『瞬殺猿姫(40) 一子といる竹薮、消耗する猿姫』

竹薮の中で猿姫(さるひめ)は、忍びの女である一子(かずこ)と対峙している。

一子は猿姫の心を迷わせる言葉をかけてきた。

織田三郎信長(おださぶろうのぶなが)たちと同道することが、いかに猿姫のためにならないか。

語りかけて、彼女に忍びになるようにうながしてきたのだ。

猿姫の心は、ぐらついている。

旅の先行きが見えない折でもあった。

そして今は滞在していた神戸城が落ちる寸前で、脱出の最中なのだ。

背後に、三郎たち三人の同行者を残している。

早く脱出路を確保して逃げなければ、という焦りもあった。

「悪い話じゃないと思うんだけれどなあ」

焦る猿姫を前にして、一子は落ち着き払った声で言った。

月明かりの下に長身をさらし、猫のような伸びをする。

得物の棒を握る猿姫の手の平が、じんわりと汗をかいた。

どうするべきか、いい判断が浮かばない。

目の前をふさぐ一子。

背後に控える三郎たち。

今にも落ちそうな神戸城。

自分にとって最適な道を、今選ばなければならない。

猿姫は、唾液を飲み下した。

「貴様の言うことにも一理ある」

口を開いて出てきた言葉が、それだった。

「へえ?」

見返す一子。

猿姫は、口の中で舌を回した。

どう言葉を続けるか、考えているのだ。

「私には忍びが向いているかもしれない」

「あ、一理あるってそっちの話?」

猿姫の言葉を聞いて、一子は嘲笑した。

彼女が何を嘲っているのか、今の猿姫にはわからない。

今は話すことで精一杯だ。

「そうだ。自分でも、忍び働きはできるかもしれないと思うし」

「ふうん」

一子は小首をかしげて、猿姫の言葉を聞いた。

彼女の目は笑っていない。

たとえ猿姫が言葉の先で煙に巻こうとしても、それを許さない視線だった。

猿姫は、緊張する。

「なら、私と一緒に来るのね?」

間髪入れずの、試すような口調である。

猿姫は唇の端を噛んだ。

目の前の忍びの女に、試されている。

鼻から息を吸った。

「貴様についていってもいいが、条件がある」

一息に言い放った。

「条件?」

一子は眉間に皺を寄せて見返した。

「そうだ」

「聞くだけ聞きましょうか」

高慢な言い様だった。

以前までの一子とは、態度が違う。

きっと、猿姫が窮状にあることを把握しての豹変なのだ。

悔しい気持ちを飲み込んで、猿姫は言葉を続けた。

「三郎殿も連れて行ってくれ」

「何それ」

猿姫が訴えるなり、一子は鼻を鳴らした。

「それが条件だ」

「私の話、聞いていなかったの?国を追われた大名の倅なんて、役に立たないって言ったでしょ」

「でも、三郎殿は鉄砲が使えるんだ。彼にだって忍びが勤まるかもしれないだろう」

訴える猿姫を、一子は冷たい目で見据える。

「あなたに、忍びの何がわかるの?」

猿姫は言葉に詰まった。

一子の視線が、肌に刺さる。

焦り、猿姫は言葉を継いだ。

「それが駄目なら、私は貴様にはついていかない」

破れかぶれだった。

今、目の前の一子の機嫌を損ねるような返答が、どんな結果を招くか。

悪い想像はあっても、猿姫には旅を共にする三郎を見捨てる覚悟はできていない。

「このままでは貴方もあの連中と共倒れになるだけなのに。そういう決断で、いいのね?」

猿姫の目を覗き込みながら、一子はなぶるような調子で語りかける。

うかつな返答をためらわせる問いかけだった。

だが、猿姫には選択肢がない。

三郎たちが待っている。

「何度も言わせるんじゃない」

強気を装って、勢いで言い放った。

言葉だけでも強く出れば、少し元気づくことができた。

「これ以上、貴様と話し合っても無駄だ。さっさと失せろ」

棒を構え直して、相手の喉元にいつでも切っ先を突き出す気配を送った。

猿姫の態度を見て、一子はため息をついた。

哀れむ視線を猿姫に送っている。

「がっかりだわ」

「がっかりでも何でもいい。話は終わりだ」

言うが早いか、猿姫は上半身を伸ばし、相手の喉にめがけて棒を突き出した。

我慢の限界だったのだ。

ただ、相手との間に、距離はある。

上半身が伸びるのと同時に、猿姫は地面を蹴って前進していた。

棒の先は、一子の喉を貫くのに充分な伸びしろを保って迫った。

一瞬のうちに迫った一撃。

一子は上体をひねってかわした。

柔らかく、猿姫の動きに劣らない速さである。

棒をかわされて相手のそばに踏み込んだ猿姫は、その勢いで相手に体当たりを食わせた。

相手に近すぎて、また竹藪の中では竹が邪魔になり、それ以上棒を振ることができなかったからだ。

