東京旅行三日目(7)。どこへも行ける、日本橋。もう帰ります
馬子禄で蘭州拉麺の昼食の後、いったん神保町駅で東京メトロ半蔵門線の電車に乗りまして。
大手町駅経由で、東京駅近辺に戻って参りました。
そろそろ帰り支度の時間が近づいています。
その前に、東京駅近辺で見たい場所があったのです。
日本橋です。
日本橋って有名ですよね。
東京に来たら日本橋観光、みたいなイメージありますよね。
私だけですか?
日本橋にやってきました。
こういう場所だったんですね。
日本橋の上を首都高の高架が通っていて、その高架に「日本橋」のプレートが掛けてくれてあります。
親切ですね。
でも上の高架の方を日本橋と勘違いする観光客もいるんじゃないですかね。
大丈夫ですかね。
日本橋の欄干の上に守護獣的な人がいますね。
車輪を足先に抱えた獅子のような。
見事な造形の獅子です。
勇ましくあります。
足先に抱えているのが車輪か盾か何だかわかりませんでしたが、後で調べたら東京の市章だということでした。
昔、東京が東京市だった頃のものなのでしょう。
首都高の高架下には遊覧船の乗り場がありますね。
わかりやすくてよろしいですね。
東に日本橋川を下って行けば流れは隅田川と合流し、やがて東京湾に出ることができます。
私は船に乗らず、海にも出ないで日本橋周辺をうろうろします。
橋の中ほどには守護獣の麒麟が構えています。
獅子に輪をかけて、こちらも凝った見事な造形です。
私は高架が好きなので、首都高高架下に掛かる日本橋に魅力を感じるのです。
ただ「高架が日本橋の景観を損ねる」という主張もあるそうで。
その気持ちもわかる気はします。
この辺り、日本橋北側の岸辺は江戸時代に魚河岸があった場所でもあります。
当時の人の往来は、今よりももっと賑やかだったのでしょう。
目の前に高架があると、かつての美観というものは想像しにくいですよね。
日本橋の北側にはこの風景があります。
私は田舎者なので「ニューヨークっぽい町並みだな」という感想を持ちました。
三越ビルのスケールの大きさ。
現代の高層ビルとは違う建築の美しさがあります。
この界隈に「按針通り」という通りがあって、三浦按針(みうらあんじん)の屋敷があった通りらしいので、見ておくことにしました。
三浦按針は本名がWilliam Adams、江戸時代初期のイングランドの航海士で、日本に漂着した後に徳川家康(とくがわいえやす)の外交顧問となった人物です。
按針通り、いまいち按針っぽさがわからない通りでした。
後で調べたところ、この通りの先に按針の屋敷跡の石碑があったそうなのですが、按針っぽさに鈍い私はそこまで行かずに引き返してしまいます。
隣のむろまち小路ものぞいておきましょう。
むろまち小路の方は手前の方に鰻屋さんがあって飲食店も多くて、散策によさそうな通りでした。
鰻、食べたいですね。
しかし数が減っているというし、我慢です。
鰻と違い、私の財布の中身はいずれ増やすことができます。
日本橋は国道1号線を始め、多くの国道の始点になっているのです。
国道1号線は、大阪の梅田まで東海道を通して続いているのですよ。
ここを中心に、日本全国に旅立つことができるんですね。
日本橋から東京駅方面まで歩いて戻りながら、この界隈やっぱりニューヨークの雑踏っぽいな、と思いました。
私の脳内のニューヨークってこんな感じなんですね。
東京駅から高速バスに乗って成田国際空港まで一時間と少し。
そこから飛行機で関西新空港まで無事に戻って参りました。
二泊三日、いろんな刺激のあった、楽しい東京の旅でした。
お土産は、日本橋の日本橋屋長兵衛で買ったバター風味焼カステラでした。
おいしゅうございました。
価格:87円 |
東京旅行三日目(6)。神保町でお昼。馬子禄の牛肉面は黒酢を是非に
靖国神社を後にしまして、目の前に下り勾配の九段坂です。
靖国神社参拝中はある種の緊張感で気が張っていました。
緊張感がなくなると、おなかが空きますね。
これから九段坂を降りて、東の神保町界隈に歩いていきます。
