韓国旅行二日目(8)。若者の街、弘大を夜歩き。京義線ブックストリート。地下鉄駅で絶望
地下鉄に乗り、弘大入口(ホンデイック)駅で降りました。
弘大(ホンデ)は若者の街として有名で、弘大は弘益大学(ホンイクテハク)という美術大学の略称なのですね。
芸術を学ぶ若者が多く集まるせいか、お洒落なカフェを始めとした飲食店などが並び、街並にも芸術がかった美意識が感じられるのです。
午後11時前にも関わらず、駅前に若者が多いです。
日本の東京の街で例えると、渋谷か原宿に近いような。
どちらかと言えば原宿寄りですかね。
なんで私がこういう若者の街に来たかと言いますと、目当ての飲食店が弘大界隈にあって、そのお店を探しているのです。
しかし見つかりません。
だいたいの場所を調べてきたつもりが、勘違いしていたようでわからなくなってしまったのでした。
夕食を食べていませんので、この遅い時間におなかも空いています。
界隈の、かつての鉄道線路跡を公園にした「京義線ブックストリート」に入り込みました。
鉄道跡であり、また本をテーマにした公園でもあります。
高架下に、駅舎まで再現されてあります。
こういうのいいな、と思いました。
この駅名になっている「책거리(チェッコリ)」というのは韓国の習慣で、学校などで教科書なり本なりを一冊学び終えた後に、同級生や先生たちと一緒にお祝いして楽しむパーティーのことだそうです。
日本に無い、そういう習慣が韓国にはあるんですね。
学習を大事にするお国柄がわかります。
目的のお店を見つけられず、午前0時を過ぎてから鍾路3街駅に戻ってきました。
しかし地下鉄の駅構内から宿最寄りの出口に向かおうとすると、通路の真ん中に駅員らしい男性が立っていて、そこに向かった乗客が何か言われて引き返して来ます。
その中に日本人観光客らしい若い人たちもいて、「どこから出たらいいんだろう」などと相談し合っています。
どうも時間が遅いので先にある出口は閉じられてしまったらしいのですね。
他の出口を探すしかないのですが、駅構内はとても広く、できることなら他の出口まで歩きたくありません。
そのとき私はふと、もしかしたら他の出口も皆封鎖されてしまったのでは、という懸念にとらわれました。
だって駅構内の特定の出口だけが封鎖されるなんておかしいな、と思ったのです。
駅の営業時間が過ぎたので一斉に出口は閉められて、うかうかこの駅で降りた乗客はまた電車に乗って他の駅まで戻らないといけないのではないか。
そんな状況が頭に浮かんだのですね。
しかし他の駅まで戻るにしても、どの駅なら出口から出られるのかわかりません。
「どうもソウルの地下鉄ではこの時間になると一斉に出口が閉まるらしい」という前提が私の脳内で固まりつつあって、どんどん不安になってきました。
いったいどこへ戻ればいいのでしょう。
絶望的な気持ちになりました。
宿の最寄り駅の最寄り出口まで来て、こんな目に遭うのはたまりません。
迷ったあげく、立っている駅員相手に状況を説明しようと思い近づいていくと、駅員は遠くから私に何か話しかけています。
それでもなお近づいていくと、彼は大きな叫び声をあげました。
「だからこっちは通れないって言ってるでしょ!」というニュアンスなのが声の調子と表情からはっきりわかります。
ただこっちも黙って引き下がるつもりはないのですね。
相手にわかるかどうかお構い無しに、英語で「困っている、いったいどこから出ればいいのだ」と訴えました。
英語が話せない駅員のようでしたが、こちらの訴えている意味はわかった様子。
別の方角を指差して説明していました。
私が心配したように電車に乗って他の駅に戻るのではなく、この駅の他の出口から外に出られるようです。
駅構内の通路を長々と歩くのはしんどいですが、電車に乗ってどこともしれない外に出られる駅を延々と探すことに比べれば遥かにましです。
いったいどこのディストピア映画でしょうか。
おとなしく駅員に言われた通り、宿から遠い方の出口から地上に出たのでした。
私が乗ってきたのが最終電車だったのか、それともまだ後に最終電車が控えていたのかはわかりません。
なんにしろ、駅構内に乗客がまだ残っている時間帯に出口を閉めてしまう駅側のやり方はどうなんだろうと思いました。
せめて最終電車到着後一時間ぐらいは全ての出口を空けておくとか、できないのでしょうか…。
何か駅側にもやむを得ない事情があるのかもしれませんが。
外に出てくると、午前0時を過ぎてもまだまだ活気のある鍾路3街の街でした。
遅くまで飲んで帰る人も多いだろうに、地下鉄の駅は早々と営業を終了してしまって、大勢の飲み客の人たちはどうやって家まで帰るのでしょう。
気になりました。
まあ大方タクシーか、徒歩なのでしょうけれど。
むしろ朝まで飲み明かすのかも?