代わりに棒を持った腕を下に落として、肩先から背中にかけての部分を相手の体にぶつける。

手ごたえはあった。

「ぶつかり合いは苦手だわ」

舌打ち混じりに言う一子の声がどこかで聞こえる。

一歩下がりながら頭を上げた猿姫の目の前に、一子の姿はなかった。

気配が、遠くにある。

「貴様、どこに行った」

「ぶつけられて、肩が外れた。お望みどおり、失せることにするわ」

どこかから、通りのいい声が届いた。

それっきりだった。

竹薮の中は、静かになった。

風で揺れる竹と、猿姫自身の荒い息の音だけが聞こえている。

猿姫は、棒を地面に取り落とした。

全身から力が抜けて、棒に続いて地面に落ち、へたりこんだ。

一子との問答で、ここまで消耗するとは予想外だった。

 

直前の言葉のやりとりを思い出し、胸がふさぐ。

だが状況が状況だ。

すぐにでも、三郎たちの待つ祠に戻らなければならない。

それでも猿姫は、すぐさま立ち上がることができないでいた。

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『手間のかかる長旅(099) お寺泊の余地』

時子(ときこ)は座ったまま不安な面持ちで、横に座るアリスを眺めている。

アリスは上の空で、目の前の本尊に視線を向けていた。

彼女は少し前に、この本堂に泊まりたいと漏らした。

時子には寝耳に水の話だ。

面接の帰りに、時子はちょっとした寄り道のつもりでこの寺に来たのである。

だいたい着慣れないリクルートスーツを身に着けているので、さっさと帰って普段着に着替えたいのだ。

着慣れないフォーマルな装いのまま、寺の本堂で一晩過ごすなんて考えられない。

アリスは何を考えているのだろう。

「じゃあ、お坊さんに挨拶して、帰る?」

帰りたい一心で、時子はアリスに声をかけた。

アリスは時子を見た。

「えー、もう帰るの?」

アリスは普段の彼女らしくない、眉をひそめた不満そうな表情を露わにした。

「泊まらないよ?」

時子は念を押す。

アリスは唇をとがらせた。

「駄目だよ、泊まらないよ」

時子は慌てて言葉を強めた。

時子の態度を見て、アリスは肩をすくめる。

「なら、仕方ないにゃ」

「二人で帰るよ?」

「仕方ないにゃ。でもね、もう少しだけ、ここでまったりしたい…」

よっぽど、この本堂の雰囲気が好きなのだろう。

確かに落ち着く場所だけれど、時子にはアリスの気持ちがわからない。

「お寺に泊まるなんて、異常だよ」

つい、時子は本音を口にした。

アリスは時子を見る。

「そうかな。でも、このお寺、もともと泊まれるんだよ」

落ち着いた調子で言った。

時子は首をかしげた。

「見つかったら追い出されるでしょ?こんなところに寝てたら」

「違うよ、ちゃんと泊まれるんだよ。お寺の人に予約を入れてさ。ゲストハウスみたいな」

時子には意外なことを告げられた。

「え、そうなんだ。でも、ここに寝るんでしょ?」

「この本堂じゃなくてさ。他に、泊まれる部屋があるの。和室のいいお部屋」

「へえ」

お寺に泊まるなんて考えたこともなかった時子には、意外だった。

本堂に泊まるのは嫌だけれど、宿泊客向けの施設があるのなら、それはいいかもしれない。

「アリス、そんなことよく知ってるね」

「ここの坊さんに聞いたにゃ。歴史のある寺だから、遠くから泊まりがけで参拝する人たちも結構いるんだって」

「へえ、そうなんだ」

時子は感心して、うなずいた。

この如意輪寺、もしかしたら有名なお寺なのかもしれない。

彼女は今までその存在を知らなかったが。

地元にそんな有名な寺があったとは。

「ここ、有名なお寺なのね」

アリスはうなずいた。

「知る人ぞ知る寺といったところにゃ。そして、私もこの寺を知っている」

そう得意げに答えた。

時子もうなずき返した。

この本堂で一晩過ごすのは、いい気持ちがしない。

でも、ちゃんと宿泊できる施設が他に整っているのなら、泊まってもいいかもしれない。

部屋着も貸してもらえるかもしれない。

夕食に、アリスが言っていた精進料理と言うのも、食べられるかもしれない。

精進料理には、時子も興味がある。

お寺泊も、悪くない気がしてきた。

でも…と、時子は思い返した。

お寺であっても、泊めてもらえば、少なからず宿泊料金がかかるはずだ。

お金を貯めるために工場で働くことにしたのだから、ここで気の迷いからお金を使うわけにはいかない。

我慢しよう、と思った。

友人たち皆で旅するための、資金が欲しい。

アリスと二人で楽しい体験をするのも悪くはないけれど…。

 