神保町で昼食にする予定であったのです。
やっぱり、お目当てのお店があってですね。
休日の神保町は、古本まつりの最中でした。
老若男女で結構な混雑です。
そして、今回のお目当てのお店がここです。
蘭州拉麺の馬子禄(マーズルー)です。
蘭州拉麺って人気だそうで、でもまだ食べたことがなくて、気になっていたんですね。
この馬子禄ってお店は本場中国、甘粛省の州都蘭州市で人気を誇る老舗なんだそうですよ。
この神保町のお店が日本第1号店だということです。
日本第1号店の響きに弱い私です。
お店の前に行列が出来ていまして、30分ばかり並んだ末の入店でした。
お店の内装は中国の高級飲食店がこんな具合なのだろう、と思わせる落ち着いた雰囲気になっています。
自販機で食券を買って、テーブルに座ります。
麺の固さ等も自販機で選べます。
お茶のグラスのデザインも洗練されていますな。
お茶自体も中国茶というんでしょうか、日本のお茶とは違った苦味のある味ですね。
名物の牛肉面をいただきましょう。
880円といいお値段です。
しかしいい香り。
スープ、麺、牛肉、大根、香菜とシンプルな成り立ちながら。
出汁の効いた自然な旨味のスープにラー油の刺激が加わり、しみじみ美味しい一品でした。
日本のラーメンとうどんの中間に位置する存在感と言っていいでしょう。
ところで、私の隣のテーブルには中国人らしい男性客が座っていまして。
店員さんに「黒酢はありませんか、蘭州のお店なら黒酢は必須です」と訴えて、黒酢を持って来てもらっていました。
それを見ていて、私も気になってきたのです。
黒酢を入れたらそんなに味が変わるものなのかな、と。
それで私もお店の人に頼んでみました。
テーブルの上には常備されていませんが、店員さんに頼むと持って来てもらえます。
黒酢のポットです。
私も牛肉面のスープに適量垂らして、味わってみました。
なるほど、黒酢を入れるのと入れないのとでは香りと味わいが段違いです。
若干の甘味と酸味が加わることで、スープに奥行きが出るのですね。
もとから美味しいスープでしたけれど、黒酢を入れるとより美味しいです。
まずは黒酢無しでいただいて、途中で加えて味の違いを楽しむのもいいですね。
読者の皆様が馬子禄に入る機会には、忘れずに黒酢を頼んでみて欲しいと思います。
価格:413円 |
東京旅行三日目(5)。市ヶ谷からの靖国神社と遊就館。見学します
天気もよく、歩くのが楽しいです。
靖国通りが近づいて参りました。
ビルの上から突き出しているのは、市ヶ谷にある防衛省の電波塔ですな。
昔この近くに蓮池という池があって、そこからカワウソが坂に出てくるのを地元の人が「河童だ河童だ」というわけで、合羽坂と名がついたそうなんですね。
ひょっとすると、カワウソの中に何匹かは本当の河童も混じっていたのではないでしょうか。
ここからは靖国通りを東へ、靖国神社を目標に歩いて参りましょう。
ここには中央大学市ヶ谷キャンパス、自衛隊市ヶ谷駐屯地、防衛省が集まっていまして。
どの建物がどの建物なのかよくわかりません。
そう言えば作家の三島由紀夫が立てこもり、自衛隊員の決起をうながす演説の末に自殺したのは、市ヶ谷駐屯地内でのことでしたね。
ちょうどアメリカからトランプ大統領が来日する当日で、特にこの一帯は歩道を巡回する警官が多かったです。
市ヶ谷駐屯地と防衛省の写真を撮るのもためらわれる雰囲気でした。
私も自然と早足になります。
戦後70年余り。
市ヶ谷八幡町の交差点まで来て、ようやく息をつけました。
東京洋服会館なんていうビルがあります。
この辺りから、右側歩道の外に外堀が見られます。
江戸城の外堀なんですね。
ホームが外堀に接していて、なかなか珍しい駅ですね。
今まで市ヶ谷駅に入ったことがないので、駅の側から外堀を眺めるとどんな具合なのか、気になります。
今回は中には入りません。
靖国神社に行くには市ヶ谷駅との間にかかる市ヶ谷橋を渡ればよかったのですが、渡らずに行き過ぎてしまいました。
