サッカー鑑賞

今、サッカーのワールドカップが開催されているらしい。

私はサッカーの試合は見ない。

球技は苦手、集団競技はもっと苦手。

集団競技の球技となるともう自分にとって鬼門もいいところで、徹底的に関わりと避けてきた。

義務教育時代に自分が面白い目に遭わなかったものは、たとえ鑑賞するだけでも嫌なのだ。

ところがワールドカップの試合鑑賞と聞くと、変な感じが残る。

何か変な享楽的なものの気配が、自分の中でざわめくような。

わかった。

酒だ。

ワールドカップの試合を、アイリッシュパブで、気の置けない仲間と一緒に、ギネスを飲みながら鑑賞して楽しむ。

そんな風景を想像すると、そういう場で飲むギネスは冷たくて苦くて旨そうだ、と思うのだった。

当然、プロ野球高校野球も見ない。

野球も球技で団体競技

そして学生時代、自分はサッカー以上に野球に適応できなかった。

動体視力が鈍いのだ。

小さな球の軌跡を目で捕らえることができず、打球も捕球もできない。

そのせいで、学校の体育の授業で強いられる野球への参加は苦痛でしかなかった。

もう憎悪の対象と言っていい。

ところが、野球の鑑賞、となる。

野球場では、生ビールの販売員が観客席を巡回して、生ビールを注いでいく。

あれは駄目だ。

旨そうだ。

自分で野球の試合に参加するのは地獄のようなものだが、他人のプレイを鑑賞しながら冷えた生ビールを飲み、誰はバッティングが上手いの、ランニングのフォームが美しいの、野球を知りもしないのに知ったふうなコメントのひとつも吐いてみたい。

スポーツ観戦、いいな。

旨い生ビールが飲めて。

スポーツ観戦にのめり込んでいる人たちは大方酒飲みだろう、と球技嫌いで団体競技嫌いの私は思うのだった。

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2022年4月埼玉旅行二日目(6)。憧れの鉄剣タロー。大宮でレトロな銭湯を楽しむ。楽しい旅でした

大宮発の帰りの夜行バスの時刻が迫っているので、駅に向かわないといけないのですが、行田市で最後に見たい場所があったのです。

さきたま古墳公園から南西に歩いていきます。

県道66号線に合流しました。

憧れのルート66ですね。

県道沿いの畑の合間に見えてきました。

ご存じの人もいるでしょうか。

24時間営業のオートレストラン、鉄剣タロー

……の、跡地です。

うどん、ラーメン等のレトロなフード自販機と各種のアーケードゲーム機が揃った、夢のようなオートレストラン。

それが、鉄剣タローでした。

しかし、コロナ禍に入った2020年、閉店してしまったのです。

昔、レトロ自販機に憧れていた頃、「いつか埼玉県に旅する機会があったら鉄剣タロー」と思っていました。

それから何年も経って、やっと来ることができました。

涙が出そうです。

防犯のためか、照明が点いています。

名残惜しく、建物周囲をうろうろ。

店内のゲーム機、自販機類はすっかり運び出されたようで、すっかり空っぽでした。

悲しみが広がります。

さようなら鉄剣タロー

もう絶望的だとは思いつつ、営業再開を祈ってます。

(この記事を書いた後にネット検索してみたところ、なんと2022年11月現在、鉄剣タローの建物をそのまま使った食堂がオープンしているようです。ちょっと感動しました。またいつか行田を再訪したいものです。)

 

