沖縄料理を食べに行く、大正区。大阪市の旅
沖縄料理が食べたくなったんですよね。
沖縄料理と言えば、大阪市大正区に「リトル沖縄」と言われる界隈がありましてね。
どうせならそこまで行ってみよう、と街歩き好きの私は思ったわけであります。
大正区のリトル沖縄。
実は私、以前にも行ったことがあるのです。
しかし今回はブログ記事にして、皆様にご紹介しようという腹積もりで行って参りました。
JR大正駅から降りて参りましたぞ。
この大正駅界隈には飲食店が多く、若い人の姿も多く見られる活気のある場所です。
ご飯を食べるにはいい土地柄ですな。
しかし今回の私の目的地、リトル沖縄はこの駅界隈からさらに南下した土地にあるのです。
最近は暖かくなってきて夏っぽい気候で、夏好きの私なんかは嬉しい限りであります。
太陽の下、元気に歩いて参りましょう。
「大正通」という目抜き通りを歩いて行きます。
「三軒家」交差点であります。
まだまだ歩きます。
高所恐怖症の気がある私は、こういう場所を通るとなんだか怖気が走るのです。
しかし高速道路と陸橋の位置関係に、魅力も感じるわけです。
我ながら変な性分であります。
南へ南へ。
いまだ沖縄らしさを感じさせる風景には出会えていません。
ちょっと見に行ってみましょうか。
落合上渡船場。
街路樹にヤシの木が生えている界隈に来ましたよ。
これは沖縄っぽい?
実際の沖縄の街にヤシの木が生えているのかどうか、私はよく知りませんが。
このヤシの木、ショッピングモールの敷地に沿って植えられているもののようで。
リトル沖縄とは特に関係ないんですね。
渡船場に近づいて参ります。
この先に、本当に渡船場があるのかどうか…。
ありました。
落合上渡船場です。
渡し船の乗り場なのですな。
大阪市が運営していて、渡し賃は無料です。
近くに木津川の水門も見えます。
あの水門、なんとなく、東京の勝鬨橋を連想しました。
木津川の向こうに、西成区側の渡し場が見えます。
渡って行きたいですな。
しかし私は今回大正区に沖縄料理を食べに来たので、西成区に渡ってしまっては駄目なのです。
まずは沖縄料理を食べよう、と渡し場から引き返しました。
渡船場と大正通の間に、緑豊かな千島公園があります。
あの公園の中を通り抜けて大正通に戻りましょう。
JR大正駅で降りてから渡船場に至るまで緑少ない街を来ましたが、千島公園には木々に満たされた空間が広がっていました。
千島公園の中に、標高33メートルの昭和山があります。
標高33メートルって山としては大したことのない高さに思えますが、この昭和山がある大正区が、埋め立て地ですからね。
高低差の少ない海抜すれすれの埋立地に突如盛り上がる、33メートルの山。
そう言うとその高さもわかりやすいのではないでしょうか。
大阪市西岸の港湾部にあって、東側の奈良県との県境の山々まで眺められる場所でした。
豊富な緑に癒されます。
昭和山では、自然の山にあるのと同じく多用な植生が保たれているのだそうです。
蘇鉄が生えていると、沖縄というか南国っぽさを感じることができますね。
千鳥公園を出て、大正通に復帰しました。
再び南下の途上です。
ここからさらに歩きます。
リトル沖縄のある「平尾」という土地に行きますよ。
バス停の「平尾」です。
JR大正駅からここまで結構距離があります。
長距離を歩くのが苦手な方は、駅前から路線バスを利用した方がいいかもしれません。
平尾のバス停の前に、沖縄っぽい風景がありました。
三階に剛柔流の空手道場を併設した沖縄居酒屋店と、そのお隣のカネシロ薬局さん。
カネシロさんって沖縄っぽい名前かな、と思います。
金城武って俳優さんもいましたよね。
主にこの平尾界隈が、「リトル沖縄」なんですな。
アーケード商店街、「サンクス平尾」の入口に来ました。
しかしここに入る前に…。
商店街入口のすぐ左手にある、マルトミ食堂さんです。
こちらでお昼をいただきましょう。
今回の旅の第一目的、沖縄料理です。
界隈には沖縄料理のお店もいろいろあるようですが、私が知っているのがこのお店ぐらいなのです。
以前にも一度、入ったことがありましてね。
私は人見知りの激しい方なので、気安いお店に気持ちが流れてしまいました。
マルトミ食堂さん、店内はのんびりとした空気が流れる場所で、一見さんも入りやすい雰囲気です。
なごみます。
お店の方に、注文をお願いしましょう。
まずは入店早々のオリオンビールと、豆腐チャンプル。
沖縄料理と言えばゴーヤチャンプルが著名ですが、私はゴーヤの苦さが苦手でして。
この豆腐チャンプルをいただくことにしました。
250円。
しっかりした味付けで、美味であります。
お野菜たっぷり。
味の染みた卵とお豆腐が、美味しいのです。
またオリオンビールが喉越し良く、盃が進みます。
天国!
