2019年夏東京八王子旅行二日目(7)。仁科盛信娘、小督姫の墓所、極楽寺。横山党根拠地、八幡八雲神社
小門町から、いったん甲州街道に出ました。
八王子繊維貿易館を沿道に見ました。
八王子は近代に絹の産地として栄え、南の横浜を経由して海外にまで販路を持っていたそうです。
八王子と横浜とを繋ぐ「絹の道」と呼ばれる街道まであったそうです。
いわゆるシルクロードってやつですな。
八幡町の交差点で北に折れました。
浅川沿いまで歩きます。
浅川の河川敷近くにあるお寺、寶樹山極楽寺にお参りしました。
白壁の、綺麗な色合いの本堂でした。
この女性、生前は小督(こごう)という名で、武田信玄の五男の仁科盛信(にしなもりのぶ)の娘です。
仁科盛信と言えば、信玄の意図で信濃(長野県)の仁科氏に養子入りした武将です。
盛信は武田家滅亡時まで異母兄の武田勝頼を支えた末に、戦死しています。
小督姫はその彼の娘で、武田家滅亡の直前は、仁科盛信の居城であった信濃の高遠城に叔母に当たる松姫と一緒にいたようです。
そして松姫他、他の武田家仁科家縁者の人たちと共に、八王子まで逃げてきたのですね。
その後は叔母たちと八王子で暮らしますが、病にかかり若くして亡くなります。
亡くなった時は29歳。
その26年前、ごく幼い頃に八王子に逃げてきているので、ほぼ八王子育ちだったのですね。
彼女は戦死したお父さんの面影を覚えていたでしょうか。
松姫同様、小督姫も出家していたそうです。
彼女の墓所は玉田院という彼女のいた寺にありましたが、江戸中期の頃には廃寺になり荒れ果てていたので、仁科家子孫が極楽寺に改葬したということです。
玉田院の墓所にもお参りしました。
極楽寺内には別に、北条氏照の元家臣で北条家滅亡後に八王子城の東方に横山宿を開いた長田作左衛門の墓所、また幕末の千人同心で蝦夷地の開拓に関わった塩野適斎の墓所もあります。
極楽寺を出て、また南の甲州街道の方に戻りながら、少しずつ南東の元横山町の方に折れて行きました。
元横山町には、八幡八雲神社があります。
西暦924年、天慶の頃、武蔵国司として下向してきた小野隆泰(おのたかやす)が、京都の岩清水八幡から横山と呼ばれていたこの地に勧請したということです。
そしてその後の940年、隆泰の子の小野義孝(おのよしたか)は当地に居館を構え、名前を横山姓に改めたということです。
彼の家系が当地を中心に発展し、横山党と呼ばれる武士団になりました。
平安時代鎌倉時代通して関東には武蔵七党と呼ばれる武士団があって、その中でも横山党は特に規模が大きかったそうです。
横山神社にお参りしました。
鎌倉時代、小野(横山)義孝の子孫の横山時兼は和田合戦で和田義盛に加勢し、敗戦で横山党は勢力を失い衰退しました。
横山党の根拠地だった横山荘はその後、大江広元が治めることになったということです。
今日はこれで八王子市内の史跡散策は完了として、西放射線ユーロードを通って八王子駅に向かいます。
一日、ひと気の無い神社とかお寺とかばかり続けざまにお参りしていると、活気のある都会の風景が恋しくなることがあります。
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2019年夏東京八王子旅行二日目(6)。八王子市郷土資料館の庚申塔群。産千代稲荷神社、大久保長安陣屋跡
信松院のお参りを済ませました。
お寺の前を通るこの南大通りを、東方面に歩いていきます。
信松院から数百メートル進むと八王子市郷土資料館があります。
消防署の隣の建物です。
えらい年季の入った建物ですな。
敷地内に、八王子市内から集められた庚申塔が安置されています。
八王子も庚申信仰が盛んな土地だったのでしょう。
大阪の地元であまり庚申塔を見たことがないので、信仰の地域差もあるのかと思います。
前に渋谷の神社の境内でも見たので、私の中では東京は庚申の信仰が盛んなイメージです。