この新見附橋で外堀の向こう側に渡ります。
法政大学キャンパスの脇を通る、この一口坂を降りて南の靖国通りに合流しましょう。
現地の案内板には、「『麹町区誌』によると"一口坂の一口は大阪のいもあらいと同じくイモアライと読むべき"」云々の解説がありました。
イモと言うのは病の疱瘡のことで、ここは疱瘡を洗う(治療する)坂だったと。
つまりは疱瘡治癒に御利益のあるお社が昔この界隈にあったということみたいですね。
案内板によると、そのお社があった場所についてはよくわかっていないそうです。
気になりますね。
一口坂から再び靖国通りへ。
落ち着いた雰囲気の中をしばらく歩きます。
でもじっきに靖国神社に出るはずですよ。
着きました。
明治時代初期に、戦没した軍人を祀る神社として創建された靖国神社。
私はこれが初めての参拝ですが、立派な塀と門に囲まれた、予想したよりも広い敷地を持った神社であるようでした。
門をくぐって早々に、こんな場所がありました。
神道無念流、私はよく知りませんでしたが、力強い一撃を繰り出す剣術だったようですね。
もともと関東を中心に広まった流派でした。
この練兵館には桂小五郎(かつらこごろう)を始め維新の志士となった長州藩士たちも多数入門して、剣術を磨いていたそうです。
靖国神社の境内にある理由も、いろいろ想像してしまいます。
戦死した軍人の遺品、また兵器類を集めて公開し、明治以降に日本が関わった戦争についても展示解説を行っている宝物館です。
靖国神社と併せて、政治的な文脈で頻繁に取り沙汰される施設ですので、一度見学したかったのです。
以前に鹿児島の知覧特攻平和会館を見学していましたので、展示内容は似たものであろうと思っていました。
知覧特効平和会館では戦争と特攻隊についての悲惨な実態を見せつけられて、犠牲になった特攻隊員たちの遺品に涙を誘われます。
遊就館の方は、誤解を恐れずに言えば、「娯楽要素を中心にした戦争展示」と言いましょうか。
戦国時代の甲冑等の武具に刀剣、そして明治以降各時代の軍服に銃器等が展示されていました。
各国の大型兵器類の展示も豊富です。
戦争についての解説においても、日本の戦争責任または日本が戦争によって被った被害等の、見ていて苦しくなるような要素は巧妙に排除されているような印象を受けました。
日本の武具は強くて美しかった。
日本の軍人は強くて美しかった。
日本人は強くて美しい。
日本人を鼓舞する内容が濃厚で、率直なところ、私は見学していて心地良くなってきたのでした。
巷に言う「日本人であることを誇りに思う」なる気持ちが何をきっかけに刺激されるのか、勉強できた気がします。
館内に外国人観光客の方々が多かったのも、そうしたマジックの一端に触れたい一心ではなかったでしょうか。
神社仏閣の空間演出が参拝者の心に与える影響は絶大です。
伊勢神宮、出雲大社の頃から育まれてきた神道の知見が、近代に創建された靖国神社にも最大限に生かされているのですね。
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東京旅行三日目(4)。四谷歩き。四谷は伝説の多い土地
新宿御苑の大木戸門から外に出て参りました。
新宿通り沿いにある新宿一丁目の交差点に、文芸社の社屋を見つけました。
四谷区民センターの一角に石碑が立っています。
「水道碑記」とあって、玉川上水の水道の開削を記念するものでした。
江戸時代、ここには玉川上水水番所があったそうです。
遠く多摩川から玉川上水で引いてきた水を地下水道によって江戸市中に供給していました。
玉川上水水番所では水量の調整、ごみ除去による水質の保持を行っていたそうです。
現在でいうところの水道局の役割を担っていたのですね。
現在も四谷区民センター内には東京都水道局の新宿営業所が入っています。
四谷四丁目の交差点ですね。
江戸時代にはここに四谷大木戸という大きな木戸があったそうです。
木戸は、街道沿いの街の出入り口に設けられていて、日が落ちると閉めて人の出入りを制限した設備なんですね。
