ yú wán tāng)が同じく40元。

この二つを注文しました。 

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魚丸湯と阿給。

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魚丸湯は魚介のだしが効いたスープに、魚肉を練ったお団子が入っています。

お団子はふわふわ食感。

温かくて、しみじみと美味しく、元気が出そうな味でした。

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阿給、要は日本のお揚げなんですね。

たっぷりの春雨を、揚げで包んでありました。

梅肉のソースでいただきます。

酸味の利いた梅味で、これは魚丸湯とよく合います。

こちらも美味しくいただきました。

このお店は店の奥に炊飯器とスープ鍋が用意されていて、セルフサービスでご飯とスープが自由にいただけるようになっています。

店員さんも気さくで、いい雰囲気のお店でした。

 

お店を出た後、老街を歩いて淡水車站まで戻り、台北までMRT(地下鉄)の列車に乗って帰りました。

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台湾旅行二日目(6)。基隆からバスで淡水へ。素敵な淡水観光

中正公園から市街地に戻りました。

もうだいたい基隆の見所はおさえたかな、という気持ちです。

もちろんひとつの街の魅力は早々にわかるものではないのですが…。

降り続く雨に、街角の隅々まで歩いて魅力を探す気力は今の私には無いのでした。

若干の疲れを感じます。

こういうときは、思い切って移動しましょう。

同じく台湾北部の港町、淡水(Tamsui, Dàn shuǐ)に向かうことにしました。

淡水も基隆と同じく、有名な観光地なのです。

基隆車站近くにある商店街沿いのバス停で、しばらく淡水行きのバスを待ちます。

基隆から淡水に行くバスは本数が少ないようで、かなり待たされました。

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しかし乗れば乗ったで車窓の旅であります。

海辺の道を走っていますが、雨模様ですね。

淡水の地は、基隆の西、陽明山國家公園(Yáng míng shān guó jiā gōng yuán)を挟んだ向こう側にあります。

陽明山國家公園は陽明山を中心にした景勝地で、火山の噴火口、温泉、自然豊かな散策路など見所たくさんの場所なのです。

今回の旅、私も当初この陽明山の観光を予定していたのですが、台湾上陸時から雨だったので、あきらめた経緯があります。

ちなみに陽明山の名前の由来になっているのは中国の明代の儒学者王陽明なんですね。

王陽明の興した儒教の一派、陽明学は江戸時代に日本にも伝わり、武士階層に大きな影響を与えました。

知行合一(思想の実践)」を旨として、幕末の志士たちの思想を支えた陽明学

ある種、現代日本の基盤をつくった学問であるとも言えるわけですね。

その創始者である王陽明の名も、今日の日本ではなかなか耳にする機会がありませんが。

 

そんな偉大な王陽明の名を冠した山のぐるりをまわって、淡水に来ました。

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煉瓦造りのお洒落な建物の近くでバスから降ろされました。

淡水車站の駅舎です。

観光客らしい人たちがあふれています。

人気の観光地のようですな。

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煉瓦建築でレトロ趣味を満喫。

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玄関口が素敵だと、これから散策する街にもおのずと期待してしまいますね。

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淡水河の河口にあり、スペイン、オランダ、イギリスと西洋の列強国の拠点となった街、淡水。

古くから西洋文化の影響を受けてきた名残りが街のそこかしこにあるのですね。

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観光客でにぎわう淡水老街沿いの目抜き通り、中正路を歩きます。

風情があって、なおかつ飲食店、お土産店等のお店が多い淡水老街です。

中正路側だけでなく、淡水河に面した環河道路側にもお店が並んでおります。

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淡水河の向こうには、観音山を背景にした八里(Bā lǐ)の街が望めます。

八里にも夜市などがあって、淡水から渡し舟で渡れるそうなのです。

時間があれば、私も後で渡ってみようと思います。

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老街の中に媽祖廟もちゃんとあります。

外から拝みました。

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西洋的な要素と台湾的な要素が混ざり合って、洗練された観光地です。