二宮金次郎先生の像もありました。
元は市内の小学校にあったものだそうです。
二宮金次郎の像、好きです。
郷土資料館の中を見学して、八王子の歴史についてざっと学びました。
中世の小田原北条氏の支配についての展示もありましたね。
ところで今調べた知ったのですが、八王子市郷土資料館の展示、2021年の3月31日付けで閉館してしまっていたそうです。
郷土資料の展示については、同年6月12日にオープンした「桑都日本遺産センター八王子博物館」で見られるということです。
新しい博物館は、JR八王子駅南口から直結する「サザンスカイタワー八王子」ビルの3階に出来ました。
次に八王子に行く機会には、そちらにもお邪魔したいですね。
郷土資料館から南大通りを西に戻り、第七小学校前の交差点で北に折れます。
踏切でJR中央線の線路を通り越した先に、緑の盛り上がりが見えます。
産千代稲荷神社です。
元々この一帯は八王子代官の大久保長安の屋敷跡だったそうです。
産千代稲荷神社も、鬼門除けの守護神として屋敷内に勧請されたお社だったと。
そういう解説が現地の案内板にありました。
灌木で隠れてますが、八王子市指定史跡で石碑が立っています。
「大久保石見守長安陣屋跡」です。
「長安 陣屋井戸」が境内に保存されています。
見た目新しそうに見えますが、おそらくは長安の時代に使用していた井戸を改修したものなのだろうと思います。
長安の陣屋はJR中央線の北側に隣接する小門町(おかどちょう)全域と、線路を挟んだその南側の上野町の一部にまで広がっていたそうです。
土木建築に通じ、佐渡、石見等の全国の鉱山の支配と管理を任された長安は、当時絶大な権勢を誇ったと伝わります。
在りし日の彼の屋敷も立派なものだったであろうと想像できます。
ところが長安の死後わずか数か月で、大久保一家は幕府から長安による生前の不正蓄財を問われて、長安の息子たちが全員死罪を言い渡されてしまいます。
広大な陣屋も、その後に破却されてしまったのではないだろうかと思います。
産千代稲荷神社の西にある小門公園です。
案内板が立っていますね。
中央に「元禄9年検地地図『成内家文書』」を載せてくれてあります。
元禄9年は、大久保長安の死後80年ほど経った頃ですね。
その頃に描かれた現地の地図で、長安の陣屋跡は畑になっています。
長安が創設した八王子千人同心の組織も陣屋も幕末まで残りましたが、大元の長安のいた痕跡自体は、希薄になってしまったのですね。
形ある場所としては、もう大久保土手、産千代稲荷神社くらいなのでしょう。
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2019年夏東京八王子旅行二日目(5)。八王子千人同心屋敷記念碑から松姫の信松院まで
甲州街道を東に歩いて「追分町」交差点に来ました。
ここから北側を通る陣馬街道に入ると、
「八王子千人同心屋敷跡記念碑」があります。
石碑に、八王子千人同心についての詳細な解説板が付いています。
天正10年(1582年)の3月に甲斐(現在の山梨県)を支配していた武田氏が滅亡しました。
そして同年6月には、武田氏を滅ぼした織田信長と信忠の父子も本能寺の変で亡くなります。
織田信長信忠父子死亡の混乱により、甲斐、信濃(長野県)、上野(群馬県)を支配していた織田家配下の武将は撤退、これらの国々に権力の空白地帯が生まれます。
その空白地帯を巡って、徳川家康、北条氏政、上杉景勝らの間で「天正正午の乱」と呼ばれる争奪戦が行われました。
その再、甲斐国内で武田旧臣の武士たちを採用した家康は、武蔵(現在の東京都、埼玉県)との国境に彼らを配置して警備にあたらせました。
彼らが、八王子千人同心の前身なのですね。
その後の天正18年(1590年)に、小田原北条氏が豊臣秀吉に攻められて滅びます。