ある種の関所と言っていいでしょう。
今この交差点を東西に通っている国道20号線がかつては甲州街道で、四谷大木戸によって江戸と甲州方面を行き来する人の流れを調整することができたわけですね。
交差点に面したビルの上に目を引く大きな広告看板群が掲げられていて、四谷って開放的な街なのかな、という感想を持ちました。
この開放的な交差点を右に曲がり、南北に走る外苑西通り沿いに南に向かって歩きます。
外苑西通り沿いにこちらも出版社、ポプラ社の社屋がありました。
小学生の頃、ポプラ社の児童書を学校図書館で読んだ記憶があります。
ここにあったのですね。
ポプラ社の社名って近所の新宿御苑に生えているポプラの木から来ているのかな、と想像しました。
外苑西通りの先で住宅地の中に入ると、新宿御苑を背景にして神社があります。
多武峰内藤神社です。
この付近一帯の広大な土地を治めていた内藤清成(ないとうきよなり)が、先祖にあたる藤原鎌足(ふじわらのかまたり)公を祭神として祀った神社なのです。
奈良の多武峰には藤原鎌足公を祀る談山神社がありますから、多武峰の社号はそれにあやかったものなのでしょうね。
境内には「駿馬塚」という場所もあります。
内藤清成には、徳川家康から「馬に乗って一息に駆け抜けただけの土地を授ける」と言われ、駿馬に乗って駆け抜けた範囲の領地を丸々手に入れたという伝説があるのです。
その際に無理をした駿馬は息絶え、それを清成が屋敷地の一角に葬り塚を建てたのだとか。
徳川家康が内藤清成に馬の走った分の範囲を与えたというのは史実ではないでしょうが、あまりに清成が授かった土地が広大だったために、そんな伝説が生まれたのでしょう。
新宿御苑の付近は江戸と甲州とを繋ぐ軍事的な要衝だっただけに、信頼の置ける家臣に任せた、というのが実際のところのようです。
内藤清成は、家康からの信頼が厚かったのだと思います。
可愛らしいお馬さんの像も奉納されております。
広大な土地を勝ち取る駿馬には恵まれませんが、私の脚も捨てたものではありません。
新宿御苑よりも遠くへ遠くへ歩いていきます。
国道20号線に戻り、東へ向かいます。
ところで四谷発祥の食品スーパー、丸正食品の総本店が20号線沿いにあるのです。
その店先に、不思議な場所がありました。
なんだか雰囲気が、大阪の法善寺の水掛不動尊みたいです。
近づいてみると「お岩水かけ観音」とあって、はっとしました。
四谷は、お岩さんで有名な「四谷怪談」の生まれた土地だったのですね。
観音様の傍らの説明文を読みました。
付近には江戸時代から、お岩さんを祀るお岩稲荷があって。
そのお社が戦災で失われた後、地元の人たちで再建したのだそうです。
その再建の世話人として丸正の創業者が関わった縁で、社屋建築の際に併せてお岩水かけ観音を祀ったということでした。
私は現地に来てもすっかり忘れていて何気なしに歩いていましたが、四谷というのは江戸時代の人心に広く浸透した、有名な伝説を抱えた土地なのでした。
それにしても、お岩さんを観音様として社屋の入口脇に祀ってしまうとは。
丸正の創業者の心意気といいますか、郷土愛を感じました。
丸正総本店の中を見物ついでに買い物していけばよかったのですが、歩くのに夢中の私はそのまま進んでしまいます。
ビル上のヘリポートに消防署のヘリコプター、初めて見ました。
後で調べたところ、四谷消防署と東京消防博物館の入った建物でした。
この建物の角の四谷三丁目交差点で、20号線と外苑東通りとが交差しています。
20号線を左に曲がり、今度は北に外苑東通りを行きましょう。
四谷から離れて、北部を東西に走る靖国通りに移るつもりなのです。
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東京旅行三日目(3)。じっくり散策、新宿御苑。菊花壇に擬木、プラタナス並木から大温室まで
ラクウショウは名残惜しいですが、次行きましょう。
新宿御苑は広いのです、ぼやぼやしていられません。