淡水、気に入りました。

歩いていて、ついつい浮かれた気持ちになってしまいます。

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神戸の居留地のような界隈ですな。

ここに、紅毛城(Hóng máo chéng)という西欧列強時代のお城が残っているんです。

そのお城をこれから見学してみたいと思います。

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台湾旅行二日目(5)。雨の中正公園で迷う

基隆車站界隈から中正公園(Zhōng zhèng gōng yuán)までは、歩いて行っても20分ほどで着きます。

ただ大雨が降り始めて、ちょっと歩くのがつらくなってきました。

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公園は高台の上にあります。

その入口には鳥居のような立派な門があって、わかりやすいです。

この中正公園、もともとは日本統治時代に「基隆神社」があった場所を戦後公園として整備した場所なのだそうです。

基隆神社には様々な神様がお祀りされていましたが、もともとは金比羅神社だったということです。

香港、台湾で信仰の篤い媽祖と同じく、金比羅神社金比羅さんも航海の神様なのですね。

私のハンドルネームの由来でもあります。

海に囲まれた島国の台湾で、日本人が各地に金比羅神社を建立したのも、わかる気がします。

日本人がいなくなった途端に神社が廃されてしまったのは、皮肉なことではありますが。

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神社時代の名残り、石灯籠もあります。

台湾っぽくなくて。

異質です。

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基隆神社のお社跡には、台湾人の父祖と戦没者とを祀る忠烈堂が建っています。

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これは何の紋でしょうね。

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雨が降っていなければ、散策の楽しい場所だと思います。

ただ木々の間を行く散策路はどこに繋がっているのか若干わかりにくく、迷います。

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この建物は民俗文物館だということですが、閉まっていました。

工事等で、しばらく閉鎖されるそうで。

この文物館の裏手に廻ると、基隆港の風景が見られます。

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遠方の港湾部にあるおびただしい数のクレーンを目視しました。

もう少し高台にある広場から改めて景色を眺めたいのですが、結局その広場に行くことができなかったのです。

公園内の散策路には封鎖されている場所もありまして。

雨足も強いので、私は広場まで行く他の道を探す気力を削がれたのでした。

広場には基隆名物となっている、大きな白い観音像も立っているのだそうです。

できればその観音像の姿を拝みたかったのですが…。

若干、後ろ髪を引かれる思いです。

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再び、市街地に向けて階段を降ります。

基隆の観光はこんなものかな、とひと区切りつける気持ちになっていました。

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台湾旅行二日目(4)。基隆の街で素食自助餐のお昼

悲しい思いをした和平島海角樂園から、再びバスに乗って基隆市街地に戻って参りました。

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基隆港にはクルーズ船コスタ・フォーチュナが停泊しています。

このコスタ・フォーチュナ、後日、日本に向かう船でした。

長い時間をかけて鹿児島、神戸、大阪などを巡航して、各地の港に立ち寄り、また基隆に戻って来るのです。

そんな優雅な船旅を、いつかはしてみたいものですね。

 

海角樂園を早々に後にしてきて、まだ昼時でした。

まだ基隆を満喫できていない気持ちです。

どこか観光できる場所を探す前に、まずお昼を済ませようと思いました。

商店街の中を行きます。

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自助餐(Zì zhù cān)の素食(Sù shí)のお店がありました。

素慈素食。

自助餐は台湾の大学街などに多い、お手頃なビュッフェスタイルのお店のことです。

そして素食というのは、お肉を使わない菜食主義の食事のことなんですね。

入ってみましょう。

スペースの限られた店内です。

中央に、各種のおかず入れが設置された横長のステンレス製の台があります。

その周囲を巡って好きなおかずをプレートに取り、レジカウンターに持って行きます。

レジの横で、お好みによりご飯を盛ってもらいます。

その後、清算です。

取ったおかずの種類などにより、料金は変わるみたいです。

自助餐は、その課金の基準は店ごとに違うようですね。

清算を済ませたら、店の奥にあるテーブル席で、いただきます。

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私が好きなように取ったら、こうなりました。

これで確か70元ほど(約280円)だったと記憶しています。

とてもお手頃。

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台北車站で食べた台鐵便當にも入っていた、湯葉の煮しめです。

このお店のも味がよく染みて、うまうま。

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ご飯は、黒米と麦を炊いたものでした。

麦の食感が最高!

