東京旅行二日目(7)。世田谷八幡宮と太子堂八幡神社。河内源氏、源義家の足跡

豪徳寺へのお参りの後、近くにある東急世田谷線宮の坂駅から電車に乗って、再び三軒茶屋方面に戻ることにします。

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宮の坂駅の傍らには世田谷八幡宮があります。

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八幡宮というと、武家河内源氏氏神である八幡神を祀っています。

同じく河内源氏の流れを汲む足利氏に縁のある土地にも、よく八幡宮のお宮がありますね。

世田谷界隈はかつて足利氏の支流の世田谷吉良氏が治める土地だったので、それでここにも八幡宮が創建されたのだろう、と私は思ったのですね。

しかし世田谷八幡宮の敷地内にあった案内板を読むと、予想とは少し違いました。

創建は世田谷吉良氏が当地に来るよりももっと遙か以前の平安時代後期のことで、「後三年の役」で奥州の清原氏を攻めた河内源氏源義家(みなもとのよしいえ)が奥州からの帰途、この地に勧請したものだということでした。

源義家は通称が「八幡太郎義家」と言われ、京都の石清水八幡宮元服した経緯があり、氏神である八幡神への崇敬が篤かったのですね。

世田谷の地に八幡宮を勧請したのも、奥州で武運に恵まれたことを八幡神に感謝してのことだったようです。

後の室町時代、当地を治めることになった世田谷吉良氏によって、世田谷八幡宮の社殿は修復されて整えられたということです。

奥州で熾烈な戦を勝ち抜いた八幡太郎義家と、その義家の後裔であり奥州管領として奥州を治めていたこともある世田谷吉良氏の一族の足跡が、世田谷八幡宮で重なります。

深い因縁を感じました。

私も自分の武運を祈願しました。

私の足跡も河内源氏と重なりました。

源義家、世田谷吉良氏、と来て金比羅系です。

次はあなたの番です。

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宮の坂駅の駅舎に隣接して、かつて使われていた車両が展示されています。

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中に入ることもできました。

この車両は世田谷線を走った後、江ノ島電鉄で「江ノ電」として走ってきた歴史があるのですって。

江ノ電になって、鶴岡八幡宮がある武家の古都、鎌倉の海側を走った後にまた世田谷八幡宮の前に帰ってきたのですね。

八幡宮に縁の深い車両ですね。

そういえば世田谷八幡宮源義家が奥州からの帰途に世田谷に滞在している間に創建したということですから、義家が鎌倉に戻った後に創建した鶴岡八幡宮よりも少しばかり歴史が古い…と言えそうです。

世田谷八幡宮側の由緒を重んじるならそう解釈できる、ということですね。

 

宮の坂駅でしばらく待って、やってきた三軒茶屋駅行きの電車に乗り込みました。

ところで私、三軒茶屋付近にある「太子堂」という地名が気になっていまして。

地名で太子と言うと聖徳太子に縁のある場所を指すことが多いですから、近辺に太子堂という聖徳太子を祀ったお堂があるんじゃないか、とそう思ったのです。

私は聖徳太子に身近な南大阪から来ていまして、東京で聖徳太子に関わりのある場所があるなら見ておきたかったんですね。

手持ちの地図には「太子堂八幡神社」なる場所が載っていて、もしかしたらそこに太子堂があるやもしれぬ、と。

そう思い、その最寄りの西太子堂駅で途中下車しました。

三軒茶屋駅のすぐお隣の駅です。

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このあたりの住宅街も味わいがありますねえ。

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ここも住宅地の中、太子堂八幡神社にやって参りました。

境内を探しましたが、太子堂なるお堂は見つからずでした。

私の早とちりでした。

そこは残念ですが、せっかくなのでお参りしていきます。

太子堂八幡神社には、源義家が「前九年の役」で奥州に向かう途中に当地にあった神社で休憩したという伝承が残っているそうです。

もともとは土地の神様を祀る神社だったようですが、源義家が関わる由緒によって、八幡神を祀るようになったのですね。

前九年の役」は「後三年の役」よりも以前に源義家が奥州で戦った戦ですから、世田谷八幡宮よりもさらに由緒の古いお社ということになりますか。

太子堂八幡神社世田谷八幡宮の伝承から想像するに、おそらく世田谷という土地は関東から奥州に向かう途上にあり、鎌倉と奥州とを行き来する河内源氏にとっては古くから馴染みの深い場所だったのでしょう。