後はまた県道66号線をずっと南下した先のJR吹上駅までたどり着き、大宮駅まで列車に乗るだけです。

ところが鉄剣タロー跡地から熊谷バイパスを横切った先に、気になる建物が見えました。

例のマツコさんの看板番組に出たことのあるゲームセンターらしいですな。

「元祖・世界一のゲームセンター」だそうです。

鉄剣タロー跡地での名残惜しさを引きずっていたので代替になる体験を求めて入ってみましたが、私が馴染みのないクレーンゲームの専門店でした。

アーケードゲームがあれば私も遊んでみたんですけれどね。

店内明るい雰囲気で、半端な時間にも関わらず家族連れや友達連れの姿がありました。

私は中の自販機でコーヒーを買ってひと休みさせていただきました。

帰りの夜行バスの時間が迫ってきたので、もう吹上駅まで路線バスで行かせてもらいます。

運行本数がそこそこあって、助かりました。

吹上駅まで行くバスには学生さんに会社員の人など、結構乗客が詰まっていました。

JR吹上駅に着いたのが18時26分。

この辺りからスマホのバッテリがいよいよ駄目になってきて、写真もあまり撮れなくなりました。

大宮駅に着いたのが19時9分。

大宮は、東京都内の街と変わらない大都会でした。

思ったより早く到着できて、ひと安心しました。

隣の新都心にあるバスターミナルから、21時台に大阪に向かう夜行バスに乗る予定です。

ただ早めに現地で控えておくことを考えると、大宮の観光をする余裕まではなさそうです。

氷川神社にお参りしたり、大宮名物のスパゲッティの夕食を楽しみにしていたのですが。

また次の機会ですね。

大宮駅西口から西に少し行ったところになる昔ながらの銭湯、日進湯。

夜行バスに乗る前にお風呂に入ろうと思い、事前に調べてきたお店です。

昭和から続くレトロ銭湯感ばりばりの、渋いお店でした。

浴場内には石鹸等は無いので、必要ならばタオル等のレンタルと共に石鹸類シャンプー類も番台で購入するのがお勧めです。

お湯は熱めで気持ちよく、汗を流してさっぱり。

 

この後はスマホのバッテリが完全に切れてしまい写真を撮れなくなったのですが、大宮駅の駅ビル内で各種埼玉土産を購入した後、歩いてさいたま新都心駅界隈まで行きました。

駅から若干距離のあるさいたま新都心バスターミナルの隣には、ファッションセンターしまむらの本社ビルがそびえ立っていました。

しまむらも埼玉県発祥だったのですね。

最期に写真が撮れなくて残念でしたが、楽しい埼玉の旅でした。

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2022年4月埼玉旅行二日目(5)。さきたま古墳公園。素敵な丸墓山古墳、稲荷山古墳。埼玉古墳群を満喫

