『千鳥足のブタ』

行くあてもない。

それで心細く路上を歩いていると、向こうから人が歩いてくる。

千鳥足というやつだ。

ふらふら、ふらふら。

そんな足取りで、向こうから人が歩いてくる。

しばらくの時をかけて、私とかの人との距離は縮まった。

中年の男性だった。

右手に日本酒の一升瓶をつかみ、飲み口を時折口にあてがい、瓶の底を持ち上げて中の酒を喉の奥に流し込む。

そうしながら、歩いてくるのである。

もう長らく酒にありついていない私は、心底うらやましかった。

男性とすれ違う。

私は横目で、男性の持った一升瓶に、物欲しそうな視線を送った。

酒の入った男性は、赤い顔で私の方を見た。

「なんだにいちゃん、しげしげ見てるな」

確かに、しげしげ見ていた。

私は。

彼の手にした一升瓶を。

「はい、すみません」

私は素直に謝っておく。

「しげしげ見るんじゃねえよ」

男性は私を一喝する。

「失礼だろ」

「すみません」

確かに、昼間から酒を飲みつつ歩いている人のことを、私はぶしつけにしげしげ見すぎた。

「しげしげ見てしまい、すみませんでした」

頭を下げながら、それでもなお、私の脳裏には男性の提げている一升瓶の姿がこびりついている。

「謝るぐらいなら、最初から人様の一升瓶をしげしげ見たりするんじゃねえ」

頭を下げる私をなおも怒鳴りつけて、男性は千鳥足でその場を去った。

 

一方的に怒鳴られて、私も気持ちが良くない。

むしゃくしゃしながら、それでも行くあてもなく、路上をさまよった。

「くそっ、少しばかりしげしげ見たぐらいで、あんなに怒鳴りつけやがって」

一升瓶を手にして千鳥足でやってきた男性の姿を思い浮かべながら、私は反感を覚えている。

あのようにして、アルコール分に飢えた私に一升瓶を見せつけ、彼は最初から私への嫌がらせを意図していたのではないか?

そんな疑念すら湧いてくる。

「あの野郎…」

アルコール分欲しさによる嫉妬と反感とがあいまって、私は唇を噛んだ。

内心のどろどろした感情を、抑え切れない。

「昼間から他人の前で酒飲む奴なんて、ろくなもんじゃねえ」

思わず、私は吐き捨てるような言葉を吐いていた。

緊張した複数の視線が、私に注がれた。

私ははっとして、顔を上げた。

路上の脇に、テラス席がある。

沿道で営まれている、イタリアンレストランのテラス席だった。

時間はお昼時。

着飾った男女がテラス席に腰掛け、スパゲッティなどのお洒落料理と共に、ワインを楽しんでいたのだ。

彼らは気分よくワインを楽しんでいる折に、私の罵声を耳にしたのだった。

彼らへの中傷と受け取れるような私の言葉であった。

心を傷つけられて、着飾った人々が、悲しげな視線を私に向ける。

私は、焦った。

「いや、違うんです、あなたたちのことを揶揄したのではなくて」

しどろもどろに言う私の言葉は、彼らには届いていないらしい。

同じ色合いの視線を受け続ける。

私は、焦った。

「すみません」

言葉につまり、私はテラス席の人々に、とにかく頭を下げた。

 

逃げるようにテラス席のある界隈から離れた。

羞恥心と自己嫌悪とで、私はもう気が狂いそうになっている。

何もかも、あの一升瓶を提げた中年男性のせいだ。

あいつがやって来なければ、こんな目には遭わずにすんだ。

「畜生…」

私は唇を噛んだ。

いつも、私ばかりが、酷い目に遭わされるのだ。

不公平だ。

この不公平に、いつも私は煮え湯をのまされている。

「畜生!」

誰も周囲にいないのを確かめてから、私は大声をあげた。

 

