『奴に餌を与えないでください』
展望台の下は崖である。
胸の高さまである柵ぎりぎりまで近づいた。
ミコは上体を乗り出して、下をのぞいた。
誰かの頭頂部が崖下数メートルのところにあった。
巨大な頭頂部だ。
巨人が崖下にいるのだった。
「ひっ」
思わず声をあげてしまった。
ミコの声に巨人は反応した。
巨大な頭頂部が後ろに沈んで、同時に巨人の顔がこちらを見上げる形になった。
二人の目が合った。
「おい、餌くれ」
巨人は巨大な声でミコに言った。
同時に鼻息が彼の鼻から吹き上がってきて、柵から乗り出しているミコの上体にあたった。
ミコの衣服がはためいた。
「餌くれよお」
なおも言って、せつなそうに身もだえする。
よく見ると、巨人は両腕と全身に鉄の鎖を巻かれ、その鎖で崖に拘束されているらしい。
体が崖に固定されていて、展望台を見上げることのほかには身動きできないのだ。
非常に気の毒だ。
「餌?どこにあるの」
ミコは上向いた巨大な顔を見下ろして、尋ねた。
「おたくさんが立ってる展望台のどこかで売ってるだろ」
巨人は苦しそうに答えた。
かなり空腹と見える。
ミコはいったん柵から身を離して、展望台の上を見回した。
崖の上をコンクリートで固めてつくられた展望台だ。
柵のそばに、自動販売機があった。
餌の販売機なのだ。
巨人の餌がひとつ、150円とある。
ミコは硬貨投入口に150円を投入して、取り出し口から餌を受け取った。
もなかを半分に切ってつくったお皿の上に、お団子のようなものが6個、乗っている。
鼻を近づけると、何か美味しそうな穀類の香りがする。
あの巨体にこの量では心もとないかもしれないが、とりあえず食べさせようとミコは思った。
もなかのお皿を手に柵のそばに戻った。
そのとき、彼女は気付いた。
柵に注意書きのプレートが張られている。
「奴に餌を与えないでください」と書いてある。
奴とは崖下の巨人のことだろうか。
身動きできないであれだけ空腹なのに、与えないのは気の毒だ。
注意書きなど無視して餌を崖下に放り投げようとミコは思った。
「ちょっと君、何をしてるんですか」
後ろからとがめられた。
振り返ると、中年の男性が立っている。
頭にキャップをかぶり、腕には腕章を巻いていた。
「そう言うあなたは誰」
ミコは聞き返した。
「奴に餌を与える人が多いから、監視している者です」
男性は答えた。
「奴に餌を与えないでください」
こちらを厳しい目で見ながら言う。
ミコは納得がいかなかった。
「だって、自動販売機で餌を販売しているじゃないの」
「ああ、それはね」
男性はため息をついた。
「それは奴に与えるために売っているのではないのですよ。いいですか…」
言いながら、ミコの手の上のもなか皿から、団子をひとつ摘み取ったのだ。
男性は団子を手に、柵に向かう。
上体をせり出して、崖下を見下ろした。
ミコも柵から身を出して様子をうかがった。
「おい、見ろ。餌、うまそうだろ?」
ミコに話しかけたときとは違う。
男性は嫌らしい嘲笑するような調子で、崖下の巨人に呼びかけた。
片手でもった団子を、見せびらかしている。
「あうあう。餌。くれえ」
男性を見上げながら、拘束された巨人は身もだえした。
「はい、あーん」 と男性は巨人の口元に餌を落とすと見せかけて、それを自分の口に放り込んだ。
「お団子うめーっ」
美味しそうな絶叫をこだまさせる。
見上げる巨人の顔に、絶望の色が浮かんだ。
「ぐおおお」
巨人は男泣きした。
男性は泣き叫ぶ巨人にかまわず、同じく柵のそばにいるミコの方を振り返った。
「いいですか、こうして巨人を苦しめるために餌を販売しているわけなのです」
なるほど、とミコは思った。
しかしどう考えても気の毒なので、ミコはもなか皿ごと巨人の口に餌を投げ入れた。
面子をつぶされた監視員には怒鳴られたが、巨人に感謝された。
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