これを見に埼玉まで来た、と言っても過言ではない埼玉古墳群。

大阪の古市・百舌鳥古墳群世界遺産を目指しているので、埼玉古墳群も一緒に登録されるといいですね。

いよいよ、さきたま古墳公園内に入りました。

古墳公園というと、昔、韓国の慶州で入った古墳公園のことを思い出します。

丸墓山古墳まで続く桜並木の通路が、石田三成忍城を水攻めにする際に設けた堤、石田堤の跡なのだそうです。

桜の木で半ば隠れてしまっていますが、目の前の小高い丘に見えるのが、丸墓山古墳です。

忍城攻めの際、あの頂上に石田三成軍の本陣が置かれました。

石田堤の上を歩いて古墳に近づきます。

ちょっとした砦みたいな古墳ですね。

この古墳の上の平らな場所に本陣を置いて、石田三成忍城に睨みを利かせていたわけですね。

ずっと後の関ケ原の戦いで敗走し、落ち武者狩りに捕らわれて無残に処刑されることになる三成も、忍城攻めの頃は天下人の片腕。

彼の絶頂期ですな。

全方位に眺望が開けて、行田の隅々まで見渡せそうな素晴らしい丸墓山古墳です。

人の墓所の上であんまり楽しむのも考えものですが。

円墳としては、全国で最も大きな古墳になるそうです。

隣にある前方後円墳が、1968年の発掘調査で、ワカタケル(雄略天皇)の銘の入った鉄剣が出土したことで一躍有名になった稲荷山古墳です。

丸墓山古墳と稲荷山古墳、古墳界トップクラスの古墳が並んでいるわけです。

目をこらすと、かなり遠くに、小さく忍城跡の模擬天守が見えました。

石田三成はかなり目が良かったか、南蛮渡来の遠眼鏡でも使用していたんですかねえ……。

再び石田堤を通って、今度は稲荷山古墳へ参ります。

上に登ることができる古墳ばかりで、嬉しい限りです。

前方部分から、後円部分へ。

上に登ってみると、稲荷山古墳もかなり規模が大きいことがわかります。

後円部分の地下に被葬者が埋葬されていたのです。

すでに土を埋め戻してはいますが、埋葬者、副葬品の位置がわかるようになっています。

こちらは粘土槨の跡です。

竪穴を掘った底に粘土を敷き、その上に棺を置いて埋葬した場所ですね。

盗掘を受けていたせいで、馬具等のわずかな副葬品が出土しただけでした。

こちらは礫槨の跡です。

船の形に竪穴の掘り、その中に礫、つまり細かな石を敷いた上に棺を置いていました。

こちらの竪穴から埋葬者と共に、金錯銘鉄剣と呼ばれる鉄剣、神獣鏡、勾玉等、多くの副葬品が出土しました。

金錯銘鉄剣には雄略天皇を示す名が入っていたことから、埋葬者は大和政権中央と結びついた関東の有力者と推定されるようですが、いまだ正体は判明していません。

謎の古代人なのです。

こちらは将軍山古墳です。

内部の横穴式石室から多数の副葬品が出土しています。

またその石室には「房州石」と呼ばれる、千葉県富津市で取れる石も使用されていましたました。

古代に埼玉と千葉とで交流があったことを示しています。

将軍塚古墳の後円部東側はなぜか古墳展示館の建物になっていました。

サイボーグ、という言葉をとっさに連想しました。

これは二子山古墳です。

こちらも結構大きな前方後円墳でした。

埼玉古墳群を満喫することができました。

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2022年4月埼玉旅行二日目(4)。急ぎ足。忍東照宮、忍城跡、水城公園から大日塚古墳。埼玉古墳群へ

空腹で追い詰められるような気持ちになっていたのが、昼食を食べることが出来てお腹がいっぱいになったとたん、幸せになってきました。

お腹が空き過ぎるのも考え物です。

心に余裕のある状態で観光を再開しました。

かねつき堂からも近い、忍東照宮

徳川家康の長女、亀姫が奥平家に輿入れする際に持参したという家康の肖像画を所蔵しています。

亀姫と奥平信昌(おくだいら のぶまさ)との間に生まれた四男の忠明(ただあき)が、外祖父である徳川家康の養子となって松平姓を許されます。

この松平忠明の子孫の家系が奥平松平家です。

東照宮は、江戸時代後期になって上記の奥平松平家が忍藩の藩主となったので、旧領の伊勢桑名藩から遷座したものということです。

お参りしました。

 

