言い訳の東京旅行四日目(4)。鮫洲に来た。京急鮫洲駅横には大井公園
また電車に乗って、北の品川駅方面に戻ります。
鮫洲は都民にとっては運転免許試験場があることで有名な場所かと思います。
大阪府民の私は、あんまり鮫洲に馴染みはないのですけれど、今回は運転免許試験場にちょっとした用事がありましてね。
またそれとは別に、私が好きな堀江敏幸の小説『いつか王子駅で』の中に、主人公が鮫洲を訪れるくだりがあったのです。
そのシーンが印象に残っていて、一度鮫洲界隈を歩いてみたかったのです。
鮫洲駅の西側を通る第一京浜のさらに向こうに、大井公園があるようです。
敷地の真ん中を坂道が分断する、変わった公園です。
この坂道から高台にかけて、江戸時代には越前鯖江藩の藩主、間部(まなべ)家の下屋敷があったんですって。
高台が公園になってますね。
この公園の一角に隣接して、ある偉人の墓所があるのですが…。
公園からは墓所内に入れないようになっています。
「こんなところにこんな人のお墓があった!」と私は思いました。
いったん坂道を降りていきます。
ここが参道入口のようですな。
品川区指定史跡「山内豊重(容堂)墓」。
幕末の土佐藩第15代藩主、山内容堂(やまうちようどう)の墓所なのでした。
幕末に活躍した土佐藩出身の志士、坂本龍馬(さかもとりょうま)の主筋にあたる人物です。
山内家の分家筋の出身から藩主となり藩政改革を行いました。
倒幕の流れで大きな役割を占めますが、新政府樹立に際しては実権を握り損ねたようです。
遊び好きで豪放磊落な性格だったようで、藩士たちから慕われる魅力的な人物ではあったのでしょうね。
お参りしました。
この大井公園の界隈に下屋敷を持っていた容堂は当時「土佐山」と呼ばれたこの高台から見る海の景色が好きだったようで、自らの遺言によってこの場所に葬られたということです。
容堂の墓の隣には薩摩の島津家から第13代藩主である豊惇(とよあつ)に輿入れした女性、候(こう)の墓があります。
容堂は豊惇の養子として藩主を継いでいますので、候は容堂の義母にあたります。
それから容堂の跡を継いだ第16代藩主豊範(とよのり)の夫人の墓と、山内家合祀の墓がありました。
仙台藩伊達家、越前鯖江藩間部家、土佐藩山内家、とこの鮫洲の界隈には大名の下屋敷が多かったのですね。
海が近くて眺めがよく、また大名家が国許から船で物資等を陸揚げするのにも便利だったのでしょう。
鮫洲へ来て早々、この土地の歴史的背景を感じたような。
そんな気持ちです。
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