そして帰ると決まったら、たとえアリスが一人で泊まると言い張ったとしても、何とか連れて帰りたい。

時子一人で帰るのは、心細いのだ。

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『クリスマスイヴを前に、企む』

無人島での生活。

乗っていた客船が難破して、流れ着いた。

それ以来、この島で助けを待ちながら暮らしている。

それも、もう長い。

数年に渡っている。

いつでも、生活用品など、物に不自由している。

生きていくのがやっとで、季節の移り変わりには無頓着に過ごしてきた。

ただ物がない中でも、できれば日々の楽しみは欲しい。

何年も祝ったことがなかったクリスマスイヴの日が近づくに連れて、今年は祝ってみよう、とミコは思ったのだった。

そんな思いで、ミコは準備を進めてきた。

まずは、ごちそうだ。

海岸に生える豆からつくったチーズもどきと、ワインだけは確保できた。

ワインも海岸に生えるブドウを使って、ミコが秘密裏に醸造していたのだ。

皮ごと発酵させて、赤ワインだ。

豆チーズも赤ワインも、それぞれ台所の甕の中に隠してある。

ささやかな準備である。

 

小屋の入口に行って、片手ですだれをめくる。

ミコは外を眺めた。

高台の岩場に立つ小屋だ。

眼下のごつごつした斜面と、さらに遠くにある海岸が見える。

海岸から、仲間たちがこちらに歩いてくるのが見えた。

三人。

末吉、留子、吉松。

ミコと同世代の、若者たちである。

ミコは彼らが戻ってくる姿を認め、気が急いた。

しばらくは三人を眺めて待つ。

三人は、岩場のふもとにたどり着いた。

頭上の小屋の入口から見下ろしているミコに、三人それぞれが手を振る。

ミコも手を振り返した。

そうしながら、すぐに小屋の中に引っ込んだ。

部屋の中の、ろうそくの明かりを消した。

普段は殺風景な、何もない内装なのだ。

しかし今日は、三人が出かけた直後から、ミコは一生懸命に飾りつけた。

こんな島でも、海岸で手に入る花、貝殻など、飾りつけに使えるものはある。

それらを集めておいて、ふんだんに飾った。

部屋のテーブルの上には、人数分の料理をあつらえる。

いつも食べる蒸し芋に加え、貝と海草のスープを今、台所で温めている。

さらに今日は豆チーズと赤ワインがあって、豪勢だ。

喜んでもらえるだろう、とミコは暗くした部屋の中で微笑んだ。

 

ただいま、と三人は小屋の入口にたどりついた。

それぞれが背中に、採集した諸々を入れた袋を担いでいる。

家事と炊事の得意なミコは日中小屋にいる。

代わって仲間たち三人は、海岸で魚に貝に海草を採り、また山で山菜を集めたりもするのだ。

三人が帰ってきたが、ミコは返事をしない。

小屋の中で、待っている。

「ミコ?」

仲間の留子が彼女に呼びかけながら、入口のすだれを手でよけて、小屋の中に足を踏み入れた。

「あれ、まっくら」

驚きの声。

「なんで、さっきミコはそこに立っていたのに」

続いて駆け込んでくる吉松。

「おいミコ、大丈夫か」

後ろから心配そうに声をかける末吉。

ミコは、三人が小屋の中に足を踏み入れた気配を確認した。

部屋の隅で屈んでいた彼女、手元にある燭台のロウソクに種火で火を灯す。

明かりが彼女の顔を下から照らした。

「ミコ、何してるの?」

留子が気付いて声をあげた。

怪訝な顔で、ミコを見る。

末吉と吉松も、不安そうな顔だ。

「ミコ…」

「メリークリスマス!」

彼らの懸念を振り払おうと、ミコは殊更に声を高めて言った。

燭台を、テーブルの真ん中に置いた。

明かりが部屋の中を薄く照らす。

天井、壁、そこらじゅうに飾り付けられた装飾が浮かび上がった。

「え、何これ」

三人は薄暗い部屋の中を見回している。

不安そうだった。

「どうしてこんなに暗くするの…?」

留子は心細い声をあげて、ミコを見る。

「だって、今日はクリスマスイヴの日だよ」

ミコは胸を張って答えた。

「サンタさんがプレゼントを持って来てくれる晩だよ」

「何それ…」

三人とも、腑に落ちない顔でいる。

ミコは、拍子抜けした。

この三人、クリスマスを知らないのだ。

無人島に来る前に、クリスマスイヴを祝ったことがないのだろうか。

「サンタさんは神様だよ。願い事をかなえてくれるの」

「へええ」

不確かな声をあげて応じながら、三人はやはり不安そうなのだ。

仕方ない。

「クリスマスイヴのごちそうをつくってあるから、ご飯にしましょう」

背中の袋を下ろした三人を、テーブルの周りの腰掛けに座らせた。

ロウソクの明かりで、ごちそうを食べる。

とてもクリスマス的だ。

ミコが台所からスープの入った器を運んで給仕する間、三人はテーブルで居心地悪そうにしている。

「ね、ミコ、ランプを灯しましょうよ」

頼りない声で、留子は頼んだ。

天井から、拾い物のランプが下がっている。

ランプを灯せば、もっと明るくなる。

「駄目。そんなことしたら、雰囲気が出ないでしょう」

「でも暗いと、ごはんが食べにくいんだけどなあ…」

吉松は小さな声で言った。

ミコは、聞こえない振りをする。

 