私は歩いている。

手には酒の一升瓶を手にしている。

どこでその一升瓶を手に入れたか、その経緯については記憶にない。

ともかく私は酒を口にして、いい気持ちで歩いていた。

端から見れば、千鳥足というやつだろう。

しかし、そんな幸せも長くは続かない。

いい気持ちで歩いている私を、道の端から、冷ややかな目で見ている人物がいる。

熱い頭を振りながら、私は視線の流れてくる方を見た。

若い女性が、道の端に立っている。

私はこちらを見る彼女の双眸に、視線を据えた。

「何見てるんだい」

おぼつかない舌で、私は相手を脅しにかかった。

「見てません」

女性は冷ややかな声で返した。

「見てたじゃん」

「いや、見てません」

「見せもんじゃないぞ」

「見てないって言ってるだろ、ブタ」

口の悪い女性だ。

私は、驚いた。

「人をしげしげ見たうえ、ブタよばわりかね」

「お前みたいにいやらしく絡んでくる男たちは、みんなブタだよ」

女性は、吐き捨てるような調子で返した。

しかしその調子に、若干の甘えがある。

私は、考えた。

彼女も、つらい過去を抱えているのかもしれない。

そんな他人の古傷をえぐるような真似は、私は避けたかった。

なぜって、私も古傷を持つ身であるので。

何か、彼女に親しみを覚える。

彼女を刺激しないでいたかった。

「では、ブタは去ることにしよう」

私はかろうじて、そう口にした。

「うるせえ、わかってるなら黙ってあっちに行けよ」

女性は低い声で返してくる。

めぐり合わせの不運を呪いながら、ブタと呼ばれた私は彼女の脇を抜けて、道の向こうへ。

もう飲むしかない。

手にした一升瓶の中身を時折口に運びながら、私は道を進んだ。

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『社会実験進行中』

大通りの路面にひざまずいて、道行く人々に語りかける男性がいる。

「助けてください、もう二、三日の間、酒しか飲んでいないんです」

非常に大きな声だ。

通り過ぎる人たちは、気の毒そうな顔で、ひざまずいた人を見ていく。

「助けてください」

他の人と同じように通り過ぎようとした私と、彼の視線が合った。

路上にひざまずいて、私の顔を見上げてくる。

「助けてください」

非常に大きな声だ。

他の通行人たちは、ひざまずく人のみならず私の方をも見ている。

「助けてください、もう二、三日の間、酒しか飲んでいないんです」

ひざまずくその人は、大声で訴えた。

「あ、そうなんですか」

私は気圧されて、立ち止まってしまった。

それとなく、相手の風体を見た。

前髪が乱れ、頬には何か黒い汚れがこびりついている。

唇の端が、ねじれて上向いている。

怪我でもしたのだろうか。

そしてところどころがくたびれて汚れた、スーツの上下だ。

アイロンをかけたのは、おそらくもう随分前なのだろう。

「本当なんです、先月仕事をクビにされて、もう酒しか飲めないんです」

「あ、そうですか」

私は相手の大声に気圧される。

なるほど、このご時勢でクビにされた人か、と思った。

珍しい話ではない。

昨今の社会情勢を受けて、彼のような職にあぶれた人がその辺にあふれている。

そうなれば酒も飲みたくなるだろうが、酒しか飲めなければ楽しくない。

酒だけでなく、肴も大事だ。

私なんか肴が調達できないばかりに、もう数ヶ月、酒そのものを口にしていない。

肴無しで酒を飲むなど、無理だ。

しかしこの目の前の人は、肴をないがしろにしてでも飲みたかったのであろう。

そう同情をしかけたところで、彼は目の色を変えた。

「でも私、もう酒にも飽きました」

ひざまずく人は訴えた。

私はその勢いに押されて後ずさった。

「安定した生活が欲しい!」

「あっ」

大声でまともなことを言われたので、思わずうなずいてしまった。

「安定した生活が欲しい!」

「はい」

気持ちがわかる。

「そうですね」

「安定した生活。それに先立つ仕事が欲しいのです」

「あっ、そうですね」

相手の気持ちがわかるので、私は小刻みにうなずいている。

かくいうこの私も、もう数ヶ月、仕事らしい仕事にありついていない。

酒も肴も飲めない理由のひとつが、これだ。

先立つ仕事は、必要だ。

酒も肴も、仕事があれば手に入る。

「先立つ仕事、欲しいですよね」

私は相手に相槌を打つ。

「そうです。仕事を世話してください」

相手は私の目を見据えたまま、続けた。

「えっ」

「仕事を世話してください」

相手の表情は、悪びれないものだった。

「ええと…」

私は、たじろぐ。

もう数ヶ月、仕事にありついていない。

酒も肴も手に入らず、貯金を切り崩して生活している。

仕事を世話して欲しいのは、私も同じだ。

他人に斡旋する仕事など、手元にあるはずがない。

「仕事を世話してください」

相手は繰り返した。

「すみません」

私は口の中で小さく言った。

「実は、私も、仕事には困っていて…」

「はっ?」

相手は大きな声で聞き返した。

私たちの傍らを横切る人たちが、興味本位の視線をこちらに向けている。

顔から火が出そうだ。

「ですから、私も仕事には困っていて…」

「はっ?」

大きな声。

こちらの声が聞こえないのだろうか。

「私も仕事にあぶれているんです。あなたのお世話はできません」

これ以上聞かれるのが嫌で、私は大声で言い返した。

恥ずかしいが、仕方がない。

ひざまずいた男性は、目を見開いてこちらを見ている。

ようやく、聞こえたらしい。

「なんだ、そうなんだ。それを先に言ってよ」

「はあ…」

相手は、鼻息を吹き出した。

「おたく、仕事もしてないくせに俺の目の前を肩で風切って行ったり来たり、いいご身分だね」

軽蔑しきった声が下から向かってくる。

なんだこの人は、と私もさすがにむっとした。

人の通り道の脇にひざまずいて声をかけてきたのは、この人の方なのに。

むっとしたまま、私は形ばかりの会釈を残して、その場を後にした。

 

いつものように、私は職業安定所に来ている。

施設内の、無料のコーヒーが飲める喫茶コーナーで暖を取っていると、声をかけられた。

「おい、モッさん」

体格のいい、私よりひとまわり年上の男性だった。

顔見知りである。

仕事仲間の、ゴッさんだ。

彼の口にしたモッさんというのは、仲間内での私の通称である。

「あっゴッさん、おはようございます」

ゴッさんは面倒見のいい男性で、私が仕事選びに困っているときに、仕事探しのコツを教えてくれたこともある人だ。

時には、仕事を世話してくれることもある。

この人がいなければコミュニティが機能しない、というタイプの人柄。

今の時代には稀有な人徳を持っている。

先日会ったあの路上の男性も、私でなくゴッさんに出会えていればよかったのだが。

「モッさんおめえ、ネットのゴシップは好きか?」

「えっ、ネットのゴシップ?」

「おう」

急に切り出されて、私は戸惑った。

「いや、そういうのは詳しくはないんですが…」

「おめえ、こういう記事が出てるんだぞ」

ゴッさんはポケットから携帯情報端末を取り出して、その画面を私に見せる。

インターネットの、何かの記事のようだった。

「これは…」

タイトルが「失踪中、かつ社会実験進行中」とある。

「何ですか、これ…」

「ちょっと読んでみろよ」

端末をゴッさんから受け取り、私は文面を拡大して読んでみた。

そのウェブ記事の書き手は、「社会派ブロガー」を自称する、この土地在住の男性だった。

彼いわく、先日、本業を退職して時間ができた。

時間があり余っている。

その機に、かねてから念願だった社会実験を実行することにしたのだという。

「無職で酒飲みの役立たずを社会はどう扱うか?」。

その事実をあぶり出すために、彼は日がな一日路上にひざまずいて、道行く人に仕事を乞うふりをすることにしたのだそうだ。

あれ、と私は思った。

路上にひざまずいて、通行人に語りかける人物。

先日、私もそんな人に会った。

「ゴッさん、私この人…」

「いや、わかってるからもう少し先まで読んでみなよ」

ゴッさんにうながされて、私は続きを読んだ。

文面には、路上にひざまずいたブロガー男性の体験がつづられている。

 