そして来ました、注文していたソーキそば、800円。
豚肉の塊とスペアリブとがごろごろ入った、ごついものです。
日本のうどんに近い麺は、幅広でしっかり歯ごたえ。
昆布だしの染み込んだ豚肉も柔らかくしっかり味で、美味しかったです。
昆布、大根等の野菜類もたっぷり入っていて。
豊富なお肉と併せ、何だか食べると体が鍛えられそうな気がする一品でした。
美味しくいただきました。
オリオンビールでほろ酔い加減、なおかつソーキそばでお腹もいっぱいになり、マルトミ食堂を後にしました。
改めて、サンクス平尾。
しかし以前に来たときもそうだったのですが、中を通ると、いわゆるシャッター商店街に近い場所なのですね。
閉まっているお店が多いのです。
かろうじていくつかのお店が開いている程度。
そんな具合なので、「リトル沖縄」に多大な沖縄要素を期待して出向くと、肩透かしを喰らうかもしれません。
しかしその商店街の中ほどに、今でも一件、沖縄産食品を扱うお店が残っていましてね。
大きなサーターアンダギーがひとつ60円で売られていました。
甘い香りがして外側さくさく、内側ふわふわのサーターアンダギー。
ドーナツのような、美味しい沖縄のお菓子です。
おそらくはラードで揚げているからでしょうか、こってりとした脂っ気はありますが、優しい甘さと食感でした。
美味です。
これは一緒に買いました、ルートビア。
北米産の飲み物で、本土ではあまり流通していませんが、沖縄では買えるのですね。
端的に言うと、シップの香りがする炭酸飲料です。
飲めば怪我が治りそうな。
優しい味のサーターアンダギーとは一転して、人工的な味わい。
件の沖縄食品店には伝統的な食品と共に、ルートビアにスパムなど、アメリカ産の輸入食品が並んでおりまして。
沖縄の食文化の縮図を垣間見ることができるのでした。
サンクス平尾を通り抜けて、街の南側へ。
念願の沖縄料理をいただくことが出来たので、今度は渡し船に乗ってみようと思うのです。
こちらも渡し賃は無料です。
だいたい15分間隔で運行されています。
私も乗ってみました。
木津川で船上に揺られながら、香港で乗ったスターフェリーのことを思い出していました。
一瞬の船旅ですが、大阪市内でこうした体験ができるとは思いませんでした。
この渡し船、対岸を行き来する、地域の方々の足なのですね。
木津川を越えて対岸の西成区にやって参りましたが、工場街のようなところで、右も左もわかりません。
歩道を丸ごと使った花壇です。
こんなのは初めて見ました。
綺麗なものですな。
この工場街から東の「新なにわ筋」に向かう途中に、津守神社があります。
新なにわ筋に向かいながら。
お稲荷さん等、いくつかの神様を祀る津守神社です。
この津守という土地界隈は、江戸時代に新田として開発されたんですって。
海辺の土地でも、田んぼって出来たんですね。
現在は、住宅と工場、各種の商業施設が新なにわ筋沿いに並ぶ土地柄です。
津守からさらに東に歩いて、地下鉄四つ橋線の岸里駅近辺に来ました。
この辺りまで来ると都会の雰囲気です。
JR大正駅からずいぶん歩きましたが、楽しい大正区の旅でした。
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『手間のかかる長旅(102) 路線バスの中で待つ』
停留所に来た目的の路線バスに、時子(ときこ)たちは乗り込んだ。
この駅前の停留所が始発で、如意輪寺方面に向かうのだ。
時子たち一行の他にもバスを待っている乗客は何人かあった。
中高年の女性ばかりだ。
スーパーの袋に榊、仏花などを入れて携えている人もいる。
土曜日の午前中である。
墓参りをする人たちなのだ。
実家を離れてこの街に住んでいる時子は、ここの人たちがどこにお墓を持っているのかなど、今まで考えたことがなかった。
おそらくは如意輪寺にも敷地内に墓地があって、女性たちは如意輪寺に向かうのだろう。
そう想像して、時子は町子(まちこ)たちとバスに乗り込んだ。
バス最後部のロングシートに、ヨンミ、美々子(みみこ)、東優児(ひがしゆうじ)、の三人が座った。
彼らの前方の通路を挟んだ両側の席に時子と町子、そして町子の前方にアリスが、それぞれ座った。
他の乗客たちも座席についた。
発車時間までしばらく間がある。
女性の運転手が運転席から立ち上がり、バスから出て行く。
彼女はバスターミナルを早足に歩いて、停留所から離れた喫煙所に向かった。
バスターミナルの中に路線バス会社の小さな事務所があって、その外に喫煙所が設けられているのだ。
すでにバス会社の他の運転手たちが何人か立って喫煙している。
そこに、女性運転手も加わった。
挨拶を交わして、談笑を始めているらしい。
時子と仲間たちは様子をバスの中から眺めている。
煙草を吸う同僚の傍に立って、女性運転手自身は煙草を吸っていない。
男性の同僚の話に相槌を打っている。
彼女の職場環境はどんな具合なのか。
勤務先が決まったばかりの時子は、そんなことを想像していた。
「ああ、もうじれったい、バス出さないで井戸端会議か」
時子の背後で、美々子が文句を言っていた。