そのように思いました。

室町時代に世田谷は河内源氏の後裔にあたる世田谷吉良氏の統治するところとなって八幡神を祀るお社が整備され、後世に残ったのですね。

河内源氏の歴史と結びついた、世田谷という土地の個性を感じます。

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西太子堂界隈から三軒茶屋まで一駅なので、散策がてら歩いて戻ります。

背の高いビルが少なく、住宅地の広がる近隣で、三軒茶屋キャロットタワーってよく目立つランドマークになっているんですね。

自分の中で、キャロットタワーに対しての親しみが増しているのを感じます。

ちなみに太子堂の由来になった場所ですが、後で知ったところによると、三軒茶屋から茶沢通りをずっと北に進んだ先に円泉寺という寺院があって、その境内に太子堂というお堂があるんだそうです。

ここが地名の太子堂の由来で、おそらくは、聖徳太子に縁のあるお寺なのでしょうね。

今回の旅ではお参りできなかったですが、次に三軒茶屋に来たら円泉寺にも足を運んでみたいと思います。

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東京旅行二日目(6)。井伊家の菩提寺、豪徳寺。見どころいろいろ

世田谷城址公園から住宅地を10分も歩かないうちに、有名なお寺に着きます。

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大谿山豪徳寺です。

豪徳寺ってテレビの旅番組街歩き番組等で今まで何度か見ていました。

私は有名なお寺だと思っているんですが、どうなのでしょうね。

お参りしていきましょう。

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旅の前に下調べしてきたところでは、この豪徳寺も世田谷吉良氏によって創建された寺院なのですね。

そして江戸時代以降は、世田谷を所領とした彦根藩主井伊氏の菩提寺になっているんです。

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大河ドラマの題材が井伊氏を取り上げたものだったこともあってか、若い人たちを含めた参拝客でにぎわっています。

お寺の境内の雰囲気自体も、緑豊かで静かで落ち着く雰囲気なのですね。

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11月の旅で、紅葉が拝めたのでした。

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三重の塔もあるんです。

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ここから先は、井伊家の墓所になっています。

2代彦根藩井伊直孝(いいなおたか)以降の藩主たちが眠っています。

中には幕末の「安政の大獄」を起こした張本人、幕府大老井伊直弼(いいなおすけ)の墓もありました。

安政の大獄の後、水戸浪人たちによって桜田門外で襲撃され、倒れた井伊直弼

豪徳寺に葬られていたのですね。

安政の大獄の犠牲になった吉田松陰(よしだしょういん)と井伊直弼、共に世田谷区内の近い位置で眠っているのは、何か因縁を感じます。

井伊直弼墓所にもお参りしました。

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今年は日々のことに気を取られて紅葉には無頓着でしたが、思わぬところで赤々した彩りを楽しむことができました。

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豪徳寺は招き猫が名物でもあるんですね。

どうも豪徳寺が招き猫の発祥地らしいです。

かつて、雨降りの日に井伊直孝公を豪徳寺境内に導いた猫が由来なのですって。

ありがたいことですな。

招き猫を購入して奉納することができるようですが、私は奉納をしないで、他人様が納めた猫たちを拝むだけに留めました。

これで何がしかの御利益に預かれまいか、という下心でした。

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東京旅行二日目(5)。世田谷区桜の勝光院から世田谷城址公園へ。世田谷吉良氏の足跡