誰しもうす汚れた私なんかを相手にしないかと思えば、案に相違してこちらの身の上を聞き込もうとするおせっかいな連中も多い。

面白かったのは、通りがかった無職男性。

こちらの身の上に同情するかのような態度で言葉を交わして。

優越感を刺激されたか。

しかしこちらの問いかけにも終始おどおどして、要を得ない回答。

社会経験に欠けるたたずまい、というのを実地に目にした。

ああいう頭の弱そうな連中が仕事もせずに昼間から通りをうろうろ。

社会の害悪でしかない。

 

「何なんですか、これは」

私は顔に血が昇るのを実感した。

「まあまあ」

ゴッさんは私から情報携帯端末を取り戻しながら、笑ってなだめにかかる。

「やっぱりおめえさんだったか、記事の無職男性」

「失礼でしょ」

頭に血が昇り、コーヒーカップを持っていない方の手で、私はゴッさんの襟首をつかみにかかる。

「ふざけやがって、インチキ社会派ブロガー野郎」

「落ち着け、コーヒー飲め」

ゴッさんに片腕をつかみ返されて、コーヒーを飲むようにうながされた。

ゴッさんは握力の数値が100を超える男なので、そうされてはこちらも抗い難い。

空いている片手でコーヒーを口に運ぶ。

砂糖とミルクが混ぜてあり、私の好みの味。

ひと息つけた。

ゴッさんは、私の片腕を放した。

「ネットゴシップって、こんなの迷惑じゃないですか、他人のこと勝手に悪し様に書きなぐって」

改めてゴッさんに訴えた。

「まあまあ…」

なだめるゴッさん。

その表情は、落ち着いている。

「失礼ですよ」

「落ち着け」

「落ち着けません」

「いいか、モッさん。世の中にはな、他人を踏み台にしなきゃ自分を守れない奴もいるんだよ」

諭すような声色だ。

「はあ…」

私は首をかしげた。

そんな決め台詞を吐かれても、私の生の感情は納得しない。

「でも、踏み台にされた人間はどうなるんです…」

コーヒーを全部飲み干して、私は踏み込んだ。

うなずくゴッさん。

「人を踏んで行った奴は、大抵その先で転んでるよ。俺たちはそうならんように気をつけて、今日も生きるんだ」

握力は強い男だが、こういう決め台詞ばかり吐かれては、私も苦笑するほかない。

だがともかくも、私の心は落ち着いた。

「それはそうとゴッさん、仕事ありませんか」

「今日の午後から、一件あるぜ。人を集めろと言われてる。きつい仕事だがおめえさん、来るか」

「やらせてください」

コーヒーのおかわりをいただいて、私とゴッさんは現場に向かった。

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『蓄財、それは善行から』

折々にテレビ番組を見ると、新しい知見が得られるのである。

私の場合、お金が欲しい。

テレビ番組で、お金儲けについて知りたいのだ。

でも私の頭では、お金を得るための難しい話はわからない。

それなので真面目な経済番組ではなく、もう少し俗なお金儲けの番組を好む。

具体的に番組名を挙げれば、『突撃、隣のお金持ち』。

こういう番組がある。

レポーターの男性タレントが資産家の家に赴き、彼らの蓄財術についてインタビューを通して聞き出すという番組である。

私のお気に入りである。

今夜も自室の畳の上に雑魚寝をしながらテレビを見上げ、録画しておいた同番組を見ている。

今回登場したのは、某有名高級住宅地に住む資産家の男性である。

「立派なお住まいですねえ~」

邸宅の居間に通されたレポーターの男性タレントが、いやらしい愛想笑いをする。

資産家たちに対する彼の露骨な追従ぶりと、それとは裏腹に時折見せる冷淡な態度も、この番組の魅力のひとつだ。

番組の視聴者は、わかっている。

この男性タレントは、資産家連中の隙につけ込んで、うまく彼らから蓄財術を聞きだすためにそうしているのだ。

「ご主人、ここまで稼ぐには悪いことのひとつやふたつ、やってるんでしょ?」

歪んだつくり笑いと共に、指で円を作って「ゼニ」のゼスチャー。

この品のないレポーターがこれで、テレビの前の視聴者たちから絶大な支持を受けている。

皆の味方なのだ。

蓄財術を聞き出してくれるのだ。

今回の資産家男性は、追及に笑顔を向けて返す。

「いやあ、悪いことは一切やってません」

「ほんとですかあ~?資産家の皆さんは嘘がお上手な方ばかりで」

「いや、私に限っては本当に違います。いいことしかやってません」

「うまいことおっしゃる」

「いや、本当に。私は善行だけ積んでお金を貯めたのです」

「善行って、具体的にどういうことですかあ~?」

と変わらぬ調子で言いながら、画面に映るレポーターの目付きが変わっている。

鋭くなった。

「だってその、善行だけで高級住宅地に家を建てるなんて、普通に考えて無理ですよね?」

資産家男性は首を振る。

「逆です。まずこの高級住宅地に家を借りたので、善行が積めるようになったのです」

「はあはあ」

「お金が貯まった後に、土地を買って、家を建て直しました」

「なるほどなるほど」

うなずきながら、レポーターは露骨なまでに胡散臭そうな目を資産家に向ける。

そんな目で見られて、資産家は顔を赤くした。

「本当なんです。説明させてください」

「どういう善行なんですか?」

「私は、パンの耳から始めました」

「えええっ、パンの耳?」

レポーターは大げさに驚いたような、馬鹿にしたような声をあげる。

彼の反応に苛立たない資産家はいない。

「パンの耳が善行?」

「いや、だからですね」

資産家は前のめりになる。

「ここに昔、古い小さな家が建ってましてね。昔自殺者があった家だとか、いわゆる事故物件で」

「ええっ、まさかこのお宅がそうなんですか?」

「ええ、いやですから、その建て直す前の話ですが」

レポーターの大げさな身振りを無視しながら男性は続ける。

「そういう物件だったので、周囲の環境の良さとは裏腹に、安い家賃で借りられたのです」

「はあはあ」

「あばら屋でしたし、亡くなった方の霊も出るって噂でした。ただ私は普段から自分の行いには気をつけていますし、祟られるいわれなどありませんから。むしろここに善良な私が住むことで、亡くなった方の霊を慰めることができればと…」