木々が並ぶ向こうには街が広がっているのですが、都会の喧騒は伝わってきません。
新宿御苑はもともと、徳川家康(とくがわいえやす)が江戸に移った際、譜代家臣だった内藤清成(ないとうきよなり)にこの一帯の広大な土地を授けたのが始まりでした。
江戸時代には内藤氏の下屋敷の敷地となり、敷地内の屋敷跡に宿場町である「内藤新宿」も開かれます。
明治5年には各種農産物等の改良研究を扱う「内藤新宿試験場」が開設されました。
この試験場は後に皇室に献上され宮内庁の管理となり、さらに長い準備期間を経て明治35年には試験場から庭園として生まれ変わりました。
「新宿御苑」の誕生はこの皇室の庭園となった時なのですね。
いい庭園ですなあ。
もともとは皇室庭園として皇室の方々が憩いの時間を過ごされる場所であると共に、敷地内で試験場時代からの設備を使って装飾用の花々、飲食に供される野菜、果物等も栽培する場所だったのですね。
現在のように一般公開されるようになったのは、戦後になってからのことだそうです。
現在でも新宿御苑の敷地内には鑑賞用の菊の研究栽培施設があって、そこで育てられた菊がこうして菊花壇で見られるのですよ。
高層ビル群が見える場所に来ると、都会にいたことを思い出します。
新宿御苑が皇室庭園だった頃、昭和天皇の御成婚記念として台湾在住邦人たちから贈られた、旧御涼亭です。
平成に入って改修工事が施され、現在に蘇っています。
本格的な中国式建築として、当時の日本では珍しいものだったそうですよ。
日本人が異国に進出して接した多用な文化の諸々が、皇室の方々に献上されて、その生活に取り入れられていったのかもしれないですね。
ここは一般公開はされていませんが、菊の試験場ですな。
閉まった門の外から覗き見る私です。
これが皇室庭園の頃なら、外から覗き見るだけでもえらい怒られていたことでしょう。
外から見る限り、かなり広い区画が試験場として割かれているようでした。
かつての内藤新宿試験場の名残りを感じます。
ところでここ、日本の造園史の中で結構重要なスポットらしいですよ。
というのも、これ。
擬木(ぎぼく)って言って、石やコンクリートを使って木を模した造形なんですね。
公園なんかで時々見かけますよね。
実は、新宿御苑にあるこの擬木の橋が、日本で最初につくられた擬木なんだそうです。
明治38年にフランスから購入したもので、現地からわざわざフランス人が三人ついて来て取り付けたとか。
数メートルばかりの短い擬木橋ですけれど、取り付けるのに手間がかかっているんですね。
案内板の説明を読んで、目の前の擬木橋がとてもありがたく見えてきました。
これからは世の中の公園にある擬木を見る度に「私は日本で最初の擬木を見た」と自慢ができるので、嬉しいです。
そんな自慢を聞かされる人の方ではあまり嬉しくないでしょうね。
でも我慢してください。
プラタナス並木に圧倒される思いです。
空間をのびのびと使っていますね。
フランス式整形庭園のバラ花壇が素敵です。
ビスタライン(見通し線)と言って、バラ花壇のあるフランス式整形庭園の前に立つと
芝生広場のあるイギリス風景式庭園の遙か向こうまで、見通せるように空間を開いて造園されているのです。
あの地平線の向こうに私が入ってきた新宿門があるのですよ。
新宿御苑の端から端まで歩いたので、ひと休みです。
売店で売っていました、内藤とうがらしクレープを頼みました。
江戸東京の伝統野菜である内藤とうがらし、昔からこの新宿御苑の近辺で栽培されてきた野菜なのです。
その内藤とうがらしを使ったクレープなんですね。
270円ですから、軽いおやつにしてはいいお値段です。
凍ったホイップクリームの中に、内藤とうがらしをつかった餡が入っています。
冷たい甘さの中にほんのりと辛味が効いて、味覚を刺激します。
11月にしては日差しが強く気候も暖かい折で、美味しくいただきました。
最後に大温室を見ていきましょう。
遠くから見るだけでわかる、大規模な温室です。