家康は甲斐を含む旧領と引き換えに、今度は北条氏の領地だった関東一円を領土として手に入れました。
今まで甲斐側から武蔵との国境を警備していた武田の旧臣たちに、今度は武蔵側から甲斐との国境に近い西八王子付近を警備させたわけです。
幕末には千人同心は湾岸警備、将軍護衛、日光警備等の任務に就いたそうです。
大政奉還の後は、官軍の下で引き続き国境警備に当たった少数の武士をのぞいては帰農し、千人同心は解体されることになったのだとか。
千人同心の組織自体は、幕府と運命を共にした、と言ってよさそうですね。
追分町の交差点にはエレベータ完備の歩道橋が立っています。
道が五つに分かれる交差点なので、こういう歩道橋があると便利です。
追分町から東に来て、「本郷横丁」の交差点です。
甲州街道と、南北に通っている秋川街道が交わります。
この秋川街道、本郷横丁の交差点から南は「松姫通り」とも呼ばれるようです。
ここから南にずっと歩いていくと、武田信玄の娘の松姫がいたお寺に辿り着きます。
今、そのお寺に向かっています。
この交差点で右手、南に折れます。
本郷横丁からだいたい700メートルほど歩きます。
お寺が見えました。
武田信玄の四女(もしくは六女?)にあたる松姫が、現在の寺の前身にあたる草庵で暮らしていたそうです。
この松姫という女性も、戦国の姫君の常で、起伏の激しい人生を送った人なのです。
幼少期には織田家の後継者である織田信忠と婚約した仲でしたが、武田家と織田家との仲が決裂して、婚約も破談に。
その織田信忠の手による武田氏滅亡後に、八王子に移り住んでいます。
当時八王子を治めていた小田原北条氏の庇護下に入り、現在の八王子市下恩方にある心源院で出家しました。
その小田原北条氏が今度は豊臣秀吉の侵略で滅亡し、八王子が徳川家康の支配地になった頃、松姫は現在の信松院の場所に移ったそうです。
信松院時代には、徳川家康配下で武田旧臣の大久保長安、またその傘下の八王子千人同心からの支援もあったのだろう…と想像します。
境内は綺麗に造園され、カフェとブティックまで併設していて、お洒落な空間になっています。
松姫の銅像が立っています。
戦火に焼ける甲斐を逃れ、八王子まで遠路を来た姿でしょうか。
平時であれば姫君が徒歩で旅するということはありませんから、心身共に過酷な旅路だったはずです。
今でも山梨県の東京都との県境近くに、松姫峠という峠があります。
松姫が甲斐から逃れる際に越えたという伝承から名付けられたそうです。
境内にある、松姫の墓所にお参りしました。
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2019年夏東京八王子旅行二日目(4)。西八王子到着。石見土手、日吉八王子神社。西八マクド
高尾山下山後、高尾山口駅の隣にある温泉施設「京王高尾山温泉 極楽湯」に入りました。
汗を落としてさっぱりしました。
露天風呂もあってよかったですね。
大人一人利用料が1000円、土日祝だと1200円です。
タオル・バスタオル等は持参ですが、別料金を払えばレンタルできます。
この頃はまだコロナ禍前だったからですが、結構な混雑でした。
さっぱりしたので電車に乗り、高尾駅でJR中央線に乗り換えて西八王子駅まで来ました。
北口に出ました。
西八王子駅も東京都の駅なんですけど、なんだかひなびてますね、駅舎も周辺の繁華街も。
東京は都会…と脳が思い込んでいるので、この昔の宿場町の名残があるような西八王子の街の風景を眺めていて、混乱でめまいが起きそうでした。
しかしいずれにしても好きな雰囲気です。
国道20号線ですね。
この沿道の風景も、東京だけでなく、山梨あたりの要素が混じっているような空気です。
戦国時代、甲斐国(現在の山梨県)を本拠にしていた武田勝頼が滅ぼされた後、武田氏の姫君や旧臣たちが八王子に移り住んできたそうです。