「パンの耳の話はどうなったんですか?」

「だから、それをこれから話そうとしてたんですよ」

資産家は、声を荒げた。

「いいですか、この近所には、パン屋さんが何件もあるんです。この界隈に住んでる人たちはお金持ちで、洋食かぶれの方が多い土地柄ですから、皆さん決まって朝から食パンを召し上がるわけです」

「はあはあ」

「需要があるものだからパン屋さんたちも食パンをたくさん焼くんですね。そしたらたくさん売れる。でも、食パンをつくる過程で切り落としたパンの耳が大量に余るんですよ」

「はあはあ」

「そういうパンの耳の処理にパン屋さんでは困るので、店頭に置いて無料で配るんです。でもこの界隈にいるのはお金持ちばかりだから、そんなパンの耳なんかには目もくれないわけですよ」

「はあはあ」

レポーターは資産家を見据えがら、素っ気無い相槌を打ち続けた。

「ですからね、パン屋さんたちはもったいないと思いながらも、引き受け手のないパンの耳を処分していた。それで私は、そんなパン屋さんたちからパンの耳を一手に集めることにしたんです」

「なんのために?」

「人助けですよ。善行ですよ」

真っ赤な顔で、資産家男性は言い返した。

レポーターは、馬鹿にした顔で相手を見ている。

しばしの間。

「…人助けでパンの耳を集められたんですか。パン屋さんたちが困ってたから?」

「そうです、そうです」

「パンの耳を食べて、食費を節約ですな」

「いや、そういうことじゃないんですよ。私は人助けと思ってパンの耳を集めて」

「まあそれはそういうことにしておきまして、で、どうやって蓄財されたんですか?」

レポーターは付き合わない。

資産家は、空気を吸った。

「それは、パンの耳を集めていると不思議と食べ物に困りませんし、他の善行からの御利益もありまして」

「他の善行?どういうことですか?」

「実は以前からこの界隈、無認可の廃品回収業者が暗躍してましてね」

「はあはあ、暗躍ね」

レポーターは話を合わせた。

「廃品の収集日にですね。区から委託された正式な業者が収集に来ますよね。でもその直前に、無認可の業者が軽トラックに乗って来て金目の廃品をさらっていくんですよ。この辺り、お金持ちの方が多いですから」

「ああなるほど」

「廃品であっても、お金になりそうなものが多いわけでしてね。で、そういう無認可業者が引取場所を荒らすやり方が酷くて。あと、ああいう連中は廃品を持っていった後にどういう扱いするんだか、わかったもんじゃないですから」

「まあ、そうですわね」

「廃品から個人情報を探られるおそれもあるし、その廃品をどこか郊外の山林にでも不法投棄されたりするなんてこともあるから」

「そうですわね」

「問題になってたわけなんです。この界隈の皆さん、困られてまして。そこで私が、考えたんですよ」

資産家は、心持ち得意げな表情を見せた。

「そんな得体の知れない無認可業者に比べたら、ご近所の私の方が信用があるでしょう、と」

「どういうことですかね?」

レポーターは首をひねった。

そうしながら油断なく、話し手の目を見ている。

「これも善行ですよ。廃品の収集日の朝早くに、引取り場所に行きましてね。ずっと見張ってて、無認可の業者が廃品の横取りをしにくいように。相手が実力行使に出る場合、追っ払ったりもするんです」

「なるほど」

「そうするとお金持ちの方の中には、あなたならご近所で素性が明らかだから、廃品で欲しいものがあれば持ってってください、と。そう言ってくれる人も多いんですよ」

「それはつまり、いわゆる金目のものを無認可業者より先にいただく、ということですね?」

レポーターは率直に言った。

「そういうことじゃないんですよ、あくまでこちらの好意で廃品を引取らせてもらうだけなんです」

「はあはあ、まさに善行ですよねえ」

相槌を打つレポーターの口調には、皮肉めいた響きがある。

「あんたね、ずっと我慢してたけど、いったい何なんですかその態度は」

急に激昂する資産家男性。

彼も我慢していたのだ。

「なるほど、なるほど、お話ありがとうございました」

レポーターの男性タレントは相手に取り合わず、カメラの方に意味ありげな視線を送った。

 

テレビ画面を見上げて、私は首をひねっている。

「高級住宅地で事故物件を探せっての…?」

番組内容に思いを巡らせる。

件の資産家男性がパンの耳によって食費を浮かせることができたのも、金目の廃品を集めることができたのも。

最初に高級住宅地で、事故物件を見つけることができたからだ。

私は、とても真似できそうにない、と思った。

高級住宅地に事故物件なんてそうそうないだろうし、だいたい、私は怖がりなのだ。

亡くなった人の霊が怖いので、たとえ事故物件を見つけたとしても住めない。

なら高級住宅地をあきらめて、今いる土地であの資産家男性と同じことを試してみようか?

しかしパン屋さんは近所には少ないし、廃品回収に出される品目だって、一般の住宅地ではありふれた廃品ばかりだ。

それらでお金を稼ぐのは難しいだろう。

今見たテレビ番組の内容を、どうにかして自分の蓄財に活かすことができないだろうか?