次いで忍城跡も見学していきます。

ただ忍城明治維新廃藩置県の流れの中で徹底的な取り壊しを受け、現在ある城門、天守等は最近になって復元されたものばかりということです。

史跡としては心もとないところなんですね。

心の目を通して往年の姿を想像する他ないでしょう。

史跡としては心もとなくても、城址公園としては綺麗に整備されています。

室町時代、成田氏によって治められていた行田。

小田原北条氏に属する成田氏は豊臣秀吉による小田原攻めの際、秀吉腹心の石田三成(いしだ みつなり)率いる大軍に包囲されて水攻めを受けます。

ですが天下の豊臣軍相手に小田原が開城するまで長い防戦を持ちこたえ、「試合には負けたが喧嘩には勝った」状態で城を豊臣方に明け渡すのでした。

東武士ここにあり、を示す快挙でした。

鐘楼ですね。

ゼリーフライのかねつき堂のお店の外に鐘楼がありましたが、以前にこの忍城跡にあった元々の鐘楼を移築したものだそうです。

この左手の盛り上がり、忍城往年から残る土塁だそうです。

復元されたものではなく、本物ってことですね。

城跡の公園敷地内にある、行田市郷土博物館です。

行田は足袋の生産地としても有名な土地柄で、その足袋にまつわる展示が見られることでした。

ただ、私は後の予定が押しているので通り過ぎることにしました。

ありし日の忍城は広大な城だったらしく、現在公園になっている辺りは本丸のあった限られた区域に過ぎないのですね。

これから3キロほど離れた埼玉古墳群まで歩いていきますが、その途中にもかつての忍城の名残りを見られるようです。

今回の一泊二日の埼玉旅、観光のメインになるのが埼玉古墳群の見学ですので道すがらの景色も含めて楽しむつもりなのですが、そろそろ足に疲れが来てます。

いよいよ中年になって、体力の衰えが顕著になりました。

沿道に蒸気機関車が展示されていました。

秩父鉄道じゃなくて、国鉄時代に東海道線東北線を走っていた車両だそうです。

C57型は姿の美しさから「貴婦人」と呼ばれていたと。

私は鉄道車両には全く詳しくないですが、いい話ですね。

自重トレーニングが好きで、公園を見かけると何かと懸垂器具を探しているものですから、よく目に留まるのですね。

なんでこうなったんだろう、という逆さま状態でした。

美しい池を抱えた水城公園、かつて浮き城と呼ばれた水の城、忍城の面影を感じさせます。

この水城公園辺りが忍城城域の南端にあたるそうです。

本丸界隈からは600メートルほど離れています。

ベンチに座ってしばらく休憩しました。

埼玉古墳群を目前にして、「大日塚古墳」の案内が目に入りました。

捨て置けません。

行田市埋蔵文化財センターの敷地内にその古墳はあるようです。

大日塚古墳です。

六世紀前半頃の築造、埼玉古墳群でも鉄剣が出土したことで特に著名な稲荷山古墳とその築造時期が近いとのことで、その関連が推測されています。

私が気になったのはこちらなんです。

これ、レプリカなのですが、大日塚古墳の頭頂部に建てられていた板碑ですね。

梵字が刻まれたカッコよすぎるデザイン。

「薬研彫り」という技法で、大日種子(だいにちしゅじ)を彫ったものだそうです。

種子というのは仏を表現する梵字のことで、大日種子は大日如来を表すものです。

この大日種子の板碑が頭頂部に立っていたことから大日塚古墳と後世に名付けられたわけですな。

鎌倉時代中期に「左近将監」なる人物が父母の供養のために建立したと案内板にあります。

左近将監は武家の役職名なので、それだけでは誰だかよくわからないですね。

あるいは、忍城の城主だった成田氏の祖先にあたる人物だったかも、と妄想します。

埼玉古墳群のあるさきたま公園の手前に、「行田・湯本天然温泉 茂美の湯」があって。

温泉ホテルと日帰り入浴施設、さらには大衆演劇場まで併設した渋い施設なんですよね。

日帰り入浴して汗を流したかったのですが。

帰りの夜行バスの発車時間が早めに設定されていまして、それを考えると、温泉で一時間使うのも難しい状況でした。

泣く泣く温泉素通りで、さきたま古墳公園へ。

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2022年4月埼玉旅行二日目(3)。秩父鉄道で行田市駅へ。かねつき堂の行田名物、ゼリーフライとふらい