豆チーズ、赤ワインはそれなりに三人から好評を受けた。

ただ彼らにはクリスマスの意味が、うまく伝わっていないようだ。

ありがたい日なのに、とミコはもどかしい。

でも口で説明するよりは、明日の朝まで待つ方がいい。

ミコは、三人にそれぞれプレゼントを用意していた。

彼女手作りの、ささかやな品々ではある。

でも気持ちがこもっているのだ。

あれらを寝台にかけた自分たちの靴下の中に見つけたら、三人にもクリスマスの意味がわかるだろう。

そう信じて、ミコは食器を片付ける。

明日も朝早くから出かける三人を床につかせた。

彼らが寝静まったら、それぞれの靴下の中にプレゼントを入れてあげる。

食器を片付け終えて、寝室に入るミコ。

部屋の明かりを落とした後、三人全員が寝息をたて始めたのを見計らい、自分の寝台の下に隠しておいたプレゼントを、三人の靴下に仕込んだ。

朝になったら、喜んでもらえるはず。

いつものように遠くに聞こえる波の音を聞きながら、ミコは朝を心待ちにして眠りについた。

 

「ミコちゃん、ミコちゃん」

体を揺さぶられて、ミコは薄目を開けた。

寝台の脇に留子が立って、ミコの上に上半身を傾けている。

窓から、寝室に朝の光が差し込んでいる。

朝だ。

「留子」

応じて身を起こしながら、プレゼントのことが気になる。

三人は気付いただろうか。

「どうしたの?」

なんだか、留子の顔は赤かった。

興奮しているような表情だ。

「ミコちゃん、起きたばかりで悪いけれど、あなたに伝えることがあるの」

声をはずませている。

「え、何?」

「私たちからのプレゼント」

笑顔で伝える留子。

ミコは、目を大きく見開いた。

 

空を飛ぶのは初めてだ、とミコは思った。

輸送用ヘリコプターの内部。

対面式の座席に、ミコは留子たち三人と向かい合って座っている。

頭上で、ヘリの天井ごしに、プロペラが回る音と振動が伝わってくる。

ヘリの窓からは、眼下に広がる果てしない青い海原が見えた。

今朝、ミコたちがいた無人島に、救助隊がやってきたのだ。

数年にわたる、四人だけでの無人島生活。

そこに、この思いもかけないプレゼントだった。

「でも本当は、しばらく前からわかってたの」

ミコの隣に座る留子が、そっと告げた。

「どういうこと?」

「数日前、俺たちが海岸にいるときに、漁船が来たんだ。でもとても小さい船だったから、四人は乗れないと思った」

吉松が継いで答えた。

ミコには、初耳だった。

「その漁船の船長さんに、四人一度に助けてもらえるような救助隊を後日に呼んでもらうように、頼んでおいたんだ」

そうだったのか、とミコは思った。

「でも、その船のこと、どうして私にだけ知らせてくれなかったの?」

「しばらく内緒にしておいて、君へのクリスマスプレゼントにしたかったんだよ」

末吉が落ち着いた声で答えた。

ミコは驚いた。

クリスマスのこと、彼らは知っていたのだ。

「まさかちょうどクリスマスの朝に助けに来てもらえるとは、僕らも思ってなかったけどね」

末吉は微笑んだ。

そうだったのだ。

ミコはしばらく前からクリスマスの企みをして、ごちそうからプレゼントの準備までして、心をいっぱいにしていた。

でも末吉たち三人は三人で、助けが来ることをミコに内緒にしていたのだ。

彼女を驚かせるために。

彼らも、企みで心をいっぱいにしていたの違いない。

してやられた、とミコは思った。

 