私もおなかが空いています。
宿も近いことだし、この辺りで深夜の屋台料理に挑戦してもよかったのです。
近くの席の韓国人客とも交流できそうな雰囲気です。
ただ一日いろいろあって、これ以上冒険するのは億劫になっていたのでした。
宿への途上のコンビニでサンドイッチ等の食べ物を買って、部屋に持ち込みました。
食後の晩酌のビールと肴にするお菓子も買っています。
LOTTEが、日本のハウスの「とんがりコーン」に類似したお菓子を発売していました。
その名も「꼬깔콘(コッカルコン、三角コーン)」。
この製品は「버팔로 윙맛(ボパルロウィンマッ、バッファローウィング味)」、つまりアメリカの鶏肉料理バッファローウィングを模した味で、甘辛くて非常に美味しくいただきました。
食感はとんがりコーンほぼそのままでした。
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韓国旅行二日目(7)。ソウルに戻って鍾路3街に宿を確保。さらに夜歩き
朝から公州と扶余にかけて歩き回ったり扶余国立博物館で雑念を持ったりして、古代百済の息吹に触れつつ、ひと休みしたくなりました。
一度気持ちをリセットして、韓国の現代文明に触れたい気持ちも。
これからソウルに戻ります。
要は明日日本に帰るので、それに備えて前の日から空港に近いソウルに戻っておく、ということですね。
扶余市外バスターミナルの窓口では、数十分に一本あるはずのソウル行きバスが「無い」と告げられ、呆然とするひと幕もあり。
頭が真っ白になって窓口の脇で立ちすくんでいると、急に席のキャンセルでも出たのか窓口の係員に呼ばれまして。
一度は無いと言われたのに理由はわかりませんがチケットを売ってもらうことが出来て、何とか市外バスに乗れました。
扶余には鉄道の駅も無いので、バスに乗れなければ戻って来れないところでした。
扶余からはソウル南部の서조(ソチョ)にあるソウル南部市外バスターミナルにたどり着きます。
ソウルに到着した頃にはすでに午後8時を過ぎていましたが、市外バスターミナルから出ると街には結構な熱気が渦巻いていて一瞬気が遠くなりました。
これから、宿を探さないといけません。
ガイド本をたよりに、地下鉄「鍾路3街」駅近くにあるというゲストハウスへ向かいます。
鍾路3街駅の周辺は路上に席を用意した屋台風の飲食店が多く、お客でにぎわっていて、何だか博多か香港の屋台街のような活気のある界隈でした。
また駅から大通り沿いに、ゲストハウスなどの廉価な宿が多く並んでいます。
そうしたゲストハウスに入ってみてもいいのですが、何となくの安全志向で、そのままガイド本に紹介されていたゲストハウスまで足を運びます。
件の宿の中に入ってみると、フロントの従業員の女性が流暢な日本語を話すうえに、どことなく日本人のようなたたずまいで、丁寧な接客姿勢です。
外国で疲れた旅行者に、安心感を持たせる雰囲気なのでした。
疲弊していた私は何となく彼女に甘えるような気持ちになって、この宿に決めてしまいました。
しかし空いている部屋が三人部屋しかなく、週末料金ということで一泊55000ウォン(約5500円)です。
三人分の寝台…。
使いもしないのに、物凄くもったいない気持ちです。
部屋の掃除は行き届いているようですが、建物も設備も古いので落ち着きません。
遅くまで歩いて深夜に寝に帰るだけ、と思えば文句もない部屋ではありますが。
一泊55000ウォン、高くついてしまいました。
ソウルは物価が高いので多くは望めませんが、界隈のゲストハウスかモーテルを探せば、もう少し新しくて安い宿はありそうに思います。
もしかしたら早まったのかもしれません。
フロントの従業員の接客に心を動かされた結果でした。
部屋にいても落ち着かないし、夕食もまだ摂っていないしで、重い荷物を置いてしばらくソウルの街を夜歩きします。
地下鉄に乗って光化門駅へ。
閉店間際の大書店、教保文庫で韓国語書籍を買い、その店舗ビルの脇を通る世宗路に行ってみました。