秩父鉄道武川駅から、今度は東へ。

こちらにやって参りました。

埼玉県名発祥の地、行田です。

ここは埼玉古墳群があって、その埼玉古墳群が埼玉県の由来になっているのですね。

行田市駅です。

秩父鉄道って駅舎等がかなり渋めの老朽度具合になってますね。

行田市駅の駅前なのですが、飲食店等がちらほら見えはするものの、基本的に静かな住宅街ですね。

行田観光の目玉と言うと、埼玉古墳群と、あとは忍城跡があります。

忍城というと、安土桃山時代、豊臣軍による長期間の水攻めを耐えきったことで名高い名城です。

その顛末は映画「のぼうの城」でも描かれています。

埼玉古墳群と忍城跡の他、行田は「ゼリーフライ」なるご当地フードも有名です。

実はもう午後2時近くになるのですが、お昼を食べ損ねて倒れそうになっていました。

まず、ゼリーフライを食べられるお店を探します。

行田市駅の近辺でゼリーフライを提供するお店は複数あるのですが、私が来た時間帯に営業しているお店が限られていました。

最終的に辿り着いたのが、この住宅地の中の「かねつき堂」というお店でした。

立地は、忍城跡の北にある忍東照宮の西隣です。

テレビ番組でも度々紹介されている有名店らしいですね。

営業時間帯が長く、私のように半端な時間にゼリーフライを食べにくる観光客に対応してくれる、とても有難いお店なのでした。

やっとゼリーフライのお昼にありつける、という安堵感と、このお店の渋いたたずまいでテンションが上がりました。

昔の駄菓子店の雰囲気ですね。

お店の中で注文した後、店の軒先に床几を並べて屋外席があったので、そちらでいただくことにしました。

従業員の方が料理を運んで来てくれます。

これが行田名物「ゼリーフライ」。

一人前2個220円です。

お箸で割ると、こんな中身。

おから、じゃがいも等の野菜を混ぜて固めて、揚げた上にソースで味付けしてあるんです。

表面は揚がってカリっとしてるんですが、おから部分はとても柔らかな食感です。

外側も内側も、コロッケとはかなり違う舌触りですね。

温かく、ほのかに甘いおからが飢えた体に染みました。

美味しいです。

好きな味です、これ。

おからがたっぷり入っていて、健康にもいいはずです。

こちらもゼリーフライと並んだ名物だということで頼んだ、「ふらい」。

卵入りの小で、450円です。

やはり、お箸で割ってみました。

卵と小麦粉を混ぜて焼いた生地の中に、焼きそばが入った料理なんですね。

こちらもソースで味付けしてありますが、全体的にわりと淡白なお味でした。

量がたっぷりで、お腹いっぱいになれます。

ゼリーフライもふらいも、行田で古くから食べられているおやつだということでした。

疲れて飢えた状態でいただいて、心身共に癒された思いでした。

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2022年4月埼玉旅行二日目(2)。秩父鉄道で武川駅へ。荒川を渡り、畠山重忠公史跡公園を見学