 

後日、私はファミリーレストランで食事をしている。

近くのテーブルに、一組のファミリーがいる。

ミモザちゃん、どうしてピザ食べないの?おなか空いてるでしょう?」

母親が、隣に座った小さい子供の食事具合を見て、声をあげている。

「だってピーマン入ってるじゃない。ピーマン嫌いよ。ピザにピーマンだなんて、聞いたことがない」

子供は甲高い声で訴えた。

「ここのピザにはピーマンが入ってんだよ、それが味のアクセントなんだよ」

父親が子供に諭すように言っている。

だが、子供は聞き分けが悪い。

「ピーマンの味がするピザなんて私は食べたくない、イタリア人だってこんなの食べないよ」

「イタリアにだってピーマンの入ったピザぐらいあるわよ…」

「そんなのは偽者よ、きっと本場のピザを知らないチュニジア人とかクロアチア人がつくってるのよ、この店のピザもチュニジア人かクロアチア人のシェフがつくってるんじゃないの?」

ミモザちゃん、やめなさい。厨房に聞こえたらどうするの」

駄々をこねる子に、母親は狼狽している。

背中にファミリーの会話を聞きながら、なるほど、と私は合点がいった。

あの子は、ピーマンが嫌い。

きっと私が声をかければ、あのピーマン入りのピザを私にくれるだろう。

つまり、善行というのは、今のピーマンのような立場の資源をうまく回収することなのだ。

パンの耳しかり、金目の廃品しかり。

ピーマンしかり。

いらないから持っていって欲しい、という相手から合意のもとに資源を集める。

そういう資源を集めて、お金に換える。

それはお金も貯まるはずだ。

 

私は自分の料理を食べながら、現実味を帯び始めた自分の蓄財について、思いを巡らせる。

ピーマン嫌いの人たちからピーマンを集めて、お金に換えよう。

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『活字中毒のひと』

私が活字中毒、と言うのは言い過ぎだ。

「いや、活字中毒ですよね?」

人の指摘は、厳しい。

「でも私程度で。活字中毒って、言ってしまっていいのかな」

目の前の相手が着ている派手なTシャツには、英文のコピーライティングが印刷されている。

私はその文面を離れたところから、人差し指でなぞるようにして読んでいる。

活字中毒ですよ。普通、人と話してる最中に、相手のTシャツの英文読んだりなんかしませんよ」

相手はすねたような声で言う。

話を聞いて欲しかったらしい。

でも、私は人の話を聞くより、文章を読む方が好き。

「僕の話、聞いてくださいよ」

「聞いてますよ」

と受け流しながら、私は相手のTシャツの英文を読む。

 

I am what I've eaten, I am what I've read, I am what I've sung.

 

そう書いてある。

私は私が食べてきたもの、読んできたもの、歌ってきたもの。

そんな内容だ。

ひねりがない、ありがち。

そう思った。

凡百のTシャツにある文句だ。

少し物足りない。

「満足できませんでした?」

相手は私の顔色をうかがいながら、尋ねた。

「ちょっと後ろ向いてくれませんか」

私は彼の問いに答えず、要求する。

「なんで?」

「いや、ちょっとだけですから、黙って後ろ向いてください」

私は発作的にむずむずしてきたので、性急に言った。

相手は、ため息をついた。

「どうせ背中の方にも何か書いてないか、見るつもりでしょう?」

「それだけわかってるなら早く後ろ向いてください」

私は、声を高める。

相手は仕方なくといった様子で、私に応じてこちらに背を向ける。

男性の背中に、私は視線を注いだ。

思ったとおり、彼の背面にも、英文のコピーライティングが印刷されてある。

 

...and I am who she've loved.

 

そして私は、彼女が愛していた者。

そんな意味。

ああ、オチまでありがちだった。

私は泣きたくなった。

陳腐な文句が胸と背中に書かれたTシャツを着て、この人は恥ずかしくないのだろうか。

私はため息をついた。

「どういう意味だったんですか?」

Tシャツの着用者は、私の反応を見て興味をそそられたらしい。

英文の意味を知らないみたいだ。

デザインに惹かれて、書かれた英文の意味もわからず着ていたんだろう。

これは、正直に教えてあげた方がいいのだろうか。

あのね、こういうTシャツを着てると、過去の恋愛に未練がましい人みたいですよ!

でもそう正直に教えた結果、「そんなネガティブな意味だったんですか、じゃあ脱ぎます!」と上半身を露出でもされたらこちらが困る。

私はもう、脚色してしまうことにする。

「これ、わりと扇情的な内容ですね…」

私は言葉を選びながら言った。

「はあ?せんじょうてき?」

男性は、大きな声をあげる。

店内の客たちが、私たちの方をいっせいに振り返った。

「しっ、大きな声を出さないで」

私は慌てる。

逆効果だった。

事を大げさにしたくなかったのに。

「せんじょうてき、ってどういう意味ですか?」

相手は無邪気な声でなおも言った。

私は、困った。

「扇情的というのは、つまり、sensationalな内容を含んでいるということです」

「ええと、そのsensationalっていうのもよくわからないんですが。意味は?」

相手は、興味をそそられたような顔で追及してくる。

やってしまった。

これだったら、相手にこの場でTシャツを脱がれていた方が、まだましだった。

私は困ってしまい、テーブルの上のグラスを手に取って、中のお酒を飲んだ。

お酒に強くない私でも飲める、アルコール度数の低いお酒だ。

「教えてください、sensationalって?」

テーブルの向かいから身を乗り出すようにして、男性は好奇心に満ちた声をぶつけてくる。

逃げなければ。

私はグラスを置き、代わりにテーブルの上からメニュー表を手に取った。

このお店の創業の経緯、提供する各料理、店の心得。

それらを私は黙読し始めた。

男性が執拗に呼びかけてくる声も、もう耳に入らない。

私は、活字中毒者だから。

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もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵 「椎名誠 旅する文学館」シリーズ