彼女は同じ運転手を眺めながら、時子とは違うことを考えていたようだ。
「席外してる間にバス乗っ取りされたらどうするんだろ」
町子が美々子に調子を合わせるでもなく、何気なく言った。
「まちこおんに、きーおぷそよ」
町子に調子を合わせるように、ヨンミが言った。
「きーおぷそよ?」
町子は上体をひねってヨンミの顔を振り返った。
「ね」
ヨンミはうなずいた。
「きーおぷそよって何?」
眉をひそめて町子は尋ねる。
「キーが無いにゃ」
彼女も上体をひねって後方を向きながら、アリスが補足した。
「なんだ、キー無いのか」
と残念そうな声の美々子。
時子は、彼女の方を振り向いた。
「あのドライバーがあんまりもたもたするなら、私が代わりに運転してやろうと思ったのに」
時子に笑いかけながら、美々子は続けた。
時子は曖昧に笑い返しておいた。
冗談だろう。
でも時子は、バスを奪って運転する美々子の姿を見てみたい気がする。
軽口を叩く美々子の隣に収まって、東優児は窓の外を見ていた。
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天理教、彩華ラーメン、石上神宮。天理市の旅
しばらく前になるのですけれど、奈良県は天理市に旅してきました。
以前より行きたいと思っていたわけです。
奈良県内で、吉野と並んで私の旅先の候補地だったのですね。
江戸時代後期に勃興した新宗教のひとつ、天理教(てんりきょう)の本部があることで著名な天理市。
その宗教都市としての雰囲気を味わってみたかったのです。
そしてまた天理市は「天理ラーメン」と称されるご当地ラーメンの発祥地でもあるのですね。
当然私は、その天理ラーメンも視野に入れています。
大阪から近畿日本鉄道の各線を乗り継いで、近鉄天理線の終点が、天理駅です。
ただ代表的な天理ラーメンのお店である「彩華ラーメン」の本店が、天理駅から一つ手前の前栽(せんざい)駅の近くにあるのですね。
まず彩華ラーメンをお昼にいただくために、私も前栽駅で降りることにしました。
前栽駅で降りました。
降りてきて外に出たら、なんとも可愛らしい駅舎でした。
駅前はのどかな気配。
いつもの私の旅のごとく、出発が遅いので、もうお昼です。
お腹が空いています。
川沿いの道を南下していきますぞ。
国道25線に出くわしたら、今度はその道路沿いに大阪方面、西へ行きましょうぞ。
以前に旅したことのある大和郡山市へも、この道沿いに行けるようですな。
ただ11キロはちょっと歩く気がしません!
とうとう彩華ラーメンの看板を見つけました。
しかし「メン」の文字を前栽が隠してしまっている…。
前栽駅が最寄りだったのは、この前栽の繁茂現象を暗示していたのですね。
…などと馬鹿なことを考えながら、敷地内へ。
敷地内、駐車スペースはすでに車でいっぱいです。
やはり人気店なのですね。
もともと屋台のお店から始まった彩華ラーメン。
現在でも、この本店から離れた場所にあるスーパーの駐車場で、屋台形式の店舗が営業されています。
常設店舗としては、今私の目の前にあるこのお店が本店になるのですね。
ははあ。
昭和43年創業ですか。
昭和グルメって食欲をそそります。
店内で10分ほど待った後、カウンタ席に通されました。
私は「サイカラーメン小(一玉)」と「月見チャーシュー丼」を注文しましたよ。
サイカラーメン小は税込み699円、月見チャーシュー丼は税込み411円でした。
まず、月見チャーシュー丼。
柔らか甘口のチャーシュー、温泉玉子、ネギ、海苔がだしの染みたご飯に乗っています。
ボリュームのあるサイドメニューです。
そして一緒につけてくれた中華スープ。
これはラー油の風味が利いたちゃんと美味しい中華スープで、サイカラーメンのスープとは違う味でした。
そして、サイカラーメン。
白菜たっぷり、塩気の強い辛口スープです。
小って言ってますが、結構量がありました。
小でこれだったら、大はどんな量になるのか…。
大阪で食べたことのある同じ系統の「どうとんぼり神座」のラーメンと見た目は似ていますが、サイカラーメンの方がかなり味が強烈です。
塩気もきつい。
ただ同時に白菜、ニンニク、ニラ、唐辛子から成る野菜のだしが利いて、飲みやすく美味しいスープでもありました。
麺はこしの強い独特のもの。
天理ラーメンの源流の味を噛み締めるように、じっくりいただきました。
食事を済ませて、満足して出てきました。
お店の裏手にはのどかな風景がありました。
敷地を出る際に駐車スペースに停まっている車のナンバープレートをそれとなく見て行ったのですが、この奈良のラーメン店に日本各地の車が集まっていました。
こののどかな土地に、日本中から皆がラーメンを食べにやって来る。
なんだか面白いですね。
大阪からやって来た私は、この道を東に行きます。
しばらく歩いて、市街地に入ってきました。
天理市の市街地には、こうした独特の建物が密集しています。
詰所と言って、日本各地から天理教本部に来る信者の方たちが滞在する宿舎のようですね。
写真の建物に「伊那」という看板がついているのは、おそらく長野県の伊那市にある支部の方が滞在する詰所なのでしょうか?