いったん東急世田谷線の上町駅まで歩いた後、西の世田谷区桜一丁目界隈を目指します。

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桜一丁目、落ち着いた住宅街なんですね。

ところが、この中に私を引き寄せる場所があります。

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見えてきました。

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曹洞宗の寺院、延命山勝光院があるのです。

延命山って心惹かれる山号ですね。

なぜこのお寺に来たかというと、勝光院は世田谷吉良氏の菩提寺なのです。

南北朝時代に吉良氏によって創建された寺院です。

後の戦国時代には当時の吉良氏当主吉良氏朝(きらうじとも)によって再興され、その際それまで臨済宗だった宗旨を曹洞宗に替えました。

ちなみに吉良氏朝、北条幻庵(ほうじょうげんあん)が「北条幻庵覚書」を送った、後北条家の姫君が嫁いだ相手でもあります。

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境内にある梵鐘は、江戸時代の元禄期に加藤鋳物師(かとういもじ)の一人、加藤吉高の手で製作されたものだそうです。

加藤鋳物師というのは、かつて八王子あたりに本拠を置いて三多摩地方を中心に活躍した鋳物職人の名称だそうです。

おそらく加藤鋳物師には加藤姓の人が多かったのでしょうね。

 

本堂に参拝の後、境内にある吉良氏一族の墓所にお参りしました。

ここには、吉良氏朝の孫にあたる吉良義祇以降の一族が眠っているということです。

かつて広大な奥州を支配した奥州管領の末裔たちの霊に、手を合わせました。

 

勝光院へのお参りを済ませて、上町駅の駅前に戻ります。

上町駅から北に、今度は世田谷城跡を訪ねていくことにしました。

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城山通りの向こうに城跡の木々が見えて参りました。

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ここですな。

世田谷吉良氏の城、世田谷城のお城跡です。

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今は世田谷城址公園になっています。

14世紀後半に吉良治家が居住したことに始まり、戦国時代に小田原攻めで後北条氏が滅びて廃城になるまで、世田谷城は吉良氏のお城でした。

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郭跡の高台の上から、堀跡を見下ろします。

現在の堀跡は浅いので、もはやお城としての機能は期待できません。

これからここに篭城しようとしても難しいです。

私も篭城はあきらめました。

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今でも郭跡、堀跡、土塁跡の残る世田谷城址公園です。

閑静な住宅地の中にこうした場所があって、異質な空気を醸し出しています。

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ご覧の通り、お堀はほとんど無いくらいの深さです。

かつてはもっと深くてお城としての防御力も高かった、かもしれません。

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高台になったお城の郭跡の上にテントを張って一晩か二晩キャンプしたら楽しそうですね。

でも周囲が住宅地であるだけに、野宿したり火をおこしたりなんかしたらすぐ通報されてしまいそうです。

手前勝手な篭城はかないません。

吉良氏の時代には、城番の武士たちが寝泊りしてお城の警護をしていたことでしょう。

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東京旅行二日目(4)。ボロ市通り沿いの世田谷代官屋敷。区立郷土資料館で北条幻庵覚書も拝見

東急世田谷線世田谷駅から歩いて参ります。

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世田谷の街は、世田谷代官のお膝元らしいです。

心が引き締まります。

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世田谷には代官がいてお城跡があって寺院もあって、見るべき史跡が多いのです。

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街路樹の緑が目に嬉しい。

最初の目的地、都史跡の世田谷代官屋敷を目指しております。

お代官様のお膝元から、お代官様ににじり寄って行きます。

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代官屋敷は「ボロ市通り」という通り沿いにあるらしいのです。

ボロ市って名称は衝撃的でした。

代官屋敷がありそうな響きではないですね。

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ここがボロ市通りだそうです。

特にボロボロした雰囲気もなく、拍子抜けしました。

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ボロ市通りで間違いなし。

由来が気になりますね。

ちなみに夏にはこの界隈で「ホタル祭りとサギ草市」って催しもあるそうです。

街中なのに、世田谷でホタルが見られるんですかね。

謎が深い界隈です。

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ボロ市通りの正式名称は桜栄会商店街というのですね。

いつでもボロ市通りでは外交上の支障が出ることもあるのでしょう。

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ボロ市通りを進んで、代官屋敷の茅葺屋根が見えてまいりました。

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表門も茅葺屋根で、立派です。

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正門は閉まっていますので、駐車場入口から敷地内に入ります。

