2022年4月埼玉旅行一日目(7)。岩室観音堂。吉見百穴。地下軍需工場跡を覗く
城跡の暗い森の中から出てきて、正直ホッとしました。
若干怖かったです。
松山城跡の森の地続きの場所で、岩壁の中に窓のようなものが見えるんですね。
この時は何かわからなくて気持ち悪いなと思ったのですが、後から調べたところによると、これは「巌窟ホテル」と言う場所だそうです。
明治時代に土地の好事家が岩の中を掘り進めで、洋館のような内装の住居を掘ったものらしいのです。
現在は封鎖されていますね。
『埼玉県の歴史散歩』では取り上げられていないスポットなので、現地では全く気付きませんでした。
巌窟ホテル、まだ現地の教育委員会では史跡認定されていないということかもしれません。
保存がちゃんとされていれば観光名所にも出来たかもしれないのですがね。
巌窟ホテルの隣に岩室観音堂があります。
木像のお堂の奥の岩壁の中が空洞になっており、その中に観音像の他、数多くの石の仏様たちが安置されています。
観音像を彫ったのは当地に来た弘法大師だという伝承があります。
手を合わせました。
この急な斜面を登った上に面白いものがあるという話なので頑張りました。
ハート型の通り穴なのですね。
この中をくぐるのも一苦労でしたが、せっかくの記念に通って参りました。
気が済んだので吉見百穴に向かいます。
観覧料が大人300円でした。
ひとかたまりの岩山に、古墳時代後期の横穴式の古墳が多数集まっているのが吉見百穴です。
集団墓地ということですね。
この百穴は江戸時代から謎の場所とされており、明治時代中頃の発掘調査で土器類が見つかったことから一度は住居跡と発表されました。
が、後の大正時代に入るとさらに調査が進んで古墳であるという決着に至りました。
戦時中には古墳のある岩山の地下に巨大な空洞がつくられ、軍需工場として使用されております。
現在は内部は調査中とのことで、公開はされていません。
扉の格子ぎりぎりまで近づいて中を覗きましたが、かなり中が深いようです。
地下軍需工場跡ということなので、地下への入り口が中にあるのでしょう。
面白い形ですが、この開いている横穴全てにかつては人の遺体が埋葬されていたかと思うと、ちょっとおっかないです。
おっかないと思いながらも覗いてしまうのが人の業といいますか……。
ずいぶん前に大阪の柏原市にある高井田横穴古墳群を見に行ったことがありますが、そこよりも規模がデカいんですよね、この吉見百穴は。
その柏原市の方の古墳を見に行った当時、「いつか埼玉の吉見百穴にも行きたい」と願った覚えがあります。
それから10年近く経っていますが、ささやかな願いがひとつ、かなってよかったです。
吉見町付近はひなびてますけど、東松山市はかなり発展した街なんですね。
大型古墳の上にある野菜直売所の存在にシビれました。
旅の途中なので野菜を変えないのが残念です。
軍需工場跡の入り口トンネル、他にもありました。
通路脇に、横穴が結構密な感覚で設けられてあるのですね。
軍需工場を作る際、古墳の石室がかなり破壊されたといいます。
現在は古墳も軍需工場跡も、共に後世に歴史を伝える保存の対象となっているわけであります。
古墳の外に咲いているこの花は、桜の一種でしょうか?
いつまで経っても花の名前がわからない、悲しい中年です。
しかし美しい花を見る楽しみは、花の名前を知らない者にも許されています。
吉見百穴はまた、古墳の横穴の中に天然記念物のヒカリゴケが自生していることでも有名です。
せっかくなので覗きに行きましたが、苔らしいものは見えたものの、光っているのかどうかよくわかりませんでした。
異色の史跡、吉見百穴。
色々おっかない雰囲気はありますが、古墳好き、洞窟好きの人にはおすすめしたい名所でした。
横穴式石室からみた古墳時代社会 (季刊考古学 160) [ 太田宏明 ] 価格:2,860円 |