2022年4月埼玉旅行一日目(3)。関東の名城川越城の跡。中ノ門堀跡、本丸御殿、三芳野神社、富士見櫓跡
川越城跡の遺構が残っているらしいです。
「中ノ門堀跡」です。
川越城は、室町時代に関東管領の上杉氏の家臣だった太田道灌(おおた どうかん)とその父の太田道真(おおた どうしん)によって築城されました。
戦国時代には小田原北条氏の拠点のひとつとなり、江戸時代に入ってから松平信綱(まつだいら のぶつな)の手により大規模な改修を受けたということです。
お堀が保存されていますね。
この目に見える区画だけ何とか苦労して残してある…という感じでした。
中ノ門堀によって挟まれた地上の狭い通路を敵に通らせておいて、守備兵は土塁の上から弓矢と鉄砲で攻撃するという防御機構でした。
川越城本丸跡に来ました。
現存している「川越御殿」は江戸時代後期に建てられた建物です。
川越城は江戸のすぐ北を固める重要な地点に位置しており、川越藩の藩主は江戸幕府の譜代家臣等、信頼の置ける人物が大名として任じられることが多かったようです。
御殿の内部に大広間等が保存されていて、入場料も100円で見学できるのですが、なぜかこの時私はあまり興味を覚えず、中に入らずに素通りしてしまいました。
今から考えれば惜しいことをしました。
川越城は室町時代、「桶狭間の戦い」、「厳島の戦い」と並んで日本三大奇襲に数えられる「川越城の戦い」の舞台として伝えられています。
それまで対立していた関東管領の山内上杉氏、扇谷上杉氏、そして古河公方(名目上は関東全土の支配者)の足利氏の三者が手を組み、小田原北条氏が支配する川越城を大軍で攻めたのでした。
当時の小田原北条氏の当主は、北条早雲の孫にあたる北条氏康(ほうじょう うじやす)です。
駿河(現在の静岡県東部)付近を巡って今川氏、武田氏の攻撃を受けている最中に東の川越城を上杉足利連合軍に包囲されるという状況でした。
ここで北条氏康は今川武田と和睦を結び、東に軍を向けます。
氏康は川越城に籠城する北条綱成(ほうじょう つなしげ)らの助命を条件に降伏を申し出る書状を山内上杉氏、古河足利氏らに送って、相手を油断させた上、夜襲を行ったのでした。
上杉足利軍は大敗し、この川越城の戦いを機に、勢力を失った山内上杉氏、扇谷上杉氏、古河足利氏に替わって小田原北条氏が関東の支配者として台頭していくのでした。
私は上記の「川越城の戦い」の舞台としての城跡を期待していて、「江戸時代になってからの御殿に興味ないな」と思ったのでした。
ところで川越城は江戸幕府の重臣たちが代々治めてきた城で、そうそうたる顔ぶれが居城した面白い城であります。
それを後から知って、御殿の中を見学しなかったことを後悔することになるのでした。
三芳野神社は、太田道灌が川越城を築城する際に、城の鎮守として創建した神社だということです。
入母屋造りの本殿で、江戸時代には酒井忠勝(さかい ただかつ)、松平伊豆守信綱(まつだいら いずのかみ のぶつな)ら歴代藩主らによって改修を受けております。
赤色を基調とした建築が綺麗です。
松平信綱というと、「知恵伊豆」としてテレビの歴史番組等でもよく紹介される人物ですね。
彼は徳川家光の側近として活躍し、川越藩主となってからは川越城下で大規模な整備を行いました。
三芳野神社の本殿、普段は公開されていなくて見られませんが、内部も本尊が安置される厨子の下に赤色の階段が設けられた、美しい内装になっています。
お参りしました。
神社の境内に、「わらべ唄発祥の地」があります。
陰鬱とした雰囲気でした。
「川越城の七不思議」とされる七つの伝承が案内板に描かれております。
その中には太田道灌と道真父子が築城の際に、道灌の姉妹にあたる姫君が城を完成させるための人身御供になった逸話も含まれています。
「ここはどこの細道じゃ 天神さまの細道じゃ」「行きはよいよい 帰りはこわい」の歌詞で知られる童謡の「通りゃんせ」、諸説はありますがこの三芳野神社境内が発祥の地と現地では考えられているようです。
神社が川越城の敷地内にあり庶民の参詣も許されていたものの、帰りには城兵によって厳密な身体検査を受けることになった…という事情からの歌ではないかというネット上の考察を見ました。
「ご用のないもの通しゃせぬ」「行きはよいよい 帰りはこわい」等の歌詞が、具体的にどういう状況なのか、諸々の憶測を生む要因になっているのですね。
天神様にお参りにするのになかなか通してもらえない、帰りも面倒、という、地理的に入城者の取り調べの必要なお城の境内にあった神社だと。
そう想像することはできますね。
それとは別に天神様自体が「帰りはこわい」場所なのだということになると、これはもう歌の舞台が川越城なのかどこなのか、どうして怖いのか、と謎が深まっていくわけですが。
天神様の細道?と思しき細道を歩いて本丸跡から少し離れます。
西に歩きます。
住宅地の中に急に高い小山が現れるんですが、これが川越城の富士見櫓跡なんですね。
富士見櫓跡の南側に接して田曲輪門跡の石碑も立っています。
田曲輪門って「でんくるわもん」なのか「たくるわもん」なのかわかりませんでした。
これが仮に「伝曲輪門」だと「曲輪門と言い伝えられている場所」なんでだいぶ意味が変わってきますけれどね。
川越城は天守閣を持たない城で、本丸の四方に複数の櫓を持ち、中でもこの富士見櫓が一番高くて天守閣の代わりになっていたと案内板に記載されていました。
しっかりした階段が設けられてあります。
周囲に木々が生えているので、眺望はそこそこですね。
これは南側、川越駅方面を見ています。
川越城跡は周辺の宅地開発が進んだために、史跡として遺構が残っているのは本丸跡、富士見櫓跡、中ノ門堀跡ぐらいだそうです。
そういうわけで、古くからの名城である川越城跡としては断片的な痕跡しか見られないのです。
反面、街としては発展していて、住みやすそうな土地だと思いましたね。
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