中世から近世の、甲斐国と江戸との人の行き来も西八王子の街の形成に影響していそうですね。
「良价山 宗格院」という曹洞宗のお寺です。
このお寺の境内に、大久保長安ゆかりの史跡があると聞いてきました。
「石見土手」です。
大久保長安が石見守を称していたことから石見土手、なんですね。
大久保長安はもと武田氏の家臣で、武田氏滅亡後に徳川家康に仕え、八王子の支配を任されました。
日本全国の鉱山の開発を行ったことでも著名です。
江戸時代初期には近くを流れる浅川が度々氾濫していたので、土木技術に長けた大久保長安が、浅川沿いに土手を築造して治水したのです。
今は、石見土手はこの宗格院の境内にわずかに名残りが見られる程度だそうです。
石見土手の名残の石垣堤です。
宗格院は南浅川から南に少し内陸に入ったところにあるので、これはここに土手があったのではなくて石垣だけを宗格院境内に移築したのだろうな、と思いました。
宗格院近くの日吉八王子神社にもお参りしました。
小田原北条氏の滅亡後、落城した八王子城の八王子権現を、土地の修験者が徳川家康の認可を得てここに勧請したものだということです。
八王子城の八王子権現は、もともと近江国の日吉大社に属する分社のひとつ。
日吉大社と言えば、帰依したとされる豊臣秀吉を連想しますが……。
日吉大社に連なる八王子権現に守られた八王子城が、豊臣軍に攻め落とされたのは皮肉です。
石の天水桶ですね。
小田原北条氏の家紋、三鱗が刻まれています。
小田原北条氏滅亡後に勧請された神社で、この家紋が採用されているのは、土地の人たちの北条氏への崇敬の表れでしょう。
こういう神社はこれまで無かった、という感覚がするんですね。
なぜかと思ったら、この舗装されていない、土の土地でした。
珍しいように思います。
社殿のたたずまいも素朴でいいです。
心の落ち着く色合いの境内ですね。
緑も多く、心が癒されました。
日吉八王子神社は素敵な神社でした。
甲州街道、千人町の交差点です。
江戸時代、この周辺に武田氏旧臣から組織された千人同心の武家屋敷があり、街道を警備していたそうです。
街路樹の緑の多さがいいですね。
以前に訪れた世田谷区でも、歩道から車道が見えないくらい街路樹が密に植えられていました。
東京都は、街路樹で都市に自然を補充する方針なんだろうと思います。
いいですね。
お昼にしようと思うのですが、西八王子駅前のお店でどこに行くか迷ったあげく、マクドナルドに入ることにしました。
八王子でのランチは、武蔵野うどんか八王子ラーメンを狙っていきたいところなのですが、西八王子駅ではそれらしいお店がなかったのです。
それとまた、旅先マクドというのも、実はかなりいいものなんですよね。
落ち着けるんです。
ちょうどハワイフェアか何かやってた頃で、ハワイ風のガーリックシュリンプバーガーのセットを頼みました。
あとチーズバーガーも。
私はチーズバーガーが好物なのです。
ガーリックシュリンプバーガーです。
ぷりぷりの海老が入った海老カツにガーリック味のあるソースがかかっています。
たぶん美味しかったと思います。
ポテトは「旨辛ホットチリ」のシャカシャカポテトをオプションで付けました。
シャカシャカポテトは楽しいです。
味は覚えていませんが、やはり旨辛だったと思います。
旅先で、あえてのマクド。
これは癖になります。
歩道に千人同心の意匠が施された車止めを見つけました。
洗練されたデザインです。
この甲州街道(国道20号線)を真っすぐ東に行けば、新宿まで行けるそうですが……。
このひなびた西八王子の街と、新宿が地続きとは不思議な感覚がしました。
「西八いいね!」。
いいと思います。
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2019年夏東京八王子旅行二日目(3)。高尾山はサル園・野草園も素敵
高尾山頂から下山して参ります。