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『食事作法、美意識の範囲』

食事は、いかに音をたてずに執り行うか。

それが肝要だと私は思っているのだ。

できる限り、静かにものを食べる。

誰しも、食事はそうやってとるべきだ。

そう思っているので、昼時に入った行きつけの食堂で、私は大きな殺意を覚えている。

カウンター席の隣に座った客の食べっぷりが、実に騒々しく、不愉快なのである。

「ぐりゅっ、ぷぴぴ、ぺろぺろ」

隣に座った男性が、そんな咀嚼音をたてて騒々しく物を食べている。

かの人物が食事する際の咀嚼音をあえて字で表現すれば、上記のようになる。

見るからに不愉快な字面である。

「ぐりゅっ、ぷぴぴ、ぺろぺろ」

私は、舌打ちしたい気分だった。

私が今食べているスープカレーは各種野菜のだしが利いて、とても美味しかった。

だが隣でうるさく咀嚼音をたてられては、せっかくの味もわからなくなる。

心がかき乱されるからだ。

「ぐりゅっ、ぷぴぴ、ぺろぺろ」

隣の男性も、スープカレーを食べている。

しかし、なんと気に障る咀嚼音であること。

スープカレーは当然、汁気が多い料理なので、スープを飲む際には気をつけないと音をたててしまう。

食事で音をたてるのが嫌な私は、たしなみよく静かにスプーンでスープをすくい、口に運ぶ。

しかし隣の男性は、スプーンを豪快に振るって、皿からスープを口内にかき込んでいるのだ。

「ぐりゅっ、ぷぴぴ、ぺろぺろ」

いい加減にしろよ、と私は言いたい。

隣でそんな音をたてられるだけで、食欲が減退してしまう。

スープを音をたてずに飲めない人間には、美味しいスープカレーを口にする資格などない!

食事にストイックな私は、そこまで考えているのだ。

隣の男性は、スープカレーを食べる資格なんぞない人間なのだ。

不愉快だから、さっさと食べ終わって出て行ってくれないだろうか。

「ぐりゅっ、ぷぴぴ、ぺろぺろ」

私は、ため息をつきたい気持ちを押し殺して、音をたてずにスープを飲み続ける。

 

「マスター、おあいそ」

隣の男性客が立ち上がりながら、不機嫌そうに言うのが聞こえた。

私はそれとなく、彼の顔を見上げる。

しかめ面をしながら、男性はカウンターの向こうにいるマスターに、食べたものの代金を支払った。

お釣りを受け取った後、店内をずかずかと乱暴に歩いて進んで行く。

体当たりするような勢いで扉を開けて、外に出て行った。

どこまでも騒々しい客だ。

まったく何様なのだろう。

しかしこれで私はようやく、心置きなくため息をつくことができた。

「あのお客、他の席に座らせた方がよかったかな」

マスターは苦笑いしながら私に語りかけた。

私のため息を見ての言葉なのだ。

気を遣ってくれているらしい。

私は、苦笑いを返す。

「まあ、勘弁してあげてよ」

私の顔を見て、マスターはそう言った。

「勘弁ですか。まあ…」

私は言葉をにごす。

終始、咀嚼音をたてながらの食事ぶりと、出て行く際にも騒々しかった男性客。

彼のことを思い出すと、どこをとっても不愉快だった。

勘弁するのは難しい。

「あの人は、ああいう人でさ」

マスターは、苦笑しながら続けた。

「総入れ歯なのよ」

「はっ?」

マスターの言葉に、私は思わず目を見張ってしまった。

「総入れ歯?」

「うん」

と、マスター。

さっきの男性客のことだろうか。

総入れ歯にするような、そんな年配には見えなかったが。

「事情は知らないけど、若い頃に歯が全部なくなっちゃってさ。今、総入れ歯にしてるんだって」

「はあ…」

私は、生返事を返すぐらいしかできない。

「総入れ歯だと、スープをうまく吸うのも難しいんだってよ。どうしても、すする感じになっちゃうんだね」

「そうだったんですか…」

私は、頭の中が真っ白になった。

「うん、そうらしいの。彼、うちのスープカレーを気にいってくれてるみたいだから、ちょっと気の毒なんだよねえ」

マスターは残念そうに言った。

私は、かろうじてうなずく。

優しいマスターなのだ。

それとなく、私のことをたしなめているのかもしれない。

 