道沿いにあったこの看板も、おそらく各詰所の所在を示したものでしょう。
どれも味わいのある名称ですね。
天理駅の界隈まで来ました。
近鉄とJRの線路が交わる、大きな駅です。
乗降客の行き来も激しいです。
駅前のスペースは開発、整備されて、古墳を模した遊技場にコンサート会場などもあって。
にぎやかでありました。
なんだか東京かどこかの、お洒落な都会の駅前みたいです。
目の前の天理本通商店街をずっと行けば、天理教本部にたどり着くとのことです。
「天理教」と白地で染め抜かれた黒い法被を着た老若男女が、大勢行き交っていました。
信者の方々なのですね。
休日にも信者の誇りを持って活動している…ということなのかもしれません。
天理教では、信者が休日に施設の修繕、掃除等の奉仕活動を行うということを聞いたことがあります。
ともあれ、活気のある商店街でした。
天理教関連の神具、書籍等を扱う商店も多いです。
本通商店街を抜けて、天理教本部へ。
神社の大鳥居を模したような形の門に「天理教教会本部」と表札があります。
奥の敷地内には規模の大きな、もっと率直に言うと巨大な本殿が見えます。
私がこれまでに参拝してきた神社、お寺の本殿、本堂と比べても桁違いの規模です。
私もこの本殿内に登って参拝いたしました。
立派な建物で、よくもこれだけのものを建てたな、と感心しました。
お参りを済ませて、本殿から出て参りました。
柔道など、各種体育会系の部活動で著名な私立大学です。
この大学キャンパスの中に「天理参考館」なる博物館があると聞いて、私も見学しようと思ったのですよ。
川の向こうにその天理参考館が見えますな。
古代中国の墳墓から発掘された副葬品を展示する企画展が開催されていました。
日本の古墳、外国の古代墳墓等に関心の強い私が来ています。
非常に好奇心をあおられます。
入っちゃいましょう。
内部の自販機で入館料400円払ってチケットを買い、見学できます。
常設展では世界各地の民族についての各種資料が展示されて、かなりの充実ぶりでした。
天理教は世界中で布教を行っているので、その関係もあって世界の民族について研究する必要があったようです。
大阪の「みんぱく」を思わせる豊富な所蔵資料。
戦前にハワイ、南北アメリカ等の外国に渡って布教した天理教宣教師の苦難を示す展示もありました。
各国の日系人社会に付随して、日本の信仰も世界に根を下ろしていたのですね。
外国に生きる日系人の信仰について疎い私がついぞ想像したことのない、そんな宣教史秘話が示されていました。
常設展も企画展も共に見所の多い展示で、すっかり外国の民族文化に魅了されて天理参考館から出て参りました。
天理の地にいながら、世界を巡ったような気持ちです。
これで天理教関連の諸々は大方見たことになるのですが、もう一箇所、近隣で行きたい場所がありました。
石上神宮です。
かつての官幣大社であります。
お参りお参り。
天理教が出現するよりも、もっと遥か昔からこの地に根ざしている、石上神宮。
もともと古代に物部氏が信仰していた神社で、祭神は「布都御魂(フツノミタマ)」という刀を司る神様です。
「七支刀」という、不思議な形の古代刀が伝わっていることで有名な神社でもあります。
境内では鶏が飼われていました。
鶏って縁起がいいんだそうです。
鎌倉時代につくられた楼門も立派です。
内部の拝殿と本殿は、意外にもこじんまりとした具合でした。
しかし国宝である七支刀のほかにも、数々の古代からの品々を伝える、由緒ある神社であります。
天理教関連施設に占められた天理市中心部ですが、かつてはもっと違った信仰に根ざす風景を見せていたのかもしれない…。
ふとそんな気にさせる、石上神宮のひっそりと慎ましい、たたずまいでした。
石上神宮の境内に、大和盆地の交通を支えた古道「山の辺の道」が今も通っています。
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今日の即席麺この一杯。サッポロ一番 和ラー 北海道根室 かにの鉄砲汁風
いつの間にか出ていました。
サンヨー食品の和ラーシリーズ新作、「北海道根室 かにの鉄砲汁風」。
以前までは三種類だけだったのですが、とうとう待望の新作が出たのですね。
さっそく味わってみたいと思います。
なんと和ラー、1000万食突破ですって!
そのうちの20食ぐらいは私の功績ですからね。
こういうパッケージの写真も美味しそうなんですよね。
ふたを開けたところ。
ぱっと見は、日清のシーフードヌードルのようですな。
この中にお湯を注いで3分間待ちます。
濃厚な、かにの風味が立ち上ります。
スープから口にしました。
味噌味のスープの中にもかにのだしがしっかりと利いています。
和ラーのコシの強い細麺も、やっぱり美味しいですね。
かやくとして入っているかにはカニカマのようですが、かにのだしが利いているので、本当のかにを食べているような感覚でいいです。
かに気分を満喫できる一品でした。
和ラーはどの一品も、美味しいだしの風味が楽しめるのが、素晴らしいですね。
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千本桜に史跡の宝庫。吉野町の旅
桜の季節になったのだから、桜の名所に行きたい。
そう思っていたところでした。
それで最近奈良県観光に目覚めたこともありまして、奈良県内の桜の名所、吉野に行ってきたのです。
早めに出発し、近鉄電車で吉野に向かいます。
しかし、事前にわかっていたことではありますが、着くなりこの雨模様!