参道下の山の斜面に紫陽花が群生していて、気分が癒されました。
サル園・野草園にもせっかくだから入園しておきたいですね、大阪から高尾山に来る機会もそうそうありませんので。
サル園と野草園の入場券がセットになっていて、大人一人420円でした。
霧の中で猿たちも寒そうに見えます。
夏ですが、高尾山の上はお天気のせいもあって気温が低かったですね。
猿向けの餌を購入したのですが、小石のような外観と感触でした。
私は投げる力が弱くコントロールも悪いので、餌を無茶な方向に投げてました。
誰かしら、見つけて食べてくれていたようです。
赤ちゃんを撮るのに必死です。
大人が何かと構いに行くので、その陰になって赤ちゃんの姿がなかなか露出しません。
泥の中でも平気で遊んでいました。
霧の中で猿たちが動き回っている風景、悪くなかったです。
こちらこそ、お邪魔しました。
キキッ。
野草園のエリアも見てきます。
バードウォッチング向けの、しっかりしたつくりの「憩の館」が立っています。
この窓枠にはガラス窓がはまっていなくて、空気が通り抜けています。
天気がいい日には、ここでねばってバードウォッチングするのもよさそうです。
斜面の小道沿いで、自生する山野草をそのまま活かして見られるようになっています。
花が咲くと花弁が膨らんで、その形が昔の武士が戦場で装備した母衣(ほろ)に似ていることからの発想だそうですね。
写真ではその花弁が出ていないのでちょっとわかりませんね。
紫陽花が拝める通路です。
雨なり霧なりの日は、紫陽花の花がみずみずしく見えて、これはこれでいいですね。
これは何の花かわかりませんが、なかなか綺麗でした。
420円の入園料、ちょっと高いかなと思ったんですが、猿の姿を見たり、自然を生かした山野草の姿を見たりして、楽しめました。
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2019年夏東京八王子旅行二日目(2)。高尾山登山。飯縄権現の山。山頂まで
高尾山登山を始めます。
小雨の下で、雨合羽に頼っての登山です。
山火事に注意、です。
今日は湿度高めだから自然発火のおそれはないでしょうね。
登山道が舗装されて登りやすいのは有り難いのですが、そのせいで下からしょっちゅう自動車が登ってくるのです。
山頂の店舗に、本日の営業のための物資を運んでいるんですね。
それらの自動車が登ってくる度に、我々登山客は道の端によけて道を譲ることになります。
これはちょっとわずらわしいですね。
雨の下、白い紫陽花の花が咲いています。
心を落ち着けました。
沿道に童子像が立っています。
仏法の守護者なのでしょう。
高尾山は古くから修験道の聖山として、修験者たちの修行の場でした。
高尾山の歴史を味わうように歩き登っています。
霧が出ていますね。
この雰囲気はいいですが、高尾山山頂の展望台から都心の風景が眺められると聞いて、楽しみにしていたのです。
小雨と霧の中では、遠望もかすんでしまいそうな。
道標ですな。
金比羅台をへて高尾山頂に向かう経路ですな。
金比羅台には金比羅さんが祀られているのでしょうから、そちらから参りましょう。
金比羅台経由だと道幅が狭く段差もある分、自動車攻勢も避けられそうです。
その段差も低いものなので、助かりました。
金比羅台はこんなところでした。
「東京湾は見えますか?」
天気のいい日には見えるのですな。
素晴らしい景色なんでしょうね。
未舗装路を一人登っていきます。
足元がおぼつかないけれど、後ろから自動車が来なくて落ち着きます。
舗装路と合流して、足場は安定したけれどまた後ろを気にする状態に逆戻りです。
こならの木の根が露出しています。
リフトの発着場を見下ろす場所に出ました。
山頂の展望台も近いようです。
まだ営業時間前ですが、「ビアマウント」の高い建物です。
山を登ってきてビールが飲めるなんて、たまらん施設ですね。