夜の世宗路に浮かび上がる、李瞬臣の立像です。
韓国の英雄ですな。
さらに北の光化門に近づくと、世宗大王の座像も浮かび上がります。
ハングル文字を発明した偉大な王であります。
その叡智に私もあやかりたいものです。
背景には光化門が見えました。
光化門の向こうには朝鮮王朝のかつての王宮、景福宮(キョンボックン)があるはずです。
今夜は景福宮には行かずこれから地下鉄光化門駅に戻り、弘大入口(ホンデイック)駅まで電車を乗り継ぎます。
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韓国旅行二日目(6)。クドレ船着場から定林寺址、国立扶余博物館。雑念を持った
クドレ船着場付近から市街地までそこそこ距離がありそうです。
また歩きです。
彫刻の立っているクドレ彫刻公園でしばらくまったりすることもなく、重い足を運びます。
時間が惜しいですからね。
まだ扶余市内に見たい史跡があります。
コンビニがあったので、ひと休みです。
船着場で메로나(メローナ)を食べたところなのに、もう喉が乾いています。
2000ウォン(約200円)とお高めなスポーツ飲料を買い求めました。
レモンとオレンジを合わせた味で、さわやかな甘さがたまりません。
この容器はキャップを開けた状態で逆さにしても中身が漏れず、飲み口から吸ったときだけ弁が開いて中身が出るようになっています。
面白い仕組みですね。
日本の飲料でも採用されているのかもしれませんが、私はこの商品が初めてでした。
乾きのままに飲み続けていたら、ひと口でほとんど飲んでしまいました…。
市街地に戻ってきても歩きます。
目的地の定林寺址(チョンニムサジ)に来ました。
百済時代のお寺跡です。
見学料1500ウォン(約150円)を払って敷地内へ。
かつての寺院の境内だった、広い敷地が開けているのですね。
寺院の建物は遠くに見える新しい建物以外は、礎石しか残っていません。
ただこの礎石から、中央の石塔を取り巻く回廊型の建築がかつては建っていたことが見てとれます。
以前の韓国旅行で行った新羅の古都、慶州でも同様の石塔を見ました。
百済には仏教関連の技術者が多く、新羅、日本にもこの百済の技術者を通して百済様式の仏教建築等が伝わっていたそうです。
あの建物が気になっています。
近づきます。
中には白々とした色合いの石仏が安置されています。
その存在感に衝撃を受けました。
ガイド本によると、高麗時代のものだそうです。
何年も前に、山口県の防府市で見た「多々良大仏」を連想しました。
はっきりしない造形ながら、味わいのあるお顔です。
何か好感が持てます。
無心に拝みました。
日本を含めた近隣の国にも影響を及ぼした百済の仏教文化について考えながら、定林寺址近隣の国立扶余博物館へ足を伸ばします。
また喉が渇いています。
「子供博物館」が併設されていますが私には関係ありません。
足早に本館へ。
と思いましたがその前に本館脇に見つけた自販機へ。
韓国の街中では飲料自販機をほとんど見かけませんが、駅の構内と博物館の敷地内には設置されていることが多いです。
博物館見学の前に、ここで炭酸飲料を飲んでいきます。
その後、館内へ。
入館料無料で、扶余から出土したかつての百済にまつわる品々を見学できます。
やはり仏像、寺院の瓦等の仏教関連の収蔵品が多く展示されていました。
奈良県の石上神宮の伝来品として著名な日本の国宝、七支刀のレプリカも展示されていました。
七支刀も百済から当時の日本に送られたものだったんですね。
ところで館内の展示に添えられた日本語解説を読む限り「文化的先進国だった百済が後進国だった日本を含む隣国に文化を授けた」という観点からのものに終始しており、私は不満でした。
百済が一方的に与える立場だった、という趣旨しか伝わってこなかったのですね。
なぜ百済は貴重な文物、技術を惜しげもなく日本を始めとした隣国に伝えた(伝わった)のか?