三人は、ミコが贈ったプレゼントを身に着けている。

貝柄製のペンダント、葦の横笛、ヒスイを磨いてつくったナイフ。

ミコの手作りのプレゼントを、彼らはちゃんと見つけて持ってきたのだ。

生まれ故郷に帰っても、この品々を見る度に、彼らは無人島での生活を懐かしく思い出すだろう。

ミコはミコで、昨晩食べた豆チーズと赤ワインの余りを瓶に入れて、持ってきた。

我ながら、美味しくできたのだ。

美味しいものを自分でつくることのできる才能も、神様からのプレゼントかもしれない。

ミコはしみじみ思った。

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『瞬殺猿姫(39) 猿姫を迷わせる一子の言葉』

棒の切っ先を、いつでも相手の喉元に突き立てられるように。

猿姫(さるひめ)は、棒を構えて腰に引きつけている。

目の前に立つのは、忍びの女、一子(かずこ)。

月明かりの下に、素顔を晒している。

「貴様と取引することなどない」

答えながら、ひと息に突き殺してしまえ、という声を聞く。

心のどこかで、怒り狂った自分が言っている。

一方で冷静な自分が、まずは一子の言葉を聞くようにうながしてもいる。

背後の祠の中に、織田三郎信長(おださぶろうのぶなが)たち、三人がいる。

彼らに外の様子を見てくると言って、猿姫は出てきたのだ。

そこで一子と出くわした。

待ち伏せされていたとしか思えない。

自分たちの動きは、この女に読まれていた。

ここでこいつを殺すと後に不安が残る。

そういう声が、自分の中でする。

「話だけでも聞いてくれない?」

猿姫の表情を冷静に見ながら、一子は落ち着いた声だった。

殺されるかもしれない、とは思ってすらいないようだ。

猿姫は黙したまま、相手の言葉を待った。

「あのね、あなた、私と一緒に来る気、ない?」

一子は猿姫の目を見て言った。

「何?」

猿姫は、口を開ける。

「なんだそれは」

「私について来ないか、と言ってるの」

猿姫は相手の顔を見つめた。

意味がわからなかったのだ。

「どういう意味だ」

「だから…」

一子は、じれったそうだ。

「あなただって、無能な男たちの面倒、いつまでも見ていられないでしょう?これから私と一緒に、忍びをやらない?」

猿姫の目を覗き込みながら、言う。

「無能な男たち…」

「国を追われた織田の倅に、役立たずの神戸の当主。それと、あの髭」

一子は、三郎と神戸下総守利盛(かんべしもうさのかみとしもり)たちのことを言っているのだ。

それと髭面の武将、蜂須賀阿波守(はちすかあわのかみ)。

無能な男たち。

「あの連中と一緒にいたら、死ぬまでこき使われるよ、あなた」

目の前に立って、語り聞かせる一子である。

猿姫は、言葉に詰まった。

「ほら、思い当たるところがあるんでしょう?」

「そんなことはない…」

かろうじて言葉にした。

三郎と阿波守とを連れて、行くあての定かでない旅をしてはいた。

そしてその間、猿姫は確かに、旅に不慣れな三郎の世話をいろいろと焼いている。

でも三郎は大名の子息で、身の回りのことに不自由だから仕方がないのだ。

「あなたはあの子の家臣でもないのに、そんな立場に甘んじていて、いいの?」

一子の言葉が、耳に入る。

その通り、猿姫は三郎の家臣ではない。

武芸の師匠、という名目で同行している。

その実は彼の身の回りの世話をして、家臣であり下女でもあるような、あやふやな存在になっている。

「そんな半端な立場でいいの?」

猿姫の迷いに付け込むような頃合いで、一子は口を挟むのだ。

「織田の倅に、将来なんかないよ。頭のいいあなたになら、わかるはずでしょう。あの子はあのまま誰にも相手にされず、運がよくてもどこかの土豪の客将くんだりになって、一生を終えるでしょうよ」

猿姫は息を飲んだ。

一子の、あまりに辛辣な言葉であった。

だが猿姫自身が今までに、そういう悲観を持たないでもなかったのだ。

三郎は、畿内の大大名で天下人とも目される三好長慶(みよしながよし)筆頭の三好家と接触して、彼らに取り入ることを当面の目標にしている。

しかしその目標が達成できなければ、三郎にも彼に同行する猿姫にも、それ以外の行くあてはなかった。

二人の故郷である尾張国は、彼らが敵対する織田弾正忠信勝(おだだんじょうのじょうのぶかつ)が支配している。

戻ることは出来ない。

「三好家のところに、いったいどれだけの武士が集まっているか、知っているの?」

猿姫の心を見透かすように、一子は続けた。

「三好家に仕えるか、彼らに取り入ることができれば、自分の国での争いに有利になると見込んでね。日本中の土豪だの浪人だの、半端な連中が大勢訪ねて来てるのよ。あなたたちなんか、三好家の相手にされるわけがないでしょう」