先行きが思いやられます。
持参した傘をさして、歩いていきますよ。
吉野駅の近くに吉野山上に登るためのケーブルカー駅があるんですね。
しかし私はそちらには向かわず、歩いて山上に登る道を行くことにしました。
七曲坂です。
ぐねぐねと曲がるゆるやかな坂道を登っていけば、吉野山上に行けます。
吉野山には桜の木が植えられている「下千本」「中千本」「上千本」「奥千本」という四つの地域があるんですね。
そして今から登る七曲坂辺りが下千本と言われています。
坂道に沿って、桜の木が植えられていましてね。
でも時期が少し早かったのか、満開とは言い難い咲き具合であります。
少々残念ですね。
まあせっかく吉野まで来たのですから、控えめな桜の花を見ながら、観光もしていきたいと思います。
七曲坂を登り切ると、吉野山上の目抜き通りに入ります。
道沿いには土産物、食べ物を売るお店が並んでいてにぎやかです。
食べ歩きをしようと思って、葛もちを買いました。
350円。
わりとお値段しますが、モチモチ食感に葛の風味、きな粉と黒蜜の控えめな甘さが嬉しいです。
大好きです。
葛を味わうと、吉野に来た感じがします。
歩きながら葛もちをいただいていたら、いい感じの食堂を見つけました。
時間は少し早いですが、散策するなら早めに食事は済ませておいた方がいいと思いまして。
もう中に入ってしまいます。
吉野に来ても、とんこつラーメンを注文。
600円でした。
ワカメにゆで卵、チャーシュー、ナルトが入れてくれてあります。
スープの味と麺の具合は、懐かしい食堂のラーメン、といった印象でした。
ナルト自体が最近のラーメンでは見られなくなりましたよね。
窓から遠くの山々を眺めながらお座敷でのんびりいただくラーメン。
なかなかのものでした。
吉野でもラーメンをいただくことができて、満足しました。
これから金峯山寺に向かいます。
金峯山寺の山門が見えてまいりました。
修験道の開基、役小角(えんのおづぬ)が開いたお寺なんですね。
山門を抜けた向こうに、本堂の蔵王堂があります。
立派な建築でした。
境内には修験者の方々の姿もあり、さすがに修験道の本場の雰囲気です。
参拝を済ませて、金峯山寺を後にします。
金峯山寺の近くに、ありました。
先に昼食を済ませたので入りませんでしたが、吉野観光の最中にモスバでランチ等できるのはいいですね。
さてこれから、前もって楽しみにしていた場所に行きます。
吉水神社という場所なんですね。
もともとは修験道の、格式のある僧坊だったのですね。
平安時代には兄の手から逃れた源義経と静御前とが潜伏していました。
さらに南北朝時代にはここを南朝の皇居として、後醍醐天皇がおわしたのですね。
後の安土桃山時代になると、天下人豊臣秀吉が花見を行った際の本陣となっています。
現在のような神社になったのは明治に入ってからだそうです。
様々な時代に、歴史を動かした偉人たちが住んだり訪れたりした場所なんですね。
吉野に来たときに、見逃せない史跡のひとつなんです。
高台にあって、境内から向かいの山肌を埋める桜の花を眺められる名所でもあります。
一目で千本が目に入るんだそうな。
開花の有無はともかく、千本は見ることができたと思います。
南朝皇居であった書院。
400円の拝観料を納め、中を見学することができます。
書院建築に加え、源義経、後醍醐天皇、豊臣秀吉にまつわる諸々の所蔵品を見ることができます。
入ってきました。
私は特に、後醍醐天皇がおわした玉座に心を奪われました。
凄い場所です。
境内の北側には北闕門(ほっけつもん)と言う門があります。
後醍醐天皇のご生前、毎朝起床されるとこの門の前に立たれ、北に向かって「九字の真法」と呼ばれるお祓いの作法を行われたのだそうです。
九字の真法は陰陽道に由来するものなのですね。
両手で印を結んだ後「臨兵闘者皆陣列在前」の言葉と共に、手先で九度、空を切る。
よく昔の忍者映画で忍者が忍術を行う前に見せる作法です。
吉野の北方の京の御所に、いつか戻りたい。
そんな後醍醐天皇のお気持ちが、九字真法の逸話からうかがえるように思います。
書院からは庭園と、谷を挟んだ向こうの金峯山寺蔵王堂とが眺められます。
見学を済ませて、再び目抜き通りへ。
文豪の宿として有名らしい、「櫻花壇」という老舗旅館が道沿いにありました。
谷崎潤一郎、吉川英治といった文豪、さらに新しいところでは作家の内田康夫先生が宿泊してここで『天河伝説殺人事件』を執筆されたんだそうです。
私、今回吉野に来る途中、電車の中で谷崎潤一郎の『吉野葛』という吉野を舞台にした小説を読んできたんですよ。
この櫻花壇、谷崎が『吉野葛』を執筆したまさにその場所なんですね。
感慨深い思いで旅館を外から眺めました。
これから、如意輪寺というお寺に向かいます。
そこには後醍醐天皇の御陵があるのです。
五郎平茶屋なる茶屋跡の高台を経由して、如意輪寺のある山へ。
なかなかに長い道のりであります。
ようやく如意輪寺の山門が見えてきました。
息を切らして道を行く、参拝客の方々。
最近体力の落ちていた私も、同じように息切れしています。
境内に入り、まずは後醍醐天皇陵へ。
しかし後に京を追われて吉野に南朝を興し、京に戻ることかなわず、この地で崩御されました。
私も厳粛な気持ちで御陵にお参りいたしました。
こちらは如意輪寺の本堂、如意輪堂であります。
ご本尊の如意輪観音のお顔が拝めます。
とても美しい顔の仏像でした。
如意輪寺は後醍醐天皇の勅願寺であり、その関係で南朝方の武将、楠正行(くすのきまさつら)にもゆかりがあるのですね。
南朝方の武将であった正行が、吉野から大坂の四条畷の戦場に向かう前に、この如意輪寺に立ち寄り後醍醐天皇の御陵に参拝したのだそうです。
その際、すでに戦での死を覚悟していた正行は、寺の門扉に鏃の先でもって辞世の句を刻んだのでした。
現在、境内の宝物殿にその門扉が保存されていて、見学することができます。
拝観料400円を収め、宝物殿と多宝塔があるエリアに入りましょう。
雨足が強くなってくる中、多宝塔の写真を撮りました。
立派なたたずまいです。
多宝塔の周囲にも、桜がよく咲いています。