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母屋の前に立ちました。

この代官屋敷はもともとは、世田谷代官だった大場氏の私邸だったものです。

大場氏は、中世に世田谷の領主だった世田谷吉良氏の重臣を務めていた家柄です。

主の世田谷吉良氏は、戦国時代には関東一円を支配する後北条氏の傘下で、世田谷を治めていました。

豊臣秀吉による小田原攻めで後北条氏が滅ぶと、世田谷吉良氏も世田谷の支配権を失います。

主を失った大場氏は帰農しました。

この大場氏が江戸時代の半ばに至り、世田谷を領有する彦根藩主井伊氏に起用され、代官を勤めるようになったのです。

当初は農家のまま代官職に起用された大場家ですが、後には士分に取り立てられ、幕末まで代々代官の家柄として続きました。

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代官に選ばれたということは、大場氏は世田谷でも有力な農家、つまり庄屋か名主と言われる立場だったのでしょう。

代官屋敷はその私邸なので、農家の住宅の風情を残しているのですね。

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古民家然としていても、そこは代官屋敷なので、母屋の外には白州跡もあります。

よく時代劇で、下手人が引き立てられてきて膝をつかされ、「面を上げい!」と上から言われるあの場所です。

引き立てられたくないですね。

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母屋併設の内蔵の中に、ボロ市の由来について書かれた説明版が掲げられていました。

この文章によると世田谷では戦国時代、この土地を交通の要衝と見た後北条氏によって市が奨励され、商人も集まり繁栄していたそうなのです。

ところが後北条氏滅亡後、関東の中心が遠い小田原から世田谷近郊の江戸に移ると、世田谷の商人たちは江戸に活動拠点を移すようになってしまいました。

もともと世田谷にあった市の規模は縮小し、近在の農家向けの農具を中心に扱う「ボロ市」として存続したそうです。

何か物悲しい話ですけれど、ボロ市の名称は後北条から豊臣、徳川と主が移っていく時代の転換期にあって生まれたものだったのですね。

そしてかつてのボロ市は、今のボロ市通りの辺りに開かれていたのですね。

 

代官屋敷の母屋がある庭園を通り、敷地の奥に行くと、世田谷区立郷土資料館が建っています。

昭和39年に開館した施設で、「都内最古の公立地域博物館」なのだそうです。

こちらの展示で、世田谷区の歴史について一通り学べます。

また大場氏と、そのもともとの主筋にあたる世田谷吉良氏についての展示も豊富でした。

吉良氏は三河国(現在の愛知県南部)発祥の一族で、室町幕府将軍足利氏の支流にあたります。

この吉良氏の中から、幕府より「奥州管領」という役職を任命されて東北全土を支配した、奥州吉良氏という家柄が生まれました。

この奥州吉良氏が後に奥州の支配権を失い、関東に移住します。

関東で勢力を盛り返し、世田谷に本拠地を定めました。

これが世田谷吉良氏です。

世田谷吉良氏はつまり、奥州吉良氏の後裔にあたるのですね。

戦国時代には政略結婚を通して後北条氏の傘下に入りますが、地域に独立した権力を有していました。

この世田谷吉良氏に関わる史料として「北条幻庵覚書」という古文書が有名で、この世田谷資料館に所蔵、公開されているのです。

北条幻庵覚書は北条幻庵(ほうじょうげんあん)によって記されました。

幻庵は後北条氏の初代当主北条早雲(ほうじょうそううん)の子息にあたります。

父早雲から後北条家最後の当主氏直(うじなお)まで五代の当主に仕えた、当時としてはとても長命な人物です。

彼は一族の長老として、後北条氏の関東支配を長らく支えました。

この幻庵が、後北条氏の姫君が世田谷吉良氏の当主に嫁ぐ際に、覚書として各種の心得えを事細かに書いて送っているのです。

幻庵の人柄を示すと共に、当時の武家のしきたり等もうかがえる、貴重な史料なのですね。

この中世の歴史好き界隈には有名な北条幻庵覚書の現物が公開されていて見学できるのは、嬉しい限りです。

古文書が読めないと内容まではわかりませんけれど、筆跡などから筆者の人柄はしのばれますね。

北条幻庵覚書の達筆な筆跡を眺めて、戦国時代の武家の生活に思いを馳せました。

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世田谷代官のお膝元から、このまま近隣にある旧領主世田谷吉良氏の史跡群を目指して、世田谷の散策を続けます。