私は今回はお酒は控えます。
ビアマウント付近の通路前には展望スペースが設けてあって、ベンチにテーブルまでつけてくれてあります。
晴れた日なら、ここでお弁当食べるのもいいですね。
晴れてさえいれば、高尾山から都心が見えるんですね。
見たかったなあ。
今はこんな感じの濃厚な霧の風景です。
これはこれで風情があって好きなんですけれど。
晴天の都心の遠景もたまらなく好きなので、惜しいです。
ビアマウントでビールを飲む代わりに、自販機で買った強炭酸飲料で景気づけしました。
山の上なので、ちょっと高かったですね。
180円だったと思います。
トラックで山下から運んで来ているんで、燃料費が上乗せされてるんですね。
美味しゅうございました。
「サル園・野草園」はまだ時間が早くて、開園前でした。
とりあえず先に山頂を見て、後で戻ってきましょう。
高尾山で著名なスポット、ご神木のたこ杉ですな。
テレビの旅番組等でよく紹介されているのを見ています。
木の根の形がたこの足みたい?ということで「たこ杉」と呼ばれているようですな。
もともと通路側にあった根が、通行の障害として伐採される予定だったところ、一夜にして通路の逆側に根が曲がっていた…という伝説もあるそうです。
私も何かにつけ引っ張り蛸状態になりたいと思い、開運ひっぱり蛸をなでなでしました。
ここから先は、高尾山薬王院の境内になります。
行基は現在の大阪は堺の出身で、日本全国で寺院を建立、又ため池の治水事業などを行っており、大阪府民には馴染み深い偉人であります。
ご本尊は飯縄大権現だそうです。
地元大阪の、金剛山山頂の雰囲気を思い出しながら境内を歩いています。
高尾山も金剛山も修験道の聖地であり、山地と森林の醸す独特の雰囲気があります。
立派な山門がいいですね。
近世にも、江戸から近いだけに、多くの人が参拝に訪れたことでしょう。
飯縄権現は天狗さんの姿で表現されるのだそうです。
昔お参りした、鎌倉の建長寺境内の天狗さんの像を思い出しました。
境内に自販機があるのですが、
「天狗力茶」が売られているのですよ。
160円。
天狗さんのお力にあやかりたいと思い買いました。
高尾山だけで、数量限定で販売されているみたいです。
飯縄権現が祀られています。
薬王院は奈良時代に行基が薬師如来を本尊として開基の後、室町時代に至って俊源という修験者により飯縄権現を合祀して中興されたということです。
お参りしました。
薬王院境内から、高尾山山頂に向かいます。
途中の案内板にこんな説明がありました。
高尾山から、関東全土の国々が見えたわけなんですね。
中世関東の覇者、小田原北条氏の北条氏照(ほうじょうじてる)は高尾山のある八王子近辺を領有していました。
彼も時に高尾山に登っては、これらの国々を睥睨していたであろう…という想像をしました。
北条氏照には戦国時代を生き抜いて欲しかったですねえ…。
高尾山頂に登りました。
標高599メートルです。
長らく憧れの山だったので、感慨深いものがあります。
雨天は残念ですけれども。
高尾山頂から拝む東京都心の遠景を楽しみにして来たのですけれども。
うまくいかないものです。
いつか、また晴れた日に再登山することを誓いました。
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2019年夏東京八王子旅行二日目(1)。八王子駅から高尾山口駅へ。高尾山登山を決行、登山口まで
八王子旅二日目の朝であります。
今日は午前中から高尾山に登る予定だったので、早くに起きています。
昨日の朝に八王子城跡の本丸で右膝を痛めて、ずっと後を引いているんですね。
高尾山で遭難することはないと思うので予定通り決行しますけれど、今から不安です。
八王子駅南口のシンボル、サザンスカイタワー八王子がそびえています。
眺めながら駅構内に向かう朝6時30分。