一子は辛辣な、長いせりふを言って聞かせた。

事情に詳しい人間の持つ重みがその言葉にはあった。

猿姫は、内心たじろいだ。

目の前の女は、自分や三郎よりも、三好家の内情に詳しい。

「でも…」

何か言い返そうと思って口を開いた。

しかし何も、猿姫の頭には浮かばない。

息を吸い込んだ。

かろうじて、言葉が口に上った。

「三郎殿は南蛮の武具が使えるし、私は棒術の達人だ」

それぞれ、才能があるのだ。

三好家ほどの武家になら、自分たちの才能の使いどころもあるだろう。

一子は、猿姫を冷たく見返した。

「あなたの棒はともかくね。南蛮渡来の云々は、三好家ではあふれ返っているの。今、この日の本で誰が一番南蛮に通じていると思うの?」

「誰なんだ…」

「あなただって、わかっているくせに。当の、三好家でしょう?」

堺の港と瀬戸内海の各港に影響力を及ぼし、南蛮貿易の推進に一役買っている三好家。

「南蛮の鉄砲だって、連中はもう揃えているんだから。今さら三郎殿なんかが行っても、ありがたがらないのよ」

相手の言葉を聞いて、猿姫は心細い気持ちになった。

三郎は三好家を頼りに旅をしてきた。

彼がその頼りの三好家に売り込めるものと言えば、織田家の嫡男であるという生まれと、南蛮渡来の鉄砲の腕前だけなのだ。

もしその鉄砲の腕前が評価されないのだとしたら、これは心細い。

「だからあの子たち、無能だと言うのよ」

一子は、畳み掛けるように言った。

「そういう言い方はやめてくれないか…」

「かばうことはないじゃない。私、あなたのことは認めているんだから」

猿姫の目を覗き込んでくる。

「あなたの棒術と身のこなしの方になら、お金を払う武家はどこにでもいるでしょうよ」

ぐらついた猿姫の心に付け込むように、目の前の女は続けるのだ。

「単なる武芸者、だと買い手はつきにくいかもしれないけれど。私が、忍びのいろはを教え込んであげましょう。そうしたら、あなたも引く手あまたになるよ」

今度は声を抑え、甘い響きを交えていた。

人に付け込むのが旨い。

三郎との旅の先に自分を待つ将来、それを猿姫としても思い描けないでいた。

そこに、彼女の心をぐらつかせるような事実を一子はぶつけてきた。

猿姫の心には、迷いが生まれている。

「今のままではね。あの根無し草の男たちの面倒を見させられて、一生が終わるかもよ」

一子は、猿姫の顔色を見ながらさらに言葉を添える。

猿姫は、唇を噛んだ。

彼女は背後の祠の中に、その三人の男たちを残してきている。

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『手間のかかる長旅(098) 本堂で過ごす』

絨毯の敷かれた床の上に、時子(ときこ)とアリスは座り込んだ。

目の前には本尊の威容がある。

二人で、この本尊を眺めている。

如意輪寺の本堂の中は、天井にランプ照明が灯っているばかりで薄暗く、静かだった。

外では境内を吹く風の音がしている。

しばらく、二人は本尊を眺めながら外の風の音を聞いていた。

時子は自然と、正座で座っていた。

お寺の本尊の前で、足を崩すことは無意識に避けたのだ。

横にいるアリスのことが気になった。

正座できるのだろうか?

彼女の足に目をやった。

見るとアリスは座禅を組むような形で、その長い足を小さくまとめている。

いつの間にか隣で、そんな凝った座り方をしていたのだ。

スカートからタイツの膝先を露出させていた。

「それ、痛くないの…?」

時子は小声で聞いた。

「痛くないにゃ」

アリスは答えた。

「お前こそ、正座で」

「うん」

確かに、正座もつらい。

しかし本尊が見ている。

「仏さんが見ているし」

「仏さんは見ているけれど、坊さんは見ていないよ」

「そうかな」

確かに、その場に僧侶がいなければ、多少の粗相をしても怒られることはない。

仏さんには悪いけれど、と思いながら時子は足を横に崩した。

楽だ。

「ここ、落ち着くね」

足を崩して楽になると、この本堂の空間は悪くない。

静かで、雨風もしのげて、いいところだった。

堂内に漂う線香と木の香りも、鼻に心地いい。

少し、寒いけれども。

「そうだな」

「うん」

「ここで、一晩泊まりたいにゃ」

小さく息を漏らすように、アリスは答えた。

切実な響きがあった。

時子は思わずアリスの横顔を見た。

「泊まる?どうして?」

「いや、別に、どうしてってほどの理由もないにゃ」

アリスは言葉を濁している。

何かあるな、と時子は思った。

 