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東京旅行二日目(3)。松陰神社にお参り。世田谷駅まで歩く

東急世田谷線三軒茶屋駅で電車に乗って数分、四駅目で降りました。

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松陰神社の最寄り駅、松陰神社前駅であります。

幕末維新の志士たちの精神的支柱だった、吉田松陰(よしだしょういん)。

彼を祀った神社が松陰神社です。

ここから歩いて参りますよ。

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松陰神社通り商店街を行きます。

「萩・世田谷 幕末維新祭り」の垂れ幕が商店街にかかっていました。

後から調べたところによると、このお祭りで商店街には山口県萩市の物産を扱う屋台等が並び、幕末志士と奇兵隊のパレードもあったそうです。

私が来たのは、そのお祭りが終了した後日だったのですね。

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お祭りも終わり、人通りはそれなりにあれど落ち着いた界隈です。

吉田松陰は萩城下の出身、長州藩士でした。

松陰神社界隈には松陰を慕って山口県から来た移住者も多いかもしれない、と私は想像しました。

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商店街の先に、松陰神社の鳥居が見えてきました。

思ったよりも大きな神社ですね。

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境内は通路等も整備されて、綺麗でした。

ちょうど七五三の時期でもあり、正装したお子さんと家族連れが集まって写真撮影でにぎわっています。

それぞれの家族にプロのカメラマンの方たちがついていました。

せっかくの記念写真にラフな姿の旅行者が写りこんでは気の毒なので、こちらはそれなりに気を遣います。

複数のカメラフレームから身をかわすように、空間の隙間を縫いながら境内を散策します。

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松下村塾を再現した建物が境内に建っています。

現物の方は今でも山口県萩市内に現存します。

松下村塾を主宰した吉田松陰は、若い長州藩士たちに思想的影響を与え、維新を支えたと言われています。

書物を読むことも大事であり、学んだことを実践することも大事。

儒教の一派、陽明学の教えに沿うような、実践主義を勧める指導方針だったようです。

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境内に並ぶ石灯籠も見所のひとつです。

この石灯籠…。

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わかりにくいですが、寄進した伊藤博文の名が刻まれているのですね。

他にも長州藩主の嫡男で華族の毛利元昭。

山縣有朋井上馨桂太郎乃木希典を始めとして、長州藩関係者の方々寄贈の石灯籠が並びます。

吉田松陰から教えを受け、彼を慕う人が多かったということでしょうね。

吉田松陰は幕府大老井伊直弼(いいなおすけ)主導の安政の大獄で捕縛され、三十歳の若さで刑死します。

松陰を慕う人たちによって、彼は長州藩主毛利氏の所領であったこの土地に改葬されました。

明治時代に入って後、墓所に寄り添う場所に松陰神社が創建されたのです。

国家に反逆して処刑された政治犯が、新しい時代を担う人たちの手によって、今度は英雄となったのですね。

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私も吉田松陰墓所にお参りしました。

30歳で閉じた短い人生でありながら、生前に多くの長州藩士に影響を与え、維新の原動力となった吉田松陰

墓前に向かっていると、様々な思いにとらわれます。

自分の人生を、目の前で眠る偉人のものと比べてしまいますね。

松陰先生、と呼びたくなりました。

勇気づけられた思いで、先生の眠る場を後にしました。

悩みを抱えた人は、一度松陰先生のところにお参りに来ると、新たな道が開けるかもしれません。

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松陰神社の隣、若林公園の前を通り抜け、東急世田谷線世田谷駅まで歩いていくことにします。

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若林公園の先の交差点に面して、国士舘大学のキャンパス群が建っています。