音をたてずにスープを吸うことができない人の隣で、ことさら静かに食事してみせた私だった。

そうしたくてもできない身の上の人にとっては、私の食事ぶりはあてつけのように感じられたとしても不思議ではない。

私が男性客の食事ぶりに殺意を覚えたのと同様に、彼の方でも私に殺意を覚えていたのかもしれない。

店を退出する男性の不機嫌な様は、その一端なのだろう。

「お客さんみんなに、楽しくごはんを食べてもらいたいんだけどね。簡単なようで、難しいよね」

気のいいマスターは、何気なく私に語る。

件の男性客とマスターの心情を思い、私は己を恥じていた。

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『寝ていたいが、先輩の言葉』

怒鳴り声が辺りに響いている。

「おい、役立たずがごろごろしやがって、邪魔だ」

私は、道の真ん中に寝そべっている。

怒鳴り声は、辛辣なものだった。

それは明らかに、私を指したものだ。

ただいくら辛辣な怒鳴り声でも、それが自分の発したものであれば、いくらでも耐えられる。

「おい、邪魔だっつってんだろ、どけよ」

私はごろごろしながら、口先で怒鳴り声をあげた。

背中を地面につけていると、肺が圧迫されて、大きな声をあげるのにも技術がいる。

「邪魔だな、こいつ。いったい誰の許しを得てごろごろしているんだ」

思いつくままに、私は声をあげ続けた。

体はだらしなく路上に横たえたまま。

道行く人たちは、眉をひそめて私に視線を落としながら、構わずに通り過ぎて行く。

当然だ。

寝そべったまま吠えている奇怪な人間、関わったら損だ。

企みがうまくいっているので、私はほくそ笑む。

こうやって、誰かに怒鳴られる前に自分で自分に怒鳴っていれば、誰も怒鳴ってこない。

私は、他人より先回りして自分を怒鳴りつけているのだ。

これも処世術である。

すでに自己批判している者を、誰も批判することはない。

他人から批判されることを避けようと思うなら、まずは自己批判だ。

「昼間から道端に寝転がってこんな奴、ろくな奴じゃないよ」

昼間から道端に寝転がりながら、私は大きな声をあげる。

ろくな奴ではない。

道行く人たちが、あいつ自己批判しているな、といった顔で私を見ながら通り過ぎる。

あえて私に語りかけることはない。

いいぞ、と私は思う。

昼下がり、道端に寝転がってのんびりするのには最高な、気持ちのいい時間だ。

このまま、怒鳴りながら、他人からの追及を避けて。

夕方までまったりしよう。

そう目論んだときだった。

「おい、君、いい加減に静かにしてくれないか」

静かな、それでいて力強い声が私に降り注ぐ。

私自身の声ではない。

私は、寝転んだまま、体を強張らせた。

他人からの追及を受けた。

あれだけ自己批判を繰り返していたというのに。

それでも、声をかけてくる人がいる。

私は上半身を起こした。

近くに、寝そべっている人がいた。

高齢の男性だ。

グレーのスーツを着て、黒縁の眼鏡をかけた、人品卑しからぬ風体。

そんな人物が、私と同じように道端に寝そべっている。

スーツが土に汚れるのも構わず。

こんな人物が近くに寝ていることには、気付かなかった。

「さっきから騒々しい。君の横暴な声に、私の思索は妨げられているのだ」

男性は控えめな声で訴えた。

私は、萎縮した。

「申し訳ありませんでした」

頭を下げた。

眼鏡の奥から、男性の細い目が私を見ている。

「君、見たところ、まだ若いな」

「はっ…」

男性に鋭く指摘され、返す言葉もない。

「いいかね、君。私がこうやって道端に横たわって思索にふけるのも、これまで長年、実生活で充分な経験を積んできているからこそだ」

男性は寝転がりながら、重々しい声で言った。

私はうやうやしく言葉を拝聴する。

「君のような若い者は、まだ寝そべって思索にふけるには早い」

「は…」

批判めいた調子に、私はただただ頭を下げる。

「立ち上がりなさい。立ち上がって、世界を見てきなさい」

男性は、力強い声で命じた。

言い返す言葉が思いつかない。

しかし本心を言えば、このまま、寝ていたかった。

「駄目だ。横になって死を待つには、君はまだ早過ぎる」

まだためらっている私に、男性はさらに声をかける。

死を待つ、という言葉は重い。

私は、思わずうなずいていた。

「全ての可能性に賭け終えた後、またここに寝に戻って来たまえ」

私の顔色を見て、男性は声色を和らげた。

「はい」

私は立ち上がった。

世界を見る。

可能性に賭ける。

そう言われると、確かに私にはまだ世界を見る余地も可能性に賭ける余地も、残っている気がしてくる。

「ちょっと行ってきます」

「元気でな。時々手紙をくれよ」

寝そべったままの男性に見送られ、私は旅に出た。

本当のことを言えば、あのまま私もごろごろしていたかったのだが。

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『自己発見講座』

心理学の知見に基づく「自己発見講座」を受講することにした。

私は、自分のことが時々わからなくなってしまう。

そんな折だった。

件の講座が開かれることを知ったのだ。

地元に基盤を置くNPO団体の主催によるものだという。

私はその団体に電話をかけて、受講の予約をした。

やはり私も、自分がどういう人間なのか、肝心なところはいつも心得ておきたい。

そういう、前向きな気持ちで決心したのだ。

 

駅ビルの三階にある貸し会議室を借りて、自己発見講座は開かれるようだ。

会場についた。

部屋の外に、受付などは設けられていない。

出入り口脇の壁に「自己発見講座」と書かれた紙が張られているだけだ。

私は扉を開けて、部屋の中に入った。

各種の講座、講演等の用途に使われる部屋なのだ

壁際には使われていない机、椅子などが小さくたたんでまとめられていた。

つるつるした合成樹脂の床が広くその姿をさらしている。

部屋の奥に、大きめのテーブルがひとつだけ。

そしてその周辺に椅子がいくつか準備されていた。

男性が一人、そこに座っている。

私はテーブルに近づいた。

「ここ、心理学の講座の部屋ですよね?」

声をかけた。

私服姿の、壮年の男性。

細長い顔と細長い体格で、猫背気味に座っている。

彼は、私の方には関心を向けない。

顔を上げて、テーブル越しに窓の外を見ていた。

「あの」

もう一度声をかけた。

彼は前を向いたまま、こちらを相手にしない。

なんだこの人は、と私は思った。

彼も講座の参加者のようなのだが、反応がない。

人形のように動かず、窓の外を見たままだ。

人形なのではないかと疑ったが、見ていると時々口から呼吸音をさせる。

人形ではなかった。

人形のような態度の、生きた男性だ。

返答を待つのは無駄とわかり、私は男性から少し離れたところの椅子を引いて座った。

 

開始予定時刻を10分程過ぎたところで、部屋の扉が開いた。

「お待たせ」

短くそう言うなり、騒々しい靴音をさせながらテーブルまでずかずかと、歩いてくる。

スーツ姿の、中年の女性だった。

片手に紙袋、片手にコーヒー店からテイクアウトしてきたらしいカップを持っている。

コーヒーの香りがした。

彼女はテーブルの上に紙袋とコーヒーカップを置き、自分も椅子に腰掛けた。

件の男性の向かいの位置である。

私から見て左手に男性、右手に女性が見える形になった。

テーブルの三方に私たちがそれぞれ腰掛けている。

「自己発見講座ねえ、参加人数少ないんなら中止にしてもらってもよかったんだけどね」

女性は誰にともなくそう言い、コーヒーをひと口すすった。

それから紙袋の中に手を入れて、ごそごそと探る。

中から、プリントの束を取り出した。

その束から数枚を手にする。

それらを目の前の男性のすぐ前に置いた。

そのまま残りを、紙袋の中に戻した。

「さっさと終わらせてお開きにしようか、こんなの時間かけても仕方ないから」

また誰にともなくそう言い、コーヒーを飲む。

何をさっさと終わらせるのだろう、と私は思った。

名乗りもしないこの女性は、何者なのだろう。

私は自己発見講座を受けに来たので、おそらくは講師だと思うのだが。

心理学の知見にもとづく講座、と事前に説明を受けている。

心理学の専門家か、もしくはカウンセラーの講師が来ることを期待して私はここに来た。

この女性が、そうなのだろうか。

「あんた何やってんの」

女性が私の顔を見ながら、顔をしかめている。

私は我に返った。

「はっ?」

「何で言われたことをさっさとやらないのよ。何様なの?」

威圧的な声だった。

「えっ…」

私は、身を固める。

何を言われているのか、わからない。

「何のことですか?」

私は恐る恐る尋ね返した。

女性のしかめ面に皺が入り、さらに歪んだ。

「何のこと、じゃないよ。馬鹿にしてんのか。プリントは配ってあるだろうが」

それはもう罵声と言っていい勢いである。

見ると私の左手にいる男性は、いつの間にかペンを取り出して、配られたプリントの一枚に何か書き込んでいる。

さっさとやる、というのはあれのことだろうか?