私はむしろその理由の部分を知りたいのです。
国と国との交流には様々な側面があるはずなのに、「当時の自国文化が優れていた」ということだけを主張する展示方針に、正直なところ辟易としました。
もちろん韓国側が政治的、愛国主義的な意図からそうした一方的な解説をしているとは限らず、百済の文化が優れていたことを示す以上の史料は見つかっていないのが理由、なのかもしれません。
それにしても日本側の研究には「当時の百済は日本に朝貢する立場だった」という見方 もあるわけで、そうした隣国の視点も取り入れて多面的な展示をつくることはできないのか、という不満を私は国立扶余博物館の展示解説に対して持ちました。
出土品を見るのはいいのですが、政治的な雑念が浮かび、目が曇った感は否めません。
古代の人的交流、文化交流にも、当然生々しい背景があったはずです。
千年の時間が費やされて、その生々しさが濾過された末の残り香だけを味わっている間は、心穏やかな気持ちでいられるのですね。
ところがその残り香の味わいを解釈するのは生々しい人間である私なので、己の目的を忘れて新たな雑味を付加してしまうのです。
先人が本当に残したものは何なのか?
雑念に迷わされることが多い私には、そのままの解釈が難しいのだと思います。
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韓国旅行二日目(5)。扶蘇山城を散策。落花岩、메로나(メローナ)、白馬江の遊覧船
城門から入り、敷地内の遊歩道を歩いて登っていきます。
木陰は涼しくていいのですが、それでも歩いていると喉が渇きます。
蛇口が並んでいるのですが、水気が皆無です。
「음용 금지 수질검사중이므로 당분간 음용을 금지합니다.」
って書いてありますね。
「음용 금지」が「飲用禁止」なのは私にもわかります。
Google翻訳にかけると「飲用禁止 水質検査中のため、当分の間、飲用を禁止します。」という日本語訳が出てきました。
ちょうど水が飲みたい折だったのですが…。
扶蘇山城に入ったばかりだというのに、もう手持ちの飲料は底をついてしまいました。
できるだけ直射日光を避けて歩きたいと思います。
泗沘楼という建物がありました。
1919年に建てられたそうなので、新しいのですね。
ただこの付近には百済時代の建物の礎石が残っているそうで、もともと同じような櫓は立っていたのかもしれません。
白馬江(ペンマガン、錦江)がかろうじて拝めます。
泗沘楼の辺りからさらに遊歩道を進むと、「百花亭」があります。
百花亭は白馬江を臨む絶壁上の「落花岩」の上に建てられた東屋です。
かつて唐・新羅連合軍が百済を攻め滅ぼした際、追い詰められた百済王朝の女官たちがこの崖から眼下の白馬江に次々と身を投じました。
その様子がまるで花が舞い散るようだったので、崖は落花岩と名づけられたとか。
崖際には落下防止の柵がめぐらせてあります。
よく建てたな、と思うようなごつごつした巨石の上に建ててあります。
私も百花亭にあがってみます。
周囲に木が生い茂っているので、開けた眺望とは言い難いですが。
眼下の白馬江。
百済の女官たち、ここから飛び降りたんですね…。
百花亭で手を合わせた後、坂を下って遊覧船乗り場に向かいます。
扶蘇山城からは遊覧船に乗って白馬江に出られるのです。
遊覧船乗り場の前には、百済時代の創建と伝わる寺院、皇蘭寺(コランサ)があります。
皇蘭寺の前に、古い船着場の名残りです。
公州の公山城でも城内と錦江が繋がる場所には寺院がありました。
私も皇蘭寺にお参り。
お参りの後は、いよいよ白馬江に船出しましょう。
と思って片道チケット4000ウォン(約400円)を買ったのですが、船出までしばらくありそうだったので、待合室の売店で何か買うことにしました。
韓国アイス定番の「메로나(メローナ)」が売っていました。
1000ウォン(約100円)です。
もう喉が渇きまくっていますからね…。
写真の焦点も合わないぐらい喉が渇いています。
緑色の船着場の上では、메로나の美味しそうな彩色もわかりにくい。
ともかくまあ美味しそうで、舐めると実際美味しいメロンシャーベットなのでした。
前日にモーテルでいただいたパチモノよりもより美味しく感じます。
餌を撒く人がいるので、鯉?だかなんだか、得体の知れない魚が船着場すれすれまで集まってきます。
白馬江の生物環境を垣間見ました。
遊覧船がやってきたようですね。
乗り込みましょう。