二人とも、一方は座禅、一方は崩れた座り方のまま、依然としてぼんやりと座っている。

「そう言えば、お坊さんは」

時子は何気なく言った。

「私たちお坊さんに会うんじゃなかった?」

「ああ、そうだっけ」

アリスも思い出したように言った。

「泊まるにしても帰るにしても、坊さんに挨拶はしておいた方がいい?」

時子に尋ねてくる。

「えっ、泊まらないよ…?」

時子は混乱した。

お寺の本堂に泊まるなんて、想像もできない。

確かに居心地はいいが、一晩過ごす場所とは思えなかった。

「泊まらないよね?」

不安になって、アリスを見返した。

アリスは、首をかしげる。

「泊まってみたいんだけど、駄目かな」

「なんで急にそんな流れになったの?」

時子は焦った。

アリスがテレビの仕事でロケに来たお寺。

面接の帰りに、その現場に寄り道するぐらいのつもりだったはずだ。

当初から、時子もアリスも。

それが本堂でちょっとまったり過ごせたぐらいで、妙な考えを起こされては、身が持たない。

時子は、アリスの言動が少し心配になった。

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『手間のかかる長旅(097) 本尊を鑑賞する』

如意輪寺の境内にいる、時子(ときこ)とアリス。

夕暮れどきの寒さの中で、二人はお寺の建物に入ることにした。

たとえ寒くても、もうさっさと帰ろう、という気は二人にはなかった。

先ほど、食品工場での面接で即日採用を告げられたばかりで、気持ちが高ぶっている。

このまま家に帰る気は、なかった。

二人で境内を突っ切って、本堂に来た。

本堂前にお香を焚く香炉があった。

煙は立っておらず、燃え尽きたお香の残滓と灰ばかりが香炉の内部に積もっている。

長い時間、この場所には参拝客が来ていないようだ。

それでも香炉の前に立つと、かすかにお香の香りが鼻先をくすぐった。

香炉の脇を抜けて、本堂の入口で二人は靴を脱いだ。

本堂の戸は、閉まっている。

時子の先に立ったアリスは、躊躇することなくその引き戸を開けた。

戸はがらがらと音を立てる。

アリスは、本堂の中に入り込んだ。

「大丈夫なの?」

時子は後ろから声をかけた。

迷いのないアリスの行動が、心配だ。

「問題ないにゃ」

アリスは何気なく言って、中へ。

時子も彼女の後を追った。

うす暗い本殿に入るなり、正面に、寺の本尊である仏像が二人を迎えていた。

時子には、それがどういう種類の仏像なのかわからない。

本尊は、蓮華の花の形をした台の上に座り、片膝を立てている。

六本もの腕を持った、ふくよかな体格の仏像である。

一本の手先で柔らかくその頬を支え、うつむき加減な物憂げな表情をしているのだった。

「なんだか、女の人みたいな仏さんだね」

仏像の存在感に圧倒されて、その場に突っ立ったまま、時子はささやいた。

同じように横に立っていたアリスが、時子の方を見た。

「そうか。女の人か、これ」

「ええと、私はよくわからないけれど」

時子は慌てた。

無知な自分がうかつなことを言って、外国から来ているアリスに間違った知識を与えてはいけない。

「いや、女の人じゃないかも。だって仏さんって、皆、男の人でしょ?」

「仏はブッダのことにゃ」

アリスは、時子の言葉にうなずいた。

ブッダはね、インド人の王子にゃ」

王子なら、やはり女の人ではない。

時子は納得した。

「じゃあやっぱり、男の人ね」

「そうか」

アリスは首をかしげながら言った。

二人で立ったまま、本尊を眺めた。

うつむき加減の、物憂げな眼差し。

赤い唇。

細く、その柔らかさを想像させる六本の腕。

彼を目の前にして、時子は生々しい存在感を肌に感じる。

眺めながら、これは本当に仏像なのだろうか、と彼女は目を細めた。

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『瞬殺猿姫(38) 猿姫たちは抜け穴の先、三の丸へ』

一行の主である、織田三郎信長(おださぶろうのぶなが)。

彼は、しきりにうなずいていた。

「下総守殿が仰せられる通り。国の強さとは、民の強さ。我ら武家は、あくまで民を陰ながら主導する者であるべきでござる」

先の、神戸下総守利盛(かんべしもうさのかみとしもり)の発言を、全面的に支持するものであった。

三郎からの追認を得て、当の下総守もうなずき返している。

 

彼らの方を振り返って見て、猿姫(さるひめ)はため息をついた。

この領主たちの、何という楽観主義であることか。

猿姫自身、尾張国の、貧しい土豪の家に育った身だ。

下々の社会には確かに、他人と助け合って生きていくたくましさがある。

しかしそのたくましさの基本にあるのは、自分が生き延びることだ。

場合によれば、自分と同じく貧しい他人を踏みつけてでも、己だけは生き残りたい。

個々の民衆の顔を注意深く見ていれば、そんな利己的な空気を感じることは容易だ。

ただ猿姫も、そんな彼らの心性を批判できない。

なぜなら、彼女自身がそうした下流の社会の利己的な空気に、忠実に生きてきた。

幼い頃から、少しでもいい暮らしをしたくて、猿姫は他国の武家に仕える道を選らんだ。

主がどんな人物であれ、己が他の者よりもましな暮らしをできるならば、仕官する。

その一心で、猿姫も彼女と同じ階級の出の他の人々も、日々を暮らしている。

いつなんどき、どの領主に寝返るとも知れない人々である。

そんなあくまで利己的な民衆のたくましさ。

 