熊谷駅から列車に乗って、次の目的地に旅します。

JRではなく、秩父鉄道を利用します。

熊谷駅、秩父鉄道のプラットホームです。

秩父鉄道では、今でも週末など特定のダイヤで蒸気機関車が運行されているそうです。

全席指定の事前予約制で乗車できるそうですよ。

各種お菓子の入った自販機です。

熊谷でつくっているらしい手作り玉ラムネも買えます。

美味しそうですが、甘いものを控えるようにしているので買いませんでした。

秩父地方で採水した秩父鉄道限定ミネラルウォーターを買いました。

パッケージの蒸気機関車は、かつて秩父鉄道で走っていた車両だということです。

武川駅にやって来ました。

深谷市の南部に位置する駅です。

深谷市で連想するのは、渋沢栄一深谷ネギでした。

武川駅は、渋沢栄一の出身地になる北部からはかなり離れています。

武川の近辺には鎌倉武士の畠山重忠(はたけやま しげただ)の墓所と居館跡があり、その場所を見学するために来ました。

私の出身の大阪府南河内地方一帯は、室町時代畠山重忠の子孫にあたる畠山氏が治めていました。

それで身近な畠山氏の、先祖である重忠の出身地を見たかったわけです。

武川駅は、秩父山脈から熊谷に向けてセメントの原料になる石灰石を輸送する中継地点らしいです。

貨物列車が長い間、停車していました。

秩父鉄道武川駅の駅舎であります。

駅舎二回は事務所と、もしかしたら駅員の宿舎にもなっているのか、なかなか大きな建物でありますね。

深谷市川本総合支所」の前を通りました。

武川駅の周辺一帯はかつては大里郡川本町という自治体でしたが、2006年に他の町と一緒に深谷市に吸収合併されたそうです。

現在は川本という地名は無いのですが、今でもこの周辺、川本と名のつく施設が多々残っています。

東京都内にも流れている荒川の、ここがずっと上流になるわけですね。

仮にここから川下りをすれば、いずれは北区、荒川区墨田区まで流れ着きます。

東京と地続き、川続きの埼玉県ですね。

植松橋で荒川を渡りながら、西の果ての秩父山脈を眺めます。

今回の旅では行けませんが、いつかは秩父方面の旅もしたいですねえ。

武甲山という名山が綺麗なんだそうです。

橋を渡った後、広い田園地帯を歩きます。

この辺りから町名が「畠山」になります。

この辺りは小麦の栽培が盛んなのですね。

大阪の地元に畑は多々あっても小麦は見たことが無かったので、とても珍しく思いました。

確かに埼玉は美味しいうどんが名物でした。

荒川の川べりに水神様を祀った石碑がありました。

こちらは庚申塔ですね。

案内板によると、この荒川の川辺にはかつて小麦粉を引く水車小屋がありました。

また秩父から江戸まで川で木材を運ぶ筏師、鳥の鵜を使って魚を取る鵜飼の人たちが多く住んでいたので、彼らによって水神様が祀られたのだろうということです。

小麦畑の最中にある井椋(いぐら)神社にお参りしました。

秩父発祥の畠山氏(秩父氏)が秩父で代々信仰していた椋神社を、畠山重忠の父畠山重能(はたけやま しげよし)がこの畠山の地に移る際に、秩父から勧請した神社だということです。

畠山重能桓武平氏である秩父氏の一族で、秩父姓を名乗っていましたが、畠山に移ったことで畠山姓を名乗り始めました。

それでその子の重忠も畠山重忠です。

つまりこの界隈が畠山姓の発祥地というわけですね。

井椋神社の裏手の川べりに鶯の瀬公園があります。

案内板によると、畠山重忠が川向こうに家臣の榛沢成清(はんざわ なりきよ)を尋ねた帰り、豪雨と洪水で川を渡れないでいる中、鶯が鳴いてここの浅瀬を教えてくれたので渡って戻ることができたと。