国士舘大学の母体になったのは、大正時代に創立された私塾国士舘です。

この私塾が当初の所在地から創立数年で世田谷の松陰神社の近隣に移転したのは、やはり意図的であったのかな、と思います。

天下に名の聞こえた私塾、松下村塾の主宰者が眠る土地ですものね。

真相はわかりませんけれどね。

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こちらは大学図書館のようですね。

モダンな外見の建物です。

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国士舘大学の向かいに、世田谷区役所です。

こちらは大学キャンパスに比べると年季の入った建物が前面に出ています。

世田谷区民の生活を支える場所なのですな。

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南に歩き続けると世田谷線の線路に行き当たりました。

このまま駅まで西に沿線を行きましょう。

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墓地脇のえらい小道を通る必要に迫られました。

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世田谷駅のホームが見えて来ましたね。

世田谷線のホームはどこもこじんまりと小規模で、趣きがあります。

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世田谷駅に到着しました。

世田谷の名を冠した駅、来てみたかったんですね。

しかしここで電車に乗らず、さらに世田谷駅周辺の散策を続けます。

世田谷駅周辺には、史跡が多いんですよ。

散策が楽しみですね。

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東京旅行二日目(2)。続三軒茶屋散策。東急世田谷線に乗ります

名代富士そばで朝食を済ませた後、さらに周辺の散策を続けます。

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首都高の高架下に貸し自転車場があります。

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一日の利用料がわずか200円!

今日は三軒茶屋を基点に隣接する世田谷区の街々を巡るつもりなので、心が動きました。

ただ私は街を歩くのが好きなので、最終的には利用しないという結果に落ち着きました。

一ヶ月の利用料の場合は2000円とこれまた格安なので、三軒茶屋に長期滞在する場合にも便利です。

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三軒茶屋駅から、東西に走る首都高速の南側の街も歩いてみます。

妙に若い女性ばかりが歩いている界隈です。

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と思ったらこの界隈は昭和女子大学のキャンパスがある一帯なのでした。

道理で若い女性ばかりが歩いているわけです。

こんな女子の園を取り巻く一帯をいつまでもうろうろしていると、不審者と思われるのではないか、という不安に襲われました。

昭和女子大学キャンパスのある方向には行かず、交差点を曲がって方向を変えます。

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三軒茶屋の住宅街を歩きます。

名実共に三軒茶屋に住みたい私のような田舎者を魅了するかのように、名前に「三軒茶屋」の四文字が付いた賃貸アパートが多く並んでいます。

眺めも素敵。

時々「コーポ田中」のような三軒茶屋の名を拒絶するような名称のアパートがあると、妙な勇ましさをさえ感じてしまいます。

でも住むならやっぱり三軒茶屋と名のついたアパートがいいですね。

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住宅街の中に浄土真宗本願寺派の正蓮寺というお寺があって、界隈の中では異質な空気を醸し出していました。

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首都高の高架下に出る小道に脇に、伊勢丸稲荷大神というお稲荷さんを祀った祠がありました。

その敷地内には江戸時代の三軒茶屋について記された石碑が立っています。

その銘文によると、このお稲荷さんの周辺の土地は、中馬引澤と呼ばれる村落だったそうです。

今でも三軒茶屋の周辺には上馬、下馬という地名が残っていますけれど、中馬は無いんですね。

詳しい来歴はわかりませんけれど、おそらくは元は中馬(引澤)と呼ばれた地域がそのまま三軒茶屋に地名変更したのでしょうね。

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少し散策したぐらいでは土地の滋味というものは味わえ尽くせません。

まだまだいろんな角度からこの街を眺めたい気持ちを抑えながら、次の目的地に向かいます。

三軒茶屋には、また後で戻って参りますよ。

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既視感のある風景ですね。

キャロットタワー周辺、東急世田谷線三軒茶屋駅に向かう道を歩いています。

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こちらは出口です。

可愛らしい車両がホームで待っていますね。

三軒茶屋駅から下高井戸駅まで、5キロほどの道のりを進む東急世田谷線

世田谷区の住宅地の合間を走る路線で、一部路面電車になる箇所もあります。

移動しながら世田谷区の街の風景を楽しむには、うってつけの交通機関であります。

さっそく乗ってみましょう。

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世田谷ライフmagazine No.58[雑誌]

 

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東京旅行二日目(1)。新宿から三軒茶屋へ。三軒の御茶屋とペルソナ5、目青不動。聖地にお参り