領主である三郎と下総守とが、手放しで民を肯定する様は、猿姫から見ても心配になるものであった。

「三郎殿…」

猿姫はおそるおそる、言葉を挟んだ。

「なんでござるか」

神戸城が関家の軍勢に落とされつつある、この現状。

しかし三郎は、なおも元気である。

目を輝かせて、猿姫を見つめ返してくる。

かえって、猿姫は心配だ。

「下総守殿を、むやみに元気づけるのは、控えた方がいいと思う…」

猿姫は下総守に聞こえないように、小声で言った。

「なんと…」

三郎は、猿姫の顔を凝視した。

大きな仕草である。

彼も、状況が状況だけに、興奮状態にあるのだろう。

「そのような後ろ向きなことをおっしゃるとは、猿姫殿らしくもない」

三郎は笑いながら言った。

三郎のこういうところが怖い、と猿姫は思う。

その場の流れに、流されすぎるのだ。

尾張国の人々が噂するほどには、彼はうつけな人物ではないのに…。

時々、流れの空気に乗って、考えなしなことを言う。

「今後どうなるかわからない状況だ。あまり、軽率な発言をしないように」

出すぎたことを、口にしているのかもしれない。

そう自覚しながらも、猿姫は言ってしまった。

「はっ…」

猿姫から咎められて、少し表情を固くしながら、三郎は頭を下げた。

思った以上に、言葉は響いたらしい。

彼の表情を見て、猿姫は胸が痛んだ。

「猿女、早く進め」

殿の阿波守から声が飛ぶ。

思わず、猿姫は彼をにらみ返した。

「うるさいぞ」

先にいた城の者たちは、皆抜け穴の先に進んだらしい。

猿姫は動いた。

四人で、抜け穴に向かって進む。

 

大の大人が屈んでかろうじて通れるほどの、天井の低い通路だった。

真っ暗で、何も見えない。

先頭に立つ猿姫は手探りで通路を進みながら、後ろの者たちに声をかける。

四人で時間をかけて進んだ。

足元に石段が現れ、そこを登り切ると、埃くさい祠の内部に出た。

祠の戸は閉まっている。

隙間から、わずかな月の光が中に差し込んでいる。

猿姫は祠の観音開きの扉に張り付いて、隙間から外をうかがった。

外も、わずかな月明かりばかりが頼りの暗さ。

この祠の周りも、竹薮なのだ。

三の丸の東側である。

祠の外に、人の気配は感じられなかった。

大手門までたどり着けば、外に出られる。

先に抜け穴を抜けた皆は、大手門に向かったのだろう。

「外が安全か確かめる。皆ここで待っているんだ」

猿姫は振り返り、狭い祠の中で息を殺している他の三人にささやいた。

「猿姫殿」

三郎の不安そうな声。

「心配ない」

短く言い残して、猿姫は祠の外に出た。

 

三の丸の東側にも関家の軍勢が及んでいるおそれはある。

できるだけ、敵方の目につきたくないのだ。

猿姫は腰を落とした姿勢で進んだ。

背中に背負っていた棒を外し、両手で抱えて胸の前に引き寄せている。

竹薮の外れに来た。

外に、見覚えのある風景がある。

この城にやってきたとき、大手門から入った直後に通った場所だった

大手門は近い。

一帯に、まだ関兵の姿はない。

静かなものだ。

猿姫はうなずいて、きびすを返す。

再び、竹薮の中へ。

足を踏み出し、祠に戻りかけた。

「待ちなさい」

すぐ後ろから、声がかかった。

猿姫は棒を振り抜きながら、鋭く体を反転させる。

一瞬前に誰もいなかった場所から、突然声をかけられたのだ。

相手は、わかっている。

棒の切っ先が、相手の胸元の一寸先、空を切った。

かわされた。

猿姫が振り抜いた棒はそのまま、近くに生えている竹の腹を打って、止まった。

竹が高い音を立てて、手応えを猿姫の手先に伝える。

「話がしたいだけなのに」

目の前で、竹の隙間から差す月明かりの中に、忍び装束の女の影が留まっている。

「どの面を下げて私の前に現れた」

猿姫は棒を引き戻しながら、相手の顔をにらみつけた。

忍びの女、一子。

本丸御殿で、猿姫に奪われた財布を取り戻すために、刺客をよこしてきた女。

一子が送り込んだ忍びに薬を盛られ、猿姫は不覚を取った。

あやうく、殺されるところだったのだ。

冗談では済まない。

「何かいろいろと誤解があるようだけれど、あえて申し開きはしません」

一子は、落ち着いた声で言う。

彼女は頭巾をかぶっておらず、素顔を晒していた。

「誤解も何も、刺客を送り込んだのは事実だろう」

猿姫の表情が険しくなる。

「申し開きはしません」

猿姫を相手にせず、一子は繰り返した。

棒を握る猿姫の両手に、力が込められた。

「なら、死ぬ前に何でも言いたいことを言え。次に貴様の仲間に会うことがあれば、伝えておいてやる」

内にこもるような低い声で、猿姫は言った。

並の人間が聞けば怖気が立つような響きが、その声にある。

しかし目の前の一子は変わらず、涼しげなたたずまいのままだ。

「あのね、取引しましょう」

猿姫からの殺気を感じてもいないように、気軽に言った。

猿姫は、相手の顔を見据えた。

「財布は返さない」

「そうじゃないの、今は別件で来たの」

一子はそう答えながら、わずかに表情を崩した。

猿姫は猿姫で、相手を殺したい気持ちを身にあふれさせながら、焦りもあった。

三郎たち三人が、祠の中で自分を待っている。

この局面で、一子が何を言いに来たのか。

あまり、考えたくないことだった。

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