大温室の外には、戦前にあった温室の遺構が保存公開されております。
現在の大温室に入ってみましょう。
いきなりバナナっぽい葉を発見。
これはあれです、バショウ科ってやつです。
しかしその実の方は、何といいますか、ちょっと食欲わかない感じの見た目。
呪いの儀式に使われそうなバナナ?ですね。
これから熟れて美味しそうな見た目になっていく…のならいいのですが。
おそらく国内有数の規模なのでしょう、広々として植物を見て歩くのが楽しい大温室です。
温かいので冬場には特にいいです。
私の好物、ドラゴンフルーツも育成されていますね。
ドラゴンフルーツってサボテン科だったんですね。
確かにサボテンかアロエっぽい外見です。
惜しいことに実は成っていません。
成っていたところで、私が食べるわけにはいかないので、成っていなくてよかったかもですね。
岩壁等をつたって上に伸びて行く性質があるんですね。
たくましいですね。
美味しい実をつけてください。
温かい土地では木々もにぎやかな進化を遂げるようです。
カカオの木に実が成っていますね。
なんだか美味しそうな色をしています。
でもあの実を食べてもたぶん苦いですよ。
またバナナ系の木を発見。
バナナですバナナです。
サンジャクバナナって言うそうです。
こっちの実はまだ青いですが、熟れてきたら食べられそうですね。
ただ小ぶりなバナナですね。
三尺ってどこからどこまでが三尺なのかよくわからんですね。
これはヘリコニア・マリアエという、これもバショウ科の植物の実なんですね。
こちらも見る分には面白いですけれど、ちょっと食欲わかない系です。
バショウ科といっても実の形はわりといろいろですね。
大温室では次から次へと面白い植物が現れて、気持ちが鎮まりません。
蓮の葉を眺めて落ち着きます。
通路が閉鎖されている箇所があります。
先の台風18号の影響で頭上の天窓ガラスが破損しているため危険なんですと。
あれですな。
えらい上の方で、天窓ガラスが破損していました。
台風で石か木の枝か何か飛んできて当たったのでしょうか。
応急処置は施されているようですけれど、あの高さにある天窓をどうやって修繕するのか、高所の苦手な私は想像しただけで冷や汗が出てきます。
三面ガラス張りの大温室、植物たちの育成も施設の維持も含め、大変な苦労をもって運営されているわけですね。
ありがたいと思います。
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東京旅行三日目(2)。思い出の新宿サザンテラスから新宿御苑に入園。ラクウショウのファンになる
下北沢を見るだけ見て、新宿に戻って参りました。
今回の東京旅行のテーマのひとつが、「世田谷区探訪」でした。
下北沢を締めとして、今回の世田谷区探訪は終わりにします。
まだ見ていない世田谷区の街々は、今後の東京旅行の機会に見ていくつもりです。
今日の残りの時間は、世田谷区以外に東京で気になっていた場所をまわってから帰りますよ。
まずは新宿から始めます。
新宿駅近くの新宿サザンテラスに来ました。
大きなタカシマヤタイムズスクエアのビル、変わりませんね。
もう何年も前にこの界隈に来たことがあります。
アメリカから来た、「クリスピー・クリーム・ドーナツ」の1号店がサザンテラスにできて話題になったとき、すぐここまで食べに来たのです。
数えてみたら、もう十年以上前の話です。
そのクリスピー・クリーム・ドーナツ1号店も今はなくなり、建物はそのまま別のテナントに替わってしまっています。
時間が経つのは早いですね…。
開業して間もない1号店のお店の前には大行列ができていたのです。
その末尾に私も並び、ショーウィンドウの中で店員さんがドーナツをつくるのを見守りながら、ドーナツの味を想像していたときの思い出が蘇ってきました。
大阪にも支店が出来てから何度かクリスピー・クリームのお店には入りましたが、ここで行列に並んだ後に食べたドーナツの味は一度きりのものでした。