如意輪寺で後醍醐天皇の御陵を拝み、楠正行の辞世の句も肉筆を拝むことができました。
如意輪寺の近くから、吉野駅に向かう近道があるんですね。
この林道を歩いて行くんです。
通る自動車も少なめなので、歩くのが楽しい。
ただ距離は一キロか二キロか、そこそこ歩きました。
吉野駅に到着です。
吉野駅ホーム。
終着駅感が出てますね。
私これから帰るので、始発駅なわけなんですが。
駅前の売店で買った吉野の地酒、「猩々(しょうじょう)」をいただきながら帰ります。
それでは皆様、ごきげんよう。
吉野の旅でした。
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橿原神宮参拝の後、畝傍山を一周。橿原市の旅
休日に、寝坊しましてね。
時間は中途半端、でも出かけようか。
それとも出かけまいか。
迷った末に、出かけることにしました。
皆様、もうおわかりですね。
本日は私、橿原神宮にお参りにきたわけなのです。
しかし寝坊のうえに出かける出かけないで迷ったあげくの外出なので、現地到着時、すでに午後一時過ぎ。
お昼はまだ食べていません。
橿原神宮の鳥居前にまで来ました。
どうも、見たところかなり広大な神社のようです。
これは一度中に入ったら参拝に時間がかかってお昼を食べ損ねる、と危惧した私は、いったん駅方面に戻ることにしました。
先にお昼を済ませるべきです。
たださっき通ってきた駅の北側には、見たところ飲食店は少なかったのですね。
駅下の地下道を通って東側に抜けることにします。
しかしこちらの駅前にも、あまり飲食店はありません。
居酒屋のようなお酒の飲めるお店だけは、やたらとあります。
なぜだか理由はわかりませんが。
ただ、今の私はラーメン店とか中華料理店とか、手頃なランチがとれる場所を求めているわけなのですよ。
それなので、道路沿いに北へ北へ。
こういう交差点がありました。
丈六って地名、なんだか好きです。
響きが「ゼー六」みたい。
ところで今調べたところ、丈六っていうのは仏像の大きさの一基準のことなんだそうです。
お釈迦様の身長である一丈六尺(約4.85メートル!)を略して丈六。
この界隈は、もしかしたら仏像作りに関連する土地なのかもしれませんね。
ちなみに今現在、丈六って名前のラーメン店が、大阪の難波にあるそうです。
奈良の橿原の地を歩く私も、ようやくラーメン店を見つけました。
博多長浜らーめん!
これは期待してしまいます。
「博多長浜らーめん 夢街道」というお店でした。
奈良県内に四店舗を運営するチェーン店らしいです。
さっそく入ってみましょう。
で、入ったのはいいのですが、順番待ちの先客が結構多くて。
席に着くまで少し時間がかかりました。
おなかも空いています。
セットメニューを注文してしまいます。
長浜らーめんと玉子炒めタルタル丼のセット、890円。
長浜らーめんは単品だと680円でした。
よく煮込まれた豚骨スープ、これがとっても濃厚で、とろとろで美味であります。
麺は本場長浜のものを彷彿させる、極細麺です。
茹で具合はハリガネをお願いしたので、歯ごたえしっかり、たまりません。
チャーシューは薄切りのとろとろお肉で、これも美味しい。
美味しいラーメンですが、よくを言うともう少しボリュームが欲しいと思いました。
もう少し食べたい!感じ。
カウンター上には紅ショウガに練りニンニクに各種調味料が揃えてくれてあるので、ラーメンの量が多ければ色々試せてより嬉しいと思うんですね。
たぶん、替え玉を頼むか、最初から大盛りにするのが前提なのかもですね。
替え玉と大盛りの料金は共に150円でした。
サイドメニューの、玉子炒めタルタル丼です。
こちらはしっかりボリューム。
玉子好きの私は玉子要素が欲しくて頼みましたが、ちょっと失敗しました。
美味しいんですが、炒めた玉子にタルタルソースがかかっていますから油分多め、こってり食感。
長浜らーめんの濃厚スープと一緒にいただくのは、若干きついです。
なにぶん私の好みになりますけれどね。
こてこて好きの方にはいい組み合わせかも。
ラーメンもセットの丼メニューもかなり種類がありましたので、いろいろ組み合わせると面白いかもですね。
ともかくも美味しくいただけました。
奈良県内のみで展開する長浜らーめんのチェーン店というのもユニークで、今後も気になるお店ですね。
食事を終えて満足、しかしすでに午後二時をまわってしまいました。
これからようやく、橿原神宮に向かって参ります。
着きました。
立派な鳥居ですな。
ドローンにポケモンGO、と新しい物が次々と出てきて、神社もお困りですな。
畝傍山(うねびやま)を背景にして、その裾野に位置する橿原神宮です。
広い境内、美しい拝殿と回廊に囲まれている本殿。
素晴らしい場所でした。
もともとこの場所は、九州の高千穂から遠征した初代天皇、神武天皇が橿原宮を創建した場所なのですね。
遥か後の明治時代に至って、この地に神武天皇とその皇后、媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)をお祀りしたのが当社、橿原神宮なのです。
神武天皇は半ば伝説的な存在ではありますが、現在の皇室の始祖と考えられている方であります。
勢いをつけて言えば「日本が始まった場所!」と言えるわけなんですね。
凄い場所なんですよ。
私も、いろいろ感じるものがありました。
本殿にて、自身の武運長久をお願いしました。
お参りを済ませて本殿を後にしましたよ。
本殿の西にある深田池を眺めていきます。
若干の雨降り模様。
野鳥が集まる場所でして、可愛い鴨たちがたくさん集っていました。
深田池の、向こうから見る畝傍山。
畝傍山の周囲を歩いてみようかな、と思い始めています。
岸辺に寄ってくる鴨たち。
皆いっしょくたになって仲良くしているようでしたけれど、実は種類も違うんですね。
橿原神宮の境内から出て、畝傍山の周囲を散策することにします。
外に出る途中、参道沿いに神饌田がありました。
神前にお供えするためのお米をつくっている田なんですね。
ここでお田植え等、季節ごとに神事を行っているそうです。
しかしその神饌田に、狸が出没!