浅瀬とは言え洪水の中を渡って帰ったというのは、畠山重忠はさすがの剛の者でありますね。

洪水でも何でもないですが、わりと流れが速そうでした。

畠山重忠菩提寺、満福寺にお参りしました。

畠山重忠の武具、茶器類が伝わっているそうです。

畠山重忠公史跡公園に着きました。

畠山重忠の居館跡ですね。

一の谷の戦いにおいて、愛馬の脚を傷つけないようにと背負って山の斜面を下る重忠の姿が銅像になっています。

怪力の持ち主である逸話が多く残る重忠。

文武両道で情けも兼ね備え、鎌倉武士の中でも特に名将の聞こえが高い人物でした。

源頼朝の配下で活躍し幕府の創業に貢献しますが、頼朝の没後、重忠は舅にあたる北条時政の謀略で一族もろとも滅ぼされてしまいました。

後の武家の畠山氏は、足利義純(あしかが よしずみ)が重忠の未亡人である北条時政の娘を妻とし、畠山氏の名跡と所領とを受け継いだものであります。

つまり後の畠山氏は、畠山重忠とは直接の血縁は無いということになります。

川本町時代に建てられた慰霊碑でした。

畠山重忠の無念を慰めるものでしょう。

畠山重忠とその重臣たちの墓所として、6本の五輪塔が祀られています。

お参りしました。

また、椎の木の下にある自然石が畠山重忠の父、畠山(秩父)重能の墓であると伝わっています。

樹木葬だったのでしょうか。

手を合わせました。

敷地内に、重忠の産湯に使われた井戸も残っています。

秩父重能と、相模国の有力者である三浦義明の娘との間に、ここで生まれた重忠。

産湯を使われている頃、将来自分の名声の大きさにより畠山の名が遥か後世まで残ることになるとは、彼とて知る由もなかったでしょう。

重忠橋を渡って、武川駅方面に戻ります。

ところで重忠橋を渡った対岸には、大規模な治水設備が設置されていました。

「六堰頭首工(ろくせきとうしゅこう)」という設備だそうです。

重忠橋の下で隔壁を稼働させ、荒川の流れを遮断してしまう仕組みなんですね。

かつて畠山重忠も洪水の中を渡ったと言いますし、荒川の流れとうのは荒れ狂うと恐ろしいのでしょうね。

治水さえできれば、川は沿岸に豊かな実りをもたらしてくれます。

秩父の山々の風景は、重忠の時代からそう変わってはいないでしょう。

後に子孫の河内畠山氏が治めた、河内国は石川流域の風景にもどこか似たところがあります。

国道140号線、かつての秩父往還を東に歩いて武川駅に戻りました。

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テレビゲーム中のテキストを愛好する

テレビゲームのアドベンチャー作品等で、ゲーム中に挿入されるテキストを読むのが好きだ。

登場人物との会話とは別に、書棚に配置された書籍であるとかパソコンのネット記事であるとか。

そういう体裁で、ゲームの攻略とは関係の無い、世界観を補完するためのテキストが挿入される。

そんなテキストを読むのが好きで、むしろそういうテキストを読むために、テキストが挿入されそうなテレビゲーム作品を選んで遊んでいる個人的なきらいもある。

代表的なのは「バイオハザード」シリーズで、ゾンビが蔓延した生存者のほぼ皆無な状況の中で、サバイバルの現場に残された新聞記事や個人の日記等、テキストを読む機会が随所に設けられている。

そうしたテキストの中には攻略のためのヒントをほのめかすものも含まれるのだが、それ以外はゲーム攻略には寄与しない、ゾンビ発生から街が壊滅的状況に陥っていく経過を描写したもの、ゾンビ発生以前の市民の日常生活を描写したもの等、作品の世界観に没入できる重要な要素になっている。

ゲーム中、ゾンビからの逃亡の最中、テキストを読むのが息抜きになるのだ。

息抜きに遊んでいるゲームの最中に息抜きをしなければならない心理状態になっているのも変な話ではあるが。

バイオハザード5」もアフリカの、おそらくケニア共和国をモデルにした場所で、住民たちが怪物化した状況で過酷な戦いを強いられる作品である。

この舞台になった自然豊かな土地を横断しながらサバイバルする過程で、テキストを読む機会がふんだんにある。

辺境の平和な集落に、陰謀を持った製薬会社が入り込み、現地住民の暮らしが次第次第に蝕まれていく。

現地住民の日記の体裁をとったテキストの中で描かれる地獄絵図を目の当たりにして、実際に化け物を相手に戦うゲーム本編以上に、恐怖を催す体験になっているのだった。

テレビゲームにおけるロールプレイングというジャンルは当初がテキストを読んで選択肢を選びゲームを進行させるという形式だったが、本筋とは関係ないところでテキストを読む機会というのは、さほど設けられていない気がする。

登場人物との会話、ナレーション等によってゲームは進行するが、作中で書籍等まとまった量のテキストを読むという仕掛けは少ないようだ。

またゲームの別のジャンルでいうとサウンドノベルというものがあって、これは本を読むように長文のテキストを読み続けながら随所で選択肢を選んでストーリーを分岐させる、かつてあった「ゲームブック」という書籍をそのままテレビゲームにしたようなジャンルである。

東京の渋谷を舞台にした「街」という作品については私も以前に旅記事の中で言及している。

この「街」に関していうと、「ティッピング」というシステムがある。

テキスト中にある特定の用語を選択するとそれらについて解説されたテキストページが一瞬で展開され、それが本筋の世界観を補強する要素となっている。

ゲームの中で世界観を深めるテキストを読むのが好きな向きには、テキスト主体のサウンドノベル作品、特に「街」のようなゲーム攻略に直結しない世界観を深めるテキストが膨大に収録された作品は非常に魅力的ではある。

魅力的ではあるのだが、サウンドノベルは最初からテキストが主体のジャンルであるだけに、「バイオハザード」のように反射神経を要するゲーム操作の中で休憩場所のような世界観描写のテキストが挿入される、その息抜き的な癒し効果による緩急は生じないのだった。

例えて言うと、「喫茶店で美味しいパフェが食べられる」のと「ラーメン店だけどパフェも食べられる」の違いであろうか。

茶店では美味しいパフェが期待できるのだけれど、ラーメン店で食後のデザートにパフェが食べられるのも甘党にとっては結構な癒しになる。

今思いつくたとえとしては、これが一番私の実感に合っている。

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