『手間のかかる長旅(088) 職業安定所に突入したアリスと時子』
お寺で、アリスは僧侶に「宗論」を仕掛けたらしい。
時子(ときこ)には宗論が何かはよくわからない。
だが、その響きは何か物騒なものを感じさせる。
テレビ番組の企画で、アリスは、お寺に宗論を仕掛けるように仕向けられた。
アリスにとっては、その経験は苦痛だったに違いない。
そういう無茶な仕事が積もり積もって、アリスは爆発してしまったのかもしれない、と時子は思った。
それなので、あまりアリスにその辺りの件について追求することは控えた。
そうこうするうち、二人して、職業安定所にたどり着いたのだ。
時子はしばらく前まで在宅の仕事をしていた。
でもそれは、インターネット上で見つけてきたものだった。
職業安定所に足を運ぶのは、今回が始めてだ。
緊張する。
清潔だが建築にも調度品にも遊びのない、公共施設の建物である。
来訪者を緊張させる雰囲気なのだ。
しかし中に堂々と踏み込んでいくアリス。
彼女に寄り添うようにしながら、時子は歩いた。
「お前はなんでそんなくっつくんだ」
アリスは、時子をたしなめる。
「だって私、ここ来るの初めてなの」
「私は三回目だにゃ」
アリスは、時子の緊張感など意に介さなかった。
足早に施設内の通路を進んで行くアリスにしがみつきながら、時子も必死に歩く。
求人検索コーナーに来た。
端末を使って、各種の求人を検索できるようになっている場所である。
これと思う求人を見つけることができれば、求人票を印刷できる。
その求人票を持って、安定所の職員たちが待つ相談窓口で紹介を受けるのだ。
部屋の入口近くにあるカウンターで、アリスと時子は利用カードを受け取った。
カウンター内で応対した職員は外国人求職者を見慣れているのか、アリスの姿に何の驚きも露わにはしない。
二人への丁寧な対応に、時子は好感を持った。
各端末には、番号が振られている。
利用カードにはその番号が書かれている。
カードの番号を頼りに、二人は該当する端末のもとへと向かう。
カウンターの職員は友人同士の時子とアリスに気を利かせて、カードを渡してくれたらしい。
二人は、隣り合う端末席に座ることができた。
アリスは早速、タッチパネル対応の液晶画面に指先を当てて、求人を探し始める。
慣れた様子である。
一方の時子は、そういうわけにもいかなかった。
狭い間隔で端末が並ぶ空間にいる。
時子とアリスが肩を並べて座る周囲には、他の求職者たちが密に座っている。
彼らはアリスと同じように端末の画面を眺めながら、それぞれに見合う求人を探す。
幅広い年齢層の男女が集まるその場の雰囲気に、時子は気後れしているのだった。
いろんな人たちがいる。
スーツ姿の、転職活動中らしい若い男性がいる。
画面を見ながら、しきりに舌打ちを繰り返す高齢の男性がいる。
検索中に独り言を言い、時にしのび笑いを洩らす中年の男性がいる。
赤ちゃんを腕に抱えて、時々その子をあやしながら検索する、時子とさして変わらない年頃の女性もいる。
個々人の多様な人生を感じさせる空間。
こんな場所に身を置いた経験は、時子はこれまでにない。
「時子、人間観察してないで仕事探すにゃ」
画面上の求人票リストに目を走らせ、時子を見もしないでアリスは言った。
「別に観察はしてないよ…」
アリスの遠慮のない表現に、時子は戸惑う。
自分たちの不躾な会話を周囲の他の求職者に聞かれていたら、と思うと緊張が高まる。
そんな彼女には注意を払わず、アリスは平気な顔だ。
「お前がぼやぼやしてる間に、お前の仕事も私がもらっちゃうよ?」
時子の方を一瞥して、いたずらっぽい笑みを向けてきた。
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