他にも乗客が多くて、船内は混み混みになりました。
私は船尾の甲板に出ます。
雰囲気を出そうと帆は張ってありますけれど、実際はエンジンが動力です。
立っていて結構な振動でした。
遊覧船は船着場を離れます。
航行が始まると船内でトロット(韓国演歌)のBGMが大音量で流れ始め、するとその曲に合わせて船内の年輩の乗客たちがいっせいに歌い始めたのでした。
韓国では知名度のある曲なのか、何か昭和を思わせる懐かしい曲調でした。
どうも『白馬江』という歌謡曲のようです。
私の傍らには小さい女の子を連れた若いお母さんがいて、彼女は曲に合わせて踊るように女の子に促し、自ら時代がかった伝統舞踊の手本を見せています。
船内の皆が一体になって白馬江の遊覧を楽しんでいるのでした。
あの崖が落花岩の箇所ですね。
あの上から、百済の女官たちは次々と身を投じたのですね。
百済は滅び、その翌年には百済の遺臣とその援軍に来た日本の軍勢が、同じくこの白馬江にて唐・新羅連合軍に大敗を喫しています。
ここは、数え切れない人の命を飲み込んだ流れです。
落花岩の前を通り過ぎながら、古代の儚い情景を目の前に見ようとします。
現実には船内の勇ましい韓国語の歌声と若い母子の踊りが続いているのでした。
現代韓国人にとって百済という国はどういう意味合いを持っているのだろうか、などと想像しました。
歴史の舞台になったこの流れを目にする機会は今回限り、そう思いながら見ています。
束の間の遊覧を楽しみ、扶蘇山城城外のクドレ船着場で下船しました。
下船の際、船内の『白馬江』のBGMが止まった後も年輩の乗客の人たちが歌い続けていたのが印象的でした。
ここから扶余の市街地にいったん歩いて戻ります。
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韓国旅行二日目(4)。扶余のキンパ天国でお昼。扶余は百済の故地
公州市と同じく忠清南道に属する、扶余群。
公州から市外バスで50分ばかりの道のりです。
居眠りをしている間に、着きました。
扶余市外バスターミナルです。
扶余は市街地の近くに観光地がこじんまりとまとまっているそうなので、あまり歩かずに済むことを私は期待しています。
まあこう言いつつ、いつもなんだかんだで歩くことになるのはわかりきっているのですが。
かつて百済の最後の都、「泗沘(サビ)」があった扶余の地です。
そんな土地に足を踏み出した感傷よりも、今は食欲の方が勝ります。
もう午後2時をまわっております。
商店街を歩きます。
「김밥전국(キンパチョングッ、キンパ天国)」のお店がありますな。
キンパ天国は韓国中にお店のあるキンパ(韓国海苔巻き)のチェーン店です。
韓国に来たら、一度入ってみたかったのです。
入ってみましょう。
このお店も昨日入った名人マンドゥと同じく、メニューの書かれた用紙にチェックをつけて注文できました。
今回は私はチーズキンパとキムチマンドゥの欄にチェックを入れて、注文しました。
チーズキンパが3500ウォン(約350円)、キムチマンドゥも3500ウォン。
しめて7000ウォンです。
キンパ到着!
キンパ天国では、注文が入ってから店員さんがキンパを食べやすいサイズに切って出してくれます。
しかし断面を見てもチーズの入っている気配がしない…。
食べてみたらやはり、チーズは入っていませんでした。
キムチの味でした。
どうもチーズキンパではなくキムチキンパが来た模様。
私がチェックした欄がずれていたか、お店の人が勘違いしたか。
私は後者だと思うのですがねえ。
まあキムチキンパも悪くないお味でした。
目にまぶしい色のタクアンが、黙っていても供されます。
ぱりぱり食感です。
ネギ入りスープもついてきます。
ちょうどいい塩分。
キムチマンドゥも来訪。
食べるのがもったいないような、素晴らしい造形ですね。
もちもちの皮にキムチ入りの餡が入った、ほぼ日本の餃子のような味でした。
しかしキムチマンドゥとキムチキンパで同時に食べると同じような味なので、美味しいのですけれど、若干飽きがきます。
またどちらも量たっぷりで、少食ぎみの私は勢いで頑張って食べきりました。
私の初キンパ天国体験は、こんな感じでした。
会計を済ませて外に出た後、商店街の北にある扶蘇山城に向かいます。
公州の公山城と同じく、扶蘇山城も都を守った城なのですね。
「백재담은중앙시장(べクチェダムンチュンアンシジャン、百済ダムン中央市場)」が商店街の中ほどに現れました。