田の周囲をうろうろしていました。
可愛かったんですが、稲を食い荒らしたりするでしょうし、困ってしまいますね。
不思議と動物要素に恵まれて満足しながら、畝傍山の周囲を巡って参ります。
なかなかの規模であります。
歴代天皇、私浅学なので、まだまだ耳慣れない方々が多いです。
もともと大山祇神(おおやまつみのかみ)をお祀りしていた神社だったそうなんです。
それが後の時代に、気長足姫命(おきながたらしひめのみこと)、豊受比売命(とようけひめのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)の三柱の神をお祀りするようになりました。
気長足姫命というのは神功皇后のことで、神功皇后のご出産に由来して、安産の御利益がある神社として信仰されてきたようです。
またこの神社の建っている場所に、実は複雑な経緯があるそうなんですね。
ところが土地の豪族である越智氏が畝傍山に城を築く際、「畝火山口神社を見下ろすのは畏れ多い」と。
お社の方を、自分たちの城よりも上の山頂に移したというんですね。
ところが昭和の時代になって橿原神宮の神域が拡張されるにあたり、「畝火山口神社が山頂から橿原神宮を見下ろすのはよくない」ということになって。
再び、山麓の現在の位置に移されたというのです。
コメントは控えますが、神社の立場について、いろいろと考えてしまいますね。
畝火山口神社の傍らには梅の木が多く、花が豊かでした。
名づけて山本大師・恵泉寺。
何でもこの界隈は昔、飲み水の不足する土地だったとか。
そこに来た旅の僧に、土地の人が苦労して飲み水を振舞ったら、何とその旅の僧は弘法大師でした。
弘法大師が地面に杖を突くとそこから水が湧き出て、以後この土地では飲み水に困らなくて済むようになりました。
というお話です。
弘法大師が水脈を発見したという伝承は日本各地にあって、この土地の場合もそうなんですね。
お堂の傍らに残るこの井戸、その弘法大師が掘った水脈の名残りみたいです。
結構大きな井戸ですね。
せっかくだからその井戸水を味見させてもらったらよかったんですけれど、そのときは思いつかずに通り過ぎてしまいました。
飲み水の確保が難しかった古い時代、水脈を見つけてくれた人のことは誰であれ、弘法大師のように有難く思われた…。
そういうことなのかなあ…と、私は推測しています。
山本大師からさらに歩くと、神武天皇陵のある界隈に来ました。
周囲を鬱蒼とした森に囲まれている神武天皇陵。
御陵の全貌は何だかよくわかりません。
参道にたどり着きました。
御陵の正面へ。
やはり、大きな古墳のようです。
あちらに伝説的な初代天皇が眠っていると考えると、私は興奮を覚えます。
やはり、武運長久を願って手を合わせました。
橿原神宮に参拝し、畝傍山の周囲を廻って神武天皇陵も拝みました。
周辺には他にも足を向けたい史跡がたくさんあるのですが、雨足が強くなってきたので今日はこれで帰ることにします。
神武天皇陵の南には橿原考古学研究所附属博物館がありますし、御陵の北には中世の商人町の風情を残すことで有名な今井町もあります。
今回はお昼過ぎに来て数時間の滞在で帰ることになりましたが、また界隈に来たいものです。
楽しい橿原市の旅でした。
価格:626円 |
TOEIC受験と豚骨ラーメン、飛鳥時代以来の古刹。和泉市の旅
そのついでに、観光もしようと思ったのですね。
ここから、試験会場の桃山学院大学方面を目指します。
大学界隈は住宅地であります。
かつては繊維産業が盛んな土地柄でしたが、今は輸入物の製品に押され、稼働中の工場は少ないようです。
かつての名残りは少ないですが、繊維産業の担い手だった企業の美術品コレクションを集めた「久保惣記念美術館」が住宅街の近隣にあるのですよ。
剣豪、宮本武蔵(みやもとむさし)直筆の鵙(もず)の絵画を所蔵していることで著名です。
今回は寄りませんがね。
お昼時に現地に着いたので、まずは昼食を済ませようと思います。
今日もラーメン。
来ました。
九州ラーメンむがく庵。
桃山学院大学のすぐ手前にあるお店です。
TOEIC等の資格試験受験で当地に来る際には私、よくここでご飯を食べるのですよ。
土日も、お昼11時半から開店です。
カウンター席に着き、注文して5分余りで出てきました。
待たずに済んで、有難いですね。
とんこつラーメン650円、サイドメニューの「まんきち」がラーメンとのセット価格で280円です。
まんきち単品で注文すると380円になります。
もやしとネギたっぷり、白ゴマも入った豚骨スープの九州系ラーメンです。
大きくて柔らかいチャーシューも絶品。
特に強い香りもなく、大阪人にも食べやすい味ですね。
歯ごたえのしっかりした麺も美味しいです。
私の好きな一杯です。
テーブル備え付けの紅ショウガをひとつまみ乗せて、いただきましょう。
まんきちの方は、ごはんの上にほぐしたチャーシューをまぶしてマヨネーズをかけ、キムチと厚焼き玉子とネギを乗せた一品です。