東京旅行二日目の朝です。

すがすがしい朝…と言いたいところですが、前夜、宿でお酒をいただいて、若干二日酔い気味です。

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本日はJR大久保駅界隈からのスタートです。

この辺りに泊まったんですよ、昨夜は。

新宿区内です。

新大久保駅の東側の街はコリアンタウンなんですけれど、それより西側の新大久保駅大久保駅の間の土地は、多国籍タウンでした。

コリアンタウンも多国籍タウンも、とにかく活気のある街でした。

これから酔い醒め効果も狙い、大久保駅から新宿駅まで歩いていきますね。

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高架沿いに南下して行きます。

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ハリウッドの俳優たちも多数入信しているアメリカの新興宗教支部が新宿にも…。

詳しいことは気になった皆様各自でお調べください。

私は何ら責任を負いませんぞ。

私はこれで神道仏教を信仰する身です。

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ともあれ新宿副都心に近づいてきたようですな。

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ビルの多い大都会ですな。

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高架のある風景を見て心が落ち着きました。

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有名な飲み屋街です。

多数の呼び名がありましたが「思い出横丁」ということで定まったみたいですね。

朝ですし、営業しているお店は見たところまだありませんでした。

一杯やるのは控えましょう。

だいたい私は二日酔いなのです。

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思い出横丁の雰囲気だけ味わって通り抜けましょう。

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新宿アルタってこのビルですな。

名物の街頭ビジョンには何も映っていません。

やはり、まだ朝早いですからね。

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さて、JR新宿駅にやってきました。

今日も前日に引き続き、世田谷区の旅をする予定なのですね。

JR新宿駅から、渋谷駅を経由しまして、東急田園都市線に乗り継ぎます。

ほどなく目的地に到着いたしました。

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地下鉄の駅から地上に出てきました。

この街。

世田谷区三軒茶屋なんですね。

時々名前を耳にする三軒茶屋という街を、私も一度散策してみたかったのです。

目の前のビルは、キャロットタワーという三軒茶屋のランドマークなのですね。

アーケード商店街沿いに、ちょっと歩いてみましょう。

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とぼとぼ歩き。

まだお店もあんまり開いてません。

大都会、というより、発展の進んだ地方の県庁所在地、ぐらいの街の雰囲気ですね。

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路地裏に入っていきます。

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なんでこういう場所に入るかというとですね…。

知らない人は知らないでしょうけれど、この路地裏界隈、実は『ペルソナ5』というテレビゲームの舞台になっている土地なんですね。

youtu.be

東京各地が出てくるゲームなんですけれど、この三軒茶屋周辺の路地裏は特に、主人公が寝起きする拠点として作中に登場するんですね。

ゲーム中では「四軒茶屋」という名称になっているんですがね。

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目の前の二階建ての建物。

そのペルソナ5で、主人公の仮寓先として登場する場所です。

ってゲームを遊んだことのない人、興味の無い人にはまったくどうでもいい情報でしょうね。

私も実際遊んだことはなくて、ゲームの内容を知っているだけなんです。

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トタン板に囲まれた、「千代の湯」というコインランドリー併設の銭湯です。

ここも、ペルソナ5に登場する銭湯のモデルになっているんですね。

朝風呂に挑戦しようと思い中に入りかけたら、外から来た銭湯関係者の人に咎められてしまいました。

営業時間は午後三時以降とのこと。

その方の話を聞くと、なんでも最近いろんな人がこの界隈にやってくるようになったとか。

若干、うんざり気味でいらっしゃるようでした。

私のような、ペルソナ5に思い入れのある人たちが「聖地巡礼」として大勢やってくるのでしょう。

海外でも人気のあるゲーム作品なので、世界中から愛好家が聖地巡礼に来るのかもしれません。

私たちのようなその場限りの愛好家はそれでいいですけれど、毎日他所から来る人々を迎える現地の人にしてみれば、心労のたまる出来事も多いのかもしれません。

聖地巡礼は節度を保って!