百済はいいとして「ダムン」ってなんなのか、今調べてもわかりませんでした。
とりあえず中央市場ってことでいいでしょう。
大阪の黒門市場を思わせる雰囲気でした。
南北に通るアーケード商店街です。
黒門市場もとい百済ダムン中央市場を北に通り抜けて、扶蘇山城に向かいましょう。
中央市場のアーケード屋根から外に出ると、お昼をまわってもまだまだえらいキツイ日差しです。
朝からの公州散策ですでに消耗している私には、精神的に苦しいものがあります。
しかし弱音は吐きません。
日本からわざわざ百済の故地を見に来たのです。
かつての都の名、泗沘を店名に冠した「사비북카페(サビブクカペ、泗沘ブックカフェ)」が道沿いにあります。
店内をのぞくと、お洒落な雰囲気でした。
韓国では各地に個人経営のお洒落な書店、ブックカフェ等が多くあって普及しているものの、読書人口の減少等諸々でどこも経営は苦しいそうです。
사비북카페にも地域の読書文化を支えて頑張って欲しいな、と思いながら店の前を通り過ぎました。
扶蘇山城が見えてきました。
日差しが本当にキツイ。
韓国の夏は日本よりも涼しいのかと思ったら、この日差しのきつさのせいでむしろ日本よりも過酷な暑さであります。
うまれつき暑さに強い夏男の私でなければ、こんな日差しの下では5分と耐えていられなかったでしょう。
扶蘇山城の周囲にも芝生を植えて整理した土地が広がってまして、ピクニックにもよさげです。
「扶余東軒」と言って、朝鮮時代の役所の建物だそうです。
ここの役所の建物があるところを見ると、百済が滅んで1000年の後にも、山城跡は利用されていたのでしょうね。
扶蘇山城の城門に着きました。
西暦660年に滅亡した百済の最後の都、泗沘を守った城。
さらにその翌年に勃発した「白村江の戦い」で百済・倭国連合軍と唐・新羅連合軍とが戦った白村江(白馬江、錦江)も、この山城の北側に接して流れています。
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『可もなく不可もなく』
気付くと、いつも同じ中華料理店に入っている。
「あどうも、まいどです」
既視感に襲われながら、僕は窓際のテーブル席に案内された。
前も「また同じ店に入ってしまった」と思いながら座り心地の悪い椅子に腰掛けたのだ。
座席の皮の部分がすっかりへこんでしまって、尻が硬い木の部分にあたる。
落ち着かない。
店内も薄暗い。
なんでこんな店に来てしまったのだろう。
テーブルの上のメニュー表を見ながら考えてしまい、何を食べるか考えがつかない。
店のガラス戸が開く音がする。
「あどうも、吉田さんいらっしゃい」
客の入店であった。
「あ、俺はまたこんなしょうもない店に来ちまった。なんでなんだろう」
「店に入るなりそんな言い草ないじゃないですか」
店主が泣き声をあげている。
今入ってきた吉田さんという客は、口さがない人物だ。
僕とまったく同じことを考えているのだろう。
吉田さんもお馴染みだものな、と僕は思う。
向こうはどうかしらないが、僕の方では彼のことを覚えている。
この店で、何度か見かけているからだ。
常連の吉田さんである。
その吉田さんはカウンタ席に座りながら、首をひねっている。
「おかしいな、俺は今日ばかりは中華料理食う気分じゃなかったし、たとえ食うにしてももっとマシな中華料理屋が界隈にいくらもあるんだけどな」
「そんなことを正直に言わなくてもいいじゃないですか、傷つきますよ」
店主が泣き声をあげている。
吉田さんは店主に取り合う様子もなく、メニュー表に視線を移す。
「いろいろ書いてあるけど、何を見ても食いたいと思わないんだ」
「そんなことないでしょ、青椒肉絲定食どうですか、旨いですよ」
「そう言われて前も注文したけど食ってもピンとこなかったんだよなあ」
「酷いな、じゃあ無難に唐揚げ定食でも」
「それは先々週にもその前の週にも食ったよ、本当に無難な可もなく不可もなくの唐揚げ」
「そんな言い方ないでしょう、褒めてくださいよ」
「本当にもう何食おうかなあ」
店主をいじめて遊んでいるのではないのだ、吉田さんは。
この店で何を食べても可もなく不可もなくで、自然とこうなってしまうのだ。
そう僕も思いながら、メニュー表を見ている。
中華料理として思いつくような料理はひととおり何でもあるのだが、どの料理名を見ても不思議と心が躍らない。
僕は中華料理が好きなのに。
おそらく何十回とこの店で食事をしていて、もうどの料理を見ても思い出せてしまうのだ。