都内の名山として名高い高尾山なら、週末は都内始め首都圏各地と世界中からの観光客も多く来るだろう、と踏んだのです。
早い時間なら人も少なくてスムーズな登山ができると思いました。
以前に、週末に高尾山登山した知人から「死ぬ程混んでたから朝早くに登りや」と助言されたのも大きいです。
高尾駅行きの電車が来ましたね。
10分足らずで高尾駅に到着しました。
朝7時前でも結構乗客がいますね。
さすがに辺境であっても東京は東京です。
高尾山の最寄りの京王高尾線高尾山口駅に行くために、京王線のホームに行かないといけないのですが、この構内の移動が結構こたえました。
階段の昇り降りで膝に痛みが走ります。
登山前にこれはまずいんじゃないのか、と思いつつの移動です。
京王高尾線の電車です。
登山客の人の姿がちらほら見えます。
膝痛くて登山が不安、でも有名な高尾山にとうとう来たと思うと、気分は浮かれてきます。
次に来る電車に乗れば、京王線で昨日寄った聖蹟桜ヶ丘駅、調布駅を経由して新宿駅まで行けるのですね。
旅の最終日は新宿から高速バスで大阪に帰るので、その前にまた少し新宿周辺の観光をしようと思っています。
この高尾山口駅前ののどかな風景と大都会新宿の風景とが一時間と少しの時間的距離で繋がっているかと思うと、不思議な気持ちがします。
高尾山口駅の駅舎です。
大きくて文化施設のようなモダンなデザインでした。
素敵ですね。
こういう駅がすぐ近くにある高尾山、登山客で賑わうのも無理はないです。
大阪で同じような位置づけにある金剛山の方は、大阪市の中心地からは便利が悪いところにありまして。
大阪市内から電車を乗り継いで南海高野線の河内長野駅かもしくは近鉄の富田林駅といった南大阪の駅まで出向いて、そこからさらに路線バスに乗って奈良県との県境にある千早赤阪村まで行くのです。
アクセスの良さで高尾山と金剛山とは段違いです。
ただそうであっても、金剛山は登る価値ある名山であることは確か、と大阪府民の立場から主張しておきますね。
高尾山のことも、「うちの地元の金剛山と同じく都会の近郊にある名山」という観点から、比較対象として興味を持ったわけでもあります。
駅前に掲示されている、ハイキングコース案内図です。
お手洗い等の各施設の場所が明示されていて、重宝します。
こういう現地の地図類をスマホで取っておくと、後々役に立ちましょう。
昨日高尾駅前のコンビニで購入した雨合羽をここで着込んで、高尾山に向かいます。
駅から真っ直ぐ歩いて甲州街道に出た「高尾山口駅前」交差点の正面に、いきなりラブホテルでした。
こんな駅のまん前にあると、徒歩では目立って入りにくいと思いますが。
登山帰りにシャワー浴びるついでに休憩しよう、ってカップル需要でもあるのでしょうか。
甲州街道を南に少し歩いて、「高尾山入口」の交差点です。
ここから表参道を通って高尾山の登山口に行けます。
表参道沿いには「高尾山商店会」として、お店が並びます。
懐石料理店、和菓子店、むぎとろ料理店。
雰囲気のあるお店ばかりでいいですね。
大阪の金剛山の方は最寄りのバス停を降りたら商店が少しあるだけですぐ山!なので。
高尾山の整った表参道がうらやましくあります。
うらやましがってても仕方ないですからね。
登っていきましょうか。
リフト乗り場もありまして、足痛いのでリフトに乗ってしまおうか余程悩んだのですがね。
わざわざ大阪から高尾山まで登山しに来たので、リフトに乗ってしまうともう何だかわからない、と思いまして。
できる限り歩いて登ろう、といよいよ決めました。
きっと登山決行の判断としては間違っております。
皆様は傷病のある場合は無理をせず、安定した体調のもとで登山をお楽しみください。
登山口ですね。
可能な限りのスローペースで登っていこうと思います。
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