これは私も気をつけよう、と思いました。

千代の湯はペルソナ5の愛好家のみならず、都内の銭湯愛好家にも名の知れたお店だそうです。

時間が合えば、ひと風呂浴びていきたかったですね。

次の機会に。

 

気を取り直して、三軒茶屋の街を散策します。

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この首都高の高架下の交差点。

私が昔からイメージしていた「東京の交差点」の理想像を体現していて、グッときました。

高架、ビル街、街路樹の絶妙なバランス。

三軒茶屋はいい街だ、という気分の盛り上がりを覚えます。

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三軒茶屋の交差点から、北の太子堂方面に向けて茶沢通りを歩きます。

朝食を食べていないので、おなかの具合が心配です。

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住宅地に入り込みました。

三軒茶屋の住宅地ですね。

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通勤時間帯を少し過ぎたぐらいで、静かな空気に満ちています。

「地方から上京した人たちは何かと三軒茶屋に住みたがる」という東京人の愚痴だか悪口だかを以前に聞いたことがありますけれど…。

私も、散策しながら三軒茶屋に住みたくなってしまいました。

そういう、いい雰囲気なのです。

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小さな坂道にすら味わいがある。

…贔屓目でしょうか。

 

住宅地を歩いて、茶沢通りに戻って来ました。

おなかが空いたのです。

いい加減朝食を摂ろうと思います。

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中華料理チェーンの日高屋、関東でしか展開していなくて、大阪人にとってはレア度が高いのです。

お店はもう営業していて、心が動きましたが、朝食から中華料理はきついかな、と思い通り過ぎました。

お隣の野郎ラーメンも東京と東京近郊でだけ展開しているお店らしいです。

野郎ラーメンはまだ閉まっていましたし、朝から食べるラーメンでもないですな。

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キャロットタワーの近くまで戻ってきました。

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三軒茶屋交番前に、三軒茶屋の地名の由来について書かれた案内板があります。

弥次喜多珍道中記的なキャラクタ付き。

この説明文によりますと、キャロットタワーの道路向かいの、三軒茶屋交差点から今アーケード商店街が並ぶあたりにかけて、江戸時代には三軒の料理茶屋があったのだそうです。

立派な料理茶屋でありながら、店頭には床机を置いて道行く人にお茶の接待もしていたのですと。

相模国(現在の神奈川県)にあった大山阿夫利神社に参詣する人たちと、近場の多摩川べりに行楽に行く途中の人たちが立ち寄り、三軒の御茶屋周辺には各種のお店も増えてとても賑わったそうなのです。

今あるアーケード商店街にも、その頃の空気は受け継がれているかもしれませんね。

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朝ごはんを求めてうろうろ。

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東急世田谷線三軒茶屋駅にまで来てしまいました。

駅舎がキャロットタワーに隣接しているんです。

ここから電車に乗るのは朝食を済ませた後にしましょう。

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三軒茶屋駅のすぐ近くに、気になる雰囲気の場所があります。

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どうもお寺さんのようですね。

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なんと。

東京を守護する五色不動の一柱、目青不動でした。

三軒茶屋目青不動があるなんて、現地に来るまでまったく知りませんでした。

お参りしていきましょう。

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正式には竹園山最勝寺教学院という天台宗のお寺なんですね。

通称が目青不動、または教学院とも呼ばれます。

ご本尊は阿弥陀如来なのですが、それと別に不動明王が祀られているのです。

東京の平穏と、私の旅の無事とを祈願しました。

 

目青不動との思わぬ出会いを経て、三軒茶屋のアーケード商店街に戻ってきました。

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名代富士そば三軒茶屋店に来ました。

散策しながら色々探しましたけれど、このお店以上にピンとくるところを見つけられず。

結局朝食を摂れる店は、決まっていたのですね。

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「朝そば」の温かいたぬき、320円です。

前日の朝食にいただいた冷たいたぬきそばと、ほとんど見た目は変わらないですね。

おいしゅうございました。

三軒茶屋店は店内も広く、セルフで蕎麦湯がいただけるサービスもあって、とても居心地がよかったです。

三軒茶屋の次に向かう場所は決まっているのですが、もう少し三軒茶屋周辺の散策を続けようかな、と思いながら熱い蕎麦湯を飲んでいました。

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