可もなく不可もなくの味を。
店のガラス戸が開く音。
「いらっしゃいませ」
店主の声にわずかに緊張の気配がある。
僕は入ってきた客を見た。
見かけない顔だ。
スーツケースを店内に転がしてくる。
Tシャツに短パン姿の背の高い男性。
金髪に染めた髪に、大きなサングラス。
あ、外国人の観光客だ、と僕は直感的に思った。
彼は店内を見回して、少し戸惑った様子で店主の方に顔を向けている。
「お好きな席にどうぞ」
店主は曖昧に店内を示しながら浮ついた声で言った。
外国人客はうなずいて、そのまま僕の近くのテーブル席へ。
スーツケースを通路側に置いて、自分は壁際の椅子に腰を下ろした。
サングラスを外してテーブルに置いた。
丸い大きな目をしている。
日本語、通じるのだろうか。
彼はメニュー表を見て、首をひねった。
料理名は漢字なので、おそらく彼にもわかるだろう。
なぜと言って、漢字文化圏国出身者の雰囲気があるからだ。
「あのー」
それとなく様子をうかがっている僕と吉田さんとを差し置いて、外国人客は店主の方に視線を向けた。
「はい、どうぞ」
受ける店主。
「おすすめ、何ですか」
独特のイントネーションで、男性は尋ねた。
「えっ」
店主は声を詰まらせた。
見るからに狼狽している。
なるほど、と僕は思った。
中華料理の味には厳しそうな、目の肥えた外国人客なのだ。
そんな人物におすすめ料理を勧めるなどすれば、自分の首を絞めることになりかねない。
この店主に料理人としての矜持を認めていない僕は、そのように店主の心理を慮った。
「おすすめですか、弱ったな」
店主は心の隙を曝け出している。
外国人客は店主に視線を据えている。
「自慢の青椒肉絲を勧めたら」
吉田さんが声をひそめて、店主に助け舟を出した。
「えっ駄目ですよ青椒肉絲なんか、太刀打ちできませんよ」
「何だったら太刀打ちできるって言うんだよ、本当に」
吉田さんは笑い声をあげている。
しかし外国人客はやりとりが理解できないのか、身じろぎもしない。
店主のおすすめを待っているのだ。
店主の表情に焦りが見える。
「じゃあ、麻婆豆腐定食はどうでしょう」
絞り出すようにして料理名を口にした。
声をかけられた方は、少し首をかしげている。
それからようやく、小さくうなずいた。
店主はほっとしたようだ。
料理を出す前に気を抜いてしまってどうする、などと僕は余計な心配をする。
僕と吉田さんも、銘々自分の料理を注文した。
どれを食べても娯楽要素の薄い料理ばかりなので、何を注文したか特筆する気もない。
外国人観光客は、出された麻婆豆腐定食を、粛々と食べた。
店主も僕も吉田さんも、それとなく彼の食事の様子をうかがっていた。
異国情緒のある所作ながら、格調高い食事ぶりである。
しかし食べながら、彼がときどき首をかしげているのを、カウンタ内の店主はしきりに気にしていた。
食事を済ませて、外国人客は勘定を払って店を後にした。
彼が出て行った後は目に見えるほどに店内の空気も緩んだのだ。
ただ、何かそのことを口に出すのがはばかられた。
店主も吉田さんも、もちろん僕も、件の外国人客のことにはいっさい触れなかった。
こんな座り心地の悪い椅子は、いい加減買い換えてもいいのではないか。
そう思いながら、僕はメニュー表を見ている。
何を食べたらいいのだろう。
店のガラス戸が開く音。
「あどうも劉さん、いらっしゃい」
店主が迎えている。
僕はそれとなく入ってきた客を見た。
背広姿の背の高い男性である。
短い黒髪で、大きな丸い目をしている。
「こんにちは、なぜかまた来てしまった」
男性は応じている。
「なぜかってことはないでしょう、うちの料理が美味しいから来たんでしょう」
慌てて答える店主の声。
「でも美味しいのですかねえ…」
独特なイントネーションで言いながら首をかしげ、その外国人男性は僕の近くのテーブル席に着いた。
既視感があるな、と僕は思った。
あの常連客は時々この店にやってくる。
そして彼が初めて入店したその現場に、僕は居合わせた気がする。
だが思い出せない。
カウンタ席に座っている吉田さんも、腑に落ちない顔をして男性客の方をこまめにうかがっている。
彼も僕と同じことを考えているに違いない。
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韓国旅行二日目(3)。公山城から公州総合バスターミナルまで歩く。公州は熊の街