軽くかき混ぜて食べるとより美味しい。
全体的に穏やかな味で、ラーメンとよく合います。
TOEIC試験を前にして、束の間ですが、幸せなごはん時間を過ごしました。
腹が減っては…なんとやら。
語学試験も、戦ですとも。
さて、食後に至近の大学構内に入り、TOEIC受験を済ませてきました。
今この記事を書いている段階でまだ試験結果は出ていませんが、おそらく前回よりもスコアは上がっていると思います。
というのも、リスニングがなんとなく楽に感じられたんですよね。
高得点が取れたらいいなあ、などと思いながら試験会場を出て参りました。
わざわざ来て試験だけ受けて帰るのも物足りないので、観光していきますよ。
大学から住宅地を抜けて南に行くと、松尾寺というお寺があるそうなんです。
この機会にお参りしようと思ったんですね。
住宅地を造成途中の場所に、ススキが群生していますね。
和泉市のこの界隈、広範囲に宅地化されている一帯ですが、元来は山深いところだったのだと思います。
ところが住宅地を抜けた先で、道が封鎖されてしまいました。
持参した地図によれば、この先すぐのところに目的地の松尾寺があるはずなのですが…。
仕方ないので、迂回して進みます。
迂回してきて、封鎖されていた場所を下から見上げています。
トンネルの上だったんですね。
どうも封鎖されていた先の土地には、開発中の私有地がある模様。
このままトンネルをくぐって、松尾寺方面に参ります。
なんだかトンネルの中を通る車道、えらい渋滞してるな~と眺めながら歩いてたんですね。
そこで思い出しました。
この先すぐの場所に、近年「ららぽーと和泉」と「コストコ」という大型商業施設がそれぞれオープンしたわけなんですよ。
混雑するわけです。
松尾寺って、それらのお店の近くにあったんですね。
松尾寺へ行く途中の道すがら。
人で混雑する大型商業施設の至近に、のどかな風景が広がっていました。
ところで、先ほど封鎖されていた道の先を見上げています。
何やら上には、公園のような場所が見えているのです…。
しかし今いるところからも、その場所への入口が封鎖されていたのですね。
建設中の公園…にしては、余りに封鎖箇所が広すぎるような。
これは、あまり深入りしない方がいい件なのでしょうか…。
ともあれ、松尾寺界隈にたどり着きました。
桃山学院大学付近からそこそこ歩きましたので、感動もひとしおです。
和泉中央駅から大学を抜けて松尾寺まで来る路線バスもあるのですが、少し時間が遅くて、最終の便が終わってしまっていたのですね。
修験道の創始者、役小角(えんのおづぬ)によって飛鳥時代に開かれたと伝わる古刹であります。
とても歴史があるんですね。
飛鳥時代には今のように宅地化はされていませんから山の中で、修験者が修行を積むにはいい環境だったのかもですね。
現在は、天台宗のお寺になっています。
付近も雰囲気があって、いい感じ。
お参りしましょう。
山の上にお寺があるんですね。
石段を登って参ります。
石段の途中、こんな場所がありました。
案内板いわく、首堂(こうべどう)ですと…。
平安時代、現在の兵庫県神戸市須磨区で勃発した源平一の谷の合戦。
その戦で戦死した将兵の首を、源義経(みなもとのよしつね)が松尾寺に送り、それらの首を供養、埋葬した場所なんだそうです。
戦死者の首は須磨から三艘の船に分けて乗せられ、一艘は当寺、一艘は堺の寺、もう一艘は四天王寺にそれぞれ送られたのだそうです。
案内板には戦死者と書かれていましたが、おそらくは義経軍が挙げた平家の武士たちの首級…ということなんでしょうね。
おそらくこれからお参りする松尾寺、源義経と縁があったのでしょう。
私も首堂に手を合わせておきました。
立派な山門が見えてきましたよ。
当寺は安土桃山時代に織田信長の軍勢から焼き討ちを受けたそうなんですね。
それが後の慶長年間に、豊臣秀頼の手によって再興されたとか。
金堂始め境内の建物は、江戸時代の再建だそうです。
織田信長の焼き討ちと言えば比叡山の件が有名ですが、それ以外でも畿内の寺社勢力を攻めて、焼き討ちも行っているんですね。
信長の抵抗勢力への容赦の無さと共に、各地方の寺社の独立した立場を示す逸話でもあるな、と思います。
金堂へのお参りを済ませて、山を降りました。
界隈の風景。
眺めながら、まったり気分になれました。
近所にららぽーと、コストコがあって大勢の人でにぎわっているだなんて、想像し難いですね。
畑の傍に、梅の花も咲いています。
松尾寺バス停の傍らに、樹齢約700年と伝わる樟の姿がありました。
この場所に700年…。
と言うことは、織田信長による松尾寺への侵攻の際にはもう、ここに立っていたのですね。
言葉を聞くことこそかないませんものの、歴史の生き証人という呼称がふさわしい存在だと思います。
樟の姿に畏敬の念を抱きながら、バスも来ないので遠い最寄り駅まで歩いて帰りました。
和泉市の旅でした。
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