当時自分で行列に並びながら、「話題にまんまと乗ってしまう自分が恥ずかしい」なんて少しは思っていたものですが。
今になって思うと、こうやってふいに思い出せる思い出を持つことができて、よかったと思います。
アメリカから来たファーストフードを食べに東京に来たのは今回の旅も一緒なので、10年経っても人間変わらないってことでもありますね。
感傷にひたりながら、歩いて参ります。
タカシマヤタイムズスクエアに向かって歩道橋を歩いて行くこの時間、好きです。
特にタイムズスクエアに入る用事はないので、外から見るだけですがね。
新宿駅に乗り入れる各路線の列車発着を上から見下ろすことができる、鉄道好きにはたまらないスポットでもあるんですね、この歩道橋。
サザンテラスから地上に降りて、今度は新宿御苑に向かいます。
新宿御苑は、大都会新宿の中にある緑豊かで広大な空間なのです。
これまで行ったことがなかったので、楽しみにしています。
「黒豚島津」なんてお店がありました。
鹿児島が好きで武家の島津氏にも関心をもっているので、こういう店名には敏感です。
これも何かの縁なので、隣の吉野家で豚丼の朝食をいただきましょう。
と思ったのですが、かまあげしらす定食を頼んでいました。
390円でした。
豚丼食べるつもりだったのですが、大阪の店舗では見たことのないしらす定食、これを見逃すのも難しかったのです。
しらすの柔らかい食感が好きです。
食べ終わって、再び新宿御苑に向かって歩きます。
吉野家を出て間もなくして、ビルの間に緑が見えてきました。
日も高くなってきましたところで、新宿御苑の新宿門前です。
初新宿御苑。
入園料200円、チケットを買い、入って参ります。
樹木が生い茂る、鬱蒼とした森の中を歩くことができます。
広大な園内の敷地はそれぞれテーマを持ったいくつかのエリアに分かれていて、生えている植物の種類もエリアごとに違うのです。
植物園が好きでよく入りますが、植物の名前はすぐ忘れてしまいます。
いつも名前を知らぬ木々を眺めては「あの木はいいですなあ」と思うだけです。
珍しい巨木が群立していますね。
あの間の遊歩道を歩いて行きましょう。
巨木群の根元付近の地面から、怪しいものが大量に突き出ています。
これ、ラクウショウという名のあれら巨木の、「気根」なんだそうです。
根から地上に伸ばしたこの気根を通じて、ラクウショウは酸素を取り入れるんですって。
ラクウショウは沼地や湿地に生える樹木で、水辺に生えている場合なんかは気根を水面から出すんだそうです。
非常に面白い形状の気根です。
一度観察してしまうと、もう目が離せません。
ラクウショウのファンになってしまいます。
地上に出ている樹木と気根の間の、地中の根っこ部分はいったいどんな状態になっているのか、見てみたくなりました。
しかしそれはできない相談です。
土を掘り返すのはいけません。
地中の根の形を想像して済ませようと思いますが、想像図すら全く頭に浮かびませんでした。
ラクウショウの地中の状態については謎のままです。
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東京旅行三日目(1)。新宿から下北沢へ。静かな演劇の街を歩く
東京観光の最終日であります。
夕方には飛行機に乗って大阪に帰ってしまいますので、時間を有効に使って最後までしぶとく観光して参ります。
朝早くに新宿歌舞伎町のカプセルホテルを後にしました。
朝の歌舞伎町は客引きの人もおらず、静かで歩きやすいですね。
歌舞伎町にゴジラがいるというので見ていこうと思ったんですね。
どういう状態なのかここからの角度ではよくわかりませんけれど、まあいいです。
熱烈なゴジラファンと言うわけでもないので、ゴジラの全貌を確認することもなく次に行ってしまいます。
わざわざポーズを取ってくれているゴジラにすれば私は薄情な観客でした。
電化製品店ビルの街頭テレビで、朝からSergio Mendesの"Mas que nada"が流れていて己の中のラテン気質に火がつきました。