宋山里古墳群と武寧王陵、そして公山城の見学を終えて、私に与えられたこの公州での役目は終わったものと思いました。
公州から今度はさらに南にある扶余(プヨ)という街に移動します。
この扶余も公州と同じくかつての百済の故地、それも百済が滅亡を迎えた最後の都のあった土地なのですね。
いったん公州総合バスターミナルに向かいます。
公山城前のロータリーにあるバス停で、総合バスターミナル方面に行くバスを待っていたのです。
が、ようやく来たバスの運転手さんに聞いたところ「そこには行かない」とのことで、困惑してしまいました。
バスの進行方向は合っているはずなのですが…。
バス停には各方面に向かうバスの時刻表と路線図とが貼ってあるのですが、韓国語がよくわからない身には理解しづらいのです。
このままバス停で待っていても、総合バスターミナルに向かうバスが来るのかどうか、保証はありません。
もう歩いていってしまおう、と歩き始めました。
考えることを放棄しました。
モーテル街の前を通り過ぎ、山城洞市場の前も通り過ぎ。
途中、通り過ぎるバス停の時刻表を覗いてはいるものの、次に来るバスと時間が合いません。
歩いて歩いて繁華街の外れです。
錦江にかかる公州大橋まで来ました。
かつて熊津と言われただけあり、公州には熊のモチーフがついてまわります。
公山城の上から眺めた風景を別の角度から見ています。
まさか公州大橋を歩いて渡ることになるとは思いませんでした。
公州大橋を渡り終えて、公山城側を見返します。
こちら側の川べりは公園として整備されています。
橋のたもとの近くに、大きなマスコットキャラクターたちが私を待ち構えていました。
熊の王様「고마곰(ゴマゴム)」とお姫様の「공주(ゴンジュ)」です。
公州市の公式マスコットキャラクターですね。
ゴムというのが韓国語で熊を指すので、ゴマゴムは響きとしては高麗熊、というところでしょうか。
武寧王を意識して王様のデザインだそうです。
一方のゴンジュは地名の「공주(公州)」の発音と、お姫様を表わす韓国語「공주(公主)」とが同音異義語であることからの洒落なんですね。
二人の姿は、武寧王とその王妃のカップルを連想させるところがあります。
公州の名産品、栗の形をした照明が二人の周囲を取り巻いております。
夜間にはゴマゴムとゴンジュの姿がライトアップされるのでしょう。
川沿いにしばらく歩きました。
川沿いに建つ公州市外バスターミナルの建物です。
この建物の近くに公州総合バスターミナルもあります。
歩きに歩いて、ようやく着きました。
すでにお昼をまわっています。
昼食をとりたいのですが、路線バスの本数が限られていますので、まずは扶余行きのチケットを購入しましょう。
公州発扶余行きのチケットが4300ウォン(約430円)でした。
まもなくバスが出るということでしたので、お昼は扶余に着いてからということにします。
公州総合バスターミナル内にも飲食店がいくつか入っていたので、迷ったのですが。
コンビニで飲み物だけ買って、バスに乗り込みました。
「초가을 우엉차(チョガウルウオンチャ、初秋ゴボウ茶)」だそうです。
韓国ロッテの製品ですね。
ゴボウまでお茶にするんですね、韓国では。
朝鮮王朝時代に仏教が弾圧された関係で、仏教寺院に付き物の緑茶が韓国の食卓には根付きませんでした。
代わりに野菜、果物からつくる様々なお茶が普及しています。
韓国のトウモロコシのお茶なんて私は結構好きなんですが、ゴボウ茶は知りませんでした。
キャップを取ると、ゴボウの特徴的な香りが鼻につきます。
飲んでみたところ、ゴボウの風味以外は特に癖もない、飲みやすいお茶でした。
私が車内でゴボウ茶を飲んでいる間に、バスは公州の街を走っていきます。
私が歩いてきた公州大橋を渡り、山城市場前を通りモーテル街前を通り、公山城前のロータリーのバス停を通り過ぎたときにはもう、座席でひっくり返りそうになりました。
公州総合バスターミナルから扶余行き市外バスに乗るために、公山城前から私が苦労して歩いてきた道のりを、扶余に向かうバスはあっさりと逆流したのでした。
公山城前のバス停で扶余行き市外バスに乗るのは無理だったので仕方ないのですが、どうにもわりきれない思いです。
徒歩を強行して費やした一時間ばかり。
とても惜しいです。
もう心身共に疲れてぐったりしてしまい、扶余に着いてから食べる予定の昼食ばかりが楽しみでした。
さようなら公州。
またいつか来るかも。
ゴボウ茶を飲み飲み、短い居眠りしました。
価格:150円 |