だいたい使える発想法

書くネタが無い、という状況はだいたい恒常的なものであるのだが、私の場合は定番の発想法がある。

書くネタが無いなりに何か書き出してみる、というものだ。

この方法は、発想法について書かれた書籍、また小説の書き方の書籍でもよく紹介されているものだ。

無理くり書き出してみるとその執筆の過程で脳が刺激を受けて、書きたくなるような発想が湧き出してくるのである。

そんな都合のいい話があるかい、と思われる方がおられるとしたら、その人は文章を無理くり書いた経験の無い人だろう。

世の中の大体の文章の書き手は、前もって参考文献、知識等の準備無しにとりあえず書き出してみるとそれなりに書けるということを体験的に知っている。

このことを知らない人がいるとすればいい文章が生まれる機会の損失だと思うので、ここに記すものである。

ただ、この発想法には弱点があり、書いてみても「ろくな文章にならなかった」ということもある。

文章を紡ぐ行為によって脳は刺激され発想は生まれるのだが、それも自前の知識が元になって生み出される発想である。

準備無しに書き始める、ということを何度も同じ状態で繰り返していると、出てくる発想が似通ったものになってくる。

発想法全般がそうだと思うけれど、発想は個人の無意識に蓄積された知識と知識を組み合わせて生まれるものなので、新たな知識、体験が追加されていなければ生み出される発想の組み合わせは限られてしまうのだ。

書くネタが無いなりに書き出してみるという方法は、ネタという文章の核になる知識をあらかじめ用意せず、自分の無意識の中にある知識のみを頼って発想を行うので、その傾向が顕著である。

蓄積が十分でなければ、出てくるのは貧困な発想で終わってしまう。

ただ、そうは言っても、落胆するには及ばない。

多くの方は、仮に書くネタに困っていたとしても、知らず知らずのうちに自分の中に知識、体験を蓄積させているものだ。

それ故、書いてみれば、ちゃんと書ける。

困るのは書くネタがない人の無意識の知識の蓄積が本当に枯渇している場合であって、そんな状態の人がとにかく文章を書き出してみても、ろくに書けない。

文章を書くためには日頃から読書をし、身の回りの様々な事象に興味を向けること、とよく言われるのはこのためである。

今回のこの記事も、書くネタが無かったのでとりあえず「発想法」という題をつけて書いてみたら、書けた。

私の日頃からの蓄積の賜物であろうと存ずる。

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