だが、私の前にはそのプリントは配られていない。

「いや、プリント、ないんですけど…」

恐る恐る口にした。

「子供じゃないんだから自分で取れよ」

女性から再び罵声を浴びる。

私はその勢いに怯えて身をすくめながら、何のことだ、と慌てて考えた。

もしかしたら。

男性の目の前には、彼が書き込んでいるものとは別にまだプリントが何枚か残っている。

あのプリントから一枚自分で取れ、ということなのだろうか。

私の位置からは、手を伸ばしても取れない距離なのだが。

女性の顔に目を向けた。

怒鳴るだけ怒鳴って、彼女はそっぽを向いてコーヒーを飲んでいる。

本当に誰なのだろう、この女性は。

心理学の専門家かカウンセラーというのは、もう少し他人に丁寧に接するものだと思っていたのに。

私の勘違いだったのだろうか。

困惑しながら、私は男性の方に視線を移した。

プリントまで、こちらの手が届かない。

私の分のプリントを、男性が気を利かしてこちらの方に近づけてくれないだろうか。

そういう期待を込めて彼の方を見た。

男性は、一生懸命プリントに書き込んでいる。

私の視線には気付きもしない。

よく考えれば、最初に来たときに話しかけても反応のなかった彼だ。

何かを期待するのが間違っているのかもしれない。

仕方なく、私は立ち上がった。

テーブルの周囲を回り、男性の傍らに来た。

横から手を伸ばして、プリントを一枚取ろうとする。

テーブルの上に、私の影が差した。

予想しないことが起こった。

男性が、物凄い素早さでこちらを振り返ったのだ。

我々の目が合った。

彼は目を見開いた、形相をこちらに向けている。

カンニングをするな!」

唾液を飛ばしながら、罵声を浴びせてきた。

「はっ?」

心外な言葉だった。

私は見ていない。

男性がプリントに何を書き込んでいるのか、そんなものに興味はない。

私は自分のプリントを取りに来ただけだ。

カンニングをするな!」

全く同じ調子の罵声を再び発する男性。

カンニングなんてしてませんよ」

カンニングをするな!」

たまらない。

男性の罵声を無視して、私はテーブルの上に身を伸ばし、プリントを手にした。

元の席に戻る。

座った私を、男性がまだにらんでいる。

最初に話しかけたときは全く反応すらしなかったくせに、と私も腹を立てる。

カンニングをするな!」

男性はまだ叫んでいる。

私はうんざりした。

カンニングしてごめんなさい、ぐらいのことは言ったらどうだ」

思わぬことに、右側の女性からもそんな言葉が私にぶつけられた。

私は顔を上げて女性を見た。

彼女は、仏頂面で私を見返している。

「だから、カンニングなんてしてませんて」

私は女性に言い返した。

女性も男性も、私をにらみ続けている。

何なんだこの連中は、と私は呆れた。

馬鹿馬鹿しい。

「あなたがプリントを自分で取れって言うから取りに行ったんでしょ、私は」

いい加減にうんざりしてきた私は、女性を相手に声を高める。

「言い訳すんなよ」

怒鳴り返してくる女性。

カンニングをするな!」

合わせて怒鳴る男性。

私は、拳を握った。

この連中に、いつまでも付き合っていられない。

罵声は無視して、自分の義務をまっとうしてしまおう。

私はプリントに向かった。

そこに書かれている文面に目を通した。

わかりにくいが、どうも心理テストのようだ。

設問がいくつかあって、それらに対して用意された選択肢の中から適切なものを選んでいくのだ。

おそらく私の右手にいる女性が作成したのだろう。

各設問の文面は、とてもわかりにくかった。

一例が、「今の自分のことを無視して、自分が市場にいたら、その市場は海に面しているか、山に面しているか」。

この設問への解答として選択肢は「片栗粉、クラゲ、山芋」の三つがある。

設問と選択肢の内容がうまく噛み合っていない。

どの設問もこんな具合なのだ。

しかしこういうのが、心理テストというものなのだろうか。

私は自分のバッグからペンを取り出した。

その心理テストの内容に混乱し、同時に左右からの罵声を浴びながら、私はプリントへの記入を進めていった。

 

解答を済ませるなり私はプリントをテーブルの上に残して立ち上がった。

「それじゃ帰らせてもらいます」

二人に背を向けて、出入り口の方へ。

「誰が帰っていいと言った、自己発見する気はないのか」

女性の罵声。

カンニングをするな!」

男性の罵声。

私は無視して歩いた。

私の背中に、後ろから何かぶつけられた。

それが床に落ちた音から、空になったコーヒーのカップだとわかった。

私は振り返らず、部屋を出た。

 

罵声を受けに行った自己発見講座から、一ヶ月が経った。

自宅に、郵便が来ている。

差出人は、件の講座を主催したNPO団体になっている。

封書で、中に見覚えのある、心理テストのプリントが入っていた。

私が解答を記入したものだ。

その文面の末尾には、私の記入時にはなかった、赤ペンでのコメントが書かれている。

「心理テストの結果を見るまでもなく、あなたは自分勝手な人間だということがわかりました」。

乱れた筆跡だ。

あの例の女性の手によるものだろう。

私はプリントを両手で丸めて、くずかごに投げ入れた。

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