栄養価の高そうな黒米、こちらも普段あまり食べる機会がないので、嬉しいですね。

ほのかな甘味を噛み締めました。

 

美味しいご飯でお腹がいっぱいになりました。

私が選んだもの以外も、用意されているおかずはどれも野菜を調理したものばかりなので、健康によさそうです。

店内の片隅では、セルフサービスでスープがいただけるのですが、このスープもだしが効いて美味でした。

台湾の素食自助餐のお店は、どうも仏教思想に基づいて運営されているようですね。

おかずは殺生をしないでこしらえた菜食、そしてセルフサービスの代わりに料金お手頃設定。

台湾にはお肉を使った美味しい食べ物がたくさんありますが、その反面、素食のお店のような試みもあるんですね。

台湾料理の世界の奥深さを感じました。

 

食べ終わって、お店を出ます。

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再び、基隆車站の旧駅舎前に来ました。

どこへ行こうか、思案中です。

天気はとても悪いですが、展望台のある中正公園という場所から基隆の街が一望できるらしいので、そこまで歩いてみようと思います。

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歩きの途中で見たコスタ・フォーチュナと、その脇の基港ビル。

コスタ・フォーチュナの大きさがよくわかります。

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『In Order to Live: A North Korean Girl's Journey to Freedom』

ずいぶん前に購入して、ただしばらくは読む気になれなかったのです。

最近、思い立って冒頭のページを試し読みしてみて、その流れのまま数日かけて最後まで読んでしまいました。

In Order To Live: A North Korean Girl's Journey to Freedom

In Order To Live: A North Korean Girl's Journey to Freedom

 

 

Yeonmi Park著、"In Order to Live: A North Korean Girl's Journey to Freedom"です。

DPRK(Democratic People's Republic of Korea、朝鮮民主主義人民共和国)を脱出した「脱北者」である著者の体験記でした。

DPRKでは上流の家柄で裕福な家庭に、両親、姉と暮らしていた著者、Yeonmi。

しかし国有物の窃盗を行っていた父親の逮捕をきっかけに生活状況が悪化し、あるとき彼女は隣国の中国に脱出することになります。

 

ところで私は以前にも彼女と似た立場の方が書いた伝記本を読んでいます。

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Hyonseo Leeさんの"The Girl With Seven Names"でした。

この本の中では、度重なる危機を主人公である著者が危ういところで切り抜ける展開が続き、冒険譚のように読めてしまうことができました。

まるである種の娯楽作品であるかのように読んでしまえる面があったのです。

でも今回読んだYeonmi Parkさんの本では、著者を含めた脱北者の人々が、危機から逃れることができずに酷い運命に晒されます。

脱北ブローカーの手引きを経て中国の国境付近に潜伏、韓国への移住を計る中、脱北者たちは人間扱いをされません。

中国当局への密告をされると捕まってDPRKに送還されてしまう弱い立場なので、密告をされないためにはどんな目に遭っても耐え忍ぶ他ないのです。

そうした過酷な環境と非道な仕打ちにも、生き延びるために順応しないといけない脱北者たちの姿が描かれ、胸が締め付けられるような思いがしました。

 

間一髪のところで危機を避け続けることができる脱北者など、少ないのですね。 

ただ、生きてさえいれば、希望を持ち続けることはできます。

深い傷を負い、それでも明日を信じて生きて行く人たちの姿に、本を読んでいる自分も勇気づけられます。

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