ブラジルいいですね。
Sergio Mendes来日公演の宣伝でした。
東京にはいろんな国の人たちが来るのですね。
この高架下のトンネル通路、何度か通りましたが、「大都会の高架下のトンネル通路」の雰囲気がよく出ていて、しみじみと感じ入るものがあります。
人知れずいろんなドラマが生まれていそうな場所でした。
思い出横丁を向こう側に眺める、靖国通り沿いの交差点です。
朝は人通りもまばらですね。
オダキュウオダキュウ。
小田急といえば小田原、箱根。
いいですねえ。
小田原も箱根もこれまでに行ったことがありますが、一度新宿発の小田原箱根旅行をやってみたいものです。
今回は小田原箱根までは行けませんが、世田谷区内まで小田急に乗っていきます。
駅の改札から出てきたら、この風景でした。
ここが下北沢の街らしいです。
下北沢って地名を時々耳にするので、どんなところか来てみたかったのです。
小劇場と飲食店と衣料品店が多くて、若者の街なんだそうですね。
世田谷区内には面白い街がたくさんあるようです。
さっそく散策してみます。
いきなりこんな看板の洗礼を受けました。
ゲバラ風味の男性。
キューバプレスサンド。
私はキューバの風土に憧れを持っているので、そんなサンドは魅力的です。
やはりまだ朝早いこともあって、お店は営業時間外でした。
カフェバーだったのですね。
住宅街の中にこんな異国趣味のお店が平然と建っているなんて、下北沢がどういう街なのか、すぐに飲み込めました。
とはいうものの、どの辺りに下北沢らしさの色濃いメインストリートがあるのか、よくわかりません。
とりあえず有名なランドマーク「本多劇場」を探して歩いています。
わりとこじんまりした住宅地らしい雰囲気もありますね。
中南米民芸店もあるそうで、物凄く心引かれました。
しかしやはり営業時間外。
中に入ってみたかったです。
下北沢駅の南口辺りには、妖しげな魅力あるビルの建つ味わい深い界隈がありました。
私が最初に出てきたのは南西口で、集合住宅の多い場所だったのです。
こちら側はこちら側で、飲食店が立ち並んで楽しそうな繁華街の趣きです。
珍しい、アボカド料理の専門店がありました。
アボカド、私の好物です。
もしお昼時だったら迷わず入ってアボカドのランチに挑戦しているところでした。
下北沢、中南米要素がところどころに見られて、嬉しくなります。
巨大なペプシ缶下の自販機で、ペプシが一切売られていないという拷問です。
でもたぶん角のモスバーガーでペプシを提供しているでしょうね。
よかったです。
鈴なり横丁、中に飲み屋街と小劇場が入った建物です。
のぞいてみると建物の中に大きな木が生えていて、驚きました。
鈴なりって、樹木にお店がたくさん成っている、ということなのかもですね。
ところでこの鈴なり横丁、茶沢通り沿いにあるんです。
茶沢通りというと三軒茶屋で歩いた目抜き通りで、つまり三軒茶屋から下北沢まで、南北にこの道が通っているんですね。
北の下北沢と南の三軒茶屋、かなり距離は隔たっているのに、茶沢通りでしっかり繋がっています。
今度東京に来たら、三軒茶屋から下北沢まで茶沢通りを歩きとおしてみようかな、と思いました。
そうして本多劇場もようやく見つけましたよ。
劇場の上が集合住宅になっている?ようです。
見つけたは見つけたけれど、まあ中に入る予定もないし、入ろうにもまだ閉まっているしで外から眺めるだけですけれどね。
しかし有名なランドマークを眺めることができて、自分の気持ちには一区切りついたように思いました。
飲み屋等、飲食店が多い中に本多劇場の他にも小劇場があって、演劇人と演劇愛好家が集まる界隈であるのでしょう。
本多劇場もショッピングフロアまで経営していて、多角化経営の方針のようですな。
どこのお店も閉まっているし、演劇人も見当たらないしで、朝の下北沢散策は非常に静かに幕を閉じました。
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